■統一日報 2017年7月12日
■産経新聞 2017年3月12日
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統一日報 2017年7月12日
〈超一流の学者が、どうして主体思想研究に入ったか〉
2月に初版が出された直後から、関係者に大きな衝撃を与えた一冊だ。今年で90歳に成る元朝鮮大学副学長・朴庸坤が、これまでの歩みをしたためた。
著者は、主体思想の研究に半生を捧げ、朝鮮大学で教鞭をとっていた男である。さぞかし厳つい、闘士然とした人物なのだろうと身構える。だがその筆致は、こちらが勝手に抱いたイメージを覆し、社会科学者らしい分析と解説にあふれている。
本書には、学者の道に進むまでの経緯や、主体思想研究の日々、老いてからの家族との日常もつづられている。南北双方に、"祖国"を持ちつつ、日本で生活基盤を築いた学者の一代記として読みごたえは、確かにある。ただ、本書を手に取る読者が期待しているのは、そこではなかろう。
その期待に著者は、十分すぎるほど応えている。内容は衝撃的だ。特に朝鮮大学に通っていた200人を北に送った経緯は、改めて朝鮮大学の闇を印象づける。超一流の学者が、なぜ主体思想研究に入り、誤った方向に進んでしまったのか。その答えは、本書を読んで見つけてほしい。
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産経新聞 2017年3月12日
〈老学者の一徹、渾身の一撃〉
学者にとって、生涯をささげた研究が権力維持のために政治利用されることほど許し難い行為はないのだろう。
著者は、北朝鮮の主体(チュチェ)思想研究の日本における第一人者。本来「博愛の世界観」を持つという思想は、ねじ曲げられ、金日成主席の絶対化・神格化に利用された。著者はこう書く。《(私も)と気には権力に迎合までした…私に残された仕事は、権力者に踏みにじられた主体思想・主体哲学を洗い直し、その純粋な思想の精髄を救い出すことではないのか》と。
1927年生まれの著者は朝鮮大学校副学長や在日本朝鮮社会科学者協会会長などの要職を歴任した。本書では最も書きたかったであろう、この主体思想の問題に加えて、60年代に朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)内で吹き荒れた激しい権力闘争の嵐、主体思想を体系化した黄長ヨプ朝鮮労働党書記の亡命事件(97年)などについての秘話が赤裸々に記されている。
内部から見たその異常さ、すさまじさ。著者は妻が日本人というだけで離婚を迫られ、拒否したらついに朝大学長になれなかった。朝大では教養部が朝鮮労働党の擬似組織「学習組」を管轄し教職員の思想をチェック。やり玉に上がると執拗な総括が続けられ、殴る蹴るの暴行を受ける。著者もターゲットにされ自殺まで考えたという。
主体思想の変質に強い不満を抱き、黄氏が亡命したときには「一派」とみられた著者も標的にされた。2004年には、金正日政権の非理に触れたくだりがある論文が問題視され、朝大学副学長職などを解任。07年にはテレビ番組での発言によってすべての称号や肩書きを剥奪される。
この発言とは、1972年に朝大学生200人を金日成首相(当時)の還暦祝いとして帰国事業に参加させ、北朝鮮に送った秘密を公にしたことだ。当時、朝大学を説得する役割を担ったことに対して、悔やみきれない過ちを犯した、と振り返る。
「むすび」に《ささやかな抗弁権の表現》とあるが、中身は老学者の一徹、渾身の一撃といえるだろう。
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