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出版ニュース 2015年6月上旬号
週間読書人 2015年5月22日 評者:立林良一(同志社大学准教授)
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出版ニュース 2015年6月上旬号

ベニート・ペレス=ガルドス(1843-1920)は、スペイン文学の巨匠で、映画監督ルイス・ブニュエルも愛読者だったという。本書は1876年に発表された長編小説で本邦初訳である。スペインの架空の貧村オルバホッサを舞台に、人々の諍いや反目がエスカレートして破局へと向かうドラマが描かれる。作中人物は、特定の思想の「化身」として現れ、出来事や事件は「スペインの今」を象徴する。ガルドスは物語のなかに自身の政治的、哲学的、宗教的信条を入れ込みながら同時代の社会を映し出し、偽善や狂信、高邁な無知を容赦なく暴きだす。現代に通底する普遍的テーマを投げかける傑作だ。
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週間読書人 2015年5月22日 評者:立林良一(同志社大学准教授)

〈バルザックらとも肩を並べるスペインの19世紀作家の初期代表作〉

スペインのベニート・ペレス=ガルドスは日本ではほとんどその名を知られていないが、文学史的評価としてはバルザックやディケンズと肩を並べる19世紀作家で、一度ならずノーベル文学賞の候補にもノミネートされている。後期の作家活動を代表する長篇小説『フォルトゥナータとハシンタ』など、いくつかの作品がすでに邦訳されているが、今回上梓された『ドニャ・ペルフェクタ』は1876年、作者33歳のときに出版された初期の代表作である。

スペインにとって19世紀は、フランスのナポレオン軍による侵略をうけ独立戦争を戦った当初から、新興国アメリカとの戦争に敗れキューバ、フィリピンなど最後の植民地を奪われた世紀末に至るまで動乱の絶えなかった時代で、政治的にも保守主義、自由主義から社会主義、無政府主義まで様々な勢力が権力をめぐってぶつかりあっていた。1876年とは、第一次共和政が短命に終わり王政復古が実現した直後で、この長篇小説はまさにそうした時代を背景として物語が展開する。34歳になるホセ・レイはドイツ、イギリスにも留学経験のある自由主義、進歩主義を体現する人物で、父親の妹ドニャ・ペルフェクタの住む田舎町オルバホッサへ、彼女の娘である従妹ロサリオと結婚すべくやって来る。オルバホッサはマドリードの反教権的中央政府に対し、カトリック教会のモラルを始めとする伝統主義が支配する世界で、ドニャ・ペルフェクタや贖罪司祭ドン・イノセンシオはまさにそうした価値観を代表している。到着早々から両者の価値観が火花を散らす場面を目にした読者は、いずれこの対立がエスカレートし、互いに惹かれあう若い二人の恋物語も悲劇的結末を迎えるであろうと予感せずにはいられない。そしてそれは、町にとけこもうとするホセ・レイが受ける滑稽なまでの嫌がらせや、中央政府が反乱阻止のために軍隊を駐屯させる場面を目にするに及んで確信へと変わる。

ほぼ10年後に書かれた『フォルトゥナータとハシンタ』が、実写主義的技法によって日常を多面的に描き出しているのと比べると、この小説は、一見あまりに図式的で、作者の宗教に対する問題意識がストレートに反映し過ぎているとの感は否めない。しかし最後まで読み終えると、彼が必ずしも自由主義の側に与して、ドニャ・ペルフェクタが体現するオルバホッサ的価値観を一方的に断罪しているわけではないことにも気づく。問題なのは双方が自らの思想信条をペルフェクタ(完璧)と確信し、相手を理解しようとしない、スペイン的精神のありようなのである。そうした意味でこの物語が、終始脇役に徹していたドニャ・ペルフェクタの義理の兄の手紙で幕を閉じているのは示唆的に思える。日々膨大な蔵書に囲まれて研究に専念しているこの男は、身近で起きている騒動から距離を置き、最後まで傍観者であり続ける。国会議員として直接政治の世界にも足を踏み入れていたペレス=ガルドスにとって、そうした知識人の態度もまた許しがたいものだったのではないだろうか。

同じ19世紀に東アジアの小さな島国がやはり動乱の時期を迎え、多様な人々が坂の上の雲を目指して奮闘していた姿を思い浮かべながら本書を読んでみるのも一興かと思う。訳文は原作の味わいをよく伝えており、ルビの巧みな使い方に一般読者への心配りが感じられた。(大楠栄三訳)



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