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図書新聞 2014年12月20日号「海外文学・文化 2014 回顧」評者:小倉英敬(ラテンアメリカ思想史)
東京新聞・駐日新聞 10月19日
日本経済新聞夕刊 10月15日 評者:野崎六助(評論家)
読売新聞 10月12日 評者:松山巌(評論家・作家)
朝日新聞 9月28日 評者:杉田敦(政治学者・法政大学教授)
SFマガジン 2014年11月号 評者:牧眞司(SF研究家)
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図書新聞 2014年12月20日号「海外文学・文化 2014 回顧」評者:小倉英敬(ラテンアメリカ思想史)

ホセ・ドノソ『別荘』は、地理の作家ドノソが1973年9月11日のチリ・クーデター直後に執筆を開始し、78年6月に書き上げた、1970年に出版された『夜のみだらな鳥』と並ぶドノソの代表作の翻訳である。『夜のみだらな鳥』とは異なって、「魔術的リアリズム」的傾向はあまり見られないが、驚異的なまでに緻密な構成が最大の特長であろう。原作も力作だが、翻訳も敬意を評すべき力作。
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東京新聞・駐日新聞 10月19日

金鉱山を所有する南米チリの富豪一族―三十三人の子供を含む七家族がある夏を別荘で過ごした。そこはかつて食人の習慣をもつ土着の民が一族の祖先に土地を奪われた場所だった。子供だけを残して大人全員が出かけてから起こる秩序の崩壊と惨劇…。チリの政情不安と一族の禍々しい歴史が交錯し、膨大な登場人物たちにより紡ぎ出された悪夢の群像劇だ。
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日本経済新聞夕刊 10月15日 評者:野崎六助(評論家)

〈躍動するホラ話 余韻痛烈〉

ラテンアメリカ文学ブームの中核をなした作家の代表作。紹介までの時差はあったが、ついに登場。ドノソといえば『夜のみだらな鳥』。だが、それ以上に圧巻な一冊。邦訳が遅れたのは、ひとえにこの愛想のないタイトルゆえにか?

夜よりもみだら、そして、優雅にグロテスクな虚構の城。

いつの時代か、どこの地方か。金箔の製造と輸出で巨額の財をなす領主の一族。広大な屋敷をかまえ、血縁の子供たちが数十人、召使は数知れず。原住民を奴隷労働に使うが、奥地には未開の「人食い人種」が棲息(せいそく)するらしい。交易相手は赤毛の外国人。文明世界からやってくる彼らは最も野蛮な人種だ。

中心人物はいない。領主たち、その子供たち、召使、原住民と、焦点は移り変わる。作者は「これはホラ話だ」と、しつこく念を押す。この世はなべて「別荘」暮らし。寓意(ぐうい)は読み取れるが、物語の躍動に翻弄されるうち、理屈はどうでもよくなってくる。小説は「語り」=騙(かた)りがすべて。

だらだらと数ページずつ読むのもよし、一気に500ページ余を読みきってしまうのもよし。余韻の深さは痛烈だ。
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読売新聞 10月12日 評者:松山巌(評論家・作家)

〈火花散る確執と反抗〉

二十世紀後半の文学に強い影響を与えた南米文学も既に古いという声も聞く。だが巧妙な仕掛けと型破りな展開の本長篇を読み、未だ炎は消えず、新世代へ点火する勢いさえ感じた。

ドノソの代表作『夜のみだらな鳥』は名門一族の無残な崩壊を描いたが、本篇も同様。しかし趣向は全く異なる。物語は金鉱を有し、金箔で国の経済を牛耳るベントゥーラ一族が、例年通り夏に、広大な領地内の別荘に集まるものの、常とは違い、大人たちは召使たちを連れて、領地にハイキングに出かけ、三十三人の子どもたちは残ると決まった日の、前日から始まる。

巧妙な仕掛けは、まず作者の常識を覆す舞台設定。別荘ながら城の如き大きさ、金箔を作り、富を生む原住民が人食いだったという伝承、豊饒であるべき植物が、秋に人を呼吸困難にする綿毛を飛散する不毛の草で、領地全体を覆うことなど。加えて一族の退廃、一族と召使と原住民との階級差、塔に幽閉された狂気の男、子どもたちが興じる「侯爵夫人は五時に出発した」という遊びなどが伏線となる。しかも大人たちの確執や子どもの反抗心、召使や原住民の思惑も交叉し、至るところで花火が散る。

そしてそれら火花は連鎖して一気に爆発する。一部の子たちは原住民と別荘を占拠し、別の子たちは金箔を盗み逃亡。一方事態を知った大人たちの命を受け、召使たちは執事を先頭に軍団となって別荘を攻めるのだが、……。

この紹介だけでドノソの母国チリに起きた軍事革命が下敷きとわかるが、歴史を知らずとも十分面白い。時折入る作者の語りで物語の前後が入れ替わったり、「侯爵夫人は五時に出発した」のルールで一日が一年となったり、時空間は狂わされ、大部な小説全体は掴み難い。だからかえって読者は各自の読後感を抱くはずだ。

つまり読者を多様な読みへと導く、ここが作者の意図ではないか。それだけに本篇は言語表現の新たな可能性を秘めている。寺尾隆吉訳。
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朝日新聞 9月28日 評者:杉田敦(政治学者・法政大学教授)

〈終わりなき征服と抵抗の物語〉

金箔(きんぱく)取引で富を築いた一族は、毎夏、地方の広大な別荘で、使用人たちにかしずかれ、蕩尽(とうじん)を続けた。しかし、その日々は、大人たちが日帰りの(はずの)ハイキングに出たのをきっかけに一変する。壁の騙(だま)し絵や遊び歌の中にひそんでいた秘密が次々にあらわとなり、別荘に取り残された33人の子供たちを翻弄(ほんろう)するのである。「食人習慣」をもつと恐れられ、蔑(さげす)まれてきた「原住民」たちの真の姿とは。そして、彼らと白人一族との間には、いったい何があったのか。

『夜のみだらな鳥』で知られるチリの作家ホセ・ドノソの、もう一つの代表作である本書は、1973年9月のクーデター直後に、その執筆が開始されたという。

大人たちがいない中、原住民と子供たちは、生産を軸とした生活を共に始める。ところが、それを「食人習慣」の復活と見なす大人たちは、使用人らに命じて、血なまぐさい弾圧にふみ切る。命令されて動いた使用人たちは、それまでの「顔のない」存在から、顔をもち権力をふるう存在にいつしか変わり始める。こうしたすべては、原住民に寄り添うアジェンデ政権が、ピノチェト将軍らによって打倒された経緯をふまえているように見える。

しかし、この小説を特定の事件だけに結び付けるのは、適切ではあるまい。大人たちの一日が子どもたちの一年に相当するという具合に、ここでは時間が伸縮し、ねじ曲げられている。時間を超越した物語は、征服や支配が一回かぎりのものではなく、たえず繰り返されてきたことを示しているのではないか。

そうであるなら、抵抗にも終結はない。夏の終わりに無数の綿毛を吐いて人びとの呼吸を奪う奇怪な植物。運命を象徴するかのような、この植物の攻撃に抗して進もうとする子供たちの姿が眼(め)に焼き付く。類いまれな想像力が生み出した、現代の古典である。
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SFマガジン 2014年11月号 評者:牧眞司(SF研究家)

〈ベントゥーラ家の崩壊、三十三人のいとこの惨劇〉

大人全員がピクニックに出かけた日、別荘に残された三十三人のいとこたちは甘やかな解放感にひたりながらも、ひりつく不安を募らせる。親たちは果たして戻ってくるだろうか?

『別荘』は、かの傑作『夜のみだらな鳥』に比肩しうる、そして対照的な作品だ。まずたたずまいが違う。リアリティが歪み因果そのものが捻れ、読者をたじろぐがせる『夜の〜』に対し、『別荘』は通常の物語性にゆらぎはない。さらに注目すべきはテーマ面の対比だ。『夜の〜』では閉鎖空間(屋敷)に異貌の楽園がつくられたが、『別荘』は束の間の虚栄を誇った楽園(別荘)が、内的・外的な綻びからあえなく瓦解していくさまを描く。

別荘は、異常な繁殖力の植物がはびこり、「人食い」と噂される原住民が暮らす奥地にある。こんな土地にわざわざ豪華な邸館を建てたベントゥーラ一族は、原住民使役による金採掘と金箔加工によって財を築いた、いわばいびつな資本主義の頂点である。チリ出身のドノソは当然、南米の史実を踏まえて設定しているのだが、生の政治意識は表面化させず、登場人物間の軋轢や状況の急展開――すなわち小説の駆動系――として用いていく。それに関連して印象的なのは「人食い」のイメージだ。当初は原住民の未知なる野蛮性として言及されたものが、別荘の住民たちが孕んだ悲劇・暴力・反抗の象徴として(いや、実際の行為としてまでも!)繰りかえし変奏される。その凄惨なイメージを、こともなげに日常の物語に接続させる、この作家の筆遣いが凄い。



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