head

週刊読書人    2014年9月26日 評者:越川芳明
毎日新聞    2014年6月8日 評者:若島正
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------
週刊読書人    2014年9月26日 評者:越川芳明

フォークナーと言えば、米国深南部ミシシッピのジェファソン。ジョイスと言えば、アイルランドのダブリン。二十世紀の世界文学に関心のある者ならば、誰でも知っている作品の舞台だ。重要なのは、それらが文学的なトポスであるということ。モデルとなった町が実際に存在したとしても、私たちが読むのは、作家たちが構築した〈神話的な〉場所である。

インファンテも、モダニズム文学の先人たちの例に倣う。白紙のページや真っ黒に塗りつぶされたページ、逆さ文字のページを混入させたり、特異な〈クバニスモ(キューバ語)〉を駆使して様々な言葉遊びをおこなったりしながら、彼が思想的な理由で永遠の別れを告げたキューバを、それも革命前の首都ハバナを〈神話〉の都市に仕立てあげる。

ただ、そこに映画や音楽など、ポップカルチャーの要素がふんだんに、というより過剰なまでに加味されている。ロサンジェルスを〈暗黒の街〉として描いたレイモンド・チャンドラーなどのジャンルフィクションの意匠/変装すらも身にまとう。

ところで、ハバナのベダード地区23番通りとL通りの角には、カストロの反乱軍がハバナでの作戦本部として使ったホテル〈アバナ・リブレ〉がある。小説の舞台は、皮肉にも、そのすぐ近くだ。ホテルから海岸通りに向かって歩くと、ゆるい坂道(ランパ)になっていて、そこは文字通り〈ラ・パンパ〉と呼ばれるところだ。かつては賑やかな〈夜の街〉だったが、ブルジョワ的な娯楽を精神的な墜落とみなす革命政府の方針で、街の灯は消え去った。

〈ラ・パンパ〉を中心にして、インファンタ通りのナイトクラブ〈ラスベガス〉や、かの有名なキャバレー〈トロピカル〉など、都会の夜を彩る〈悪の巣〉が幾つも登場し、主人公たちが夜を徹して酒場をはしごする。確かに、彼ら(ほとんどが知識人)のポップカルチャー(ハリウッド映画や欧米のポップ音楽)への心酔は一見「軽薄」に映るが、そこには、明らかに思想弾圧をおこなう体制への、作家の批判がこめられている。

小説の語りは、三人称の「彼」と一人称の「僕」が混在し、しかも一人称で語る主人公は複数いる。中でも四人の人物が注目に値する。いずれも、ポルトガル詩人のフェルドナンド・ペソアに比肩する〈多重人格作家〉インファンテの分身と言える。

まず、カメラマンでジャーナリストのコダック。彼が一人称で語る「彼女の歌ったボレロ」という連続短篇小説集では、「黒鯨」と渾名される巨体の黒人歌手〈ラ・エストレージャ〉が登場する。コダックは彼女が無名の頃から自分の部屋の居候させてやったりベッドをともにしたりする。コダック自身が〈芸能部〉から〈政治部〉へと左遷され、夜を徹して飲み歩くことがなくなるうちに、ついに彼女は夢を叶えて華々しいデビューを飾る。だが、海外公演に出たとたん、心臓に悪いメキシコの高地であえなく命を落としてしまう。ここには、失われた〈ハバナ〉に対する哀切な思いをコミカルに、かつメロドラマティックに歌う〈ボレロ歌手〉のインファンテがいる。

次は、アルセニオ・クエという俳優。職業柄、セリフや文章を覚えるのが得意で、友人との会話の最中に、いきなりフォークナーやシェイクスピアなど、文学作品の一節を口ずさんだりする。また、カバラ的な数字解釈/数字遊びにも魅せられており、いたるところで、数字を見つけては、世界の意味を探ろうとする。さらには、知り合いや友達に会うと、挨拶代わりにキューバの悪口を――たとえば、「この国にとどまるのは、鳥か魚か観光客だけ、どちらもいつでも好きな時に出ていけるからね」――滔々と述べる。俳優クエの中に見られるのは、文学中毒で、皮肉とおしゃべりが達者なインファンテだ。

次は、雑誌編集者のシルベルトレ。この小説の後半の四割近くをしめる「バッハ騒ぎ」という作品は、シルベルトレの一人称によって語られる。彼は視界に黒いシミが浮かぶほどの映画狂だ。目の前の出来事をハリウッド映画のシーンに照らし合わせて語る癖があり、ときにそれが現実なのか映画の一シーンなのか分からなくなる。クエの運転する車でハバナ市内と郊外を東から西へ、西から東へとあてもなく飛ばしながら、二人は文学談義を繰りひろげる。シルベストレは一見でたらめに思える「ムジュン人」という概念で、二〇世紀の作家や登場人物を評価したり斬罪したりするが、そうした形で作家は抱腹絶倒の文学観を披露する。

最後は、怪物ブストロフェドン。片時も辞書を手放さずに言葉遊びを得意とするこの男は、いわば、言葉の錬金術師としてのインファンテの分身としていえる。彼の繰り出す言葉には、クリエイティヴな翻訳が求められる。とりわけ、彼の作る回文、日本語でも上から下から読んでも通用しないとまずい。〈旦那紳士なんだ/イタリアでもホモでありたい/なんて躾いい子いいケツしてんな〉。訳者も果敢に創作に挑戦し、見事に言葉遊びをやってのける。

さらに、ブストロフェドンのパロディの才能にも舌を巻く。それは「トロツキーの死 古今未来七名のキューバ作家による再現」と題された彼の遺作に見られる。  周知のように、世界的な同時革命を唱えるトロツキーは、一国社会主義を唱えるスターリンと対立してソ連を追われる。後年メキシコに亡命するが、弟子を装った青年に暗殺される。暗殺者はサンティアゴ出身のキューバ人だった。

トロツキーの暗殺をめぐって、ブストロフェドンは、キューバ作家たちのパロディ(文体模倣)によって考察を行なう。すなわち、カルペンティエールに似せた、精密な細部描写によるバロック的な文章、ギジェンさながらの対話形式を利用したエレジー、ピニェラの象徴主義的な間接表現、アフロ信仰パロの用語をぎっしり詰め込んだリディア・カブレラの文章などだ。これらは、作家ギジェルモ・カブレラ・インファンテ自身の華麗でアクロバティックなまでの文学ダンスに他ならない。

そんなわけで、この大部な作品(翻訳は四百字詰め原稿用紙で、ゆうに一千枚を超す!)は、英語圏のピンチョンやバースなどと同様に、文体の「ごった煮」が一大特徴をなすポストモダン文学の一大成果、いや金字塔と言っても過言ではないだろう。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------
毎日新聞    2014年6月8日 評者:若島正

〈全編にあふれる声、喪失の悲しさただよう〉

キューバの作家であり、カストロが政権を掌握してからは祖国を離れ、ロンドンに移住して母国語のスペイン語のみならず英語でも執筆活動を続けた、ギジェルモ・カブレラ・インファンテの代表作が遂に翻訳された。近来の快挙である。早口言葉を活かした邦題もふるっていて、『TTT トラのトリオのトラウマトロジー』という。『TTT』は何よりもまず声の本である。あふれるほどの声、声、声。革命前夜、バティスタ政権下のハバナで、歓楽街にたむろして夜ごとの乱痴気騒ぎをくりかえす男たちの猥雑な声がある。さらには、女たちの声もある。精神科医とのセッションで語り続ける女。道端で訳のわからないことをつぶやいている狂女。そして女たちのなかで最も印象的なのは、断章「彼女の歌ったボレロ」に登場する、巨漢女のラ・エストレージャだ。けたたましい鼾をかく、グロテスクな女性でありながら、ひとたび歌を歌えば彼女はこの世のものとは思えない歌姫に変身する。「そのメロディーが胸から、巨乳から、太鼓腹から、あの巨体全体から流れ出て……真に心に迫るその流れるような柔らかい声、油の利いた体からプラズマのごとくコロイド状に流れ出るその声を前に、僕はオペラで鯨が歌ったとかいう挿話のことなど考える間もなく、体に激震が走るのを感じた」

それでは、なぜここにはこれほどまでに声があふれているのか。それは、声として出る言葉や歌がその時その場かぎりの体験であり、キューバを離れたカブレラ・インファンテが書く、今ここには決定的に失われているものだからではないか。その意味で、カオスとしての声たちが集まって形作るのは、失われたあの時のハバナでもある。スペイン語の原書の題名は、直訳すれば「三匹の寂しい虎」であり、そこには喪失の悲しさがただよっている。あの圧倒的なラ・エストレージャですら、死んでしまうと後には「凡庸なレコード一枚」しか残らない。虎は死んだら皮を残すというが、本書でカブレラ・インファンテが再現しようと試みているのは、決して皮ではなく、虎そのものなのだ。トラ・トラ・トラ!

英訳版の題名は、やはりこれも直訳すれば、「三頭の囚われた虎」になる。「囚われの精神」がやり場のない活力をぶちまけたような、ハバナの喧騒がこうしてリアルに再現される一方で、ここにはその檻から脱出しようとするベクトルもはっきりと見て取れる。それは、高速道路を突っ走る男たち二人が「このまま走り続けてハバナじゃなく四次元へ辿りつことしている」というくだりにもうかがえる。それを実現しようとする手法が、全編に満ち満ちている執拗な言葉遊び、タイポグラフィカルな仕掛け、キューバ文学のみならず世界文学にまで広がるさまざまな文体模写や文学的引用にもじり、直線的な物語ではなく断章から組み立てた作品構成だ。ポストモダン小説にも通じるこうした趣向によって、本書『TTT』はいつのどこでもない、従って現在の日本にいるわたしたち読者にもアクセス可能な、まさしくこの書物の中にしかない、カブレラ・インファンテ独自の不思議な時空間を作り上げている。それがおもしろくないはずがないではないか。

この憑きものに取り憑かれたような書物の、あふれる声を掬い上げ、痙攣的に連発される駄洒落も帯に謳われるように「超訳」し、カブレラ・インファンテの真剣な遊びに徹虎徹尾つきあった、訳者の孤軍奮闘ぶりは最大級の賛辞に値する。



com 現代企画室 〒150-0031 東京都渋谷区桜丘町15-8高木ビル204
TEL 03-3461-5082 FAX 03-3461-5083

Copyright (C) Gendaikikakushitsu. All Rights Reserved.