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図書新聞    2014年7月5日 澤田直(フランス思想・文学)
図書新聞    2014年6月7日 高田広行(西洋史研究)
■ヴィクトル・セルジュの小説『勝ち取った街』『仮借なき時代』2作の刊行を記念して、2014年4月19日、クラブヒルサイドにてトークイベント「ヴィクトル・セルジュと両大戦間期ヨーロッパの政治/芸術」を開催。
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図書新聞    2014年7月5日 澤田直(フランス思想・文学)

〈V・セルジュ著『仮借なき時代 上・下』(現代企画室)を読む
カタストロフィそのものである小説
暗黒状況をあくまで冷徹に書き切ったのが魅力〉


フランス文学に関心のある人でも、ヴィクトル・セルジュという作家を知る人は少ないのではないか。この名前に親しんでいるのは、むしろ、政治思想、それもアナーキズムに興味を抱く人だろう。V・セルジュの名は、『一革命家の回想』の著者として夙に知られている。かく言う評者も、彼が小説を書いているのは知っていたが、歴史色の強い政治小説なのだろうと勝手に思い込んでいて未読だった。

だが、『仮借なき時代』を読んで、不明を大いに恥じた。これが滅法おもしろい。スピーディーな展開で、苛酷という言葉ではとうてい表せない、途轍もなく厳しい状況が、いっさいの感情を排した筆致で淡々と描かれる。虚無感漂うラストについては触れないとしても、スパイ小説のような冒頭から、ぐんぐんと物語に引き込まれていき、邦訳で上下巻、全500頁余を一気呵成に読了した。

V・セルジュの小説があまり知られていないのには、いくつかの理由がある。彼の徹底的な無国籍性、いかなる文学潮流にも属さないこと、亡命生活での遅ればせの小説執筆などだ。1890年、亡命ロシア人の両親のもとブリュッセルに生まれたヴィクトル・ナポレオン・ルヴォヴィチ・キバルチッチは、青年期まではベルギーで過ごし、その後、フランス、スペインで活動した後、1919年、母国ロシアに赴き、ボリシェヴィキ革命に合流、1920年代半ばには、ドイツとオーストリアでコミンテルンの仕事に従事した。場所は変われど、平穏さからはほど遠く、恐怖にさらされながら、論争と闘争に身を委ね、警察に追われ、国外退去を余儀なくされた。アナーキストだった彼は、フランスで投獄されただけでなく、ロシアでも、トロツキーなどの左翼反対派グループに荷担したかどで逮捕、投獄された。出獄後、スターリン治下のソ連で自由な政治活動はできないと心底から感じたセルジュは、文学活動に専念することを決意した。多くの外国語を操り、ロシア語からの翻訳もしたが、彼の執筆言語は終生フランス語だった。

ジャーナリストとして、多くの政治や文化評論を発表してきたセルジュの最初の小説『囚われの人々』は39歳の時の作。その後に続く一連の作品は、政治の世界を知り尽くした作家による政治小説と言える。1930年代のスターリン主義国家における、大量虐殺を描いた『トゥラエフ事件』に顕著に見られるように、彼の作品は、歴史の証言、貴重なドキュメントとして読まれてきた。

だが、『仮借なき時代』は、政治的な予備知識なしで読んでも、大きな力で迫ってくる一級の小説だ。四部構成からなるこの小説は、場所は知らされるが、時代や出来事の背景に関しては明確な指標がなく、登場人物の多くが偽名や変名などを使うので、なかなか追いにくい。内容の簡単な紹介をしてみよう。主人公は、ロシアの秘密警察機構から離反したものの、革命への志は捨てていないD(ランベルティ、ブリュノ・バスティ、マリネスコ、サーシャとも呼ばれる)。そのほかに、その妻(ナディーヌ、ノエミ・バスティ)、同志でほのかな恋愛感情もあったダリア、部下アランが主要な登場人物だ。

第一部の舞台はパリ、時代は第二次世界大戦直前か勃発後(1939か40年)あたり。スターリンの粛清により、かつての同志たちが次々と消されていくなか、Dは自らの良心の声に従い、組織を離れることを決め、妻と出奔する(このあたりのスピード感が秀逸)。一方、ダリアとアランは組織に残り、敵味方となる。第二部の舞台はレニングラードで1943年前後、カザフでの四年間の流刑から戻ったダリアの物語。廃墟と化した街で、彼女は自分の仕事に疑念をいだきながらも、組織の指令を遂行する。第三部の舞台は1944から45年、ベルリン陥落前後。荒廃した街に生きる市民たちの物語。正気を失ったブリジットや、片脚片手を失い無残な顔形となった傷痍軍人フランツらの日常と、地下抵抗組織の活動などが、断片的に描かれ、戦争という無慈悲なカタストロフが見えてくる。ひとたび起これば、誰にでも起こりうる凡庸な悲惨さが、見事に描かれる。第四部は戦後のメキシコ、Dは無事この地に逃げ込み、農園を経営しながらも、革命は忘れずにいるのだが……。結末は書かずにおこう。

物語の最後の舞台であるメキシコで、V・セルジュは失意の亡命生活を送り、1947年心臓発作で倒れ、亡くなった。41年ヴィシー政府のフランスからアメリカ行きの最後の船に乗った彼は、アメリカ入国を拒まれ、メキシコに亡命することになったのだ。その地で『仮借なき時代』は書かれたのだが、出版されるのは1971年を俟たねばならなかった。

この小説の魅力は、暗黒状況をあくまで冷徹に書き切った点にある。今の時代に、V・セルジュの再評価が進むのも頷ける。この閉塞感、登場人物たちが感じる息苦しさと、時代のきな臭さは、私たちの目前に迫っているものだ。このような過酷な作品に共感することが可能になったのは、ポスト震災を生きる私たちにカタストロフを捉える感性が備わったからなのだ。『仮借なき時代』は、過去のカタストロフを描いた作品ではない、小説としての破綻をも恐れないこの作品はカタストロフそのものなのだ。ヴィクトル・セルジュを、「20世紀の倫理上、文学上の英雄たちのなかでもっとも胸に迫ってくる一人」(『同じ時のなかで』)と述べたスーザン・ソンタグは、さすがに先見の明があった。
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図書新聞    2014年6月7日 高田広行(西洋史研究)

〈闇の交響曲のように響きわたる革命家セルジュのエクリチュール
革命のペトログラード、皮膚感覚で捉えたその真実〉


革命家ビクトル・セルジュは永遠のバガボンドであり、バガボンドにならざるをえない革命家だった。1890年にブリュッセルに生まれ、ボリシェヴィキ革命の渦中に身を投じながら、ソ連で革命が裏切られていく過程を身をもって生きた。スターリン体制のテロルに圧殺される寸前に国外へ脱出したが、安住の地はなく、亡命下でトロツキーと論争し、革命の名のもとに圧殺された名もなき人びとの姿を物語に書きついだ。スターリニズムとナチズムから逃れてヨーロッパを脱出し、大西洋をわたってメキシコに身をよせたが、四面楚歌のなか、書き上げた詩を片手にタクシーに乗り込んだところで事切れた。 セルジュは論説よりもむしろ小説の手法でみずからのテーマを表現したが、彼をいわゆる作家と呼ぶことはできない。作品は文学の枠組みには収まらないスケールをもっていて、思想であり哲学であり、評論であり詩である。その意味でセルジュは19世紀以来のロシア・インテリゲンツィアの系譜を引いている。『勝ち取った街』も物語のかたちをとってはいるが、革命そのものをえがこうとしたエクリチュール、としか名づけようのない比類なき作品だ。

セルジュがこの物語を書いたのは1930年から31年にかけてである。スターリン体制の確立期で、革命の火はラーゲリや獄中に消えんとしていた。セルジュは本書の冒頭に掲げたエピグラフに、「革命の真実の相貌を、伝説と忘却から解き放つことこそ、我々の務め」と書いている。

物語の舞台は1919年のペトログラード。長い夜の闇、灰色の空が重くのしかかるこの街では、セルジュの表現を借りれば「降りやまぬ雪さえ、光を失っていた」。「どの界隈にも明かりひとつない。先史時代の闇」のなかで、勝利した権力によって闇に葬られていく人をえがく。それこそがセルジュのテーマだった。 「なんと多くのつらい仕事を、なんと多くの恐ろしい仕事を達成しなくてはならないことか。しかもそれらの仕事はそれを達成する者が消え去ることを望んでいる! 我々の後から来る者が我々を忘れ去ることを、彼らが我々とは別な人間になることを望んでいるのだ」。

本書のなかで「私」はそう語る。革命とは、先史時代の闇のなかから歴史が始まる、そのプロセスにほかならない。だが始まったとたんに、歴史はみずからを創ったはずの人間をふたたび闇へと消し去っていった。セルジュがえがいたのは、闇を一瞬照らした、ほのかな燐光のような人たちである。彼らにこそ革命の真実があるという確信を、セルジュは1919年のペトログラードで掴んだのだ。

「なんと言おうが、この共和国は大きな、大きな希望なんだ、新しい正義の誕生なんだ。行為と言葉、いわば、仮借なき行為と真実の言葉の潔さなんだ。さんざ担がれた挙げ句、いつも打ちのめされ、虐殺されてきた者たちが、昨日までなにものでもなく、他の国ではいまもってなにものでもない者たちが創り上げつつあるものなんだ!」。

セルジュは「私」にこう語らせている。本書の登場人物たちの言葉は、闇の交響曲のように響きわたる。誕生と葬送が、夢幻の世界とテロルの現実が激しくせめぎあいながら、先史時代の闇から革命が胎動し、姿を現しながら黒ずみ、身もだえする。その一挙手一投足を皮膚感覚で捉えた、セルジュにしか書くことのできなかった作品である。



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