■東京新聞 2014年3月2日
■朝日新聞 2014年3月2日
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東京新聞 2014年3月2日 評者:藤田一人(美術評論家)
〈芸術祭に希望を託す〉
芸術とは広く社会に開かれ、あらゆる人々が享受し、育んでいくべきもの。それは戦後民主主義の一つの理想と言っていいだろう。本書は近年盛んな芸術による村おこし、街おこしのパイオニアである著者が、その皮切りとなった「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」に懸けた思いと試行錯誤の十数年の活動を纏(まと)め、今後の展望を示す。そこには戦後日本の民主的芸術の理想が脈打つ。
ただ、そうした芸術運動は戦後様々(さまざま)に試みられては挫折を繰り返してきた。そんななか著者の試みが成果をあげたのは、全共闘世代である自身の学生運動の反省があるという。当時の左翼運動は都市的価値観に基づき、それが地方集落の共同体的価値観の否定になった。単に上からの合理的な論理ではひとは動かない。大切なのは、各々(おのおの)の土地に根差す文化や生活に寄り添うことなのだ、と。特に限界集落という先の希望が見えない地域では尚更(なおさら)だ。そこで芸術の果たすべき役割とは、ほんのひと時でもそこで暮らすお年寄りを笑顔にすること。そのために、芸術祭を催して都会の息子や孫が帰ってくるキッカケにするというわけだ。
するとそこには従来の成長志向ではなく、むしろ衰退する集落をしっかりと看取(みと)るという、人間と人間社会の“最期”への尊厳が喚起される。成熟した民主的芸術とは、そういうものであってほしい。
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朝日新聞 2014年3月2日
著者は、新潟県南部、昔の妻有郷などで開かれてきた「大地の芸術祭」を手がける美術ディレクター。最初は役所からも住民からも「現代美術なんか」という反発が強かった。それが人と人がぶつかり、作品が形になることで変わる。完成が危うかった古郡弘の土塀アートは地元民総出で手伝った。「50日だけ」で許可を得た國安孝昌の〈竜神〉は長く残すべく住民が作り直した。やがて芸術祭は多くの観客を集める越後名物となる。アートと風土が織りなす世界は激しく美しい。時にニヤリと笑える。と同時に、喪失感も覚える。高齢化と衰退に悩む山村が、あるがままの姿で輝いていた時もあった。あの日はどこへいってしまったのか、と。
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