■MOE12月号 歌代幸子さんインタビュー
■ふぇみん 2013年9月5日 「チカラミナギル本のカズカズ:書評」欄
■WAN(ウィメンズアクションネットワーク) 2013年8月23日 「手渡し」の物語:やうちことえ
■WAN(ウィメンズアクションネットワーク) 2013年8月14日 文章:歌代幸子(著者)
■朝日新聞 岩手版 2013年6月14日 評者:高橋克彦(作家)
■週間読書人 2013年6月7日 評者:肥田美代子(童話作家・公益財団法人文字・活字文化推進機構理事長)
■MOE 2013年6月号
■読売新聞 2013年4月21日朝刊、本よみうり堂 評者:畠山重篤
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------
MOE12月号 歌代幸子さんインタビュー
〈東北の子供たちに絵本を届けるプロジェクト〉
白い軽トラックの荷台が開くと、中には色とりどりの絵本が並んでいます。この「えほんカー」をはじめ、東日本大震災の被災地の子供たちに絵本を届ける活動を行っている「3・11絵本プロジェクトいわて」。ノンフィクションライターの歌代幸子さんは、岩手県の自宅で震災に遭った末盛千枝子さんの発案ではじまった「いわて」の活動の記録を『一冊の本をあなたに』としてまとめました。
「『いわて』の活動を見たのは震災の3カ月後、東北を取材していたときでした。被災地の光景を初めて目の当たりにした日、ショックからなのか、ホテルの部屋で突然涙があふれてきて。どうにも耐えられず、以前から交流のあった末盛さんにお電話をしたんです。それをきっかけに、『いわて』の活動拠点である盛岡市中央公民館を訪ねました。その時で全国から届いた絵本は20万冊ほどありましたが、すべて丁寧に開梱、分類されていることにまず驚きましたね。しかも落書きなどがきれいに消されていて。それらの絵本からは手のぬくもりが感じられて、こんなに確かな形で絵本を届けてくれる方たちがいるのだと、私自身が励まされたのを覚えています」
その後「いわて」の活動を追う中で、絵本の力を実感したといいます。
「ボランティアの多くは子育てを卒業したお母さんたちで、作業をしながらお子さんと読んだ絵本を思い出したり。絵本を運ぶ男性たちも、みんなが絵本に関わることで癒されているようでした。一方で『大変な時に絵本でいいのか?』と葛藤しつつ作業していたという話もうかがって。被災した家族、友人が未時下にいる方たちの複雑な思いを知り、そうした一人一人の声をできるだけそのまま伝えたいという気持ちが強まりました。
何より心に残っているのは「子どもたちの姿」だという歌代さん。『一冊の本をあなたに』の冒頭には、届けられたたくさんの絵本の中から、ようやく『ちびくろさんぼ』を探し出した男の子のエピソードが綴られています。
「津波で失くしたお気に入りの絵本だったそうです。その子にかぎらず『好きな絵本を持っていっていいよ』と言ったとき、子どもたちが選ぶのはおうちにあったもの、お母さんや保育園の先生に読んでもらったものなんです。それは末盛さんの『戦禍や災害の被害を受けた子どもたちは、誰かの膝の上で絵本を読んでもらうときだけほっとしていた』という言葉にもつながり、とても心を打たれました」
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------
ふぇみん 2013年9月5日 「チカラミナギル本のカズカズ:書評」欄
絵本編集者の末盛千枝子は岩手県八幡平で3.11の大きな揺れに襲われた。戦火や災害のもと、子どもたちは誰かの膝のうえで絵本を読んでもらうときだけ、穏やかな気持ちを取り戻せるという話を聞いていた末盛が、「絵本を送りたい」と3月19日に知人にメールを出したことから、「3.11絵本プロジェクトいわて」は始動した。総計23万冊の絵本が盛岡に送られ、10万冊が宮古や陸前高田など被災地の、幼い心に悲しみを背負った子どもたちに届けられた。
まだ食べるものさえ満足ではない時期になぜ絵本か。それは、絵本は生きる力をくれるから。果たして子どもたちは身を乗り出して読み聞かせに聞き入り、「この本、前持っていた!」と震災前の生活まるごとの時間を取り戻す。
本を送る人、段ボールを開梱する人、年齢別向けに整理する人、届ける人…と、絵本の力を信じる大勢の人々の、子どもと絵本への愛をすくいとった本書自体が、一つの美しい物語である。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------
WAN(ウィメンズアクションネットワーク) 2013年8月14日 文章:歌代幸子(著者)
エリック・クラプトンのTears in heavenを聞きながら、ぼんやりと夜のベランダで腰かけていると、何にもしたくなくなってくる。愛息子の死を悼むその優しい音色を聞きくと、しんみりとしながら、自分の中にある様々ないつかの風景が通り過ぎていく。その時、ふと千人針をじっと見つめ、そっと一つ一つの針目をたどる、森南海子さんの姿が現れてきた。『千人針は語る』(海竜社、2005年)の作者で、私はもちろんお会いしたことはない。玉止めだけの千人針、ステッチのされている千人針、地域や、人によって千人針は様々だ。そして、そこに込められた思いは、複雑だ。単純に「戦争協力」という言葉でまとめることは出来ない。戦場に行かせたくない、生きて帰ってきてほしい、という思いを口に出すことは、死につながった時代。一針、一針は、そうした声なき言葉でもあった。願いだけではなく、痛み、怒り、悲しみが、布を突き通す。その一方で、作者の森さん自身は、渡された千人針に、特に何も考えずに、感じずに、ただただ針を刺し、戦場に人々を送り出したことを後悔しつづけていた。だからこそ、千人針に関わった人びとに百人近くに会った。そして、託された千人針と、そこに込められた千通りの物語を残そうとした。
クラプトンを聞きながら、そして千人針の針目一つ一つを重い浮かべ、私がその時思っていたことは、クラプトンのTears in heavenと、千人針の物語の間には、大きな違いはないんではないか、ということだった。だけども、二つの間にある大きな溝がある。物語の質などではなく、一方は、くり返し歌われ、大勢の人に聞かれ続けられているということ。そして他方は、おそらく誰も、その小さな玉止めに、物語があるとは思いもしないのだろう。
その晩、もう一つ、私にぼんやりと鳴り響いていた物語がある。島尾ミホさんの『海辺の生と死』(中央公論新社、2013年)に描かれた、奄美大島で育った彼女が出会った人々、島の風景、鳥たちの声だ。だけれども、その優しい色調の後ろには、戦争のどんよりとした薄暗い影が落ちている。山や、鳥や、海とともに築いてきた人々の暮らしと、その中で豊かに育つ人々の生き方や、文化は、国家という「ケンムン(奄美の言葉で、化け物)」に、吸い込まれようとしていた。そして、戦争が終わった今も、このケンムンは、形を変えながらも、居座り続けている。その中で、島尾さんは、母や、父や、島の呼吸を通して体にしみこんだ、様々な生の記憶を筆に託した。
なぜ、クラプトンは、あの歌を世に出すことを、多くの人たちが、レコードなり、ラジオなり、ブラウン管なりを通して聞かれることを選んだのだろうか。なぜ、息子と自分自身、もしくは大切な人たちの中だけに留めることをしなかったのだろうか。そして、多くの人たちが、クラプトンの歌声には耳を傾け、胸をしんみりとさせてしまうことが出来るのに、私たちの想像力が、玉止めの物語に到達する道のりは、何て遠いのだろうか。なぜ、クラプトンの音色は、すぐに思い出されるのに、鳥の声音は、忘れてしまうのだろうか。言い換えれば、女たちの言葉に、私たちの耳は、どうしてこんなにも、閉ざしてしまっているのだろうか。無心に玉止めをしてしまった森さん。その彼女と、宇都宮さんが紹介したナ・ヘソクの物語を、長いこと受けとめようとしなかった、家父長制の文化と、未だに玉止めの物語を聞くことの出来ない私たちと、そして鳥の声音を消し去ろうとする私たちの文化は、地続きなのだろう。
それでも。森さんが、千人針の一針一針の感触から声を聞きとり、文字におこしたように。島尾さんが、身体にしみわたった奄美の記憶に言葉を添えて、今に伝えたように、女たちの思いや記憶を「手渡すこと」の営みは止むことはない。この営みは、年齢や性別を超えて、人びとをあたたかなエネルギーの渦に巻き込む。そして、そこからまた、新たな力が生み出てくるような渦だ。
歌代幸子さんの『一冊の絵本をあなたに―3.11絵本プロジェクトいわての物語』(現代企画室、2013年)は、東日本大震災の直後発足した「3.11絵本プロジェクトいわて」の活動の経過を、そこに携わる人々の様々な背景も含めて綴っている。震災直後から、絵本カーで絵本を被災地に運び、子どもたちに絵本の読み聞かせと、一冊ずつ好きな絵本を選んで持っていく、「手渡し」の活動。2011年3月11日から、悲しみや痛みを目の当たりにし、そこに寄り添おうと、「今、自分にできること」を出発点に、各地から様々な人々が関わった。特に、地域の女性たちの、震災以前のネットワークや、実践が、この活動の機動力になっていた。絵本を通した、人とのぬくもりの記憶を、被災地の子どもたちに、大人たちに届ける活動。物語は、こうして人の手から手へ、ぬくもりを通して、伝えられている。女たちの日々の「手仕事」が、人びとのつながること、生きることを、支えている。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------
WAN(ウィメンズアクションネットワーク) 2013年8月14日 文章:歌代幸子(著者)
2011年3月、東北地方を襲った東日本大震災を経て、岩手県盛岡市で立ち上がった「3・11絵本プロジェクトいわて」。それは、1通のメールから始まった。
優れた絵本編集者であり、すえもりブックス代表として,タシャ・チューダーの『すばらしい季節』、ゴフスタインの『ピアノ調律師』、皇后美智子様の講演録などを手がけてきた末盛千枝子。家族と共に岩手県の八幡平へ移り住んだ翌年、震災に遭い、日本の子どもたちを真っ先に案じてくれたのはIBBY(国際児童図書評議会)の仲間たちだった。
彼らは戦禍や貧困に晒される子どもたちに本を届ける活動をしており、「怯える子どもたちは膝の上で絵本を読んでもらうときだけホッとしている」という経験も聞いていた。「何かできることはないか」と案じてくれる仲間たちに背を押され、末盛は「震災で怯える子どもたちに絵本を送りたい」と願う。その思いをメールに綴り、岩手で知り合った人たちに呼びかけた。
盛岡市中央公民館を拠点にプロジェクトが発足し、絵本を集め始める。呼びかけに共感する人々の輪はやがて全国へと広がり、半年後には23万冊を超える絵本が届いた。それを開梱し、仕分けする地道な作業はボランティアの女性たちが懸命に担い、宮古、釜石、陸前高田をはじめとする沿岸部の保育所や小学校などへ届けられた。
待ち受ける子どもたちは目を輝かせ、自分の好きな絵本を見つけて抱きしめる。小さな男の子がずっと探していたのは津波で失くしてしまったお気に入りの絵本だ。公民館へ届いた本の多くは家庭で大切に読まれてきたもの、皇后美智子様から贈られた絵本の数々もある。こうして誰しも「子どもたちのために何かできれば」と願い、響きあうように紡がれてきた活動なのである。
絵本は子どもたちに希望を与えてくれる――プロジェクトの活動も、そうした絵本の力を信じる人たちの手で支えられている。だからこそ、この物語はまだ終わらない。「一冊の本」を届けたい「あなた」がそこにいる限り……。(著者 歌代幸子)
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------
朝日新聞 岩手版 2013年6月14日 評者:高橋克彦(作家)
〈未来へ種蒔く絵本の支援〉
知らないことは恥ずかしい。ひさしぶりにそんな思いに襲われた。
歌代幸子さんの書かれた「一冊の本をあなたに」(現代企画室・刊)を読んでのことである。これは東日本大震災の被災地の子どもたちに絵本を届けたいという絵本編集者、末盛千枝子さんの熱い気持ちによって生まれた「絵本プロジェクトいわて」の立ち上げから現在に至る軌跡を綿密な取材を基にして伝えるものである。
このプロジェクトの活動については新聞やテレビの報道などでしばしば見聞きし、ある程度承知していたつもりだったのに、本で詳細に触れると頭が下がることがしばしばだ。
全国から善意で届けられた絵本を被災地に届けるだけのこと、と軽くとらえていた自分に腹さえ立ってくる。1千や2千ではない。届いたのは20万冊を超える数なのだ。それら膨大な本の山を保管する場所の確保。その分類。受け入れ先の選定。肝心の運搬。難問が次々とメンバーに降りかかる。
人手ももちろん要る。ボランティアだからたやすくは集められない。プロジェクトの大切さを訴えて協力してもらうしかない。よくぞまあ、とその情熱と使命感のため息が出る。サッカーの日本代表やAKBの主要メンバーの名を知らなくたって少しも恥とは思わない私だが、これだけの頑張りを知らずにいたなど身の縮む思いである。
中心となって活動している人々の中に私とごく親しい友人の名をたくさん見かけてはなおさらだ。なぜ彼らは私に声をかけてくれなかったのだろう。あれこれ考えて、なるほどこのプロジェクトが立ち上げられた時期は私も岩手在住の作家仲間たちとで復興支援のための短編集「12の贈り物」を編纂していたときだったと思い出した。それで遠慮してくれたに違いない。
同時にいくつも手がけられるほど支援は甘いものではないのだ。現に「12の贈り物」とてそれだけでは終わらず、岩手の文芸の力を高めることが被災者たちの勇気にもつながるという認識から様々な活動に発展している。この「絵本プロジェクトいわて」にしても絵本を子どもたちの手に届けることをゴールとはせず「絵本サロン」という絵本を通じての交流にまで広がっている。
未来は子どもたちによって築かれる。その子どもたちに豊な心を培うことこそなにより大切だ。種蒔く人がいなくてはこの世になに一つ実らない。私は末盛さんにミレーの絵を重ねつつこの本を読み終えた。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------
週間読書人 2013年6月7日 評者:肥田美代子(童話作家・公益財団法人文字・活字文化推進機構理事長)
〈絵本で育てられた人びとの姿
文字・活字文化が「生きる力」そのものであると伝える〉
「3.11絵本プロジェクトいわて」の記録である。このプロジェクトが組織されるに至った思いについて、著者は次のように書き記して紹介している。
2011年3月11日、東北地方を襲った東日本大震災は津波による甚大な被害をもたらし死者・行方不明者は約1万9000人にのぼり、尊い命が刻々と奪われていた。住み慣れた家や街を流され、避難生活を余儀なくされた沿岸部の人たち。そこで遊び場を失くし、見も心も竦んでいる子どもたちの「生きる糧になれば」と、岩手県盛岡市で立ち上がったのが「3.11絵本プロジェクトいわて」である。
岩手県在住の児童図書編集者・末盛千枝子さんの呼びかけに、県内のひとびとがすぐさま反応し、そのちいさな動きはやがて全国へとひろがった。末盛さんの絵本への思いと、「被災地の子どもたちに何かしてやりたい」という人びとの渇望とが響きあったのであろう。
スタートして半年後、送られてきた絵本の冊数は23万冊を超え、延べ約2000人のボランティアの手で順次開梱され仕分けされて、被災地の子どもたちのもとへ届けられた。一部の絵本は、津波で流されてしまった学校図書館や町の図書館が再開したときに備えて、保管されているそうである。絵本を提供してくれる人の思いもさまざまだが、感じとれるのは、絵本を仲立ちにしてつながりあう日本人の精神の豊饒である。
公民館へ送られてくるのは、子育て中に読み聞かせていた絵本や子どもが好きだった作品など、家庭の本棚で大切にされてきたものが多かった。それでも書店から直接送られてくる新品の絵本もあった。一関の本屋から届いた荷物には送り主の手紙が添えられていた。花巻に住んでいる男性で、「子どもの本のことはわからないから」と本屋へ現金を送り、店員に選んでもらったことが綴られている。その箱には数万円分のきれいな絵本が入っていた。
ここには絵本で育てられた人びとの姿が垣間見える。私たちが生涯で最初に出合う活字文化は絵本であり、それは人生の出発にふさわしい基礎的な力をもつ。魔法の杖のように数えきれないほどの窓を開けて宇宙や森、海底や動物や植物といった素晴らしい外界へ橋を架けてくれる。そして内面では感性や情緒を刺激し、子どもの想像する力を育てるのである。
大人の膝に抱かれ、美しいこどばのシャワーを浴びながら、子どもは「生きる力」を編集する語彙やことばを全身に刷り込むのである。この場面は、絵本が子どものために書かれたものではなく、大人のために書かれたものであることのあかしとなろう。絵本を読んでもらう体験は、それからの人生の長い道程の一歩を築く基盤なのだ。
永六輔さんが本書の帯に書くように、「絵本は子どもが育つように育ちます」ということである。絵本は幾通りもの道を読者に用意していて、興味や関心を持つところも、イメージも読者の数ほどある。絵本はまさに読み手の側に育てられてゆくのである。
本書ではふれられていないが、被災地に絵本を贈る運動は、出版団体や図書館関係団体なども積極的に進めた。出版団体は「大震災出版復興基金」を創設して、地域の書店で、子どもが本を購入できるように、20万枚近い図書カードを贈ったし、自治体や学校の求めに応えて、30万冊にのぼる文学作品などを寄贈したという。
被災地の人びとは、生活基盤の復興のなかに書物文化を置いていた。世界各国から「日本は美しい秩序のもとで震災復興が行なわれている」と賞讃されたが、それはわが国の書物文化、あるいは読書文化のながい歴史が形成したものではなかったか。本書は文字・活字文化が人びとの「生きる力」そのものであるこおを伝えている。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------
MOE 2013年6月号
被災地の子どもたちに絵本を届けようという呼びかけに応じて立ち上がった「絵本プロジェクト」。呼びかけ人の末盛千枝子を中心に広がった運動に携わる人々の物語を、絵本の言葉を引用しながら丁寧に描く。静かな感動と確かな希望を感じるノンフィクション。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------
読売新聞 2013年4月21日朝刊、本よみうり堂 評者:畠山重篤
〈「精神の糧」を被災地に〉
大震災被害者として心配していることは幼い子供たちへの影響である。あれだけのことを経験したことが、心の傷として残らないわけがないと思うからだ。
小生も3歳の孫を抱きかかえ裏山へ必死に逃げた。避難生活中、絵本を読み聞かせしている時の顔が最も安堵していたことを思い出している。
被災地の子供たちに心を馳せた人がいる。すぐれた絵本編集者であり、すえもりブックス主宰者として、名著を数多く世に送り出した末盛千枝子さんである。種々の事情で震災の前年、家族と共に岩手県八幡平に居を移していた。
そこに大震災が発生する。真っ先に日本の子供たちを案じてくれたのは、IBBY(国際児童図書評議会)の仲間たちであった。その活動はユダヤ人の女性ジャーナリスト、イェラ・レップマンの勇気ある呼びかけから始まった。
第2次世界大戦下のドイツではヒトラーによって本を焼き捨てられていた。連合軍から援助物資は届くが、子供たちにとって「精神の糧」となる本がない。「ドイツの子供たちに本を送って下さい」と世界20か国に向け手紙を出したのである。
その成功から、子供の本をつくり子供に本を手渡すまでの役割りを担う人たちのネットワークが出来ていた。震災で怯える子供たちに絵本を送りたい――。末盛さんはその思いをメールにつづり、岩手で知り合った人たちに送った。またたく間に本を送りたいという反響があり、「3・11絵本プロジェクトいわて」が結成される。盛岡市中央公民館の協力が大きな力となり、23万冊を越える絵本が届いたのだ。
IBBYと深い関わりがある皇后陛下美智子さまからも協力の申し出があったという。
「えほんカー」の扉を開けたとたん、子供たちからワッと歓声がわいた。本書はこのぷろじぇくとの優れた活動記録である。“心の糧”の大切さを教えてくれる良書だ。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------
|