■図書新聞 2012年6月16日 評者:竹中千春(立教大学)
■インパクション 2012年1月号 「ブックスタンド」欄
■日本経済新聞 2012年1月22日 「読書」欄
■1月21日(土)にCafe★Lavanderiaにて、本書の刊行を記念して、著者のトークイベント「廣瀬和司の南アジア事情最新レポート」が開催されます。詳細はこちら
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------
図書新聞 2012年6月16日 評者:竹中千春(立教大学)
〈人々の表情を撮影し、人々の言葉を記録し、「紛争」や「弾圧」を照明〉
紛争の現場で、「土地の人々」との対話を試み、「何が起こってきたのか」を記す
本書は、カシミールという地域の社会を取り上げ、紛争の「現場」で、「土地の人々」との対話を試み、「何が起こってきたのか」を記した作品である。
ヒマラヤの山々に囲まれ美しい湖を抱えて広がるのが、カシミール渓谷である。シルクロードの南端にあたり、古代から仏教、イスラーム教、シーク教、ヒンドゥー教とさまざまな宗教を掲げる支配者が訪れ、権力を築いた。19世紀後半には王族やヨーロッパ人を惹きつける避暑地となり、サフランやカシミアなどを産出してきた。同時に、大英帝国の庇護を受けたヒンドゥー教徒の王が、ヒンドゥー教徒やシーク教徒の家来を引き連れて、住民の多数を占めるイスラーム教徒を支配した。そうした事情を背景に、1947年8月、インドとパキスタンがイギリスから独立した後、カシミールをめぐる領土紛争が始まり、今日まで続いている。副題のように、多くの人々が「渓谷で殺されて」きたのである。
フリーランスのジャーナリストとして、著者は20回以上もこの地を訪れたという。しかも、軍事的な緊張の高まった時期だ。著者が初めてカシミールに足を踏み入れた1998年5月、インドではヒンドゥー右翼のインド人民党政権が核実験を行って核保有を宣言し、世界を震撼させた。ただちにパキスタンが核実験と核保有へと進み、対抗姿勢を露わにした。「9.11事件」以後は、アフガニスタンにおけるアメリカ主導の対テロ戦争が始まり、カシミールにもその影響が波及した。この間、インドとパキスタンの核戦争が怖れられ、外国人が両国から退避したときもあった。
国際政治の専門家なら、ここから先の話を、インドとパキスタンの軍事的な対抗、国際社会の対応といった方向に持っていくのが常である。カシミールについての文献の多くが、そういう視点から書かれている。けれども、著者の眼は、現地の人々から離れない。二国の間で人質のように自由を奪われ、傷つけられ、殺されていく人々。軍事的緊張、外出禁止令、持続的な砲撃、軍による武装勢力の掃討作戦、警察の嫌がらせ、拷問やレイプや超法規的な殺人。武力はモノを壊すだけでなく、人を壊し、家族を壊し、コミュニティを壊し、国家や社会への信頼だけでなく、人間そのものへの信頼をも打ち砕く。著者は、人々の表情を撮影し、人々の言葉を記録し、「紛争」や「弾圧」を証明していく。
紛争の「現場」では、平和な社会で当たり前のことが、まったく当たり前ではない。政府の政策と連動して軍の作戦が変わり、軍と対峙する武装勢力の行動が変わる。武装勢力の兵士もいれば、政府側に寝返ったスパイもいる。どこに武器があり、誰が武装しているか、わからない。親戚や友人も信じ切れない。ましてや、外の世界から来た見知らぬジャーナリストには、安全や人権は保障の限りではない。日々、同胞同士が殺し合う残虐な状況を目撃し続けながら、著者がなぜ人間性を失わないのかが、不思議に思えてくる。
序章は、インド側とカシミールで起こった2008年の民衆の抗議運動とそれに対する弾圧の記録から始まっている。最終章で、著者は再びその事件に立ち戻り、「カシミールはどこへ行く?」と問いかける。少年たちが警察に透析する姿は、パレスチナのインティファーダとも重なるが、この二つの紛争地域が重なるのはそれだけではない。両者とも、1947年にイギリスが撤退した後に、新しい国家の領土をめぐって争いが始まり、現在まで続いているところだ。そして、人々を弾圧しているインドもイスラエルも、民主主義の国としての自負を築いている。その陰で「平和を知らない子どもたち」を何世代も生み出してきた社会。武器を取った若者の生き様を綴る著者の文章の中に、暴力の連鎖を解く鍵が潜んでいないだろうか。ヒントを探りつつ、やはり答えのないまま本書を読み終えた。廣瀬さんは誠実な人だと思った。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------
インパクション 2012年1月号 「ブックスタンド」欄
これまでほとんど知られていないカシミール。インド、パキスタン、中国に挟まれたこの地域で行われているのは独立を寝合う住民への徹底した弾圧と虐待だ。本書には治安部隊による法的根拠の一切ないままの拘引と拷問、殺害のケースが、これでもかというくらい、拷問の当事者、残された家族たちの取材をもとに記録されている。読まれるべき一冊だ。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------
日本経済新聞 2012年1月22日 「読書」欄
インドとパキスタンが領有権をめぐって対立を続けるカシミール地方。1998年から繰り返し現地を訪れている日本人ジャーナリストが、日本ではなかなか知ることのできない実情を伝える。外出禁止令が出ているなか著者が空港からタクシーへ向かうと、途中で兵士に止められ、運転手がいきなり目の前で棒で殴られる。こうした体験談や、治安部隊による拷問を受けた市民らから著者が直接聞き出した話はどれも具体的だ。
|