head
音楽の友    2011年12月号    評者:小沼純一
ラティーナ    2011年11月号    評者:岸和田仁
出版ニュース    2011年9月中旬号
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------
音楽の友    2011年12月号    評者:小沼純一

〈歌詞を介したイメージの伝播に警鐘を鳴らす〉

ミツコという名の知り合いは何人かいるけれど、それが「ゲランの香水名になったように、日本や極東の女性を代表した名前」というのは、もしかしてそうかもとおもわないではなかったけれど、いやいやそんなことはなかろうなんて、かるく考えていた。事実はおそろしい。では、ポップ・シーンの「レ・リタ・ミツコ」はなぜわざわざそんな名をつけられ、また、ゴダールはそんなユニットを映画に起用したのだったか?ここでまたアタマのなかはぐるぐるする。

誤解される前に言っておかなくてはならないだろうが、本書は音楽をめぐっての本ではない。うたそのものではなく、そこにあらわれている詞と内容こそが俎上にあげられている。だが、音楽を介し、ことばが広がってゆくのだから、うたの「内容」はおろそかにされるべきではなく、音楽と一体化している歌詞だからこそ、いつのまにか「イメージ」をつくりだしているということがあることが、ここであらためてよくわかる。翻訳されるからなおのこと、だ。

フランスにおいて、19世紀から20世紀にかけて、植民地のイメージがどれほど広がり共有されてきたか。アカデミックな文献ならいくらもあろう。だが、このようにエッセイ風にわかりやすい書き方で、多くの歌詞を引きながら訳し、コメントしというものはこれまで見たことがなかった。その意味で本書は貴重だ。ただただ肩肘はって、問題点をあげつらうのではない。むしろさらりと記すところにこそ、この著者の妙がある。それでいて、けっして古い話ではすませない。メディアやうたをとおして「イメージ」や概念が伝播する、そのことへ警鐘をならしている。そこには、元NHK国際局フランス班チーフ・ディレクターであり、『黒いヴィーナス ジョセフィン・ベイカー』(青土社)をすでに著した人物だから、というのもあるのだろうが。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------
ラティーナ    2011年11月号    評者:岸和田仁


本紙に掲載された「気ままにフローム・ヨーロッパ」や毎日新聞連載のパリ便で多くの読者を魅了していた木立玲子さん。彼女が幽明境を異にしてから早や5年の歳月が過ぎた。音楽・文化全般から社会問題まで切り込んでいた、元フランス・ラジオのプロデューサー、木立さんが晩年関心を寄せていたテーマの一つが、植民地文化であった(木立流オリエンタリズム批判といってもよい)。

「植民地には今も魔性が潜んでいる。その証拠に、いま世界中で頻発している紛争の源を遡ると、殆ど全て、旧植民地の問題に行き当たる」から、その魔性を炙り出すためにもシャンソン・コロニアル(植民地シャンソン)を調査したら面白いと彼女は考えていた。ボードレールが謳いあげた異国への憧れは、19世紀後半から20世紀前半にかけてのフランス国民を捉えていたが、エキゾティズム(異国情緒)とエロディズムという魔力を庶民レベルまで広げたのがシャンソン・コロニアルであった。そうした背景があったからこそ、米国黒人歌手のジョセフィン・ベイカーが1920年代から30年代にかけてパリで大ブームを引き起こしたのだ、と。

この木立史観に従って、シャンソン・コロニアルの音源を集め始めたのが『黒いヴィーナス ジョセフィン・ベイカー』の著者であった。500曲ほど収集できるまで相当の時間と手間を費やすことになってしまったが、その調査報告といえるのがこのほど上梓された本書である。シャンソン・コロニアルのオリエント幻想はベトナム(『サイゴン娘讃歌』など)、中国から日本までカバーし、マダムバタフライ的な女性観の塗り直しだが、北アフリカを舞台とする歌詞群もただただエロティズムの連呼だ。南洋の楽園では無知蒙昧の黒い連中が裸で楽しく生活している、というイメージが再生産されることになる。

すなわち、「白人が知恵を独占し、白人が文化を創り出す」が、植民地の有色現地人は野蛮で食人種であるか性アニマルでしかない、という白人優越観、人種差別意識が庶民に植え付けられた、ということだろう。テレビもなかった時代の、大衆歌謡が持つ影響力は現代人には想像できないほどのものであったろう。

こうした多くの歌詞を読み解いた著者は、マルティニークやニューカレドニアなどへも現地調査していく。ほとんど消滅しかかったベレやカレンダという伝統舞踊を探し当てる著者の行動メモは、出来のよい小説を読んでいるかの如し、だ。

シャンソン・コロニアルの読解は、まさに近代世界史の読み直しである。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------
出版ニュース    2011年9月中旬号


〈植民地の観客が現地人の紹介のされ方に殆ど不自然さを感じなかったのは、両大戦期間のフランスが人種差別主義者の国であったこと、即ち人種は平等ではなく、白人とその文化がより優れていること、アフリカの黒人は大きな赤ん坊で劣った人種であること、といった見解を確信していたことに起因する〉1931年、パリで行われた植民地博覧会、そしてフランスの植民地を舞台に謳いあげられたシャンソンには、1920〜40年代のフランスの幻想、侮辱、恐れといった本音が込められていた。著者は、マルティニクやニュー・カレドニアへ足を運び、シャンソンが煽った植民地=「魔性の楽園」幻想の実相を描き、今も潜み棲む「魔性の身体」を炙り出す。


 


com 現代企画室 〒150-0031 東京都渋谷区桜丘町15-8高木ビル204
TEL 03-3461-5082 FAX 03-3461-5083

Copyright (C) Gendaikikakushitsu. All Rights Reserved.