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■本の花束 2011年9月1日号 「いまを考える」欄
■図書新聞 2011年2月19日 評者:久保隆
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本の花束 2011年9月1日号 「いまを考える」欄
まず、本書91ページ。発言者のひとり、松本哉(はじめ)氏の「高円寺『素人の乱』の取り組みから」をお読みください(この春、ツイッターで1万5000人を集めた脱原発デモを主催したあの彼です)。目からウロコの見事に楽しい若者たちの地域生活者活動。生活に根ざしながら自由を実現し、社会を変えていく発送に驚きます。訪日した世界社会フォーラムのお二人は、社会を変える運動は「わくわくするような面もありますが、きわめて困難な面もある」、だから経験の共有が大事だと語り、支配的システムに対抗する世界の連動の豊かな経験を報告する。多様性、ネットワーク、協同組合の意味、対等さと想像力、ピラミッド型ではない組織など、“もうひとつの社会”とのつながりを開く新鮮な視点を、ぜひ。
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図書新聞 2011年2月19日 評者:久保隆(評論家)
〈運動自体に内包する多種多様な権力関係をいかに超えていくか
―ある種の停滞性を余儀なくされてきた反グローバリズム運動〉
米ソ対立を基軸とした冷戦構造体制の終焉後、生起したグローバリズムというものの始まりは、国境を越えていくことによって、あたかも国家を開いて、あらたな社会が到来するかのような幻想を与えていたといっていい。やがて多国籍企業の台頭と拡大が、帝国主義的な植民地支配の変容であったことに気づき始めた頃、アメリカの一国帝国化が既に確立していたのだ。しかし、99年11月30日から数日間にわたって決起されたシアトルでのWTO閣僚会議への苛烈な反対行動(シアトル暴動とも称された)、01年7月のジェノバG8講義行動(以後、反G8行動は毎年のように苛烈な運動を持続していくことになる)、9・11テロ直前に刊行されたネグリとハートの共著『帝国』の鮮烈さ、そして01年の9・11テロといった一連のムーブメントや事象を契機に、反グローバリズム運動として大きなうねりをつくっていくことになる。以後、グローバリズムという概念は、アメリカ一国支配、帝国主義、覇権主義、新植民地支配といったことと同義になっていったのだ。
ここ数年、反グローバリズム運動というものが、ある種の停滞性を余儀なくされてきたように思う。帝国アメリカの資本権力の弱体化や軍事的戦略の失敗(イラクやアフガンを象徴として)が露呈しだすようになってくると、帝国アメリカへの対抗を核とした反グローバリズムというものの内在性が希薄化するようになってきたからである。それは、直接的な抗議行動から、多様な対抗運動へと移行しつつあることを意味している。09年11月29日、上智大学四谷キャンパス中央図書館で開かれたシンポジウムでの講演や討論を加筆修正のうえ収録した本書が指向するのは、「対抗的である運動の性格をより的確に現していた」「反」に代わって(あるいは置き換えて)、「もうひとつの世界」の可能性を模索し、主張することにある(シコ・ウィッタケル「世界社会フォーラムWSF」)。発言者は、5人。ATTAC創設者のクリストフ・アギトン、世界社会フォーラム発起人のシコ・ウィッタケル、ATTACジャパン運営委員の秋本陽子、そして、首都圏青年ユニオン書記長の河添誠、「素人の乱」の松本哉、他に討論参加者として中野晃一、幡谷則子。
アルテルモンディアリズム(altermondialisme仏語=「もうひとつの世界主義」)と称される運動がある。新自由主義に対抗する新しいグローバリゼーションの運動とでもいうべきもののようだ。シコ・ウィッタケルは、「WSFは、『「もうひとつの世界」を求める運動(altermondialisme)』として知られる国際的なうねりそのものと混同されてはならない」として、次のように述べていく。
「『もうひとつの世界を求める運動』による動員は、支配的なシステムに抗して、社会が行動を起こし、政府を選び直し、戦争による占領や人殺し、拡大する不平等、地球の破壊に終止符を打とうとするものである。WSFは、このうねりのなかで、これらの闘いに資するべく作り出された道具であった。(略)社会を運営していくような運動や組織に取って代わろうとするものではなく、闘いにおいて運動や組織を導いていこうとするものでもない。(略)ただ単に、社会運動が目的を達成する支えとなることだけを目的としている。」
「市民社会を構成する組織が、目的、大きさ、取り組む対象の社会センター、行為のテーマとテンポにおいて、きわめて多様であるがゆえに、市民社会は細分化され、全体としての力が削がれてしまう。この見解は、いまある世界と異なる世界を構築するために、行為の多様性と複数性が必要だという考えと、当然のことながら一致した。したがって市民社会層を均質化することなく、連携を構築する方法が模索されねばならなかった。(略)まず何よりもネットワークの水平な関係がそうであるように、(略)政治組織や労働組合、政府が伝統的に構築してきたようなピラミッド型のヒエラルキー的な構造を必要とせずに、市民社会の連携を構築するためのオルタナティヴな道筋として認知されている」。
わたしは、運動が指向していく道筋や目的の是非を問う前に、運動自体に内包するアポリアを超克していくことこそ切実だと思っている。WSF発起人のシコ・ウィッタケルのように、運動の有様に対して「うねりのなかで」、「闘いに資するべく作り出された道具」だとし、「社会運動が目的を達成する支えとなることだけを目的」とすると位置づけていくことに対して、まったく同意する思いだ。ピラミッド型ではない水平な関係のなかで、「行為の多様性と複数性」を汲み入れて、市民社会層を、均質化することなく、連携を構築する方法」を模索するシコ・ウィッタケルたちの方位は、グローバル化に対抗する新たな運動の可能性を示唆しているといっていい。だから、「もうひとつの世界」の可能性とは、つまるところ運動自体に内包する多種多様な権力関係をいかに超えていくかということにかかっているといっていいのだ。
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