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■10月24日、「社会思想史学会」第35回大会にて、森宣雄『地のなかの革命』で提起された問題をめぐる討論がおこなわれます。学会の詳細と討論の参考資料はこちら
■出版ニュース 2010年9月中旬号 「ブックガイド」コーナー
■沖縄タイムス 2010年8月28日(土) 評者:高良倉吉(琉球大学教授)
■『地のなかの革命』出版に関連して、著者・森宣雄さんのコラム「徳之島・歴史の回廊――「普天間」に揺れる島を行く」が『南日本新聞』(2010年7月31日)に掲載されました。現在の徳之島の状況を伝え、本書で扱った問題の射程を深める内容となっています。
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出版ニュース 2010年9月中旬号 「ブックガイド」コーナー
〈沖縄戦後史という時空間の本質は、まずもって主権あるいは自己決定権の剥奪にある〉〈だが沖縄戦後史のもっとも大きな特質は、別にある。付与された未決定性にたいして、それを変革し、責任と主権の不明確な状態をくつがえそうとする住民の運動がくり返されていたところ〉〈沖縄戦後史の核心は社会運動である〉戦後の沖縄と奄美、日本との間の関係性の激変と、そのなかから生み出された思想と運動を歴史的に検証する。ここでは、国家により焼き尽くされ切り捨てられた戦後沖縄社会が占領統治に対する抵抗運動を、「地下」(非合法共産党)から構築し、全住民規模の「島ぐるみ闘争」に押し上げるにいたった過程(1950年代を中心に)を描く。分離独立なき人民の再結合としての日本復帰運動から「存在の解放」(自己決定)の思想を育んだことは、過去のものではなく、普天間基地移設問題でゆれる現在の沖縄からの叫びに通底する。
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沖縄タイムス 2010年8月28日(土) 評者:高良倉吉(琉球大学教授)
読書「今週の平積み」欄
〈歴史の織り目 鮮やかに提示〉
ノンフィクション作家の手で、この頃知られざる沖縄戦後史に関する成果が相次いで刊行されているが、この本はそれらとは明確に一線を画する。「沖縄戦後史における存在の解放」という副題を冠した本書は、さまざまな立場や知性によって描かれ続けている沖縄戦後史像の欠落や不備を補おうというのでなく、また、既成の諸知識を再構成して歴史像に新説を打ち立てようというのでもない。歴史の襞を丹念に検証し、通常の歴史語りがあえて置き忘れてきたか、もしくは引き出しにしまいこんできたところの、戦後史に刻印された思念の諸相を見据えたい、との強い意志から出発している。
考察の対象とした時代は戦後初期である。沖縄戦の生々しい記憶を持ち、軍事優先の野蛮なアメリカ統治が始まり、奄美を含む琉球の島々が日本の施政権から切り離されたあのむき出しの戦後出発期において、困難なその事態に対峙した運動や思想を根底から読み解こうとする。具体的には奄美共産党や沖縄人民党、そして沖縄非合法共産党の実態について、運動関係史料や関係者へのインタビューを駆使しながら、観察者の目線からではなく、苦闘する主体たちの状況に寄り添いつつ、歴史を語る営みとは何なのかという問いを基調に据えながら展開される。随所に新知見が散りばめられているが、そのことよりもあの時代の先鋭にいた者たちの思念や戦略性には目をひらかされる。
日本からの分離(独立)ではなく、なぜ日本復帰があの時代の中から多数意思となっていくのか。その動向に民族主義や世界共産主義、あるいは少数者の自己決定権の問題や地球規模の理念などはどのようにかかわっていたのか。歴史的に曖昧さや不分明さを属性として付与され、主権や自己決定権をはく奪されてきた奄美・沖縄地域にあって、その先鋭たちが、大衆運動のうねりの中にいながら、奄美・沖縄と日本、そして世界をどのように結びつけ思想化しようとしていたのか。
「全住民が国家から切り捨てられ捕虜、難民とされたその出発点から、この存在規定の難問に直面」した沖縄の戦後史なるがゆえに、「社会運動の成否が戦後沖縄の歴史のゆくえを根底から規定した」との視点に立ち、その歴史の織り目を鮮やかに提示する。
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南日本新聞 2010年7月31日(土) 文:森 宣雄
〈徳之島・歴史の回廊――「普天間」に揺れる島を行く〉
○高揚と停滞 重なる復帰運動
梅雨明けのころ、鹿児島から奄美大島、徳之島へと旅した。
徳之島に入って、地元の皆さんからお話を伺った翌朝、政府が「米軍訓練徳之島移転を断念」したと、ある全国紙が一面トップで報じた。
ところが、断念というのはやや勇み足で、防衛省の来年度予算案に徳之島への移転調査費が計上されないというだけだった。日米共同声明に明記された「徳之島」案を帳消しにするには、米側の了解を得ねばならない。そのためには普天間基地の移設先について、明確な決定がなければならない。それまでの間、徳之島は宙吊りの状態で放っておかれるのではないか――断念報道の「スクープ」が島にもたらしたものは、むしろ今後も微妙な立場に留め置かれる見通しと、それに伴う焦燥感だった。
島に暮らす人々に思いをいたさない政治と、それを追いかけて反復追随してしまう報道。それが「徳之島移設案の第一報から、ずっと続いている」と、地元の方々は口をそろえる。もう半年だ。島にとっては、もどかしく、つらい停滞期だ。
こんな真綿で首を締められ、一喜一憂させられるような日々――これには見覚えがある。
1952年9月、岡崎勝男外相とマーフィー駐日米大使が会談し、奄美大島の返還で原則的に意見が一致したと報じられた。これで「復帰は決定的だ」と、地元は歓喜にわいた。ところが実際の返還は、それから1年3カ月後のこと。その間に経済はさらに疲弊し、運動資金も底をつき、電報を打つ金にも事欠く中で、署名集めや郡民大会が続けられた。だが交渉の舞台は遠い海のかなた。蚊帳の外に置かれたまま、いつ終わるとも知れない闘いは、伝(つて)を求め、やがて内攻に転じた。
もともと奄美の復帰運動は、幅広い陣営の協力によって切り開かれた。日本復帰を求める世論は、戦後すぐから全郡で圧倒多数だったが、米軍政府は「独裁的政治」を敷くと声明し、復帰運動を事実上禁止していた。だが各地の青年団を主導していた奄美共産党の人々は、50年にこのタブーを破り、何十人もの逮捕投獄の犠牲者を出しながら運動の口火を切り、さらに、自由主義の教育者・詩人として人望を集めていた泉芳朗らと連携して、奄美大島日本復帰協議会(復協)を結成。これが全住民の総力を結集する復帰運動の中核組織へと成長していった。
ところが53年1月、突然共産党系のメンバーは復協から追放された。大同団結を訴えていた議長の泉芳朗が上京不在中の出来事だった。牽引(けんいん)役を排除した運動は、その後、在京の有力者頼みとなり、派閥的に分断されていった。そして復帰後行われた衆院選では8人が乱立し、利益供与を競い合う選挙戦の幕が開けた。
泉も、再度「郡民の総力を結集」した復興を掲げ、名瀬市長の職を投げ打って衆院選に挑んだ。2連敗を喫し、翌年に54歳の若さで急性肺炎で亡くなった。
○試練乗り越える文化の兆し
政治的立場の違いを超えて協力し合った復帰運動の結束力が失われたことを惜しむ声は、それからずっと絶えなかった。あれからおよそ60年。もう一度「島ぐるみ」の後の停滞期のつらさに試される時が、巡り巡ってきた。
「復帰運動の父」泉芳朗は徳之島伊仙町の出身だ。
いま徳之島を歩くと、趣向を凝らした様々な基地反対の看板に迎えられる。次々に現れる看板に、ついわき見してしまい、停車したり引き帰したり。楽しくなるほどだ。その中に、日本復帰を願って泉が詠んだ、美しい詩のいくつかを読むことができる。
「私たちは決して屈しない/わたしはぎりぎりに声をしぼり/語るべきすべてを語りつくし/ただ/がらんどうの胸をあけっぱなして/はるか/水天のさなかを走る/巨大な運命の一線に/いどむ」
島を巡る幹線道はいま、泉が願って道半ばに残していった大同団結の試練に出会い直す、歴史の回廊といった趣を呈している。
島人の面映えにも、試練を乗り越える文化の兆しが現れている。
18日、徳之島と沖縄のアーティスト5組が共演した「琉球弧平和音楽祭」が徳之島町で開かれた。基地問題や口蹄(こうてい)疫問題が持ち上がる中、島を越えた広がりの中で、足元の自然や歴史文化の宝を見つめ直そうと、徳之島の若者グループが主催し、約6百人が集まった。
外からやってきた圧迫に対して生み出された「No」をきっかけとして、それを超えて「Yes」と語り合える、新たな価値を暮らしの中に見つけ出していくこと。団結を連帯へと広げてゆくこと。勝ち負けではなく、出会いと楽しさで運動を満たしてゆくこと。
島の運動は、そうした方向を手探りしているかのようだった。その道は、復帰運動が残した課題を乗り越えていく、新たな歴史と文化の創造へとつながっている。
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