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■翻訳者による海外文学ブックガイド 2019年10月7日 評者:松本健二
■図書新聞 2012年2月4日 評者:川成洋(法政大学教授)
■世界日報 2011年10月23日 評者:川成洋(法政大学教授)
■毎日新聞 2011年6月5日
■出版ニュース 2011年6月上旬号
■朝日新聞 2011年5月29日 評者:逢坂剛(作家)
■週間読書人 2011年5月20日 評者:伊高浩昭(ジャーナリスト)
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翻訳者による海外文学ブックガイド 2019年10月7日 評者:松本健二
教科書はスペイン内戦を〈1936〜1939年〉に限定する。当事者にとってこんな年号は何の意味もない。
たとえば内政前を歩いている短篇「言伝」。田舎町にきた嫌味な男が、さえない従弟と、些細なことで不機嫌なやりとりをする。この二人が数年後の内戦で敵味方に分かれていたら? 人は憎悪の感情をいつか清算する。忘れるか和解する。だが内戦を経たふたりの従兄弟は、互いへの憎悪を過去にさかのぼり掻き立て続けたことだろう。
あるいは、内戦後を描いた表題作「子羊の頭」。傲慢な男が封印していた過去の犠牲者と向き合うことで消化不良を起こす。死者が記憶の彼方から復習を遂げに来たのだ。
スペインは二十一世紀のいまなお内戦の後遺症、すなわち消化不良と向き合い続けている国。内戦が、1936年の前にも1939年のあとにも果てしなく続く憎悪の連鎖をうんだのだ。
日本人は1945年8月15日をもって戦争が“終結”し、それ以降は“戦後”だと考えてきた。この欺瞞が恐ろしい消化不良をもたらし続けていることを、私たちもそろそろ自覚すべきかもしれない。 -----------------------------------------------------------------------------------------------------------------
図書新聞 2012年2月4日 評者:川成洋(法政大学教授)
〈スペインは「黙示録的な世界」を内戦後も強いられてきた―スペイン内戦をめぐる五編の短編集〉
「スペイン内戦文学」といいジャンルが存在すべきである、と私は考える。これは、第二次世界大戦の「戦記文学」「ホロコースト文学」、また我が国では「原爆文学」といった歴史学的視飽からは透
視しえない部分を照射する「記蝉文学」ないし「証言文学」に属するものであり、あくまでもこの戦争に関わった人たちの体験談でなければならない。
スペイン内戦と支学者の関係でいえば、従来から書斎派と目されていた文学者も枕黙の殻を破り、1937年7月に第二回国際作家会識をマドリードで開き、またイギリスでは文学者・知識人たちを対象とする「著作者たちは昧方する」(1937 年)、同僚にアメリカでも、「作家たちは味方する」(1938 年)というアンケートが行われ、それに対して、彼らはおのれの信念を表明した。勿論、こうした動きと同様にフランコ叛乱闘側にも文学的なキャンペーンがあった。
文明者や知識人以外の動きでいえば、苦境に立たされた共和国軍の戦列で戦った約4万人もの青年たちで編制された「国際旅団」のうち、英語圏の義勇兵の第15国際旅団は約6000人。M.A.スパーパーの研究によると、その半数近くが戦死、行方不明、処刑などで帰還できなかったが、驚くべきことに、英語圏だけで約1500点余りの回想録が刊行されているという(『そして私はスペインを忘れない』)。このことからも、スペイン内戦は体験者に枕黙を許さなかったほど強烈だったといえよう。それにしても、国際旅問と政治的に対立するPOUMの民兵として、1937年5月のバルセロナの市街戦を体験し、すぐれた回想録『カタロニア讃歌』を書いたジョージ・オーウェルは、おのれのスペイン内戦体験について、「このような問題においては、誰も正直ではないし、正直でありえない。(中酪)皆が皆、意識しているかどうかは別として、党派的な立場から書いている。私の党派的な立場に用心していただきたい」と述べている。
ところで、本書『仔羊の頭』は、スペイン内戦をめぐる5編の短編集である。
「言伝」では、内戦直前、田舎の旅籠によそ者が残した判読不可能の手続の解釈をめぐって、いままでのどかに暮らしていた村人たちの問でやがて反目・騒動が起こる。この判鋭不可能の手稿こそ来るべき「内戦」の萌芽だったのだ。
「タホ川」では、内戦期にフランコ叛乱軍の中尉が葡萄園で偶然遭遇した、共和国軍の民兵の助命嘆願を無視して銃殺し、彼の労働組合員証を記念に持ち去る。内戦後、潜み暮らしている民兵の遺族を探し当て、自分がブランコ軍の中尉とLて彼を射殺したという事実を隠して、戦友だったことを告げ、組合員証を変換し、金を差し出すが、その母親に受け取りを拒否される。
「帰還」では、共和国軍の民兵だった主人公が、敗北後アルゼンチンに亡命するが、郷愁に耐えかねて懐かしい故郷に戻る。かつての幼馴染がフランコ軍の協力者になり、あろうことか、主人公を逮捕するため捜索していたという。その裏切りを知った主人公は幼馴染を探すが、死んでしまったこと、またその妹が売春婦になっていたことを知り、再び第二の故郷アルゼンチンに戻る。
表題の「仔羊の顕」では、内戦終モロッコのフェズを訪れた主人公が、全く予期せぬことに、現地で同姓の一家の夕食に招かれ、相互に自分の一族が辿ってきた歴史を披露するうちに、思い出したくない内戦期に降りかかってきた忌まわしい事件を否応なしに思い出す。夕食に出された大好物であるモロッコの「仔草の頭」を食べてひどい消化不良を起こす。
最後の「名誉のためなら命も」でも、内戦期にスペイン共和派だったフェリベが、内戦直後から行方不明ということにして自宅に隠れていた――これは、イギリスの作家ドナルド・フレイザーがアンダルシアで取材して発表した『壁に隠れて』のようであるーーのだが、その二年後のこと、自分の不注意で妻を妊娠させてしまい、次第に妻の腹部が目立つようになり、「不貞を犯した妻」という不名誉な噂を払拭するためにも、隠匿生活に終止符をうち、亡命の途を選ぶ。
ことほどさように、『仔羊の頭』は、スペイン内戦がスペインに「黙示録的な世界」を内戦期だけ強いていたのではなかったことを示唆しているのだ。
著者のフランシスコ・アヤラ(1906〜2009)は、あの内戦勃発一ヵ月後に叛乱軍に逮捕・銃殺されたガルシア・ロルカなどを含む10人ほどの若い詩人のグループ「27年の世代」の一人であるが、内戦期に休筆し、共和国の外交官を務め、内戦後、フランコ軍事独法制下の追及を恐れアルゼンチンに亡命し、作家生活を続ける。彼は、本書の「序」において、「スペイン文学にはこれまで内戦というものが入る余地すらなく、むしろ作家たちは内戦を避け、まるで何事もなかったかのように内戦の様式をいじっているだけであった」と述べているが、勿論、アントニオ・マチャード、ラファエル・アルベルティなどの例外があるが、概して、アヤラの指摘している通りである。しかし、こうしたことは、文学の分野だけに限らず、例えば、スペイン内戦史の研究も同様である。スペイン人が、スペイン内戦、その直後から始まったフランコ独裁体制と真正面から向き合うには、まだ時聞が必要なのかもしれない。
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世界日報 2011年10月23日 評者:川成洋(法政大学教授)
〈スペイン内戦をめぐる短編集〉
「言伝」は、内戦直前、田舎の旅篭によそ者が残した判読不可能の手稿をめぐって、のどかな村人たちの間で反目・騒動が起こる。この手稿こそ来るべき「内戦」だったのだ。
「タホ川」は、内戦期にフランコ叛乱軍の中尉が葡萄園で偶然遭遇した、共和国軍の民兵の助命嘆願を無視して銃殺する。内戦後、潜み暮らしている民兵の遺族に、自分が彼の戦友だと偽り、彼の組合員証を返還し、金を差し出すが、その母親に受領を拒否される。
「帰還」は共和国軍の民兵だった主人公が、敗北後アルゼンチンに亡命するが、懐かしい故郷に戻る。かつての幼馴染がフランコ軍の手下となって、主人公を逮捕しようとしていたという。主人公はその幼馴染が死んでしまったこと、またその妹が売春婦になっていたことを知り、再び第二の故郷アルゼンチンに戻る。
表題の「仔羊の頭」は、内戦後、モロッコのフェスを訪れた主人公が、現地で同姓の一家の夕食に招かれ、内戦期に降りかかってきた忌まわしい事件を否応なしに思い出す。夕食に出された「仔羊の頭」を食べてひどい消化不良を起こす。
最後の「名誉のためなら命も」も、内戦期にスペイン共和派だったフェリペが、内戦直後から行方不明ということにして自宅に隠れていたのだが、自分の不注意で妻を妊娠させてしまい、次第に妻の腹部が目立つようになり、妻の名誉のために隠匿生活に終止符をうち、亡命の途を選ぶ。
『仔羊の頭』は、スペイン内戦が「黙示録的な世界」を内戦期だけスペインに強いていたのではなかったことを示唆しているのだ。
著者のフランシスコ・アヤラ(1906-2009)は、10人ほどの若い詩人のグループ「27年の世代」の一人であったが、内戦期に共和国の外交官を務めたために、内戦後、フランコ軍事独裁制の追及を恐れてアルゼンチンに亡命し、作家生活を続けていた。
(松本健二・丸田千花子訳)
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毎日新聞 2011年6月5日
フランシスコ・アヤラ(1906-2009)が、1930年代後半のスペイン内戦を描く小説集。1949年刊。戦時、戦後の人びとの心の傷あとを書きとめたものだ。宿に残された男のメモをもとに戦争の予感をつづる「言伝(メンサヘ)」、殺害した敵兵の遺族を訪ねる「タホ川」、見知らぬ親戚からの招待「仔羊の頭」など五編は、貴重な年代記となった。著者は「序」で「人々の心のなかの内戦」を提示したと各作品を解説。その真摯な表現からは、内戦後十年の時点での文学の困難さも伝わる。
マルロー、ヘミングウェイら「外部」の作家たちが、スペイン内戦を描く名作を残したが、内側で書かれた本書の重みは格別である。「現代史」小説の規範ともいえる秀作。
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出版ニュース 2011年6月上旬号
〈今回の私の新たな文学的創造は、スペイン内戦という体験を受けて、全世界が直面することになる深刻かつ暴力的な激動の時代の端緒を我々スペイン人の手で切り開くことになったあのおぞましい出来事に関し、様々な解釈があるなかで、その本質を私なりに受け止めた結果を提供するものである〉スペインの作家フランシスコ・アヤラ(1906-2009)は、スペイン内戦を経験、アルゼンチンに亡命、亡命作家として注目される。本書は、40-50年代に書かれた五作の中篇を収録したもので、スペインではフランコの死後3年後(78年)に出版された。あの悲劇的な内戦に巻き込まれた市井の庶民や兵士が体験した苦い思いや悲しみ、諦観が胸に迫る。
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朝日新聞 2011年5月29日 評者:逢坂剛(作家)
〈スペイン内戦の悲惨 鋭く描く〉
スペイン内戦がらみの小説は、ヘミングウェイやマルローが傑作を書いたが、当のスペイン作家の作品は政治的な事情もあってかきわめて少ない。その、珍しい例の一つが本書、アヤラの5作からなる中短編集である。いずれも、国が二つに分かれて戦い、最終的に反乱軍が勝利した悲惨な内戦を通奏低音としている。
スペイン本国に限らず、スペイン語圏の小説はなぜか観念的、哲学的なものが多い。「タホ川」をのぞき、すべて一人称で語られる本書の作品群も、おおむね思索的な独白で始まる。それが、途中でにわかにドラマチックな展開になり、ストーリーが躍動し始めるから、虚をつかれる。
冒頭作の「言伝(メンサヘ)」は、いったい何者がどういう目的で、意味不明のメモを残したのかという謎で、最後まで息もつかせず、引っ張っていく。これはまさに、優れたミステリー小説の手法である。翻訳の歯切れのよさも、この作品集の白眉といってよい。
「タホ川」は、共和国軍の兵士を殺した反乱軍の兵士が戦後、遺族を探して会いに行く話。内戦に詳しい読者は、ここで主人公が真実を告白して贖罪を求める、といった美談的展開を予想するだろう。しかし、この国の状況はそれを許さぬほど複雑だった。外国人には想像しえない、内戦の実情をなんの感傷も交えずに鋭く描き出している。
表題作の「仔羊の頭」は、モロッコのフェズを舞台にした、奇譚中の奇譚である。同姓の家に招かれた主人公が、親族に降りかかった内戦の悲劇を、いやおうなしに吐露せざるをえない状況に、追い込まれる。最大のごちそうであるはずの、仔羊の頭を出されて消化不良を起こし、ひどく苦しむ結末は言うまでもなく、内戦がいまだに未消化であることを、象徴している。
いずれも、内戦を知らぬ世代にも強く訴える、普遍性に満ちた作品集である。
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週間読書人 2011年5月20日 評者:伊高浩昭(ジャーナリスト)
〈静かな筆致で描かれる内戦で翻弄され蹂躙された人々の苦悩〉
スペイン内戦(1936-39)で数多くの知識人がスペインを去り、スペイン文化に大きな穴が開いた。この世代的な知性の空洞は、依然埋まっていない。否、永遠に埋まらないだろう。内戦中から勝利者の側に付いて出国しなかった凡庸で右翼的な作家たちが空洞を埋めることなど所詮不可能だったし、後継作家群には生まれた時代の隔絶があって、空洞を埋めようにも埋められないからだ。本書の著者フランシスコ・アヤラ(1906-2009)は空洞を築いた作家の代表的な一人である。著者は「亡命作家」と呼ばれることに違和感を抱いていたが、スペイン語文学界のノーベル文学賞とも位置づけられるスペイン政府のセルバンテス賞を1991年に受賞したことで、スペイン人作家としてのアイデンティティを〈奪還〉した。内戦を起こしたフランシスコ・フランコ(1892-1975)に代表されるスペインファシズムに翻弄され、スペイン文化のとりわけ文学の歴史を空洞化せざるを得なかったアヤラだが、亡命地から遠近法を駆使して書いた一連の作品で同賞を受賞したことで、空洞化に〈連続性〉の橋を架けたのだ。
1978年に出版された本書は、5つの短篇で構成されている。第1作『言伝』(1948)は、見知らぬ旅人が宿に残した一片の謎の紙切れ(言伝)をめぐる話。目撃者たちが旅人についてさまざまな証言をするが、まったく要領を得ず、旅人像が定まらない。物語の展開は単調かつ執拗だが、作家の筆力を伝える訳者の実力によって一気に読まされてしまう。私は、芥川龍之介の原作に基づく黒澤明の名画『羅生門』(1951)を真っ先に思い浮かべた。旅の夫婦が薮の中で盗賊に襲われるが、この事件の証言者たちがみな異なる意見を述べ、真相はわからない。両作品はよく似た展開で、こうしたことはよくあるのだろう。紙切れの内容は最後まで明かされず、気にかかる。訳者によると、作家は生前、「言伝は、来るべき内戦を指す」と明かしていたという。
第2作『タホ川』(1949)は、内戦中、無抵抗の共和派民兵を殺害したことで後ろめたい思いを抱き続ける反乱軍の将校の話。無意味な殺害に、内戦の非人間性と空しさが重ね合わされている。タホ川はリスボンの畔をテージョ川となって流れ、大西洋に注ぐ。スペインとポルトガルの長期独裁体制を結ぶ象徴的な川だった。第3作『帰還』(1948)は、内戦で、敗者となった共和派の人々の、忘れたくとも忘れられない恐怖と悪夢を描く。私は、スペイン前政権(アスナール国民党右翼政権)時代にバルセローナで共和派だった高齢の生存者たちに会ったことがあるが、彼らは「右翼政権になって迫害の恐怖が甦った」と言っていた。彼ら「敗残者」の名誉が回復されたのは2007年になってからだ。
第4作『仔羊の頭』(1948)は、深く濃い隠喩が効いた圧巻だ。モロッコを訪れた主人公が、「親戚」だと名乗る一家に招かれた夕食会で口にしたまずい羊料理で消化不良に陥る。その一家にせがまれて、封印していた内戦中の身辺の出来事を渋々語り、内省する。夜半激しく嘔吐するが、翌朝、「消化不良が原因の悪夢」から立ち直り、前を向いて生きていく。第5作『名誉のためなら命も』(1955)は、有名な実話を基にしている。5作全編が静かな筆致で描かれており、内戦で翻弄され蹂躙された人々の苦悩が浮かび上がる。(松本健二・丸田千花子訳)
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