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■朝日新聞 2010年11月16日 定義集 【新しく小説を書き始める人に(5)】執筆:大江健三郎(作家)
■公明新聞 2010年5月31日 ちょっと気になる」欄 評者:小島直樹(ジャーナリスト)
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朝日新聞 2010年11月16日 定義集 【新しく小説を書き始める人に(5)】執筆:大江健三郎(作家)
情理尽くすリョサの文学論
ノーベル文学賞は、世界的によく知られ、文学的実質もきわだっている作家より先に、あきらかに周縁の名前が受賞することがあります。たとえば、ギュンター・グラス、マリオ・バルガスリョサより先に自分がもらった時、私はかれらに往復書簡をお願いする立場だったので、正直ひるんだものです。(『暴力に逆らって書く』、朝日文庫)
しかし、5年、10年の規模でリストを展望すると、いつもよくできた選択に思えます。ポーランドの女性詩人シンボルスカの名は知りませんでしたが、受賞を機に出た邦訳を読み、英・仏訳も集めて、いま私には枕頭の詩人の一人です。
グラスから11年、今年のリョサ受賞をおおいに喜んで、私はかれに送るべく日本での反響を切り抜きしましたが(評価をまとめた英訳をつけます)、胸にこたえたのは、本紙「池上彰の新聞ななめ読み」。
池上氏は、作家リョサを「恥ずかしいことながら、私も存じませんでした」とのべ、受賞理由「権力構造の『地図』を作り、個人の抵抗、反抗、挫折を鋭く描き出している」について、「これでは、何のことか皆目わかりません」といいます。私は、リョサが初期からペルーの政情・現実を批判的にとらえた秀作群の特質を、よく要約していると思いました。
それに続けて池上氏が、年季をいれた専門研究者が、短いスペースに思いのたけを詰め込んだ各紙の解説を「少なくとも私にはチンプンカンプンでした」といわれるのに、確かにそうかもしれないと感じながら、素人ではない「新しく小説を書き始める人に」向けて、申しのべたいことがあるのです。長らく、ナンカイと拒絶反応を示される経験を続けて来た者として。
まず翻訳の多いリョサの小説を一遍でも読む。次いでリョサの情理をつくした文学論に学んでほしい。(前者なら『緑の家』木村榮一訳、岩波文庫。そして『嘘から出たまこと』寺尾隆吉訳、現代企画室)
後者でリョサは、生涯をつうじて選びぬいた20世紀の小説35編を、見識と情熱を表して説きます。その上で付けられた、明確なまとめから引用します。かれは「本を時代遅れと見なす人々のなかでとりわけ重要な人物」、マイクロソフトのビル・ゲイツがマドリッドで行った、スペイン語に欠くべからざる「」をコンピューターから消すことはしない、という約束に感動するのですが、ゲイツが続けた、紙をなくし本をなくすのが自分の人生最大の目的だという言明には激怒します。
《根拠があるわけではないが、本という形態が消滅すれば文学には深刻な、おそらく致命的な悪影響が出ると私は確信している。名目上文学とは呼ばれても、それは今日我々が文学と呼ぶものとはまったく無縁な産物となるだろう。(中略)
国家生命において文学が果たすもう一つの重要な役割は、批判精神を育むことであり、文学がなくなれば、国民は歴史的変化やさらなる自由の行使など望むべくもなくなるだろう。優れた文学は、我々の生きる世界を根底から問い質す。》
リョサが文学の重要な役割の第一としたのは、個人の内面への深い探求です。かれの取り上げるヘミングウェイの小説『老人と海』は、一見単純なストーリーで始まります。不漁の続いた老漁師が、ついに大きい獲物をとらえるが、それを横取りしようとする鮫と格闘しなければならない。やがてカジキマグロの残骸と共に港に戻る疲れ切った老人は、《最悪の試練と逆境に立たされても、人間は行動次第で敗北を勝利に変え、人生に意味を見出すことができる、そんな希望》を現します。
かれを心配していた少年は、《漁を教わったこの不屈の老人にいつも感じていた情愛と慈悲心よりもっと大きな崇拝で涙を流す。》
《物語にこれほどの――単なる一エピソードから普遍的類型への――変化を引き起こすためには、感情と感覚、示唆と省略を少しずつ積み重ねて挿話の地平を広げ、そこから絶対的普遍の平面に達するよりほかに方法はない。『老人と海』がこれを成し遂げたのは、文体と構成における手腕の賜物だろう。》
リョサはこの本で1作家に1編を論じますが、ヘミングウェイについては2編(同じようにグレアム・グリーンも特別扱いしながら、作品が偉大とはいえないという)、もう1作は『移動祝祭日』。この晩年の作品で回想される若いヘミングウェイが、パリのボヘミアン生活神話とは正反対の、「すべてを冷静沈着な目で眺め、体験を取捨選択して蓄える」、注意深く勤勉な意志の人だったことを示すためです。
リョサは大作家ですが、この本で世界文学の最良の教師であり、小説家をめざす人には誠実なテューターであることも明らかです。折角の出会いを逃さぬように。(作家)
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公明新聞 2010年5月31日 「ちょっと気になる」欄 評者:小島直樹(ジャーナリスト)
〈「いい作家はいい読み手」を証明〉
いい作家はいい読み手でもある。当然のことのように思うだろうが、それを本当に実感したのは、イタロ・カルヴィーノの『なぜ古典を読むのか』(須賀敦子訳 みすず書房)を読んだときだ。唸った。日本でいえば、新聞連載小説の王者、辻原登がそれにあたるか。文学界4月号の座談会「没後百年 トルストイを復活させる」の中で『許されざる者』(やはり新聞連載小説)を「辻原版『戦争と平和』」と評された彼は、『戦争と平和』をいかに読み込み学んだか、そして自作の中でどのように展開したかを語って、「いい作家はいい読み手」であることを圧倒的に証明してくれた。
さて、ジョサである。今や世界的な作家だ。日本でも1970年〜80年代のラテンアメリカ文学ブームの際には中心的存在として『都会と犬ども』『緑の家』『パンタレオン大尉と女たち』『世界週末戦争』などがずいぶん読まれたと思う。しかし、その後の日本ではあまり海外文学が読まれることがない……今回の「ちょっと気になる」はそうした意味で、このペルーの国民的作家が21世紀の世界文学の傑作を論じて、やはり「いい作家はいい読み手」を示してみせた書評集を紹介する次第だ。
小説、フィクションの「嘘とまことの未知」について語る標題ともなった冒頭のエッセイと「文学と生活」というエッセイに挟まれる形で33人の作家の35作品が文学への確固たる確信と情熱をもって論じられている。カルヴィーノの時と同様、取り上げられた作品をすぐさま読みたくなったのは言うまでもない。
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