読売新聞 2010年2月14日 評者:都甲幸治(アメリカ文学者)
〈凄惨な日々 生きる人々〉
あまりの面白さに圧倒される。内線前後のエルサルバドルという、まったく馴染みのない設定でありながら200ページが一瞬に感じられるほどだ。しかもマヌエル・プイグよりなお都会的かつ暴力的なモヤの本作は読者の予想を完全に裏切る。正直、ガルシア=マルケスのような幻想的イメージに満ちた魔術的リアリズムこそラテンアメリカ文学だと思っていた私はまんまと騙されていた。原題ラテンアメリカ文学の旗手、故ロベルト・ボラーニョは彼を激賞して語る。モヤで魔術的なのは文体の力強さだけだと。
娘エステルの結婚に反対する母レナはなんと、自分の夫が結婚式に行けないようにバスルームのドアの外から鍵を掛け、何時間も監禁し罵りつづける。だがその努力も虚しく娘はホンジュラスからエルサルバドルに嫁いでいく。しかし今度は国境が新たなドアとなって親子を隔てる。サッカーの試合に熱狂するあまり両国は戦争状態に陥り、たかだかバスで数時間の距離にいる親子は死の恐怖の中、外交ルートを通じてしか手紙のやりとりもできなくなるのだ。しかもエステルの夫は暗殺され、その直後のクーデターが勃発して街中が兵士で満たされてしまう。これらがすべて実話に基づいているというのだから驚く。暴力のただ中にいる人々は理解不能な状況に怯えながら日々を生き抜いていく。子供たちは爆弾の破片で遊び、妻は隣人の子の送り迎えで金を稼ぐのだ。アメリカ合衆国の巨大な影響力のもと、冷戦下の中南米がいかに凄惨な状況にあったかがよくわかる。
実はモヤの人生自体、本作とかなり重なるらしい。1957年生まれの彼は、内線を避けてカナダ、メキシコへと長年移り住み、東京にも滞在していた。もはやエルサルバドルは故郷ではないと言いながら、国を思うあまりの苛立ちが本作には強く感じられる。彼のおかげで、中南米文学の今を読むことは、世界文学の最前線を知ることだと気付いた。
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