2007年4月1日掲載
2007年3月26日、鈴村明(教育問題研究者)。
【はじめに】改悪教基法の実質化に抗して。
2006年12月15日に「改悪教育基本法」が成立し、12月22日に公布・施行してしまった。しかし、教育基本法改悪勢力が、“理念法”として強行的手法で成立させた「改悪教育基本法」を、具体的に発動させるためには、彼らにとってまだやりとげなければならない課題が多くあり、私たちは、この点を見落としてはならない。
例えば、伊吹文科相は、07年1月の年頭所感において、「教育改革は、約60年ぶりの教育基本法の改正により、ようやくスタート台に立てた」としながらも、「教育を取り巻く様々な問題が、この改正法の成立により、すぐに解決できるわけではありません。例えて言えば、仏を創ることはできましたが、その仏に魂を入れなければなりません」と力説している。つまり、伊吹大臣らにとって、33本ある、改悪教育基本法の「関連諸法の改正、教育振興基本計画の策定、予算による肉付けなど様々な具体的施策に取り組むことはもとより、文部科学省も含め、教育関係者が熱い志をもって諸問題に臨むことが必要」ということなのである(07年の年頭所感)。
このように――2007年の前半段階において――、改悪教育基本法という「仏」の中には、まだ「魂」が入れられていないのであり、改悪教基法が全面的に実質化し、学校現場に深く浸透していくためには、いくつものハードルが残されている。
同時に、安倍首相は、改悪教育基本法の成立によって、「教育再生」策の理念ができたとし、安倍流の「教育再生」改革なるものを「待ったなし」で具体化しようとしており、こうした動向に対して、警戒と批判を強めていく必要がある。また、安倍政権の下で、憲法改悪の動きが急速に強まっているが、憲法改悪が実現してしまえば、改悪教育基本法に「大きな魂」が吹き込まれることになってしまう。その点で、重大局面に入っている憲法問題は、教育問題と深く関連している。こうした中、現実の教育問題でいえば、特に、全国一斉学力テストの押し付けと全国学力テスト体制の日常化を許さないための取り組み、そして、「学校教育法」改悪法案、「教免法」改悪法案、「地教行法」改悪法案という改悪教基法関連3法案の166通常国会での強行をくい止めるための取り組みが重要になっている。この問題では、「与党教育基本法改正に関する検討会」の座長をへて、現在、「与党教育再生検討会」の座長を務める大島理森(ただもり)元文相が、「本年は、教育再生元年として、(改定した)教育基本法の理念、目標の実現を期して、法律や教育政策の体系を見直し、改革を着実に実行につなげる年」とし、町村信孝元文科相も、「本年は、新しい教育基本法の下で、教育改革の新たな第一歩を踏み出す記念すべき年」等と位置づけている(いずれも『日本教育新聞』07年元旦号より)。このように、改悪教育基本法推進勢力は、2007年について、〈改悪教基法の実質化と改悪教基法体制の確立、そして改悪教基法に基づいた教育再生(=教育改悪)を推進する年〉として特別に重視している。それだけに、改悪教育基本法の成立に反対してきた私たちは、今年を〈改悪教基法の実質化と対決し、安倍流教育再生(=教育改悪)にストップをかける年にする〉という熱い志と気概をもって取り組みを強めると共に、目の前の子どもと教育に向き合う上で、憲法と子どもの権利条約を力にしながら、「1947年制定の教育基本法に基づく教育活動」を継承し、発展させていかなければならないのである。
また、改悪教育基本法をめぐっては、背景となる政治的状況、小泉政権の五年数ヶ月における動向、与党教育基本法改正に関する協議会・検討会における密室の審議過程など、探索すべき、多くの課題が残されている。そこで、本「覚書き」では、これらの問題から入ることにする。
【一】起点としての教育改革国民会議最終報告(00年12月)。
2006年末の教育基本法改悪に至る過程の起点は、2000年12月に、教育改革国民会議が、その最終報告の中で、「新しい時代にふさわしい教育基本法」と「教育振興基本計画」の策定を提言したことにあった(教育改革国民会議報告―教育を変える17の提案)。文部省や文部科学省レベル(たとえば、中教審答申)で、直接的に教育基本法の改定を打ち出すことはできないので、首相の私的諮問機関として設置した教育改革国民会議が、教育基本法の改定を打ち出すのである。
こうした教育基本法改定提言が登場する背景には、いくつかの流れがある。
第1に、〈21世紀の教育改革については、文部科学省まかせにはできない〉という保守政治家の強い思いがあった点である。例えば、教育改革国民会議を主宰した森首相(当時)は、「教育は国民の皆さんにとって大変身近なものです。だれでも教育を語ることはできます。それだけまたいろいろ複雑な問題も多いし、政治的な介入を避けるということで政治が余り触らないということが、一つの今までの議論の中のどうも制限になっているんじゃないか。制約になっているというそんな感じがいたします」と述べながら(「総理のひとこと」、2000年8月16日、首相官邸のホームページ)、〈教育の世界への政治家の介入を当然視する方向性〉を打ち出していた。また、自民党文教制度調査会長を務めていた保利耕輔元文相は、2002年5月の講演の中で「現在行われている教育体制を、21世紀を通して、このまま進めていって良いのかどうなのか、という点」については、「文部科学省に検討してもらうのは少し無理だと感じて」いるとした上で、「やっぱり政治家が、自分の考えで国を引っ張っていくという考え方に立って、検討しなければいけない」と力説していた(保利耕輔「私の教育改革論」、『自由民主』誌02年7月号)。このように自民党文教族をはじめとする保守政治家らの「教育改革」論では、「21世紀日本の構想」懇談会報告にあるような「国家の統治行為としての教育」論が大前提に据えられており、憲法26条に基づく「権利としての教育」論からの大転換がめざされていたのである。
第2に、1947年制定の教育基本法の存在が、新保守主義的で新国家主義的な教育改革を志向する勢力だけではなく、財界主導で教育改革を進める勢力(新自由主義的教育改革の推進勢力)にとっても、障碍物として強く意識されはじめた点を指摘することができるだろう。例えば、経団連は、2000年3月に「政府・与党における教育改革等の動向を踏まえ、人材育成について検討」し、「グローバル化時代の人材育成について」という表題の提言を発表する。こうした財界の教育提言を背景に、教育改革国民会議では、新自由主義的教育改革の推進勢力と、新保守主義的で新国家主義的な教育改革を志向する勢力とが合流し、21世紀版の国策教育路線が打ち出されるに至り、その結果、同会議は、「新しい時代にふさわしい教育基本法」と「教育振興基本計画」の策定を提言するのである。ごく少数のエリート育成を重視する新自由主義派にとっても、規範や道徳を重視する新国家主義派にとっても、リベラルで民主的な「1947年制定の教育基本法」の存在が、大競争時代を乗り切るための「教育改革」を進める上で邪魔になったのである。
そもそも、1947年に制定された教育基本法は、戦争への深い反省をふまえて作られた「教育の根本法」であり、この法律の「背景をなす思想的立場は、真理と自由と平和とを愛する近代民主主義の精神であり、また、その基底をなしている行為的・実践的立場は、近代民主主義社会を発展せしめてきた進歩的自由主義の原理」であった(文部省『日本における教育改革の進展』1950年)。この法律(リベラルで民主的な法律)は、戦後60年間、明文改定されなかったものの、政府・文部省(文科省)は、1950年代中盤以降、この法律を「解釈」によって歪曲したり(1958年の特設「道徳」や1980年代の臨教審路線)、『期待される人間像』のような対立理念を打ち出したり(1966年)、あるいは、下位に位置する「学習指導要領」を優先させることで、この法律を棚上げする手法などで、1947年教育基本法の教育理念を無視し、否定し続けてきたのである。しかし、新自由主義派にとっても、新国家主義派(新保守主義派)にとっても、彼らが進める「教育改革」にとって、リベラルで民主的な、この法律が、いよいよ邪魔な存在になり、その「見直し」が提言されるのである。そして、2006年末には、改悪教育基本法が成立してしまうが、改悪教基法の「背景をなす思想的立場」は、新自由主義と新保守主義(新国家主義)なのであり、それらが合流したものといえるのである(註1)。
第3に、憲法改定に先立って、憲法と一体の関係にある「1947年制定の教育基本法」を先行的に改定すべき、との議論が浮上していた点である。憲法改定に先立って、〈改定しやすい教育基本法から手をつけるべき〉という主張であり、中曽根元首相は、こうした主張を繰り返し展開していた(中曽根康弘『日本の総理学』PHP新書)。この問題は、1953年の池田・ロバートソン会談における〈愛国心教育の密約〉以来(註2)、日本の教育が日米安保体制下におかれてきた歴史とも深く結びついている。要するに、世紀の転換点を契機に、日米同盟が新たな軍事同盟として再編強化し続ける中で、〈特定の「愛国心」を涵養すべき〉との論調が強まっていた事情である。
以上の3つの流れを背景に、教育改革国民会議は、教育基本法改定を提言する。のちに発足(03年6月12日)する「与党教育基本法改正に関する検討会」のオリジナルメンバーの中には、小渕内閣時代に教育改革国民会議の運営に総理補佐官として携わった中曽根弘文元文相や、自民党の代表として教育改革国民会議にオブザーバー参加していた泉信也参議院議員がいるのであり(註3)、その面でも、〈教育基本法改定の起点は、教育改革国民会議にあった〉といえるのである。
―註の解説―
(註1)=教育学者の世取山洋介新潟大学助教授は、『歴史学研究』誌06年11月号に発表した「教育基本法の危機」という論考の中で、教育基本法改定の思想的背景について考察し、分析している。
(註2)=1953年10月5日から30日にかけて行われた、池田勇人自由党政調会長とアメリカのロバートソン国務次官補との会談の中で、両者は、再軍備に関連して「愛国心と自己防衛の自発的精神が日本において成長する如き気分を啓蒙と啓発によって発展することが日本政府の責任である」と確認する。この会談は秘密裏に行われたものだったが、当時の『朝日新聞』がその議事録を暴露した。
(註3)=中曽根弘文元文相は、『日本教育新聞』07年元旦号によせた小文の中で、教育基本法の「改正は、政治家だけでなく各界の大勢の皆様が力を結集して、約6年の議論を重ねた成果」と書いている。つまり、中曽根弘文元文相は、「教育改革国民会議最終報告以来、約6年間の議論の成果」としているのである。また、自民党の泉信也議員は、2006年5月、自らのホームページに公表した論考において、次のように書いている。「去る4月13日、自民・公明の与党協議を終え、両党は教育基本法の改正案を明らかにした。平成12年、小渕総理のもとに設けられた『教育改革国民会議』に、党を代表するオブザーバーとして出席して以来、教育問題にかかわることになった。平成15年には、自民党5人・公明党4人からなる『教育基本法改正検討会』が立ち上げられ、これに参加する機会を与えられた。おおよそ3年間、60回の議論を重ねた月日は、決して平坦ではなかった。この3年間の私の日程は、水曜日に開催される基本法検討会を、何よりも優先させた。このため一昨年の参議院選挙の時は、関係者から『誰の選挙運動だ』とお叱りもいただいた。それでも教育基本法改正への思いを断ち切ることはできなかった」――泉信也氏は、「与党検討会」(03年6月12日発足)のメンバーであるが、その上部組織である「与党協議会」(03年5月12日発足)のメンバーではなかった。そうした事情もあり、「60回の議論を重ねた月日」と書いているようである。
【二】小泉政権の五年数ヶ月と〈教基法改悪への道〉。
小泉政権の五年数ヶ月の期間、教育基本法改悪への道程は、どのように進展したのか?――この点を少し振り返る。小泉内閣では、遠山敦子、河村建夫、中山成彬(なりあき)、小坂憲次の4名が文部科学大臣を歴任しているので、各大臣別に整理することにする。
第一に、遠山敦子文科大臣時代(01年4月から03年9月)だが、遠山大臣(当時)は、教育改革国民会議の最終報告と「21世紀教育新生プラン(町村信孝・初代文科相が01年1月に公表)」を受け、中教審に「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方」について諮問する(01年11月)。このとき、遠山大臣が作成した「諮問文」は、かなり長文のもので、教育基本法改定の方向性をあらかじめ提示するものであった。そして、2003年3月20日に、中教審は「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について」と題する答申を発表する。その後、遠山大臣は、「教育の構造改革」と題する教育改革プランを発表するのである(03年5月)。こうした中で、遠山敦子文科大臣時代には、自民党、保守新党(当時)、公明党の三党による「与党教育基本法に関する協議会」が発足し(03年5月12日)、その下に「与党教育基本法に関する検討会」が設置されるのである(03年6月12日)。
第二に、河村建夫文科大臣時代(03年9月から04年9月)だが、河村大臣(当時)は、自民党文教族の一員として、教育基本法改悪に奔走していた政治家であった。1999年8月に、自民党の教育改革実施本部(本部長=森山真弓元文相)の下に「教育基本法研究グループ」が発足するが、河村建夫氏は、このグループの「主査」を務めている。そして河村建夫氏は、02年1月の「自民党教育基本法検討特命委員会」発足の際には、特命委員会の「事務局長」に就任している(特命委員会の最高顧問は森元首相、委員長は麻生太郎政調会長〔当時〕)。そうした自民党の教育基本法改定チームの中心人物が、文部科学大臣に就任するのである。実際に、河村建夫文科大臣は、03年10月3日の自民党内の会合で「教育基本法改正は、(文部科学大臣の)大きな使命だ。小泉総理から与党協議を進めるよう指示されており、国会での論議を経て成立するよう努力したい」と挨拶している(自民党ニュース・03年10月3日付)。このような河村建夫文科大臣時代に、自民、民主両党の議員を中心とする超党派の議員連盟「教育基本法改正促進委員会」が発足する(04年2月25日)。この教育基本法改正促進委員会は、「超党派改正議連」という別名で呼ばれることも多かったが、この「議連」は、その後、「日本の教育改革」有識者懇談会(民間教育臨調)と共同で、「新教育基本法の大綱」を発表する(04年6月9日)。一方、「与党教育基本法に関する協議会(検討会)」は、「与党教育基本法改正に関する協議会(検討会)」へ名称変更し(04年1月9日)、その後、「教育基本法に盛り込むべき項目と内容について(中間報告)」を発表し、教育基本法改定の方向性を打ち出すのである(04年6月16日)。なお、河村建夫文科大臣時代に、日本経団連は、「21世紀を生き抜く次世代育成のための提言-『多様性』『競争』『評価』を基本にさらなる改革の推進を-」を発表する(04年4月)。その後、日本経団連は、この教育提言に基づいた「財界の教育政策」を、政府・与党に繰り返し要求するようになるのである。
第三に、中山成彬文科大臣時代(04年9月から05年10月)だが、中山大臣(当時)は、大臣になる前に、清和政策研究会(自民党森派)の政策委員長として、清和政策研究会の教育基本法改正提言をとりまとめた政治家であった(清和政策研究会『人づくりは国の根幹です!-教育基本法改正へ5つの提言』中経出版、02年5月刊)。そうした中山成彬文科大臣時代に、文部科学省は「与党教育基本法改正に関する協議会」の了承を受けた部分から、教育基本法改定法案の策定作業を開始する(04年9月21日、文部科学省の田中壮一郎生涯学習局長と板東久美子審議官〔当時〕が、この法案策定作業の責任者)。その後、04年11月4日に、中山成彬大臣(当時)は、内閣府に設置された経済財政諮問会議に「甦(よみがえ)れ、日本!」という名称の教育改革プランを提出する。この教育改革プランの中で、中山大臣は、「教育基本法の改正―新しい時代の日本人像」と「学力向上―世界のトップへ、競争意識の涵養、全国学力テストの実施」等を打ち出すのである。小泉政権の教育改革は、文部科学省レベルでの改革だけでなく、内閣府に設置された経済財政諮問会議(小泉首相が議長となった、小泉内閣の司令塔)を軸に展開しているが、その場で教育基本法改定問題が現実問題として浮上するのである。そして05年1月に日本経団連が、「これからの教育の方向性に関する提言」を発表し、その中で教育基本法改定の内容を具体的に提言する。さらに、05年5月11日に文部科学省は、教育基本法改定に関する「仮要綱案」を、与党検討会に提出するのである。こうした流れもうけ、05年6月1日、中山大臣が臨時議員として出席した経済財政諮問会議の場に、諮問会議の有識者議員4名(財界人2名と財界系経済学者2名)は、いわゆる新自由主義的教育改革の全体像を議題として提出し、義務教育改革の方向性を打ち出すのである。このときの「教育改革」提言は、全国学力テストの実施により、国が教育内容の基準を決定しながら、学校間競争を促進し、学校評価システムを徹底すること、多様な外部人材や学校設立主体を公教育の世界に導入すること、学校選択制を全国的に導入し、教育バウチャー制へ移行すること等、「多様性」「競争」「評価」を基軸にしたものであった。
第四に、小坂憲次文科大臣時代(05年10月から06年9月)だが、小坂大臣(当時)は、164国会に「教育基本法の全部改正」法案を提出する。教育基本法改悪の最大の震源地は、中曽根元首相の主張にあったといえるが、小坂氏は、中曽根内閣時代に首相(自民党総裁)の秘書を務めることから政治家になった人物であった。その小坂大臣が、教育基本法改悪法案を国会に提出するのである。小坂氏は、小泉政権が小泉改革の総仕上げとして位置づけた郵政民営化と、それに伴う選挙結果を受けて文部科学大臣に就任しているが、実は、この時期に2つの大きな動きがあったのである。一つは、義務教育国庫負担制度について、その負担割合を二分の一から三分の一に軽減する政治合意ができたということである(05年11月の与党合意)。この問題は、自民党内でも、大きな異論や反発・抵抗があった問題であり、中教審も、その答申(05年10月)の中で「負担割合を二分の一に維持すべき」としていた問題であった。そして、「小泉改革の総仕上げは、『教育基本法改正』で」と主張していた、河村建夫氏と中山成彬氏の両名も、現職の文科大臣時代から、義務教育国庫負担割合の削減に対し、強く抵抗・反発していたのである。しかし、結果として、小泉首相が望んだ「三位一体改革」が進展し、国家の財政責任が軽減し、地方自治体の財政責任を重たくする仕組みができあがるのである。もう一つの大きな動きは、2005年11月に、自民党の新憲法草案が発表されたことである。義務教育国庫負担制度について、その負担割合を軽減する「構造改革」の実現と、自民党新憲法草案の登場によって、教育基本法改定への2つの条件が整うのである。前者の改革に決着がついたことで、仮に教育基本法改定法案が国会に提出され、議論された場合も、義務教育国庫負担制度にかかわる審議(論争)を避けることが可能になったのである。また、後者の新憲法草案の登場によって、教育基本法改定案と改憲案とを刷り合わせることが可能になったのである。こうして向かえた2006年1月末、郵政改革のあおりで生まれていた問題(与党検討会の保利座長が、自民党から離脱した問題)に対する解決方向が確立し、「与党教育基本法改正に関する協議会」が再開するのである。そして、4月13日に、「与党教育基本法改正に関する協議会」は、最終報告を発表、4月28日に、政府法案の提出という事態になるのである。
【三】与党教育基本法改正に関する協議会・検討会について。
次に、与党教育基本法改正に関する協議会と同検討会について、やや詳しく分析することにする。この問題を重視するのは、与党教育基本法改正に関する協議会と同検討会の場で、「教育基本法改悪法案(与党案)の一字一句」が議論されているからである。言い換えれば、与党協議会でとりまとめられた「教基法改悪の与党案」が、多少手直しされ、「教基法改悪の政府案」になり、そして「改悪教育基本法」になっているからである。
与党教育基本法改正に関する協議会は、協議会ごとにマスコミにブリーフィングをおこなっており、『自由民主』紙や『公明新聞』などにも、若干の報道が掲載されている。本来なら、それらの報道資料を全て収集し、その全貌を明らかにすべきだろう。しかし、それらの資料の全てを収集することができていないので、以下、いくつかの関連資料を下にして、与党教育基本法改正に関する協議会と同検討会について考察することにする。なお、資料の関係で、自民党を中心にした考察になっている。
(1)4つの原則。
衆議院・教育基本法に関する特別委員会において、保利耕輔氏(無所属、06年12月、自民党に復党)は、「私は、与党で協議を始めますときに検討会の座長を仰せつかりまして、長い間御協力をいただいて、検討会を進めてまいりました。その中で、最初に何を検討しようかということを考えたのでありますけれども、まず、教育基本法を考える場合に原則を立てようと、四つの原則というのを立てた」とのべ、以下の四つの原則について発言している(06年11月1日)。
第一原則=教育基本法の改正法案は、議員立法ではなくて、政府提出法律案であること。
第二原則=改正方式をどうするかということ。「一部改正でいくか、全部改正でいくか、あるいは現行法を廃止して新法をつくるか、この三つの選択肢があった」が、「改正方式については、一部改正ではなく、全部改正にすることを確認」したこと。
第三原則=「三番目に考えました柱は、この法律は理念法であるということ」。
第四原則=「三番目の原則と大体通じるところがある」が、「骨格だけを示すということになれば、当然簡素な法律になってくる。それで理念的な法律」として「簡素にして、そして我々は勝手に格調高い法律にしようと」考えたこと。
保利氏は、第三原則にかかわって、新しい“理念法” の下に、33本の関連法の改定が必要になるとし、その点を政府側に確認している。
なお、与党協議会の「教育基本法に盛り込むべき項目と内容について(最終報告)」(06年4月13日)の前書きにも、「①教育基本法の改正法案は、議員立法ではなく、政府提出法案であること、②改正方式については、一部改正ではなく、全部改正によること、③教育基本法は、教育の基本的な理念を示すものであって、具体的な内容については他の法令に委ねること、④簡潔明瞭で、格調高い法律を目指すこと」とあるが、これらは与党検討会の初期段階で確認していたことだったのである。
(2)与党検討会が、教育論を確認する上で参考にした資料。自公間における論争点(国家観、教育観)。
与党教育基本法改正に関する協議会・検討会は、「四つの原則」を確認したのち、教育論について検討し、その後、法案全体の枠組を構想し、逐条審議に入っている。この点については、与党検討会のオリジナルメンバーの一人であった泉信也参議院議員(自民)が、自らのホームページに発表した「私考私壇・教育基本法改正案の成案を得て」において、次のように書いている(イズミタイムズ№45=平成18年5月号)。
「改正するなら、全部改正か一部改正か、政府提案か議員提案かという法律論から、現行法成立の背景、その時の国会論議に検討を加えた。さらにその後の『期待される人間像』『教育改革国民会議報告』などの教育論、平成15年の中央教育審議会答申などを参考に、全体の枠組みを構想し、逐条ごとに議論を行った」。
ここで注目すべき点は、与党教育基本法改正に関する検討会が、「教育基本法の改正」を打ち出した中教審答申(03年3月20日)だけではなく、1966年の『期待される人間像』と、2000年12月の「教育改革国民会議最終報告」などを参考にし、教育論を検討していたということである。「など」とあるので、臨教審答申のようなものを参考にしたのかもしれないが、その詳細は明らかになっていない。いずれにしても、与党教育基本法改正に関する協議会(検討会)の最終報告、そしてそれに基づく政府案(=改悪教育基本法)を分析する上で、『期待される人間像』と「教育改革国民会議最終報告」を踏まえる必要があるのも、根拠あることなのである。
泉信也氏の「私考私壇・教育基本法改正案の成案を得て」は、与党検討会で議論になった問題についても、少しふれており、次のようにある。
「議論を続けるなかで、国家と国民との関係、教育とは何かなど、基本的な認識に差異があることがわかった。このことが議論を難渋させた一因であったと思う。国家には国民を庇護する使命があるが、国民には国家へ尽くす義務はないという。果たしてそうだろうか。国家と国民は相互に深い関係にあり、決して一方的ではない。国民は国家の形成に積極的に参加し、国家はその国民を守る立場にある。国なき民は流浪の民である。ここに『教育は国家戦略』であるとするわたくしの考えがある。この国家観の違いが、『愛国心』『公共の精神』を中心に、『内心の自由』を楯にする、複雑で多様な議論をまきおこした遠因がある」。
上記のように、自民党と公明党のメンバーの間で「国家観」が論争になった経過があり、自民党は、「国民には国家へ尽くす義務」があるという視点や「教育は国家戦略」という視点を強調し、公明党の側は、「内心の自由」論を楯にして、自民党の主張に反発する場面などもあったようである。
また、自民党と公明党のメンバーの間で、「教育観」も論争になったのであり、泉氏は、次のように回顧している。
「教育には自発的要素と強制的要素があるとされている。前者の教育は、草花の生育に土壌を肥やし、水をやるように、秘めた才能を伸ばす環境を整えることだとする。後者の教育は、ある価値体系を教え込む作業だとする考えである。『教育は抑止の鍛錬である』という観念に近い。この違いが、教える側、教わる側に少なからぬ立場の違いを与える。教育には両方ともに不可欠な要素であるが、私は、ことに幼少期は、後者の強制的要素を重視すべきだとする観点から主張を続けた」。
この文面からも明らかになることだが、自民党の側(泉氏ら)は、教育を「教え込み(教化)」として捉える立場から、教育基本法改定案に「ある価値体系を教え込む」視点を組み込もうとしたのである。実際、与党協議会の最終報告に、「ある価値体系を教え込む」視点が色濃く反映しているのも、そのためである(改悪教育基本法「第2条・教育の目標」)。また、「ことに幼少期は、後者の強制的要素を重視すべきだとする観点」が重視されたことを反映し、改悪教育基本法の第10条(家庭教育)や第11条(幼児期の教育)は創られているのである(しつけ教育論への傾斜)。
(3)与党教育基本法改正に関する協議会の中間報告をめぐって。
2004年6月16日、「与党教育基本法改正に関する協議会」(03年5月12日発足)は、「教育基本法に盛り込むべき項目と内容について(中間報告)」をとりまとめ、それを公表する。「中間報告」をまとめる段階における、与党協議会と、その下におかれた、与党検討会のメンバーは、以下のとおり。但し、下記の名簿は、あくまで04年6月段階でのものである。与党協議会メンバーは、自公両党の幹事長、国会対策委員長、政調会長、文部科学部会長などで構成されており、それらの担当者が変われば、自動的に入れ替わることになっていた。与党検討会のメンバーにも、若干の入れ替えがあったようだが、一貫したメンバーもいた(保利耕輔、鈴木恒夫、泉信也〔以上、自民〕、太田昭宏、斉藤鉄夫、浜四津敏子〔以上、公明〕の6名が与党検討会の固定メンバー)。
○与党協議会メンバー。
[自民党]=安倍晋三、額賀福志郎、中川秀直、保利耕輔、鈴木恒夫、塩谷立(しおのや・りゅう)、中曽根弘文(参)。
[公明党]=冬柴鐵三、北側一雄、東順治、太田昭宏、斉藤鉄夫、浜四津敏子(参)。
○与党検討会メンバー。
[自民党]=保利耕輔、鈴木恒夫、塩谷立、中曽根弘文(参)、泉信也(参)。
[公明党]=太田昭宏、斉藤鉄夫、浜四津敏子(参)、西博義。 (以上)。
与党協議会が「中間報告」をとりまとめ、それを公表する経緯について、保利氏は、「平成16年6月16日の与党教育基本法改正に関する協議会でレポートとして出しまして、それは世間に公表されております。ここの中で改正の柱立てを考えた。全部で、現行法は11条でありますけれども、18条にしようということを柱立てという言葉を使って検討して、18の項目に絞ったというか、ふやしたというか、そういうところへ持っていった」と語っている(06年11月1日、衆院・教基法特別委)。
与党協議会の「中間報告」は、「教育基本法に盛り込むべき項目」を18条立てにしたというだけではなく、「教育基本法に盛り込むべき内容」(=改悪教基法案の方向性)を明らかにしたものであった。
1947年制定の教育基本法を全部改正する「政府案は、現行法の基本的な骨格である、前文-1条-2条-10条という連なりを実に正確かつ綿密にアタックすることにより、教育基本法を、教育の自主性擁護法から、教育の国家統制法へと変質させている」と指摘されているが(日本教育法学会教育基本法研究特別委員会『新版・教育の国家統制法』〔母と子社〕の「あとがき」)、実は、「与党教育基本法改正に関する協議会」が公表した「中間報告」段階で、以下の点がはっきりしていたのである。
つまり、改悪教基法案の方向性は、1947年制定の教育基本法の「基本的な骨格である、前文-1条-2条-10条という連なりを実に正確かつ綿密にアタックすることにより、教育基本法を、教育の自主性擁護法から、教育の国家統制法へと変質」させるものになっている―――この点が、2004年6月の時点で明確になっていたのである。
なお、与党協議会が04年6月16日に「中間報告」を発表する数日前に、与党教育基本法改正に関する協議会のオリジナルメンバーである鈴木恒夫衆議院議員(自民党教育基本法検討特命委員会2代目事務局長)は、小泉首相(当時)との間で、以下のようなやりとりをしていた(159国会、2004年6月2日、決算監視委員会の議事録)。
鈴木恒夫=教師というものがどうあるべきか。現行の教育基本法の中に、では、教師というものはどう書かれているかといいますと、現行の教育基本法というのは、昭和二十二年にできたまま、五十数年間、一字たりとも改正されたことはないわけでありますが、現行法ではこう書いてある。「教員は、全体の奉仕者であつて、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない」。自己の使命を自覚し程度の表現で教員が規定されている。我々は、この教育基本法をめぐる議論の中で、もう少し教師というものを、任務を自覚してもらわなきゃいけないということがありまして、私は、その場で、やはり教師はもっと自己の使命というものに崇高な使命を持っているということを深く自覚して研修と修養を積んで子どもの教育に当たらねばならないということを規定したいと考えております。この点について、総理にも、もちろん総理にまで育て上げた先生方がいらっしゃったわけで、そういう教師のことを思い起こしていただきながら、教師のあるべき姿について、まず総理の見解をお聞きしたいと思います。
小泉内閣総理大臣=今、鈴木議員が長年教育問題に打ち込んでこられた経験からいろいろな話を聞かせていただきましたけれども、教育基本法を改めるべき点は、時代に合ったといいますか、教育の重要性というものを国民がしっかりと受けとめるような改正についてはどうあるべきかという議論が今盛んに行われております。これからもしっかりとした議論をしていただいて、まとめるような方向に持っていっていただければなと思っております。また、教師のあり方ということでございますが、それは、お話のとおりだと思います。使命感、崇高な気持ちがなきゃ子どもに接する教育者としては問題があるという点も事実だと思います(後略)。
こうした議論ののち発表された、与党協議会の「中間報告」(04年6月16日)には、「教員は、自己の崇高な使命を自覚して、研究と修養に励むこと」と明記される。そして、改悪教育基本法(第9条)には、「法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない」と明記されるのである。このように、改悪教基法推進勢力は、教員(教育労働者)から、その〈労働者性〉を剥奪し、教員を、政府・自民党が考えるような〈聖職者性〉のみを背負った存在にしようとしている(「教師のあるべき姿」の押し付け)。そして、改悪教育基本法(第9条)の徹底により、教員は、教育行政機関や校長(主人ら)のエージェント(代理人)になり下がってしまいかねないのである(前掲『新版・教育の国家統制法』参照)。
(4)「最終報告」がまとまるまで。
鈴木恒夫衆院議員は、自らについて「オリジナルメンバーで与党の協議に加わって、2時間ずつ70回、一字一句、教育基本法(案)の詰めをした一人」と自己紹介している人物である(06年9月6日、議員会館における発言=「フィナンシャル・ジャパン、オンライン・FJムービー」より)。そうした、与党検討会のオリジナルメンバーの一人である鈴木恒夫議員は、2006年3月、自らのホームページに「いま教育基本法の改正は」と題する論考を公表する(06年3月1日)。そこには、以下のように書かれている。
「改正をめぐる検討は自民党と公明党のそれぞれ5人と4人のメンバーによる『与党改正検討会』で、なんと毎週1回2時間を原則に、69回の議論が積み重ねられてきた。自民党のメンバーは座長をつとめる保利耕輔代議士を筆頭に中曽根弘文参院議員(ともに元文相)と私、そして党政務調査会の文部科学部会長(これまでは遠藤利明代議士)と泉信也参院議員だ。『検討会』での議論はほぼ完了し、昨年(05年)の衆議院解散の前に、周到かつ緻密な作業をリードしてきた保利座長は『座長とりまとめ』を作成。改正案は内閣提出を前提としてきたため、実は文部科学省の担当者の手によって、条文のほとんどの原案は書き上げられている。それが表に出てこないのは、検討作業に出された資料はすべてその場で回収されるという慎重さが功を奏したためだ。いったん原案が外部にでも出れば、作業の進行とともに『骨抜きされた』とか『後退した』とか『右寄り、左寄りに修正された』とかの無用の混乱を引き起こす。メンバーの中には『資料を持ち帰ってじっくり研究しなければ次回の議論が十分にできない』と”秘密性”を批判する意見もあったが、私は『いったん外部に漏れたら、すべての議論が台無しになる。すべて毎回、回収を』と率先して資料を座長の前に差し出したほどだ」。
鈴木恒夫氏の論考は、ここで終わりではなく、重要な論述が続く。しかし、鈴木恒夫氏が、この論考を公表した翌月の13日(06年4月13日)に、与党協議会の最終報告がとりまとめられるのである。鈴木恒夫氏が論考「いま教育基本法の改正は」の大部分を書き上げた時点(06年1月末)では、自公間で、5項目の不一致があったということなので、その後の約2ヶ月半で、それら5項目の溝が埋まったということになる。この点、鈴木恒夫氏は、「いま教育基本法の改正は」で以下のように書いていたのである。
「大まかに言って、現段階で決着のついていない条項は5項目である(平成18年1月未現在)―①『教育の目標』として掲げられる重要な項目の一つとして、郷士や国に対してどのような考え方や感性を育むか、がある。『国を愛する心』と記述するか、あるいは、『国を大切にする心』と記述するか。または新たに第3の記述を考えるか。自民党は『愛する』を主張、公明党はこれに対して『大切にする』。『愛する』とした場合、『国』に含まれる『国民』『国土』は良いが、『統治機構』まで愛せよというのか、という理由だ。公明党幹部の間に、やや軟化傾向がみられなくもないが、他の政治的要素との関連もあり、なお決着がつかない。『改正』の最大の焦点。②『宗教教育』を一項新たに設けることに合意しているが、『宗教が情操の涵養(水が自然に染み込むように、無理をしないでゆっくりと養い育てること)に果たす役割』を明記するかどうか。宗教界の多くからの主張に考慮して、自民党内に明記を求める声があるが、わが国の古来からの伝統・文北の基盤につながるものだけに、議論が続いている。③『教育行政』の項の中で、現行法にある『教育は不当な支配に服することなく』のくだりを引き継ぐかどうか。教職員の組合などがこの部分を根拠に間違った教育をしたのではないか、との視点から、『削除』の主張も強いが、未決着。関連して『県や市町村の教育委員会の役割強化』を明文化すべしなどの意見もある。④『教員』をはじめ『私立学校』『家庭教育』などを単独の条文で褐げ、教育全体の裏付けとなる財政措置などを、教育振興基本計画として策定することは確定しているが、具体的内容はこれから。⑤これら条文は検討会の作業を受けて、文部科学省が内閣提出の法律案として国会に提出するが、『前文』は国会がまとめるべきではないか、との議論。その場合、現行法にある『憲法の精神に則り、教育の目的を明示して』の表現をどうするか。いわゆる『憲法改正』論議の進行ともからんで、調整が必要。公明党の中にも『平成18年通常国会で改正の実現を』という声も出始め、要は未決着の部分について、いかに自公両党が政治判断するか、に焦点が絞られてきた。議論は明らかに最終局面に入りつつある。しかし、その一方、総選挙をへて、全く予期し得なかった問題が生じ、それが改正問題前進の大きなカベを形づくる結果となった。座長の保利代議士が『郵改民官化法案』に反対票を投じた反乱軍の一人だったため、党執行部は保利代護士を党から除名したのだ。加えて有カメンパーの中曽根参院議員も参院での大差可決という結果に引き金を引いたとして、党の役職停止という処分を受けている。『討論会』の幹部2人が事実上メンバーから外されたわけである。この『ややこしい』党問題をどうクリアして、法改正へのスタートを切るか、ようやく年が明けた1月末、新たな『検討会』の姿が見えてきた。それは座長に大島理森・元文相を新たに据え、保利氏は『顧問』として、これまでの”保利ゼミ”とまで言われた研究成果の盛り込みに貢献してもらおうという構想だ。私はこれまで通りメンバーの一人。できる限り早期に改正の実現を・・・。この祈りにも似た思いを胸に、私は総力をあげてこのテーマに取り組む決意を新たにしている」(鈴木恒夫氏は、上記の文で、郵政民営化法案の「参院での大差可決」と書いているが、「参院での大差否決」の誤記だと思われる)。
上記の論考の中で、鈴木恒夫氏がふれている「新たな与党検討会」であるが、06年1月25日に、与党協議会が開催され、この場で、大島理森元文相が「新たに検討会座長」に就任し、保利耕輔元文相が与党協議会・検討会の「顧問」に就任する。そして、新座長の大島元文相は「『過去65回の会議の検討した経緯をしっかりと踏まえ、十分に議論を積み重ね、与党の合意を目指したい』と抱負を述べた」ようである(自民党ニュース、1月25日付)。そして、06年2月1日に「与党検討会」は活動を再開するのである。『公明新聞』06年2月2日付によれば、「与党教育基本法改正に関する検討会(大島理森座長=自民)は(2月)1日、衆院第1議員会館で会合を開き、昨年(2005年)の夏以来中断していた実質的な論議を再開した。公明党から浜四津敏子代表代行、太田昭宏幹事長代行、斉藤鉄夫文部科学部会顧問、山下栄一文科部会長が出席した。自民党からは、大島座長のほか、河村建夫、鈴木恒夫、尾辻秀久、泉信也の各議員と、現在は無所属で前座長の保利耕輔顧問が出席した」ということである。これ以降、「与党検討会」が数回開催され(2月22・29日、3月1・29日)、自公間で未決着であった諸項目の溝を埋める議論、あるいは改定案の各条項についての詰の議論が行われるのである。
なお、2006年1月末の段階で、自公間で未決着だった5項目が、その後どのようになったのかについては、改悪教育基本法をみればはっきりする。ただし、「愛国心」問題と宗教教育問題の2つについては、少しだけ補足することにする。
(5)「愛国心」表記をめぐる問題。
与党協議会・検討会において、一番大きな問題点として論争になったのは、周知のように「愛国心」規定についてであった。この論争は、最終局面で決着する。つまり、06年4月12日の与党協議会において、焦点となっていた「愛国心」表記についての大島座長案を両党とも受け入れ、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできたわが国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」とすることになったのである。
この問題について、保利氏(与党検討会顧問)は、以下のように述べている(06年11月1日、衆院・教基法特別委)。
「国は領土と国民と統治機構という三つの要素から成り立っているというのは、これは学会の通説でありますが、国を愛すという場合に、統治機構を愛すということがいいのか悪いのかということが大変議論になりまして、安倍内閣はいい内閣ですけれども、安倍内閣を愛せよという教育を学校現場でするわけにはいかない。今の民主主義体制を大事にしようとかそういうのはいいと思いますけれども、統治機構である安倍内閣を愛せよということは、ほかの国でないことはないと思いますけれども、日本ではそれはできない話だ。そうすると、国の概念から統治機構を外そうということでコンセンサスを得ると、一体国というのは何なのだという議論というのはありました。それについては、議論は議論として、統治機構は外そうということで認識が与党間では一致をしたわけであります」。
このような経緯をふまえて、改悪教育基本法には、「国を愛する態度」と明記されることになる。しかし、日本語で「国を愛する」という場合、その「くに」という言葉の中に、国土や国民をあらわす「くに」と、国家をあらわす「くに」とが未分化のまま融合しているため、「愛国心」は愛国家心にからめとられる危険性を常に持っている。与党検討会の議論の中で、いくら「国の概念から統治機構を外す」と確認したとしても、言葉(日本語)のもつ曖昧性はどうにもならないのである。つまり、「くに」という言葉については、諸外国の場合と異なり、日本語特有の曖昧性があるのである。
与党検討会のオリジナルメンバーである鈴木恒夫議員は、「地球環境06年11月号」のインタビューにこたえ、次のように語っているので、この点も紹介しておく(「GLOBE Japan通信no.33」より)。
「(第2条の)教育の目標5号に《伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと》とあります。よく読んでいただきたいのは、これは、わが国だけを愛するということではないのです。一方で他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与しなさいと言っているんですね。いわゆる偏狭なナショナリズムに凝り固まるのではなく、日本人であると同時に世界人であると、必ずこれを教育の場で並立させようということなのです。もう日本がここまで経済大国になり、世界をリードしなければならない立場になっているときに、日本さえよければ、ということで教育をしてはいけない。やはり、いつも世界というものを頭に置き、戦後60年戦争もせずに、弾丸一発武力紛争で撃ったことがない日本なのだから、やっぱりこの気持ちを世界に広げていく、そういう教育をしようと訴えているんです」。
鈴木恒夫氏の主張は、〈改正法には「他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」とあるのだから、大丈夫〉というものであり、新聞紙上でも「決して戦前のような愛国心の復活のようなことは考えていない」等と弁解している(「神奈川新聞」06年11月17日付)。この点についてだが、教育基本法改定案を国会に提出した政府首脳(小泉前首相と安倍首相)は、「戦後60年戦争もせずに、弾丸一発武力紛争で撃ったことがない日本なのだから、やはりその気持ちを世界に広げていく」等と表明したことは一度もなく、逆に安倍首相の場合は、「憲法9条は時代にそぐわない」等と英米のメディアに語っている(06年10月31日、米国CNNテレビと英国紙フィナンシャルタイムズのインタビューに対する安倍首相の回答)。そして、安倍首相じしんの「他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度」は、世界最大の戦争国家アメリカを「尊重」し、アメリカ中心の「国際社会の平和」(=アメリカ中心の世界秩序)に「寄与する態度」で満ち溢れている。また、「決して戦前のような愛国心の復活のようなことは考えていない」ということだが、哲学者の高橋哲哉東大教授は、1938年頃に、師範学校の学生が採用試験対策に使っていた『修身科講座』という書物を示しながら、国際連盟脱退当時の天皇の言葉に中にも、「他国を尊重」や「国際平和」という文言があった点を指摘している。つまり、「愛国心」に「他国を尊重」や「国際平和」という文言が付加されたからといって、それだけでは、戦争への歯止めにはならないのであり、その点に改悪教基法の問題点が潜んでいるのである(高橋哲哉+大内裕和『教育基本法「改正」を問う』白澤社)。 また、鈴木恒夫氏の説明を読めば明らかなように、改悪教基法では、大国日本意識を前提にした「愛国心」の涵養が期待されているのである。
(6)宗教的情操をめぐる問題。
与党検討会では、宗教的情操をめぐる論争もあったようであるが、この点、保利氏は、「宗教教育については、宗教が情操の涵養に果たす役割は教育上尊重されることを盛り込めという御意見があった。ところが、これはいろいろ考えてみますと、日本というのはキリスト教国とも言えない、あるいはイスラム教国とも言えない、神仏が混交し、そこにいろいろな宗教がまた存在をしているという非常に自由な宗教環境にある中で、宗教の情操の涵養といったときには何の宗教の情操かという問題もありますので、これは盛り込めといってもなかなか盛り込み切れないなという感じがあった」と説明している(06年11月1日、衆院・教基法特別委)。そして、改悪教基法は、「宗教に関する一般的な教養」という言葉が組み込まれることにとどまったともいえる。しかし、この箇所の挿入も、教育課程に大きな影響を及ぼす可能性がある。また、改悪教基法第2条にある「豊かな情操」と、改悪教基法第15条の「宗教に関する一般的な教養」を組み合わせれば、宗教的情操教育(「畏敬の念」教育)も可能になってしまうのである。
(7)「最終報告」の発表と自民党内外の反発。
自民・公明の与党協議会が06年4月13日に「最終報告」を発表した直後、自民党内外で強い反発が生じる。3年間、ごく少数の与党協議会メンバー以外の議員、政治家にとっても、密室の審議だったわけで、当然の事態でもあった。例えば、02年1月に発足した自民党教育基本法検討特命委員会は、与党協議会発足直後の時点では、保利座長(特命委員会の顧問)から与党検討会の内容に関する報告を受けていたが、その後、そうした関係がなくなっていき、特命委員会は次第に機能を停止していったようである。この点、自民党教育基本法検討特命委員会メンバーの馳浩議員(自民党森派)は、公開している「はせ日記」の「04年6月9日付」に、「党本部にて『教育基本法検討特命委員会』開催。保利耕輔与党座長より、公明党との今国会における調整の結果をお聞きする」と書いているが、その後、「はせ日記」には「党教育基本法検討特命委員会」という記述がなくなっているのである。2004年6月9日の自民党教育基本法検討特命委員会では、与党検討会の保利座長から「中間報告」案の報告を受けた際に、委員の中から、「『どうして素直に「国を愛する心」と書けないのか』『自民党らしさを失う』など、公明党への妥協で表現が弱まることに批判が相次いだ」ようであるが(「アサヒ・コム」掲載の04年6月9日付の記事より)、その後、特命委員会は開催されなくなったようなのである。
与党協議会には、自民党教育基本法検討特命委員会の「委員長代理」である中曽根弘文元文相や同「顧問」の保利元文相、あるいは第2次自民党教育基本法検討特命委員会の「委員長」(額賀福志郎元防衛庁長官)と同「事務局長」(鈴木恒夫議員)らが参加していたものの、与党協議会における審議内容は、ある時期から他の特命委員会メンバーにも秘密にされるようになるのである。そうした状況の下で、与党協議会の「最終報告」(06年4月13日)に対して、自民・民主の超党派で構成する「教育基本法改正促進委員会」の中心メンバー(自民党の下村博文議員ら)は、強く反発する。例えば、与党協議会が「最終報告」を発表した直後、教育基本法改正促進委員会は、日本会議や日本会議国会議員懇談会と合同で、「教育基本法改正実現をめざす緊急集会」を開催しているが、その時の「大会決議」には、「わずか十名程の検討会は徹底した秘密主義のもと、議事録はおろか配布資料すら公開されていない。しかもその都度資料を回収する念の入れようであった。この間、自民党政調会長の下に置かれた特命委員会は開催されず、三年という長期間、政権政党自民党の議員からは論議の場が奪われたのである」と書かれるのである。
こうした経過に対して、与党検討会のオリジナルメンバーだった泉信也議員(自民)は、以下のように綴っている(泉信也「私考私壇・教育基本法改正案の成案を得て」)。
「発表された改正案に対する自民党内外の批判には厳しいものがある。新しい前文の『憲法の精神に則り』、2条のいわゆる『愛国心』、15条の『宗教的情操』、16条の『不当な支配』にほぼ意見は集中している。これらは3年間にわたり、何度も議論の俎上にのせ、検討を加え、結論をえたものである。私自身、わが国のあり様を語り、主張の角度を変え、諸国の例をひき、教育の現状を憂える人達の期待に応えたいと論じてきた。しかし相手があることゆえ、妥協を排しつつ、合意を得る他になかった。批判する人の主張を固持すれば、過半数に達しない参議院自民党の勢力からして、当分の間、教育基本法の改正は不可能である。われわれの主張が通らないなら、現行法のままで良しとする考え方もあった。これでは前進がない。当方の主張を少しでも、正しく折り込み、基本法の理念をより崇高なものにすることを考え、改正案を提起したわけである。改正案には、『智・徳・体』『公共の精神』などの重要性を、目的規定に盛り込んでいる。また生涯学習、家庭教育、幼児期の教育などについても、新しく項を起こしている。さらに義務教育の期間は、別途法律で定めるとし、今後の教育環境の変化に対応できる規定としている。この上は、この国会で改正案を成立させ、改正された『教育基本法』に基づき、学校教育法はじめ教育に関連する総ての法律を徹底的に見直し、新しく立法し、日本の教育の建て直しを願うのみである。教育は国家発展の礎である」。
泉信也議員が、自らのホームページに「私考私壇・教育基本法改正案の成案を得て」を発表したのも、自民党内外で「最終報告」に強く反発する政治家らに対して、理解と納得を求めるためでもあったのであろう。
こうした状況の中、「自民党の町村信孝・元文相は(4月)20日の森派総会で、与党がまとめた教育基本法改正案について『100点満点ではないにしても、この状況をもし逸することがあれば、基本法改正は二度とできない』と強調」する(読売新聞06年4月21日付)。この発言にみられるように、町村元文科大臣の、教育基本法改悪への執念は並々ならぬものであったと言えるが、自民党の「文部科学部会と文教制度調査会は、(4月)25日に合同会議を開き、与党検討会がまとめた最終案を基に法文化した教育基本法案を了承した」のである(自民党ニュース・06年4月25日付)。
(8)保利耕輔元文相や中曽根弘文元文相らの思惑。
与党検討会のオリジナルメンバーのうち、主に、鈴木恒夫氏と泉信也氏の論考を取り上げ、それらを紹介してきたが、保利耕輔氏や中曽根弘文氏らの思惑についても少しふれておく。
まず、保利耕輔元文相の場合だが、同氏は、『日本教育新聞』07年元旦号に寄稿した小文の中で、「改正の中で、従来の教育基本法にはなかった大学、私立学校、生涯学習など新たな項目をおこしたことの他、公共の精神や国を愛することなどが盛り込まれましたが、私が最も重視するのは、義務教育の条項」と書いている。保利氏は、6・3制の見直しを含め、〈義務教育(年限)の弾力化〉を視野に入れた、改定後の教育基本法に注目しているのである。保利氏は、かつて「現在行われている教育体制を、21世紀を通して、このまま進めていって良いのかどうなのか、という点」については、「文部科学省に検討してもらうのは少し無理」と語っていた。つまり、保利氏の問題意識は、「現在行われている教育体制=6・3制(等)を、21世紀を通して、このまま進めていって良いのかどうなのか」という点にあるのである。
次に、中曽根弘文元文相だが、同氏は、1947年制定の教育基本法の「前文や第一条(教育の目的)に『世界の平和と人類の福祉』、『人格の完成』、『真理と正義』など、非常に重要な究極の目標・理念が並べられているが、こういう文言からは『日本という国家の歴史や精神性を帯した日本人をどのように育成しようとしているのか』という最も大切なものが見えてこない」「『個人の価値を尊ぶ』『個人の尊厳』など、全体的に個人が強調され、『公』即ち公共の精神の涵養、『社会の中の一員』という意識を育む認識が希薄である」等と批判していた(中曽根弘文議員のホームページ上の「新しい時代の教育理念」より)。こうした主張は、中曽根元首相と全く同じものであるが、 中曽根弘文氏は、与党検討会の場で、そうした主張を繰り返していたのであろう。そして、与党協議会の「最終報告」に、中曽根弘文氏の主張も組み込まれるのである。なお、中曽根弘文元文相は、教育基本法改定だけではなく、「青少年健全育成基本法(仮称)」の制定も目論んでいる政治家である。
(9)自民党新憲法草案との整合性をチェック!?。
伊吹文明文科大臣は、06年12月5日、165国会の参院教基法特別委において、「この提案は内閣が提出しておりますが、原案は文部科学省が作成しております。そして、その文部科学省が作成する原案の基本になっているのは、公明党と自民党の与党協議で出てきた案です。その各々の場面で、文部科学省も、そして自民党、公明党の与党協議会も、自民党(新憲法草)案との整合性はチェックいたしております」と答弁した。この答弁が真実なら、「与党教育基本法改正に関する協議会」は、最終局面において、教育基本法改定案と自民党新憲法草案との整合性を確認していたことになるのである。
この問題は、日本の進路に深く関連する問題であり、そうである以上、文部科学省は、「与党教育基本法改正に関する協議会」と「検討会」についての「議事録」(註)や「配布資料」を、すべて公開すべきなのである。
―註の解説―
(註)=与党協議会(検討会)の「議事録」があるか、どうかははっきりしていない。しかし、「教育基本法に関する特別委員会」の審議の中で(06年10月30日)、野党議員から、(文部科学大臣は)与党協議会(検討会)の審議の「すべての過程というものを読んでおられるということでよろしいんでしょうか」と問われた際に、伊吹大臣は、「すべての過程は、私は率直に言って読んでおりません」と答弁している。伊吹大臣は、与党協議会(検討会)審議の「すべての過程」を読みうる立場にあるが、その「すべては、読んでおりません」というニュアンスで答弁している。また、伊吹大臣は、同じ議員から「(与党協議会で)どういう過程での議論があったのかというようなことも含めて、やはりきちっとこれを出していただきたい」と要求された際に、「それを出せとおっしゃるのは、政府におっしゃるのは無理」と答弁している。結局、伊吹大臣は、与党協議会(検討会)の「議事録」そのものの存在は否定しなかったのである。
【四】改悪教育基本法と「教育改革」の構造。
次に、教育基本法の「全部改正」法案と国会審議をめぐる問題と、改悪教育基本法の危険性などについて、少しだけ検討する。164国会(小泉内閣)と165国会(安倍内閣)における教育基本法案の国会審議は、膨大なもので、その全てを検討することはできない。この点に関わることだが、国会審議の全記録の収録や、その審議記録の問題別分類もされている(「教育基本法『改正』情報センター」のホームページ)。また、『教育基本法「改正」案と国会審議の検討』という名称の書物も出版されている(06年12月刊)。これらの記録や文献も参考にし、心ある教育関係者が英知を集め、その持てる力を発揮しながら、国会審議についての分析や考察を深めていく必要があるだろう。それは、改悪教育基本法の問題点や弱点、危険性や違憲性などを明らかにするための基本的作業である。
国会審議については、様々な角度から分析しなければならないが、164国会においても、165国会においても、法案提出者の側(政府・文科省)は、「教育基本法改定案が、今の教育を良くするものであり、国民的な支持もある」と論証することが全くできなかった。唯一の論拠として示された「タウンミーティング」についても、「やらせ」であることが暴露されてしまったのである(165国会)。このように、〈「国民的な支持」を論証することができず、「やらせ基本法」というニックネームまで付けられた法律に、本来的な意味での「法」としての力はない〉と指摘することも可能である。この点を確認しつつ、教育基本法改悪案の審議や「教育改革」の構造について、何点か、指摘することにする。
(1)小坂文科大臣(当時)の答弁から。
まず、164国会における小坂大臣の答弁のうち、教育基本法を改定する本音らしきものを述べているものを取り上げる。06年5月26日の衆院・教基法特別委において、小坂大臣は、以下のように答弁した。
「私ども、岩屋委員が御所属の教育基本法改正促進委員会の皆様のお考えにできるだけ近づくつもりで今回の法案の策定に当たってまいりました。(中略)教育基本法は、こういった御議論を踏まえた上で、今日我が国が抱える教育の上でのさまざまな課題、今さら申し上げるまでもないと思いますが、そういった課題について、新しい時代の教育の理念を明確にするとともに、これまでの教育基本法のすばらしい理念を継承しつつ、教育の構造改革、教育改革を抜本的に進めるための基本的な理念を明らかにするべく提出をさせていただいたものでございます」。
この小坂大臣の答弁から、教育基本法を全面的に改定するのは、「教育の構造改革」を抜本的にすすめるための基本理念を確立し、新自由主義的な教育改革を進行させるためであり、同時に、国家公認の伝統文化論(国定日本文化論)や「愛国心」「公共の精神」の育成など、教育基本法改正促進委員会の考えと同様、新保守主義的な教育改革を進めるためであったことが明らかになる。
ここでいう「新自由主義」、あるいは「新自由主義的教育改革」とは、財界の教育要求(エリートと非エリートの早期選別など)に従った教育政策を、トップダウン(上意下達の手法)で学校現場や自治体に徹底するという〈新たな国家統制システム〉の導入のことを意味しているが、これは、国家が、①教育目標や教育内容を法定すること、②その国家基準に基づき、全国学力テスト等によって、学校間競争や自治体間競争を組織すること、③その達成度や教育水準などを学校評価制度の導入によって点検・チェックすること、④その結果に応じて、予算配分を決定し、結果の悪い学校や自治体、あるいは教師に対し、法的措置を与えること等を含んでいる(詳しくは、雑誌『教育』07年4月号〔国土社〕の高橋哲〔さとし〕「新教育基本法と新自由主義教育改革の展開」参照)。そして、小坂大臣が「教育の構造改革を抜本的に進めるための基本理念を盛り込んだ」と答弁しているように、改悪教育基本法の中には、財界が期待するような〈新自由主義的な教育改革〉の仕組み(基本理念)が組み込まれているのである(改悪教基法第17条など、前掲・高橋哲論文参照)。また、「新保守主義」とは、個人の権利よりも共同体への義務や帰属意識、規律や規範意識を重視する考えのことであるが、「教育基本法改正促進委員会」が、「日本会議」や「民間教育臨調」の協力を得て作成した文献『教育激変』(明成社、06年4月29日刊)は、新保守主義に基づく教育論の典型である。そして、政府提出の改定案(=改悪教育基本法)は、「教育基本法改正促進委員会の考えに近づける発想」で作られていたのである。
小坂前文科相は、『日本教育新聞』07年元旦号に寄稿した小文の中で、改悪後の「教基法を生かし、教育の再生を」推進すべき、と論じている。つまり、小坂前文科相は、新自由主義と新保守主義という「新たな教育理念を盛り込んだ教育基本法は、教育の再生の大きな力になる」と力説しているのである。
(2)伊吹文科大臣の「談話」より。
安倍首相と伊吹文科大臣は、改悪教育基本法の成立直後に、それぞれ「談話」を発表している(06年12月15日)。このうち、文部科学省は、伊吹大臣の「談話」を、教育基本法全面改定の「趣旨」を示したものと位置づけている(文部科学省『初等教育資料』誌07年2月号など)。伊吹大臣は、この談話の中で、「個人の価値を尊重しつつ、その能力を伸ばし、志ある国民を育て、品性ある国民による品格ある国家・社会をつくるために、教育が重要であることはいつの時代も変わりありません」等と力説しながら、〈そうした教育にするために教育基本法を改正したのだ〉と説明している。この文面だけでは、少し分かりにくいかもしれないが、伊吹大臣は、2つの内容に言及しているのである。第一の内容は、改悪教育基本法が、1947年教育基本法における「能力に応ずる」教育という文面を改定し、「能力に応じた」教育という文面を採用しながら、能力主義的教育(差別選別の教育)を是認する仕組みを組み込んでいることと関わっている。つまり、改悪教育基本法が、従来の基本法における〈一人ひとりの子どもの「発達に応ずる教育」を、わけへだてなく平等に保障する〉という考え方を否定し、〈一人ひとりの子どもは、最初から、その能力に差があるのだから、その「能力(差)に応じた」教育を進めればよい〉という考え方に変更している問題である。いわゆる「できる子」には、その高い「能力に応じた」水準の教育を保障し、いわゆる「できない子」には、その低い「能力に応じた」、それなりの教育を保障すればよい、という考え方であるが、こうした考え方は、ごく少数のエリート育成を最優先する新自由主義的教育改革の前提にある能力観であり、子ども観・発達観である(能力別に差をつけながら、それぞれの「個人の価値を尊重」する考え)。そして、伊吹大臣は、改悪教育基本法に盛り込まれた能力主義教育(格差教育)を是認しているのである。第二に、伊吹大臣は、「志ある国民を育て、品性ある国民による品格ある国家・社会をつくるために、教育が重要」と論じているが、これは、「品格ある国家・社会」(=「美しい国・日本」)なるものの構築のために、一人ひとりの子ども、国民は、国家が望む〈資質〉を備えた「品性ある国民」(=道徳的な国民)にならなければならない、という発想である。つまり、伊吹大臣は、「品格ある国家・社会をつくるため」という理由を優先させながら、子どもの教育を考えているのであり、これは、明らかに新保守主義的な発想である。
なお、伊吹大臣における新保守主義的な発言は、07年段階でエスカレートしており、その本質が明らかになりつつある。例えば、『朝日新聞』は、06年2月25日付の記事の中で、「伊吹文部科学相は(2月)25日、長崎県長与町で開かれた自民党長与支部大会で、『大和民族が日本の国を統治してきたことは歴史的に間違いない事実。極めて同質的な国』と発言した。『教育再生の現状と展望』と題して約600人を前に講演し、昨年12月に改正された教育基本法に触れて『悠久の歴史の中で、日本は日本人がずっと治めてきた』とも語った。同法の前文に『公共の精神を尊び』という文言が加わったことについては、『日本がこれまで個人の立場を重視しすぎたため』と説明。人権をバターに例えて『栄養がある大切な食べ物だが、食べ過ぎれば日本社会は〈人権メタボリック症候群〉になる』と述べた」と報道している。伊吹大臣は、就任直後のインタビューにおいても「人権というのも個人の権利というのも大切なんだけれども、余り使い過ぎると権利メタボリック症候群になるので、家族あるいは会社、地域社会、そして日本の国の一員であるという公共の精神(が大切)」と主張し(「政府インターネットテレビ、大臣の本音=伊吹文明文部科学大臣」より)、教育基本法特別委員会でも同様の発言を繰り返していたのである。結局、伊吹大臣は、個人の権利や人権よりも、共同体への帰属意識、つまり、〈大和民族の一員としての自覚〉や〈日本人としての社会規範〉なるものを、なによりも重視している政治家なのであり、新保守主義的な考えの持ち主なのである。
ただし、伊吹大臣は、新自由主義的な「構造改革」を是認している政治家でもある。例えば、新自由主義的教育改革の典型的な施策で、安倍首相が提唱している「教育バウチャー制」について、伊吹大臣は「抗がん剤のようなもの」と発言している(「内外教育」06年10月16日付。教育バウチャー制とは、学校選択制の下、集まった生徒の数で予算配分を決定する、という利用券制度のこと)。伊吹大臣は、現代日本の教育現実を「がん患者」に例えながら、「バウチャー制度は、抗がん剤のようなものだと思います。がんにかかった人に抗がん剤を飲ますのは当然のことですが、副作用で死んだら困ります。副作用が強過ぎるのならば、(そのような方法は)取りません。副作用よりがんが治る可能性が高いなら取ります。文科省の職員には、『そのようなことはできません、と言わないように。検討して、副作用が強過ぎる時は、私が首相に話す』と言いました」と語っている(「内外教育」06年10月16日付、時事通信社)。結局、伊吹大臣は、なんの根拠を示すことなく、教育バウチャー制への移行(=新自由主義的教育改革)を「抗がん剤」治療として認定し、その「副作用の程度」のみを気にしているだけなのである。すでに、長野県上田市は、〈教育バウチャー制の導入〉を発表しているが(21世紀教育制度研究会のホームページ)、こうした先行的導入によって、伊吹大臣が言う「抗がん剤治療」(=教育バウチャー制)の〈効果〉と、〈副作用の程度〉が検証されようとしているのである。
(3)「違憲教育基本法」――改悪教育基本法の「違憲性」。
改悪教育基本法は、「違憲教育基本法」という言い方で表現されることがある。それは、改悪教育基本法の「違憲性」や「違憲の疑い」を重視した表現であり、改悪教育基本法が、現行憲法と相容れないものであることを端的に示す表現である。改悪教育基本法は、1947年教育基本法の前文にあった「憲法の理想の実現は、根本において教育の力にまつべきもの」という箇所を抹消し、「憲法の理想」と教育との関連を切断した。また、改悪教育基本法の前文には「日本国憲法の精神にのっとり」とあるものの、憲法学者の成嶋隆新潟大学教授が指摘しているように、「この文言も、現行憲法に『のっとる』趣旨であるかどうか定かでない。教基法の審議過程で、伊吹大臣が自民党新憲法草案との『整合性をチェックしている』という問題発言を行っていたように、法案作成者は、近い将来における憲法改正を見越し、改正後の『新憲法』に教基法が『のっとる』ことを想定しているともみられるのである」(成嶋隆「教育基本法『改正』の意味するもの」、『教育と医学』誌07年3月号)。こうした問題点をふまえ、改悪教育基本法の違憲性を3つの角度で整理することにする。
(その1)憲法26条が規定する公教育の原理に反する、違憲教育基本法。
日本国憲法の第26条は、「権利としての教育」を規定した条項であり、この条項をよく読めば明らかなように、〈子どもの普通教育への権利〉が明記されているのである。なぜなら、憲法26条第1項の「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」は、〈子どもの教育を受ける権利〉を含んでおり、憲法26条2項の「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ」は、子どもの立場で読みかえれば、〈子どもの普通教育を受ける権利〉となるからである。
そして、〈子どもの普通教育への権利〉とは、全ての子どもが、わけへだてなく平等に、だれもが持っている諸能力・諸機能の開花を保障してもらえる権利のことである。しかし、改悪教育基本法は、すでに指摘したように、能力主義的教育を是認する構造になっており、全ての〈子どもの普通教育への権利〉は、事実上否定されている。改悪教育基本法は、公教育についての憲法規定に反し、〈子どもの普通教育への権利〉を蔑ろにしているのである。子どもの成長発達権や学習する権利は、憲法13条の個人の尊重論や幸福追求権が子どもの権利でもあることからも導かれるものだが、改悪教育基本法は、こうした権利にも反した構造をもっている。このように、改悪教育基本法は、憲法で規定した公教育の原理を解体するものであり、その意味で「違憲教育基本法」といえるのである。
(その2)憲法19条(思想・良心の自由)に反する、違憲教育基本法。
日本国憲法の第19条は、内心における「思想・良心の自由」を保障している。思想・良心をすでに確立している大人にとって「思想・良心の自由」は、自らの思想・良心を保持する権利のことであり、大人と異なる子どもにとっては、「思想・良心を形成する自由」を意味している。この点、改悪教育基本法は、教師における「思想・良心の自由」も、子どもの「思想・良心を形成する自由」も、ともに侵害し蔑ろにしている。この問題に関わる点だが、与党検討会メンバーの泉信也議員は「米国や英国など国家への忠誠心を法にうたった国は多い。軍国主義、全体主義はいけないが、育った国を愛するのは自然な行為。ある程度、幼少から方向づけて育てる必要がある」等と述べている(泉信也議員のホームページ)。また、伊吹大臣は「自民党が(改正に当たって)考えていたことは、日本独自の社会規範を子どもに教え込むのを大切にしたいということ」と説明している(「内外教育」06年10月16日付。時事通信社)。このように、改悪教育基本法は、子どもの心を特定の価値観に向け「方向づける」という発想や、子どもの内面に「ある価値体系を教え込む(教化)」という発想で作られているのである。
改悪教基法第2条の「教育の目標」で掲げられた、特定の「愛国心」や「公共の精神」など、20以上の徳目をはじめ、国が考える「道徳的な価値体系を子どもに教え込む」ことは、子どもの「思想・良心を形成する自由」を侵害し、同時に、そうした「教え込み」を強制される教員の「思想・良心の自由」をも侵害するものである。こうした意味で、改悪教育基本法は、憲法19条(思想・良心の自由)に反する「違憲教育基本法」といえる。
(その3)憲法が要請する「教育の自由」に反する、違憲教育基本法。
日本国憲法は、第23条で「学問の自由」を保障しているが、この権利は、単に学者のものではなく、教師の「学問の自由」はもちろん、子どもの「学問の自由」をも含んでおり、子どもが〈自由な教育空間〉の中で、教師との間で「学び問い合う自由」を含んでいる(物事を探求する自由)。そして、そうした〈自由な教育空間〉の中ではじめて、子どもには、自らの「思想・良心を形成する自由」(憲法19条)が保障されるのであり、個人の尊厳と幸福追求権(憲法13条)に基づく人格形成の自由や普通教育への権利(憲法26条)も保障されるのである。こうして、日本国憲法の第13条や第19条、第23条や第26条は、学校教育における「教育の自由」(自由な教育空間)や「教育の自主性」を要請しているといえるのである。そして、1947年制定の教育基本法は、日本国憲法が要請する「教育の自由」や「教育の自主性」をそのまま擁護する法律であったのである(教育の自主性擁護法)。しかし、改悪教育基本法は、日本国憲法が要請する「教育の自由」や「教育の自主性」を蔑ろにし、教育の国家統制法としての性格を持った法律に変質しているのである。つまり、改悪教育基本法は、現行憲法が要請している「教育の自由」を侵害し蔑ろにしているのであり、その意味で「違憲教育基本法」なのである。
(4)改悪教育基本法第17条(教育振興基本計画)の危うさ。
改悪教育基本法の第17条(政府による教育振興基本計画の策定)問題にふれておきたい。改悪教育基本法の「第2条・教育の目標」を実現するために、「政府」は、「教育振興基本計画」を策定しようとしている。政府や地方における「教育振興基本計画」の策定によって、「第2条・教育の目標」の達成計画が決められてしまうため、その計画にそって、改悪教育基本法の「第6条・学校教育」に書かれているように、「法律に定める学校は、教育の目標が達成されるよう・・・体系的な教育が組織的に行われなければならな」くなるのである。
報道によれば、「教育の政策目標を定める『教育振興基本計画』について審議する中教審特別部会の初会合が(2月)21日開かれ、今年5―6月に中間報告をまとめ、7月以降に答申するスケジュールを決めた。答申後、文部科学省は今後5年間の具体的な目標を盛り込んだ基本計画を策定。2007年度中の閣議決定を目指す」ということである(日本経済新聞ネット版、07年3月6日)。この報道では「昨年成立した改正教育基本法は、政府に基本計画の策定と公表を義務付け、地方自治体も地域の実情に応じた計画策定に努めるよう求めている」という説明も付け加えている。改悪教育基本法第17条を読めば明らかだが、「教育振興基本計画」を策定する主体は、「文部科学省」ではなく、「政府」なのであり、上記の報道は、少し混乱した記述になっている。
いずれにしても、安倍内閣は、2007年度中に「教育振興基本計画」を策定しようとしている。この「教育振興基本計画」は、教育界を国家や地方教育行政機関が管理統制する計画であり、たいへん危険なものなのである。例えば、作家の堺屋太一氏(元経済企画庁長官)は、教育基本法改定案の第17条について、「教育(界)を管理するための教育計画で、教育基本法の改正の最大の目的は、ここにある」「あの法案には、教育計画が付いている。成立すれば、官僚によって教育が管理されることになる。そういう恐ろしいことが、何も国民に知らされていない」と述べていたようだが、たいへん的確な指摘である(「内外教育」06年12月1日号、時事通信社)。実際に、堺屋太一氏は、テレビ番組で、教育基本法改定の「一番のポイントは、国が教育の基本計画を作成し、実施するという17条にあるのであり、要するに官僚統制を強めようというところにある」 と発言をしている(TBS系列の「時事放談」06年11月19日放送)。堺屋氏は、「教育の官僚統制」と指摘しているが、その内実は、首相官邸主導に基づく「教育の国家統制」という点にある。つまり、首相官邸主導によるトップダウン型の政治が、改悪教育基本法の第17条を梃子(てこ)に、公教育の世界に導入されようとしているのである。
【五】安倍流「教育再生」改革の問題点。
次に、改悪教育基本法の“理念”に基づき、安倍内閣が進めている「教育再生」施策の問題点について、批判的に考察する。
(1)「教育行政の3重構造」と「政治家主導の時代」の到来。
安倍流「教育再生」改革問題に関わって、中央の教育行政の「3重構造」についてふれておきたい。これは、中教審委員の安彦忠彦(あびこ・ただひこ)早稲田大学教授が「政治家主導の時代―審議会制度の危機」という論文の中で指摘している問題である(『現代教育科学』誌07年2月号、明治図書)。安彦氏は、まず中央教育行政の「2重構造」について論じているが、同氏は「本来の行政府である8省庁の上に、もう一つの行政府として『内閣府』というものが置かれ、これによって専門省庁である文部科学省は、背後から種々の統制をうけ、自分の従来の行政方針とは異なることもやらされている」と指摘している。省庁再編制で、内閣機能が強化され、専門省庁の上部機関として「内閣府」が設置され、その下に設置された「経済財政諮問会議」が官邸主導の政治を主導しているのであり、安彦氏は「内閣府の権限の大きさは、一部の人から『戦前の内務省並み』の強さだと言われるほどのものである」と書いている。例えば、国の青少年育成行政も、省庁再編後は、「内閣府」を軸に進められており、内閣府は、文部科学省との関係よりも、国家公安委員会や法務省との関係を強めながら、国家の青少年育成施策(“学校の警察化”を含む少年法改悪の方向性など)を決めている。また、安彦氏が指摘しているように、「『教育特区』というものが内閣府の施策として、文部科学省の頭越しに行われて」いるが、この制度の下で、全国的には直ちにできないような「教育改革」(小中一貫校の設置、小学校での英語教育、NPOや株式会社が設立する学校の実現)が進められているのである。安彦氏は、こうした中央教育行政の2重構造が、教育再生会議の設置により、「いまや『3重構造』になった」と指摘する。つまり、安彦氏が指摘しているように、安倍内閣に設置された教育再生会議が「最上位に位置し、内閣府がその下にきて、さらに、その下に文部科学省がくるということになり、まさに『行政改革』の名のもとに、とくに教育行政については、本来の行政府である文部科学省は格段に権限を縮小されている」のである。そして、安彦氏は、「従来、遠慮がちな物腰で物を言っていた」政治家らが、教育の世界に堂々と介入しはじめている状況に警戒するよう、警告を発している。
なお、「文部科学省の権限の縮小」とは、文部科学省管轄の中教審が、その答申で「義務教育国庫負担制度の現状維持」を決めても(05年10月)、内閣府に設置された「規制改革・民間開放推進会議」の答申や与党合意(05年11月)が優先され、最終的に「義務教育国庫負担制度の見直し」(国の負担割合の削減)が決定してしまった事態にみられるように、国家権力内部における「権限の縮小」のことを指している。そして、1947年制定の教育基本法という「歯止め」がなくなったため、教育委員会や学校現場(教員)に対する文部科学省の統制権限は、「教育再生会議―内閣府―文部科学省」という形で肥大化している中央教育行政機関を背景に、格段に強化されるといえるのである。
(2)安倍首相の「美しい国・日本」とは何か?。
次に、安倍首相の国家観や教育観について考察する。安倍首相は、自らが主宰する教育再生会議の第1回の総会の場で、「美しい国・日本」づくりを論じ、そのための教育再生を力説し、次のように挨拶した。
「私は日本を美しい国にしていきたいと申し上げております。日本を活力とチャンスと優しさに満ちあふれ、世界に開かれた国にしていきたいと申し上げております。第1番目は、歴史、伝統、自然、文化を大切にする国であります。第2番目は、自由を基盤に規律を知る、凛とした国であります。第3番目は、成長するエネルギーを持ち続ける国であります。第4番目は、世界から信頼され、敬愛され、そして愛される、リーダーシップのある国であります。そういう国を目指していきたいと考えております。そうした国をつくっていくための基盤は教育になるわけであります。志ある国民を育て、品格ある国家、社会をつくっていかなければならないと考えている次第でございます。その中で、教育の再生は極めて重要な課題であると認識しております」。
安倍首相は、「美しい国・日本」について4つの角度で説明しているが、第一に、安倍氏がいう「歴史、伝統、自然、文化を大切にする国」とは、「日本の国柄」の「美しさ」なるものを優先的に強調する国家のことであり、第二に、「自由を基盤に規律を知る、凛とした国」とは、主に財界にとっての「自由を基盤」にしながら、同時に国家公認道徳で自らを律している「規律」正しい国民によって作られる、「凛とした国家」のことであり、第三に、「成長するエネルギーを持ち続ける国」とは、イノベーションを重視しながら、経済最優先で作る科学技術創造立国のことであり、第四に、「世界から信頼され、敬愛され、そして愛される、リーダーシップのある国」とは、超大国アメリカ中心の「世界から信頼される」、国際的な政治大国日本ことである(なお、安倍首相の「従軍慰安婦」問題での問題発言にみられるように、安倍首相には、中国や韓国など、日本が過去に侵略し、植民地支配したアジア諸国「から信頼され、敬愛される」ための政治姿勢が欠落している)。
以上のような安倍流「美しい国・日本」論や「教育の再生」策に対しては、財界関係者(新自由主義派)から、強い期待が表明されている。例えば、日本経団連の御手洗会長は、07年1月に「希望の国・日本」という財界の新ビジョンを発表しているが、このビジョンは、「教育の再生」を「『希望の国』の実現に向けた優先課題」としている。そして、御手洗会長は、安倍首相との対談の中で、「安倍総理率いる内閣は、構造改革路線を継承しておられ、経済界は大変心強く思っている」とし、財界が期待する「『希望の国』は、安倍総理の理想とされるところとベクトルがあっている」と述べている(対談「『美しい国』『希望の国』の実現めざして」『月刊・経済トレンド』07年1月号)。また、日本経団連の副会長で日本経団連教育問題委員会の委員長でもある草刈隆郎氏は、「安倍内閣が『教育の再生』を掲げ、教育再生会議を設置して取り組んでおられることに、産業界も大きな期待を寄せております」と書いている(草刈隆郎「本年を『教育改革の年』に」、『日本教育新聞』07年1月8日号、「教育バウチャー制」推進派として有名な草刈隆郎氏は、日本郵船株式会社取締役会長で、現在、政府の「規制改革会議」議長)。
一方、安倍流「美しい国・日本」論や「教育の再生」策に、新保守主義派も注目している。実際、安倍流「美しい国・日本」論や「教育の再生」策には、新保守主義的改革という側面がある(「週刊金曜日」編『安倍晋三の本性』参照)。例えば、安倍首相は、「凛とした美しい国・日本」と主張しているが、このような言い方は、安倍氏のオリジナルのものではなく、自民党の町村信孝元文科相が繰り返し強調し、『保守の論理―「凛として美しい日本」をつくる』という本にまとめていたものなのである。安倍氏の『美しい国へ』が刊行されたのち、町村氏は、「『凛として美しい日本』という本を昨年(05年)3月に出し、今年(06年)7月に『美しい国へ』という本が出た。半分タイトルを取られた」と述べている(町村信孝元文科相へのインタビュー「教員免許は十年更新に」、『ボイス』誌06年10月号)。そして、タイトルだけでなく、町村氏へのインタビューをおこなった産経新聞の記者も指摘しているように、「安倍さんの『美しい国へ』(文春新書)と、町村さんの『保守の論理―「凛として美しい日本」をつくる』(PHP研究所)を読み比べると、国家観、教育観がよく似ている」のである(『ボイス』誌06年10月号)。安倍氏と町村氏は、新保守主義に基づく「国家観、教育観」の持ち主という点で、たいへん類似しているといえる。さらにいえば、安倍著『美しい国へ』における「国家観、教育観」(例えば、「特攻隊員」論)は、日本教育再生機構の八木秀次理事長の「国家観、教育観」とも類似している(八木著『国民の思想』産経新聞社、05年3月刊)。そして、日本教育再生機構は、安倍流「教育の再生」策に対して、新保守主義派の側から、繰り返し圧力をかけているのである(八木著『公教育再生』PHP研究所、07年1月刊)。
安倍首相は、以前、自民党教科書議連(=日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会)の「事務局長」を務めていた政治家である(同議連『歴史教科書への疑問』展転社、1997年刊)。この自民党教科書議連は、中心役員が郵政改革のあおりで自民党を離脱していたため、その機能を停止していたが、昨年12月に、中山成彬元文科相を「会長」に据え、活動を再開している。中山氏は、〈「風格ある国家」をつくるためには、歴史教科書の「正常化」が必要〉等と主張している政治家である(前掲『歴史教科書への疑問』)。そして、中山元文科相は、06年10月に、自民党政調(政務調査会)に新設された「党教育再生特命委員会」の「委員長」にも就任し、安倍流「教育再生」策をバックアップしているのである。
(3)安倍流「教育再生」改革と、その問題点。
安倍首相の「教育再生」策について、町村信孝元文科相は、「21世紀教育新生プラン」との類似性を強調している(『ボイス』誌06年10月号)。確かに、安倍内閣の教育再生会議と「教育再生」路線は、森内閣の教育改革国民会議と、そのときの「教育新生」路線と類似した側面を多くもっており、前者は後者を引き継いでいるといえる(新自由主義派と新保守主義派が合流して作成した「教育改革国民会議」路線の継承)。しかし、安倍政権の「教育再生」策は、小泉政権の期間に検討された教育改革論を、直接の土台としているのである。
第一に、安倍内閣の「教育再生」策は、小泉内閣時代に、経済財政諮問会議などで検討された「新自由主義的教育改革の全体像」を土台にしているといえる。既に紹介しておいたように、小泉内閣時代に、経済財政諮問会議は、「学校評価システムを徹底し、全国学力テストの実施で学校間競争を促進すべき」、「多様な外部人材や学校設立主体を拡大すべき」、「学校選択制を全国的に導入し、教育バウチャー制へ移行すべき」との教育提言を行っている(05年6月1日)。また、小泉内閣は、内閣府に設置された「規制改革・民間開放推進会議」の答申をうけて、「規制改革・民間開放推進3ヵ年計画(再改定)」を閣議決定しているが(06年3月31日)、この中には、「全国的な学力調査の実施」「学校の質の向上を促す学校選択制の普及促進」「教員免許状を有しない者の採用選考の拡大」「指導力不足教員を教壇から退出させる仕組みの確立」「児童生徒、保護者の意向を反映させた教員評価制度・学校評価制度の確立」「教育バウチャー制度の研究」などの項目があるのである。さらに日本経団連は、06年4月に「義務教育改革についての提言」を発表しているが、この中で、「学校選択制の全国的導入」、「学校評価(教員評価を含む)の実施」、「教育の受け手の選択を反映した学校への予算配分の実現」(=教育バウチャー制の導入)を強調している。そして、経済財政諮問会議の提言や閣議決定、財界の提言などを土台に、安倍氏は、『美しい国へ』(06年7月刊)の中で、「教育再生」策を論じているのであり、国会や教育再生会議の場で、安倍流「教育再生」策を論じているのである。
第二に、安倍内閣の「教育再生」策は、小泉内閣時代に「青少年育成推進本部(本部長=小泉首相)」が、03年12月に策定した「青少年育成施策大綱」(概ね5ヵ年の計画)で明らかにした「新保守主義的教育改革の全体像」を土台にしているといえる。青少年育成施策大綱では、小中学校での「非行防止教室」の徹底を提言し、学童期と思春期の子ども達の「規範意識の醸成」施策の強化をうちだしている。このように、国の青少年育成行政の方針として、03年末から「規範意識の醸成」論が強調されていたのであり、それを受けて、安倍首相は「高い規範意識の育成」について力説しているのである。
こうした点をふまえ、安倍首相が、『美しい国へ』や国会の中で論じている「教育の再生」策の内容を確認し、それらについて少し分析しておく。
(ア)一つ目に、全国学力テスト体制と学校選択制の促進についてである。この点について、安倍氏は、『美しい国へ』の中で、「全国的学力調査を実施、その結果を公表すべきではないか。学力調査の結果が悪い学校には支援措置を講じ、それでも改善が見られない場合は、教員の入れ替えなどを強制的に行えるようにすべきだろう。学力テストには私学も参加させる。そうすれば、保護者に学校選択の指標を提供できる」としている(『美しい国へ』209~210頁)。このように、安倍首相は、全国学力テストの実施によって、子どもと学校を、さらに競争主義的な教育制度のもとにおき、そして、学校選択制を全国化しようとしているのである。実は、学力テスト体制と学校選択制がリンクし、結合すると、学校間格差が生じ、拡大することになってしまうのである。つまり、学校選択制の下で、学力テストの結果が良い学校に人気が集中し、逆に学力テストの結果が悪い学校は不人気になるのであり、そうした形で学校間の格差(ランク付)が生まれてしまうのである。これは、学校選択制と学力テストを導入している、東京の足立区や荒川区で、実際に生じている問題である。そして、東京・足立区では、公立学校間の格差が階層間格差(保護者の経済力格差)に連動する傾向も顕著になっているのである。安倍首相の「教育再生」策は、学力テスト体制によって学校選択制を促進する政策であるが、この「教育再生」策によって、東京都、とくに足立区のような事態が全国化してしまうのである。
(イ)二つ目に、「学校評価制度」の導入によって、学校教育を「統制」しようとしていることである。安倍首相は「学校同士が切磋琢磨して、質の高い教育を提供できるよう、外部評価を導入する」とも主張しているが(所信表明演説)、安倍氏のいう「学校同士の切磋琢磨」とは、学校間競争の促進のことである。また、安倍首相が言う「外部評価の導入」とは、保護者による評価なのではなく、「第三者評価」に関する機関が、学校に対する評価の基準をつくり、それを基準にして学校同士を競わせる、という「学校評価システム」の導入のことである。そして安倍氏は、「ぜひ実施したいと思っているのは、サッチャー改革がおこなったような学校評価制度の導入である」とし、「学力ばかりだけでなく、学校の管理運営、生徒指導の状況などを国の監督官が評価する仕組み」の実現について言及している(『美しい国へ』211頁)。さらに安倍氏は、「問題校には、文科相が教職員の入れ替えや、民営への移管を命じることができるようにする」とし、「そのためには、第三者機関(たとえば、『教育水準保障機構』というような名称のもの)を設立し、監査官は、そこで徹底的に訓練しなければならない。監査の事項は国会報告事項にすべきであろう」と書いている(『美しい国へ』211頁)。安倍氏は「教育水準保障機構」としているが、この名称は、イギリスにおける「教育水準局(OFSTED=オフステッド)」を参考にした表現である(オフステッド=OFSTEDは、「Office for Standards in Education」の略称のことで、「教育基準局」「教育査察局」「学校査察局」等とも訳される)。イギリスでは、「教育水準局(OFSTED)」という第三者機関の監査官(査察官)チームが、6年に一度の頻度で、全ての小中学校を訪問し、教育水準や他の評価項目についての点検を行う目的で、数日間にわたって査察に入るという制度がある(例えば、10名の監査官チームが5日間査察する形態)。そして、その査察に基づき、該当する学校に改善提言などをだす仕組みである。安倍氏の「教育水準保障機構」構想は、自民党と民主党の議員らで構成する英国教育調査団がとりまとめた報告書『教育正常化への道―サッチャー改革に学ぶ』(PHP研究所05年4月刊)に基づいたものである。この報告書には、「日本版『教育水準局』の創設を」という名称のレポートも収録されているが、安倍氏の「教育水準保障機構」構想は、「日本版教育水準局(オフステッド)」創設構想といえるのである(『教育正常化への道―サッチャー改革に学ぶ』は、英国教育調査団がとりまとめたものだが、安倍晋三氏も執筆者の一人になっている)。そして安倍氏の構想は、「教育水準保障機構」による学校評価に基づき、結果が悪い場合に、「教職員の入れ替えや、民営への移管を命じ」たり、「廃校」措置を決めたりする、というものなのである。少し補足しておきたい点だが、安倍著『美しい国へ』における「イギリスの教育水準局(OFSTED)」論には、不正確な記述が多く、イギリスの教育政策に詳しい教育学者が批判的に考察しているのである(沖清豪〔きよたけ〕「イギリス型学校評価の実像―OFSTED型システムは日本に導入可能か?」、雑誌『教育』07年4月号)。
(ウ)三つめに、教育改革の戦略についてである。安倍首相は、『美しい国へ』の中で「教育改革のための戦略」について論じ、「構造改革を実効あらしめるには、目標を設定し、実行し、評価し、それを次の目標に反映させる、というサイクルがしっかりしていなければならない。義務教育の構造改革は、まず国が目標を設定し、法律などの基盤を整備する。つぎに市町村と学校の権限を拡大して、実行可能にし、最後にその成果を検証する仕組みがあってはじめて完了する」としている(『美しい国へ』208頁)。安倍氏は、「義務教育の構造改革」という言葉を使っているが、「義務教育の構造改革」は、小泉内閣時代に打ち出された文教政策である。つまり、05年10月の、義務教育改革に関する中教審答申が「義務教育の構造改革」を打ち出していたのであり、小坂文科大臣(当時)も、「義務教育の構造改革」について論じ、05年10月の「中央教育審議会答申を踏まえ、国が明確な戦略に基づき目標を設定して、そのための確実な財源確保など基盤整備を行った上で、教育の実施面では、できる限り市区町村や学校の権限と責任を拡大する分権改革を進めるとともに、教育の結果について国が責任を持って検証を行い、義務教育の質の保証を図ってまいります」と説明していた(06年の年頭所感)。「義務教育の構造改革」は、大企業がコスト削減や製品開発などのマネジメントで援用している「PDCAサイクル」(=プランをたて〔Plan〕、それを実行させ〔Do〕、その結果を評価、点検・チェックし〔Check〕、それに基づき、方針全体を更新する〔Action〕というサイクル)を、教育戦略に応用したものである。そして、安倍氏の「教育改革」構想では、評価という〈事後チェック〉の結果に基づいた「更新(Action)」の中に、「教職員の入れ替え」等も含まれているのである。このように、義務教育における「PDCAサイクル」には、統制的側面がある。もちろん、安倍氏が言う「教職員の入れ替え」措置等が直ちに導入されるわけではないが、現在の文部科学省は、全国学力テスト体制と学校評価システムによって、義務教育課程の学校に、「PDCAサイクル」を持ち込もうとしているのである(義務教育の構造改革)。
(エ)四つ目に、「教育バウチャー制」(集めた生徒数によって予算配分する方式)についてである。この点、安倍氏は、『美しい国へ』の「第7章・教育の再生」の中で、「格差の再生」に対する「対策のひとつとして期待されるのは教育バウチャー制度である」とし、「バウチャーとは、英語でクーポン券のようなもののことを言う。アメリカでは、私立学校の学費を公費で補助する政策をスクール・バウチャーと呼ぶ。それによって保護者はお金をあるなしにかかわらず、わが子を私立にも公立にも行かせることができる」等と説明しながら、「教育バウチャー制度」の導入を提唱している(225~6頁)。安倍首相は、「格差の再生に対する対策」として「教育バウチャー制」を提唱しているが、「教育バウチャー制」の最大の問題点は、学校選択制が拡大し、学校間格差が増大してしまう点にある。「教育バウチャー制」は、学校選択制の下で、集めた生徒数によって予算配分する方式のことだが、この制度になると、義務教育課程の学校(公立学校、私立学校、NPOや企業が設立する多様な形態の学校)の間で、生徒獲得競争が展開され、その結果、「負け組」学校(生徒が集まらない学校)と「勝ち組」学校(生徒が集まりすぎる学校)に区分されてしまうのである。こうした中で、「教育バウチャー制」によって、学校の教職員の地位も大きく変わってしまう。つまり、教育学者が指摘しているように、「もし、バウチャー制が導入され、そして教員の人事権が学校長に移された場合、学校評価が低い=不人気ゆえに学校運営費が集まらないことも教員の責任とされ、これも処遇に直結される」ことになってしまうのである(小野方資〔まさよし〕「学校・教員評価と学力調査の統制的側面」、雑誌『教育』07年4月号)。
「教育バウチャー制」は、児童生徒一人一人にクーポン券(利用券)を背負わせる形で、「私立学校の学費を公費で補助する政策」であるが、この仕組みは、学校設置会社が設立する企業設立学校にも適用されるので、企業設立学校の学費を公費で補助することになる。その結果、「教育バウチャー制」によって、企業設立学校(学校設置会社が設立する学校)が、数多く登場することになるのである。実際、日本の「学校設置会社連盟」(05年10月創設)は、「教育バウチャー制度の提言書」をとりまとめており(06年10月)、教育バウチャー制への移行を強く期待しているのである(尚、05年12月に、下村博文衆院議員〔現・内閣官房副長官〕と鈴木寛参院議員〔民主党〕の2氏が、「学校設置会社連盟」の「顧問」に就任している)。
私たちは、安倍首相が提唱する「教育バウチャー制度」について、さらに批判的に考察していかなければならないが、結局、安倍首相は、「教育再生」改革によって「全国学力テストと教育バウチャー制度を組み合わせることにより、学校・教職員を国家戦略への奉仕競争に巻き込み、公教育を子どもと青年に『統治としての教育』(「21世紀日本の構想」懇談会)を施す場に変質させよう」としているのである(括弧内は、中嶋哲彦名古屋大学教授の指摘。『改定教育基本法―どう読み、どう向き合うか』〔かもがわ出版〕の5頁)。
(オ)五つ目に、教員対策と外部人材の拡大についてである。この点、安倍首相は「教員の質の確保」問題で、「教員免許の更新制度を導入するのも一つの方法」とし、「ダメ教師には辞めていただく」と強調しており(『美しい国へ』210頁)、現場教師に対する管理統制策を強化しようとしている。安倍首相は、いわゆる「教員評価」を徹底し、「努力するものには報い、資質に欠ける者は教壇から排除する」という賞罰制度を導入し、「優れた教員には昇給やボーナス増額、指導力不足教員には給与減額など、現場の教員評価を人事や給与などの処遇に反映させるよう促す」政策(自民党『国家戦略としての教育改革』06年6月)を進めようとしているのである。例えば、大阪府教育委員会は、「教員評価・育成システム」を導入し、今年度以降の教員評価の結果を、来年度の給与に反映することを決定しているが(『週刊金曜日』03年3月23日号、「教職員評価育成システムに反対する会」による記事)、安倍首相らは、こうした動きを全国化しようとしているのである。また、安倍氏は、「企業人など異分野の人材の中途採用も少しずつ進んできたが、もっと多様な人材が学校教育の場に参加すべき」とし、「学校という閉鎖的な空間に新しい空気が入ってくることで、競争が生まれ、教師の質の向上が促される」等と書いている(『美しい国へ』211頁)。結局、安倍氏は、公教育の世界に、「多様な人材」を入れることによって、教師間の「競争」を組織しようとているのである。
(カ)六つ目に、児童生徒の「規範意識の醸成」策についてである。安倍流「教育再生」策には、新自由主義的「改革」という側面だけではなく、新保守主義的「改革」の側面もある。つまり、安倍流「教育再生」策は、新自由主義によってもたらされる格差や心の荒廃に対する対応策として、道徳や規律の強化策(新保守主義的「改革」)も打ち出しているのである。実際に、安倍首相は、公教育の世界を「高い規範意識を身につける」ための空間に変えようとしており(所信表明演説)、同氏は、イギリスを例にあげながら「問題を起こす児童・生徒に対する教員のしつけの権限を法制化」する措置に言及し、「善悪のけじめをきちんとつけること、犯罪の芽を初期の段階で摘むことに重きをおく」施策に言及しているのである(『美しい国へ』205頁)。
(4)「教育再生会議第1次報告」について。
教育再生会議は、「第1次報告」書を1月24日に発表したが、この第1次報告は、安倍首相が『美しい国へ』や国会で提言していた「教育再生」策に沿ったものになった。首相官邸における「安倍首相のブレーン」である下村博文内閣官房副長官は、「日本教育新聞」紙から「教育再生会議第1次報告をどう評価するか」と聞かれた際に、「100点満点だと思う。精力的に有識者の方々に議論していただいて、よく提案をまとめていただいた」と語っている(「日本教育新聞」5629号)。結局、この報告書は〈安倍首相の「教育再生」策を「社会総がかり」で推進する〉と打ち出すものになったのである。
教育再生会議第1次報告の分析・批判は、安倍流「教育再生」策の分析・批判を基礎にすれば、そう難しいことではない。なぜなら、教育再生会議の第1次報告は、全体として、全国学力テスト体制による学校間競争の組織、学校選択制の促進、学校評価システムの実施という方向性をもっており、「バウチャー制度」という言葉もあるからである。こうした点をふまえ、以下、4つの角度で第1次報告の内容を批判的に考察することにする。
第1に、第1次報告が「『ゆとり教育』を見直し、学力を向上する」と打ち出している問題である。「『ゆとり教育』の見直し」は、中山成彬元文科相が、文部科学大臣として、打ち出していた見地であり、中山大臣(当時)は、「競争意識を涵養」するために「全国学力テスト」を実施する、と提言していた(04年11月)。教育再生会議第1次報告も「全国学力調査をスタートさせ、学力の把握、向上に生かす」としているが、この施策は、全国学力調査=テスト体制によって、国が教育内容を決定し、学校間、自治体間、教師間、子ども間における「競争」を促進させる方針であり、「学力向上」のための施策ではない。第1次報告は、「教育格差を絶対生じさせない」としている一方で、「伸びる子は伸ばし、理解に時間のかかる子には丁寧に」などとし、「習熟度別指導の拡充」について提言している。要するに、第1次報告は、実際には差別選別の能力主義教育(格差教育)を推進しようとしているのである(教育格差を絶対生じさせる文教政策)。そして、第1次報告は、「伸びる子」と「理解に時間のかかる子」とが、教えあったり、質問しあったりするような、助け合い学習(学力格差を解消する学習方法)には、全くふれていないのである。
第2に、第1次報告が、「教育システムの改革」として「第三者機関による厳格な外部評価・監査システムの導入」を打ち出している問題である。第1次報告は、「第三者機関(教育水準保障機関〔仮称〕)」としているが、これは、明らかにイギリスの「教育水準局(オフステッド)」を参考にした提言であり、安倍首相が『美しい国へ』の中で提言していた「教育水準保障機構」構想そのものである。「安倍首相のブレーン」である下村博文内閣官房副長官は、「水準を満たさない学校と不適格教師は退場してもらう」と語っているが(『中央公論』06年11月号)、〈ダメ学校やダメ教師、ダメ生徒は、教育の場から退場していただく〉という発想で、学校評価制度が使われようとしているのである(統制的性格を持った「学校評価制度」の導入論)。
第3に、第1次報告は、教員の向上策として、「メリハリのある給与体系で差をつける。昇進面での優遇、優秀教員の表彰」を行うとし、その一方で「不適格教員は教壇に立たせない」としている(統制的性格を持った「教員評価システム」の導入論)。また、第1次報告は、「学校の責任体制を確立」するために「副校長、主幹の新設」について提言している(学校教育法の改定)。これは、教師集団を分断し、統制する新たなシステムの導入策である。また、第1次報告は、「教員が、時代の変化や要請にあわせた能力や資質を確保するため」という理由をあげながら、「教員免許更新制度の導入」を打ち出している。これは、「免許の取り上げ」という脅しによって、国の要請に従う教員にしようとする施策であり、一人ひとりの現場教師を、国が期待する「あるべき教師像」の鋳型にはめこもうとする目論みである。本来、教員は、十分な休息時間も含め、真の「ゆとり」の中で、教師同士の交流や自主的な研修、そして様々な体験などを通して、子どもの見方や教授法、授業の仕方や教材研究の視点など、その資質や能力を向上させていく存在である。しかし、教育再生会議は、そうした本来の教員の成長過程を「中断」し、「統制」しようとしているのである。
第4に、第1次報告は、「規律ある教室」づくりを重視し、「いじめ対策」として「出席停止制度の活用」を打ち出している。また、第1次報告は、「すべての子どもに規範を教え、社会人としての基本を徹底する」としているが、これは、改悪教育基本法に基づき、「大人社会の価値体系を子どもに教え込む」という発想であり、第1次報告は、家庭において「保護者が、しっかり躾をする」という提言も行っている。「出席停止制度」については、06年5月に「国立教育政策研究所生徒指導研究センター」が、生徒徒指導体制の在り方に関する報告書をだしており、その中で、「出席停止制度の有効活用」など、青少年育成施策大綱に基づく「規範意識の醸成」策を提言していた(出席停止の対象は、対教師暴力、対生徒暴力、器物破損、いじめ行為、その他の重大行為を行った小中学生)。要するに、教育再生会議の議論の前に、すでに結論がでていたのである。教育再生会議の第1次報告は、「いじめている子には厳しく対処し、その行為の愚かさを認識させる」等と懲罰主義的な対応のみを打ち出しているが、これは、いじめの実態を踏まえない、極めて粗雑な提言である。例えば、千葉県松戸市の中学校において、生徒指導担当の教師ら4名が「いじめている子」ら8名の生徒に厳しく対処した結果、その中の一人の生徒が自殺してしまうという痛ましい事件もおきているが(07年2月1日)、いじめを克服するために厳しい対応をし、子どもを精神的に追い詰めるのではなく、声にならない子どもの声も含め、子どもが置かれている実情や子どもの思いに耳を傾ける姿勢こそが求められているのである。
以上、教育再生会議の第1次報告を分析すれば明らかになることだが、国の「教育再生」策によって、教師と子どもは、今以上に追い詰められることになってしまうのである。特に、子どもは、競争主義的な教育の世界の中でテスト漬けにされ(全国学力テスト、県テスト、市区町村のテスト、業者テスト、校内テスト)、その成長発達は大きくゆがめられることになる。そして、そうした過程に従わない子どもは、規律(=学校の権威)に従わない子どもであるとして懲罰を受けることになってしまうのである。
なお、教育再生会議は、教育委員会に対する国の権限強化についても提言しているので、この点について少し補足する。この点に関わって、教育再生会議の山谷えり子事務局長は、「教育委員会に関する地教行法(地方教育行政法)の改正では、文科相、総務相、規制改革担当相の3大臣にまたがる。スピード感を持って取り組むためには、政治のリーダーシップが必要になる。安倍総理の決断がなければ、法令化されない」と述べていた(「日本教育新聞」5638号)。また、07年3月10日の中教審は、教育委員会に対する国の是正指示権について多数意見として容認したものの、反対意見も併記する異例の答申をとりまとめている。そしてこの答申を受けた伊吹大臣も「安倍総理の最終決断」を求めていた(3月11日)。結局、「安倍晋三首相は(3月)12日、今国会に提出予定の教育改革関連3法案の焦点である教育委員会への国の権限強化について『生徒らの生命・身体の保護のため、緊急の必要がある場合』に限定して文部科学相が教委に『是正の指示』ができる規定を設ける方針を決めた」のである(『日本経済新聞』3月12日付)。このように、教育委員会「改革」(教育委員会への国の権限強化問題)では、最終的に、教育再生会議の主宰者である安倍首相の意思が貫徹するのである。そして、今回の事態の中で明白になったことは、首相官邸主導の「教育再生改革」という本質である。
(5)改悪教基法関連3法案(学校教育法、教免法、地教行法の改悪法案)について。
中央教育審議会は、07年3月10日に「教育基本法の改正を受けて緊急に必要とされる教育制度の改正について」を答申した。この答申で打ち出した方向性は、学校教育法、教員免許法、地教行法の改定(=改悪)によって、改悪教育基本法の「理念」の実質化を図ろうとするものである。そして、それらの改定内容(=改悪内容)は、安倍内閣に設置された「教育再生会議」の「第1次報告」で示されていたものばかりなのである。
まず、「学校教育法」の改悪案は、①改悪教基法第2条の「教育の目標(国定の徳目)」を、学校教育法に書き込む狙い、②「副校長、主管、及び指導教諭を置くことができる」とする狙い、③第三者機関による外部評価制度を含め、学校評価システムを導入しようとする狙い、等をもっている。次に、「教員免許法」の改悪案であるが、①教員免許更新制を導入する狙い、②不適格教員への人事管理を厳格化する狙い、等をもったものである。最後に、「地教行法」の改悪案であるが、この問題では、中教審答申をふまえ、安倍首相が政治判断した方向性を実質化する狙いがあるといえる。要するに、地方自治の理念に反し、地方教育委員会に対する国の権限を強化するという方向性である。
いずれも、安倍流「教育再生」改革を、改悪教基法に基づき、法的に具体化するものである。別の言い方をすれば、改悪教基法を受けた安倍流「教育再生」改革を進める上で、「緊急に必要とされる教育制度」の改悪が目指されているのである。
【六】改悪教基法と安倍流「教育改革」を乗り越える論理。
最後に、改悪教育基本法と安倍流「教育再生」策を乗り越えるための論理について、検討することにする。
(1)憲法と子どもの権利条約。
第1に、憲法と子どもの権利条約を法的な基礎や基盤にしながら、教育活動を展開することである。この問題では、「憲法」と「子どもの権利条約」とを区分して論じることにする。
<1>「日本国憲法の性格」と子どもの教育。
改悪教育基本法が、「違憲教育基本法」であることは、すでに論じたとおりだが、日本国憲法が存在する以上、改悪教育基本法は、基本法の上位に位置づく「憲法」の制約から逃れられない。
(ア)そもそも、日本国憲法は、どの子も持っている諸能力や諸機能(生命力)を、十全かつ調和的に発達させる「普通教育(憲法26条)」について定めているのであり、日本国憲法は、子どもの内部にある「人格」の「十全かつ調和的」な発達(=人格の完成)を志向しているのである(註)。そして、改悪教育基本法であっても、こうした〈教育における憲法原則〉を歪めることはできないのである。
(イ)また、日本国憲法の原理は、特定の道徳的な価値体系を一方的に子どもに教え込む教化システム(教育勅語体制)や国家による教育統制のような方式を否定し、自由を重んじるリベラルな発想と近代民主主義の精神に基づく教育のあり方を要請している。つまり、憲法制定を契機に、「子どもの内面に特定の道徳的な価値体系を直接的に教え込む営み」であった戦前教育は否定され、戦後教育は「子どもの内面的価値に関わる文化的営み」へと大転換したのであり、それを再度、逆転することなど、あってはならないのである。
(ウ)戦後直後の文部省は、「新憲法は単なる法律ではない、人間尊重の精神と民主主義の原則の上にたって、古い天皇制に変革を加え、主権在民を高唱し、戦争放棄を誓って、侵略主義、軍国主義の復活をおさえ、国際平和への道を明らかにしている」と説明し、同時に、憲法は、戦前とは異なる「新しい社会関係、人間関係の基礎となるべき多くの要素をもっている」と解説していた(文部省『解説・児童憲章』1951年)。このように、戦後直後の政府・文部省は、日本国憲法の制定によって、侵略主義、軍国主義の復活をおさえ、国際平和への道を明示しながら、戦争放棄の誓いを宣言すると共に、日本国憲法と憲法理念に基づく児童憲章を制定することによって、子どもの生命を蔑ろにし、国家の道具にした過去を深く反省し、子どもを真に大切にするような「新しい社会関係、人間関係」の構築を誓っていたのである(「戦争放棄の誓い」と「子どもを大切にする誓い」)。そして、こうした戦後の転機があったからこそ、庶民の中に「どの子も大切にするのが学校のはず」という素朴な感覚も生まれていったのである。
日本国憲法が持っている「新しい社会関係、人間関係の基礎となるべき多くの要素」の中には、教える者と学ぶ者、教える者同士や学ぶ者同士の「新しい社会関係、人間関係」も入っている。そして、憲法は、「個人の尊厳」原理(憲法13条)と共に、「人間尊重の精神と民主主義の原則」の上にたった〈教師―子ども関係〉等を提起しているのである。そして、以上のような憲法理念に基づく人間観に確信を持つことによって、教師は、子どもとの信頼関係や良き関係性をつくっていく日々の教育活動に確信を持つことも可能になる。そして、教育に関わる憲法原則が、改悪教育基本法の実質化に抗する論理にもなるのである。
―註の解説―
(註)=改悪教基法第5条は「普通教育」を定義づけているが、この定義づけは、「憲法=1947年教育基本法」体制における「普通教育」の概念を大きく歪曲している。つまり、「普通教育(憲法26条)」と「改悪教基法の普通教育」とは、全く異なっているのである。この点に関してだが、1947年刊の『教育基本法の解説』(国立書院)は、「普通教育とは、人たるものにはだれにも共通に且つ先天的に備えており、又これある故に人が人たることを得る精神的、肉体的諸機能を十分に、且つ調和的に発達させる目的の教育をいう」とし、「普通教育は、人たるものすべてに共通に必要な教育であり、人たるだれもが一様に享受しうるはずの教育」と定義づけている。しかし、「改悪教基法第5条の普通教育」は、第1に、能力主義的教育論を是認しており、第2に、新自由主義社会(=格差拡大社会)に求められる〈自己責任原則〉を重視しており、第3に、「国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養う」としている。
<2>「子どもの権利条約」と教育。
改悪教育基本法は、子どもの権利条約に反するものであり、「『子どもの権利条約』違反法」である。この点についてだが、子どもの権利問題に詳しいジャーナリストの木附千晶氏が「子どもの権利条約からみた『改正』教育基本法の問題点」という論考を書き(「子どもと教科書全国ネット21ニュース・52号」)、その中で「子どもの権利条約からみた『改正』教育基本法の最たる問題。それは『この法律どおりの教育が行われるようになれば、日本のあらゆる子どもたちが成長発達できなくなってしまう』ということだ」とし、「改正」教育基本法は、「子どもの成長発達に関する叡智が凝縮された子どもの権利条約」に「真っ向から対立」していると指摘している。また、山梨学院大学の福田雅章教授は「改悪教基法は子どもの権利条約とこんなに違う!」という表題の論文を発表している(「子どもの権利のための国連NGO=DCI日本支部」のホームページ)。福田教授は、「教育論の欠如」「教育の原点」「教育の目標」「教育の方法」「教育における子どもの地位」「教育の場の形成」「教育における家庭の役割」「教育における平等」「教育における地域の役割」という9つのテーマに沿って、改悪教育基本法と子どもの権利条約との相違点を対比している。例えば、福田教授は、「教育の原点」と「教育の方法」について、次のように指摘している。
○教育の原点=「改悪教基法では、国や社会の一定の目的に向けて、あたかも馬やライオンを都合良く仕込むように、『人を調教すること』が教育だとしています。これに対して子どもの権利条約では、教育を人間の尊厳をもった一人ひとりの子どもの成長発達へ向けての援助としてとらえ、その精神的・肉体的能力を最大限にまで引き出すことと考えています(6、29、12、5、28条)」「教育の原点を、外からの条件付け(教化)とみるか、それとも子どもの主体的な発達へ向けての援助(生命力の開花)とみるべきか、歴史や国際比較や人間行動科学に学びながら、日本国百年の計の中でしっかりと議論されなければなりません」。
○教育の方法=「改悪教基法と『子どもの権利条約』との決定的な違いは、教育目標を達成するための方法に関してです。改悪教基法は法律と競争と規律に基づいて教育すると言っています。言い換えると教育内容と達成度の基準を国が定め、それへ向けて子どもを競争させて選別序列化します。そのプロセスを邪魔する者は規律で排除され、成果の上がらない者は切り捨てられることになります。自己決定・自己責任に基づく競争原理と成果主義を用い、また道徳的規範を規律によって強制的に醸成しようとするものです。これに対して子どもの権利条約は、親や教師等子どもが成長発達の場で出会う身近な人との間に『安心と自信の持てる受容的な人間関係(居場所)』を形成し、そこに生まれる自己肯定感と共感能力を通して、人としての自律性と道徳性(人格)を培おうとするものです」(以下略)。
子どもの権利条約は、人類の英知を結集して創り上げた画期的な条約であり、私たちは、この条約によって〈改悪教育基本法を乗り越える視点〉を見出すことができる。例えば、子どもの権利条約第6条は、「(締約国は)子どもの生存及び発達を可能な最大限の範囲において確保する」としており、締約国が〈子どもの成長発達権を尊重すること〉を定めている。そして権利条約第12条において、子どもが自らの思いや願いを表に出し(感情的な表出や欲求表明も含む)、それら(子どもの声)を誠実に受け止めてもらう権利を定めている。この権利条約第12条は、通常、「意見表明権」と命名されている権利だが、その本質は、〈子どもが身近な大人との間で、よき人間関係を形成する権利〉という点にある。この点に関して、福田教授は「『意見表明』とは、きちんと言語化されたものだけ」ではなく、「言葉にならない態度や身体的症状も全て入る」と解説しているが(『週刊金曜日』07年2月9日号の福田雅章論文「教育再生会議第一次報告に隠されたわな」)、子どもの意見表明権(=子どもが自らの思いや願いを身近な大人に届ける権利)を保障することによって初めて、子どもの成長発達は保障され、子どもは豊かな子ども期を送れるようになれると言える。言い換えれば、子どもの権利条約第12条は、子どもが自らの成長発達を実現するための不可欠の権利を定めたものなのである。さらに、「子どもの教育」について定めた権利条約第29条は、「子どもの人格、才能並びに精神的及び身体的な能力をその可能な最大限度まで発達させること」としている。つまり、子どもの権利条約は、全ての子どもが人間としてトータルに発達していく過程を大切にし、その過程を援助する営みを「子どもの教育」としているのである。
ここで、「子どもの意見表明権」に関する事例の一つを紹介する。これは、「教育特区」で、小学2年生から英語教育を行っている都内の公立小学校における事例である。この小学校では、英語の授業をうけている小学2年生の多くが、授業の前になると、トイレに並んだり、おなかが痛くなったと訴えたり、言葉にならない声を発信しているという。そして、日本語を知らない外国人教師を迎えた授業で、日本語を一切使ってはならない中で、言葉を奪われた小学2年生の中には泣き出す子もいるというのである。そうした状況を見かねた担任教師は、その授業に入り込み、毎回、日本語を使えるようにすることによって、子ども達の「安心感や自信」、授業の中での「自由」を少しずつ取り戻している。要するに、この担任教師は、授業中に泣いてしまう子どもの存在をはじめ、子ども達の「言葉にならない態度や身体的症状」など、子どもの声に対して誠実に応答しているのである。これは、ほんの一例であるが、「上からの教育改革」に抗するために、声にならない子ども達の声も含め、子どもの思いや願いを大切にする見地が重要になっている。そして、子どもの声を大切にする視点によって、「上からの教育改革」の反教育性も明確になるのである。
子どもの権利条約の視点から言えば、学校で学んでいる子ども達に必要なのは、一人ひとりの子ども達が心の中で「安心感や自信」、そして「自由」を感じられるような人間関係である(信頼できる教師との良き関係性)。そして、今、日本の学校に求められているのは、安倍流「教育再生」策が示しているような〈競争やテスト勉強中心の教室〉や「規律ある教室」なのではなく、子どもにとって〈楽しく分かる授業〉なのであり、子どもにとって〈安心感や自信を持てる教室〉、そして〈自由な感覚が溢れる教室〉なのである。結局、安倍流「教育再生」改革に対決するために必要なことは、子どもの権利条約を学校生活に根づかせながら、子どもの成長発達に相応しい世界をつくっていくことなのである。
(2)1947年制定の教育基本法の「精神」――「教育の条理」。
改悪教育基本法と安倍流「教育再生」改革を乗り越える視点の2番目は、1947年制定の教育基本法の「精神」を現代に活かし、学校生活に根づかせていく、という視点である。別の言い方をすれば、1947年制定の教育基本法に込められた「教育の条理」を踏まえ、その条理や道理を現代教育に活かしていくという視点である。
1947年制定の教育基本法は、2006年12月に改悪されてしまったが、その明文改悪によって、1947年に制定された教育基本法の「精神」まで無くなってしまったわけではない。1947年制定の教育基本法の〈産みの親〉である南原繁元東大総長も、1950年代に「新しく定められた教育理念に、いささかの誤りもない。今後、いかなる反動の嵐の時代が訪れようとも、何人も教育基本法の精神を根本的に書き換えることはできないであろう。なぜならば、それは真理であり、これを否定するのは歴史の流れをせき止めようとするに等しい(からだ)」と書いていた(1955年、「日本における教育改革」『南原繁著作集・第8巻』岩波書店)。この論文において南原繁が「教育基本法の精神」という表現を使い、「何人も教育基本法の精神を根本的に書き換えることはできない」と強調していた点に着目しておきたいのである。
<1>〈学校は、全ての子ども達の「人格の完成をめざす」場所〉という「教育の条理」。
政府、文科省の責任者らは、改悪教育基本法の成立における「談話」の中で、「この度の教育基本法改正法では、これまでの教育基本法の普遍的な理念は大切にしながら(云々)」(安倍首相の改正法成立における談話)、「今回の改正法は、これまでの教育基本法が掲げてきた普遍的な理念を継承しつつ(云々)」(伊吹文科大臣の改正法成立における談話)としながらも、彼らは「これまでの教育基本法の普遍的な理念」の内容や中身を一度もまともに解説しようとしていない。しかし、私たちは、政府・文科省(改悪教育基本法勢力)が「これまでの教育基本法の普遍的な理念」を全面否定(完全否定)しきれていない点に注目する必要がある。そして、私たちは、改悪教育基本法勢力(政府・文科省)も、表向き全面否定(完全否定)できない「これまでの教育基本法の普遍的な理念」を高く掲げながら、そして「1947年制定の教育基本法に基づいた、これまでの教育活動」を引き継ぎつつ、前に進んでいく必要があるだろう。
「これまでの教育基本法の普遍的な理念」は、日本国憲法の施行と同時に、当時の高橋誠一郎文部大臣が発表した「教育基本法制定の要旨(昭和22年5月3日・文部省訓令第4号)」の中に凝縮した形で提示されているといえる。この文部省訓令第4号は、「この法律においては、教育が、何よりもまず人格の完成をめざして行われるべきものであることを宣言した」とし、「人格の完成とは、個人の価値と尊厳との認識に基き、人間の具えるあらゆる能力を、できる限り、しかも調和的に発展せしめることである」と定義づけている。そして、学校は、「個人の価値と尊厳との認識に基き、人間の具えるあらゆる能力を、できる限り、しかも調和的に発展せしめる」場であるとしたのである。「1947年制定の教育基本法」の正式英文によれば、「人格の完成」は、英文で「the full development of personality」と訳されているが、1947年制定の教育基本法は、〈学校が、全ての子どもの「人格の完成」の場(=人格の十全な開花)を保障する場所)である〉という「教育の条理」を示したのである(註1)。
こうした「教育の条理」から言えば、〈安倍流「教育改革」は、学校を「人格の完成」の場ではなく、競争と規律を徹底する場に変えようとしている〉と批判できるのであり、〈安倍流「教育改革」は、子どもの内にある「人格」の発達に対し、ダメージを与えてしまう教育改悪である〉と批判できるのである。そして、学校を〈全ての子ども達が「人格の完成をめざす」場所〉、つまり、学校を〈全ての子どもがトータルな成長発達を遂げる場所〉にしていく努力によって、安倍流「教育改革」を打ち破ることも可能になるのである(註2)。もちろん、現代日本で、子どもの人格形成にダメージを与えているのは、教育制度や教育環境だけではなく、養育(家庭)環境の問題状況や現代的な格差や貧困、社会病理の影響もあり、複雑である。そうした中で、少なくない現場教師は、様々な困難やストレスを背負った子ども達と向き合わなければならなくなっている。しかし、安倍流「教育改革」が具体化されてしまえば、さらに学校現場は混乱し、子ども達の人格形成は、極度に歪められてしまうだろう(子どもの人格破壊)。だからこそ、本来の「教育の条理」や「教育の原点」に立ち戻る必要があるのである。
―註の解説―
(註1)=改悪教育基本法第1条における「人格の完成」は、1947年の教育基本法における「人格の完成」と同じものなのか、それとも、改悪教育基本法第1条における「人格の完成」は、国家が求める「必要な資質を備えた国民の育成」と同じ概念なのか、少し不明瞭である。なぜなら、国会の「教育基本法に関する特別委員会」等に於ける政府答弁も、前者のような答弁もあれば、後者のような答弁もあるからである。改悪教育基本法の危険性を批判する見地からいえば、後者の理解が正しいように感じられる。そして、「人格の完成」の道徳主義的解釈(=「国家が望む人格」の「完成」論)に注意しなければならない。特に、改悪教基法第2条の「教育の目標(国定の徳目)」を達成することが「人格の完成」である、とする見地に警戒と批判を強めていなかければならない。ただ、改悪教育基本法勢力(政府・文科省)も、1947年の教育基本法における「人格の完成」理念を全面否定(完全否定)できなかったともいえるのである。
(註2)=愛知県犬山市教育委員会は、07年4月24日の「全国学力テスト」への不参加を表明しているが、犬山市教育委員の中嶋哲彦名古屋大学教授は、「犬山の教育は、人格の完成を目指し、自ら学ぶ力を人格形成の重要な要素と位置付ける。学校教育というものは学力向上だけに偏重して行われればよいというものではない。学校教育は人格の完成を目指すものであって、そこで獲得すべき学力は自ら学ぶ力でなければならない」としている(06年12月7日、衆議院・教基法特別委、参考人陳述)。犬山市教育委員会編『全国学力テストに参加しません―犬山市教育委員会の選択』(明石書店、07年3月刊)の広告チラシには、「習熟度別授業も学校選択制もとらず、学校に競争と格差を持ち込ませない。ここに公教育の希望がある」と書かれている。
<2>教育は「自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献する」営み。
改悪教育基本法は、1947年制定の教育基本法の「第2条・教育の方針」を全面的に削除しているが、この消された条項に「教育の条理」や「道理」が凝縮している。1947年教育基本法の「第2条・教育の方針」には「教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない」とある。特に、「自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない」という箇所が重要である。学校では、教師と子ども、教師同士、子ども同士とが「自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献」している。運動会や学芸会、合唱祭や文化祭はもちろん、各教科や特別活動も、人と人との共同によって進められる極めて「自主的、自律的な営み」である。つまり、「自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献」する教育の営みでは、この営みに参加する人々の「自主性」や「自律性」が何よりも尊重されなければならず、だからこそ、1947年の教育基本法を制定する過程において、「(教育の)目的を達成するためには、教育の自律性と学問の自由とを尊重し、現実との関連を考慮しつつ、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力とによって、文化の創造と発展とに貢献するように努めなければならない」という形で「教育の自律性」という言葉も置かれたのである(1946年1月案)。そして、「教育の自律性と学問の自由」という理念は、その後、第10条の制定過程に繋がっていき、例えば、「教育行政は、学問の自由と教育の自主性とを尊重し、教育の目的遂行に必要な諸条件の整備確立を目標として行わなければならない」という案も生まれるのである(1946年9月案)。このように、1947年に制定された教育基本法の「第2条・教育の方針」と「第10条・教育行政」は繋がっている。そして、「自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献」する教育を実現するために、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきもの」という規定も生まれるのである。
以上のように、〈教育は「自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献」する営み〉という理念は、「これまでの教育基本法の普遍的な理念」の一つであり、今後も大切にしていかなければならないものである。教育という営みにおいて、教師と子ども、教師同士、子ども同士の共同や父母と教師、父母同士の共同こそ大切なのであり、そうした「共同」によってこそ、改悪教育基本法の実質化に対峙し、対抗することも可能になるのである。
(3)学校現場の論理で「改悪教基法の実質化」を跳ね返す。
安倍内閣の教育再生会議の報告や議論は、学校現場を見下ろしたり、こき下ろしたりするものばかりであるが、それだけでなく、「ああしろこうしろ」と命令する姿勢で満ちている。例えば、3月15日の「NHKニュース」によると、「政府の教育再生会議は、14日夜、分科会を開き、いわゆる『ゆとり教育』を見直して授業時間数を今より10%増やすため、夏休みや春休みを1週間程度短縮するなどといった具体策の検討を進めることに」なったということであり、教育再生会議の「委員から、授業時間数を増やす具体策として、2学期制を推進して夏休みや春休みを1週間程度短縮すること、土曜日に補習を行うこと、小中学校で日によって7時間目の授業を導入することなどが示され、ことし5月の第2次報告に向けて検討を進めることに(なった)」ということである。学校現場や現場教師の声を聞くことなく、「授業時間数を今より10%増す」「夏休みや春休みを1週間程度短縮する」「2学期制を推進する」「小中学校で日によって7時間目の授業を導入する」など、いずれも身勝手な提案ばかりを行っている。これらの「改革」案は、学校現場を混乱させ、子どもと教師に負担を押し付けるものばかりである。
そして、こうした教育「改革」の問題点や虚妄性を、一番的確に指摘し、批判できるのは、現場教師であり、学校関係者である。つまり、安倍流「教育再生改革」に対し、具体的な事実や問題点を指摘できるのは、現場教師であり、学校関係者なのである。教育再生会議は、矢継ぎ早に「教育再生」改革案をだしているが、その一つ一つに対し、学校現場から批判の声を上げていくこと――そのことが今、極めて重要になっているのである。
【おわりに】戦後教育運動の歴史的教訓に学ぶ。
本「覚書き」では、次のような諸点について論じてきた。第1に、教育基本法改悪の起点として、教育改革国民会議最終報告をとりあげ、その背後にある政治的状況や経済社会的事情などを分析した(新自由主義と新国家主義〔新保守主義〕)。第2に、小泉政権の5年数ヶ月間に進展した、教育基本法改悪への道のりを整理し、簡単に振り返った。第3に、教育基本法改悪法案の「一字一句」を審議した「与党教育基本法改正に関する協議会(検討会)」について、その主要な審議経過を探索した。第4に、改悪教育基本法の構造を明らかにするために、国会審議における小坂大臣の「答弁」と、改悪教基法成立時点における伊吹大臣の「談話」について検討すると共に、改悪教育基本法の「違憲性」や改悪教基法第17条の「危険性」をとりあげた。第5に、安倍流「教育再生」改革の問題点を批判的に考察するため、安倍流「美しい国」論をとりあげ、その内容を考察すると共に、安倍流「教育改革」の背景や教育再生会議第1次報告の問題点を分析した。第6に、改悪教育基本法と安倍流「教育再生」改革を乗り越える論理について解明しようとした(憲法、子どもの権利条約、1947年教育基本法の「精神」、学校現場の論理)。以上のような諸点についての分析によって、改悪教育基本法の問題点や構造を多少明らかにできたと思う。
最後に、再度強調しておきたい点は、改悪教育基本法の実質化や押しつけに抗するという点である。この点を強調するのは、改悪教育基本法が実質化し、その法体系が完成し、関連する諸条件が整備されてしまうと、改悪教育基本法は、「国策教育基本法」(国策教育推進法)として実際に働きだしてしまうからである。また、学校教育法が改悪され、それに基づき学習指導要領が改定され、さらに、それらが具体化されると、改悪教育基本法は、「国家道徳強制法」として機能してしまうからである。
こうした状況の下で、戦後の教育運動史について振り返っておきたい。教育運動の戦後史を振り返れば明らかになることだが、教育運動の発展によって、国策教育として決定した文教政策を形骸化させてきた事例や歴史もあるからである。例えば、1958年の特設「道徳」の時には、勤務評定反対闘争との連動もあり、教育関係者や教育学者だけではなく、広範な市民、あるいは歴史学界や法曹界の人々も含め、特設「道徳」の提案やその強行につよく抗議する反対運動が高揚し、盛り上がった。そして、その結果、特設「道徳」は、その後、40数年間という長きにわたって、学校現場に深く浸透することはなかったのである。文部科学省は、特設「道徳」政策の不成功を教訓化し、2002年4月に国定教材「心のノート」を作成・配布し、「道徳教育の見直し」政策を具体化する。しかし、様々な抗議や批判が生まれたこともあり、この施策も、国の思惑どおりには成功していないのである。このような事例は、〈教育運動の発展があれば、国策教育政策や国策教育計画を形骸化させられる〉という歴史的な教訓を示している。
そして、今、私たちに求められているのは、私たちの地道な努力が織りなす「21世紀日本の教育運動」を強化し、大きく発展させていくことなのであり、そのことによって、改悪教育基本法とその反動的な実質化を許さないことである。多くの人々が認めるように、改悪教育基本法の成立に抗する反対運動は、かつてなく高揚した。この歴史的な教育運動を継承し、真に発展させることによって、改悪教育基本法の実質化を許さない力にできるのである。私たちは、「教育における自由と平等」を決してあきらめてはならないのであり、「戦争放棄の誓いを次世代に伝える平和教育」を続けていかなければならないのである。