2004年10月14日掲載
――自民党森派の教育基本法改正論を斬る
鈴村明(教育問題研究者)
(1)教育基本法「改正」法案の準備作業を本格的に開始
中山成彬(なりあき)文部科学大臣は、新閣僚就任の記者会見において(2004年9月27日)、"教育を根本に遡って変えるために、教育基本法改正法案の準備作業にとりくんでいく"と表明した。文部科学大臣が就任記者会見で教育基本法改正法案の準備作業に入ることを表明したのは、9月21日の「与党教育基本法改正に関する協議会」(座長は保利耕輔・自民党橋本派)で、「与党内で合意した内容から、文部科学省が同法改正案作成の準備作業に着手することを了承した」からである(公明党デイリーニュース)。
実際、文部科学省も、9月23日までに、教育基本法「改正」法案作成の「準備作業に入る」ことを明らかにし、来年の通常国会への法案提出をめざしている。このように教育基本法「改正」問題は、きわめて重大な局面をむかえている。そうした状況の中で、ここまま推移すれば、中山成彬(なりあき)新文部科学大臣は、教育基本法「改正」法案を提出する戦後初の文科相ということになる。そこで、中山成彬文部科学大臣とは、どのような教育観、教育基本法改正論の持ち主なのか、少し明らかにしておきたい。
(2)中山成彬(なりあき)氏は、森派=清和政策研究会の「政策委員長」
自民党森派の正式名称が「清和政策研究会」(清和会ないし清和研という略称)であることは有名である。実は、中山成彬文部科学大臣は、森派、すなわち清和政策研究会の政策委員長として「清和政策研究会の教育基本法改正提言」をまとめた中心人物(責任者)であったのである。
自民党の各派閥の中で、体系的な教育基本法改正のための提言を発表しているのは、おそらく森派(清和会)だけだと思われる。この清和会が、教育改革国民会議を前後して、自民党内の教育基本法「改正」動向に勢いをつけてきたといわれている。例えば、2002年1月30日に発足した「自民党教育基本法検討特命委員会」の最高顧問には、清和会の森喜朗会長が就任しており、そうした点からいって、自民党内でいえば、中曽根元首相(江藤亀井派)とともに、森派が教育基本法改正に並々ならぬ執念を燃やしつづけていることは明らかである(河村建夫前文科相は、中曽根元首相の流れをくむ亀井派)。
そして、2002年5月19日には、自民党森派として清和政策研究会著『人づくりは国の根幹です!―教育基本法改正へ5つの提言』という著作を出版する(中経出版。第1章「森喜朗氏の教育論」、第2章「清和政策研究会の教育基本法改正提言」、第3章から第8章は「森派の国会議員による各論」、長い「序文に代えて」と「跋文に代えて」が最初と最後にある)。自民党森派(清和会)は、この提言の中で「教育基本法の制定に当たって、GHQの圧力があったことは事実であり、そのため、教育基本法自体の文章も限りなく翻訳調になってしまっているのだ。これは、日本の風土と文化の上に立派な日本人を育てあげることを目的とすべき基本法として、不適切といわざるをえない」とし、「わが国を教育亡国としないために早急に教育基本法の抜本改正を」等と論じている(『人づくりは国の根幹です!』66、71頁)。そして、この提言集の序文にあたる「序文に代えて」を書いているのが、中山成彬清和政策研究会政策委員長だったのである。同書の「跋文に代えて」は、町村信孝元文部科学大臣が書いており、その中で町村氏は「今次教育改革の最大のポイントは、何といっても戦後まもなく制定された教育基本法の改正(というより新法の制定)であります」としていた。このように、自民党森派の教育基本法改正提言をまとめた中心人物は、教育改革国民会議のときに「森―町村ライン」と呼ばれ、教育基本法改正への流れをつくった町村信孝元文科相、そして森派の政策委員長の中山成彬氏(前・自民党副幹事長、自民党拉致問題対策本部事務総長)の2人だったのである。そして、第2次改造内閣(第3次小泉内閣)で中山成彬氏が文部科学大臣に就任し、町村信孝元文部科学大臣(森派)が外務大臣に就任したのである。なお、今回の改造内閣人事では、青少年健全育成事業を担当する法務大臣にも、自民党森派の人物が初入閣しており(南野知恵子氏)、これで、国内法になっている国連子どもの権利条約に関わる4つの省庁のうち、厚生労働省を除き、3つの省庁(外務、法務、文部)のトップが自民党森派で占められたことになる。
中山成彬氏は、先の提言集の「序文に代えて」において「清和研は、福田赳夫先生による創設以来、あまたの文部大臣を輩出し、日本の教育行政に深く関与してきました。いわば、日本の教育について最も責任をもたなければならないグループと自覚しております」と言及しているが、そうした清和政策研究会(森派)の政策委員長が、今度の改造内閣で、文部科学大臣として初入閣したわけである。清和政策研究会の会長は――近年、派閥の長が首相になった関係で――森氏(第4代会長)⇒小泉氏(第5代会長)⇒森氏(再任)へと代わっている。つまり、小泉首相は、首相になる前は、清和政策研究会の会長だったわけで、今度の人事で、小泉首相は、自らの出身派閥から、教育基本法「改正」のためのエース(森派の政策委員長)を文部科学大臣に就任させたといえる。
中山成彬(なりあき)氏は「序文に代えて」の中で「戦後50年の教育をめぐる環境を検証」する際に、「先の大東亜戦争は、日本にとって有史以来の敗戦であり、大きな衝撃」と表現しているが、こうした表現の登場にまず驚かされる。実は、中山成彬氏は、自民党内の「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の「副代表」に就任し(1997年11月)、同会が編集した論文集『歴史教科書への疑問-若手国会議員による歴史教科書問題の総括』(1997年、展転社)にも論文を寄稿しており、2004年1月には、同会の「座長」になっている人物であった。この「若手議員の会」は、「つくる会」と綿密に連携し、「つくる会」の活動を全面的にバックアップしてきたグループである(教科書ネットのHP。なお、この会の名称は、その後、「若手」という文字をとり、「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」となっている。同会は、代表―座長―副代表―幹事長、その他役員で構成)。また、中山成彬氏は、森氏が首相時代に「神の国」発言をした「神道政治連盟国会議員懇談会」のメンバーでもある。そして中山成彬氏は、自民党森派の政策委員長として、森氏が会長を務めている議員連盟(例えば、道徳に関する「モラロジー議員連盟」など)の多くに関与しているのではないか?と推察できる人物なのである。なお、中山成彬氏は、超党派でつくる「憲法調査委員会設置推進議員連盟」(憲法議連、中山太郎会長)のメンバーでもあり、改憲派の大臣であることは言うまでもない。
(3)中山成彬(なりあき)新文部科学大臣の教育論、教育基本法改正論
中山成彬氏の「序文に代えて」は「国家百年の大計として教育を考える」という表題のものであるが、同氏の教育論で現在入手できているものは、これだけなので、この論考をもとにしながら同氏の教育観を紹介し検討しておく。
①「今日の日本の混迷は、戦後教育に起因する」:中山成彬氏は、「私たち日本人は、21世紀という大きな時代の節目にあって、呆然と立ちすくんでいるかのように見えます」とし、「社会のあらゆる面において、停滞感や閉塞感に覆われて」おり、「モラルが低下し、犯罪が増加しており、社会の信頼感が失われつつある」と指摘した上で、「今日の日本の混迷は、これまでの教育に起因する」と断定する。こうした断定で、中山成彬氏は自民党中心の戦後政治が社会的危機の背景にあることを完全に隠蔽し、社会的危機の原因をすべて教育問題に押しつける。そして中山成彬氏は、アメリカやイギリスにおける近年の教育改革の動向を紹介しながら、日本における教育改革の推進を強調するのである。
②日本の過去、栄光の部分を語るべき:中山成彬氏は「戦後50年の教育の環境を検証」する際に、「大東亜戦争は、日本にとって有史以来の敗戦であり、大きな衝撃」とし、「戦後流行したマルクス主義史観や東京裁判の影響、GHQの占領政策もあって、日本では過去を語ること、特にその栄光の部分を語ることは、ともすれば『保守反動』として退けられてきました」と自虐史観を批判する。つまり、中山成彬氏の歴史教育論は、戦勝しつづけた日本の「過去を語ること、特にその栄光の部分を語る」ことが必要というものなのである。
③「教育勅語」は「日本人の精神的な拠り所」:中山成彬氏は、教育基本法の〈制定過程〉を著しく歪曲しているが、同氏は、原案にあったはずの「日本の伝統・文化」と「宗教教育」の尊重とがGHQに修正され、「日本人の精神的な拠り所として残るはずであった教育勅語」も「GHQの命令によって廃止されて」しまい、「戦前と戦後との大きな断層」ができてしまったと嘆いている(「序文に代えて」)。個々の問題は詳論できないが、「日本人の主体性と責任において制定された」教育基本法を、清和会(自民党森派)が「他から強制的に与えられたもの」と描きだしている点は、同法の制定過程史の歪曲である(『人づくりは国の根幹です!』68頁)。重大な点は、中山成彬氏が教育勅語について「日本人の精神的な拠り所」とし、それが戦後も「残るはずであった」としている事である。清和政策研究会の教育基本法改正提言にも、以下のようにある。「教育勅語が謳いあげている『目指すべき教育のあり方』が、けっして間違ったものでなかったことは明白であろう。むしろ、こうした指針がなくなったことが現在の教育の荒廃を生む一因となったと理解いただけるのではないだろうか。だからこそ、私たちは、『かつての教育勅語に相当する教育理念の制定を目指すべきではないか』と提案する」(『人づくりは国の根幹です!』78頁)。清和政策研究会の教育基本法改正提言集には、巻末資料として、〔教育勅語とその現代語訳→教育基本法→教育改革国民会議からの会議報告〕の3つが特別に収録されており、清和会が〈第3の教育改革〉に執念をもっていることが明らかになる。
④「戦後導入された民主主義」への批判:中山成彬氏は「戦後導入された民主主義」への批判を展開し、「自由と権利のみが声高に主張され、その裏にある責任や義務が軽視されてきました」とし、「欧米の一神教下で自律心に裏打ちされた個人主義は、宗教的な土壌の異なる日本では、『自分だけ良ければいい』という利己主義に堕落してしまっています」と断定する(「序文に代えて」。なお、中山氏が論じている「個人主義」と「宗教的土壌」についての見解は、『心のノート』作成協力者会議の河合隼雄座長の考えと酷似している。『心のノート』は「責任や義務」を一面的に強調しており、公徳心を学ぶページには「自分だけが良ければいい-そんな人が多くなったと思いませんか?」と大きく書かれているが、これも利己主義に堕落した現状を克服するためなのである。そして、『心のノート』は、人権や民主主義の観点を事実上否定しているのである)。
⑤日本の教育を歪めてきたのは、戦後の教職員組合運動:中山成彬氏は、日本の教育を歪めてきた原因を戦後の教職員組合運動に求めており、次のように書く。「戦後の教育界にあっては、マルクス主義の影響を受けた労働運動の一環として日教組が大きな影響を与え、日本の教育を歪めてきました。今の子供たちに問題があるのはその親に原因があり、その親を教えた教師の責任が大きいのではないかといわれるゆえんです」(「序文に代えて」)このように、教育荒廃の原因を教育労働者の責任に求めているのが清和会の主張であり、こうした中山成彬氏の言説は、同書に収録されている森喜朗氏の教育論とそっくりである。
⑥「もっと競争原理を導入すべき」:中山成彬氏は「教育にはもっと地域性と多様性があっても良いし、もっと競争原理を導入すべきではないかと考えています」と明言する(「序文に代えて」)。同氏は「今、学校生活では競争することを罪悪視する風潮がありますが、社会に出ると激しい競争にさらされます」とし、「子供たちがその格差に戸惑い、新卒者に出勤拒否や離職者が急増しています」とした上で、「小さい頃から自分を磨くことのすばらしさ、秀でることへの憧憬の念を持つように教えることが必要」と論じている(「序文に代えて」)。つまり、教育をもっと多様化し、差別選別教育をもっとすすめ、子ども時代に「激しい競争」に耐えられる準備をさせ、エリートになることへの「憧憬の念」を持つようにすべき、という教育論である。実際、中山成彬氏は、新旧文科相の引き継ぎで、大競争時代の教育の在り方について強調し、「もっと教育にも競争原理を」と挨拶しており、例えば、次のように報道されている。「9月28日の新旧文科相の引き継ぎ後、幹部職員を前に経済、厚生労働分野などの行政経験を踏まえ『もっと教育にも競争原理を入れるべき。時代の変化が激しく、国際競争力が必要な時代。切磋琢磨(せっさたくま)してやっていくことが大事』などとあいさつした」(日本教育新聞社のホームページ)。
⑦「日本人としての自信と誇り」を「身につけさせる」:中山成彬氏は、今の日本人は、「日本人としての自信と矜持(きょうじ)、民族の誇りを失った国民になってしまっています」と嘆きつつ、「民族としての同一性や団結心」を育む「伝統や文化」の継承を重視する。そして「先人たちの生き方、考え方を参考にしながら、これからの子供たちに日本人としてのアイデンティティー、目指すべき日本人像というものをしっかり身につけさせなければならない」と強調する(「序文に代えて」)。実際、清和会(森派)の教育基本法改正提言では、「現行の教育基本法には、『民族の文化・伝統の継承』という視点が欠落している」としながら、個人の命を超えた民族の命という日本古来の伝統文化を学ぶべきだとする見地を強く押し出している。そして新しい教育基本法では、「日本社会に脈々と流れる命の尊さを謳おう」と提案する(『人づくりは国の根幹です!』78頁)。この点、中山成彬氏の場合も、「自分に命の流れをつないでくれた先祖に感謝する気持ちを教えなければならない」と報恩感謝の精神をたいへん重視している(「序文に代えて」。なお、『心のノート』を編集担当した押谷由夫元文科省教科調査官は、「ありがとう」という「感謝の心」について「我が国の先人たちの生き方」と説明、報恩感謝について論じているが、『心のノート』は、そうした「先人たちの生き方、考え方」等〈日本の心〉を大変重視している道徳教材である)。
⑧「愛国心という言葉でいい」「宗教教育がおろそかにされてきた」:中山成彬氏は「9月28日、報道各社のインタビューで、教育基本法改正案にどう盛り込むかが与党間で焦点となっている『愛国心』に関する記述について『愛国心という言葉でいいと個人的には思う。(だが、)国を愛する心と愛国心は同じだ。そういう理解になればいいし、その方向で進んでもらいたい』と述べ『国を愛する心』などの表現が適当だとの考えを示した」と報道されている(共同通信)。同じく、教育基本法改正問題で焦点となる「宗教教育」について、中山成彬氏は、「序文に代えて」の中で、「宗教教育がおろそかにされてきたために、日本人には、世界において、個人の人生において、宗教がどういう重みを持つかが理解できにくくなっています」と書いており、同氏が"宗教教育を重視すべき"という教育観の持ち主であることも明白になる。
⑨「家庭、地域、学校、社会」の連携を強調:今日の「教育改革」では、「学校、家庭、地域社会」の連携・融合が強調されているが(学社連携、学社融合)、これは、国や県が期待するような一面的な教育観=青少年健全育成事業で、子どもと教師を文字どおり囲い込んでいき、自主的な子育て運動を排除し、学校現場における〈教育の自主性〉を奪っていく大変危険な動きである(例えば、石原都政の「心の東京革命」や長崎県の「ココロ根っこ運動」等)。中山成彬氏は、こうした動きを推進していくことにもふれている。同氏は「新しい世紀を迎え、低迷する日本の再生のために、日本の人づくりの基本になる教育基本法について考え、学校週5日制の導入を好機として、家庭、地域、学校、社会等の教育環境について広く国民的議論が巻き起こることを期待」としている。これは、森内閣時の「教育改革国民会議」最終報告を指針にした〈草の根保守の教育改革運動〉を下から大きく展開していこうという提案につながる言説で、清和会の教育基本法改正提言では、「『教育改革国民運動』の推進を提案したい」と書かれている(『人づくりは国の根幹です!』88頁)。そして、清和会は、「憲法改正も視野に入れつつ、国民レベルの幅広い議論の中に教育基本法改正を積極果敢に推し進めるべき」と強調するのである(前掲書、86頁)。
以上、中山成彬(なりあき)文部科学大臣の教育論、教育基本法改正論について、いくつか問題点をあげてきたが、こうした考察をすすめる中で、中山成彬文部科学大臣が、歴代の文部(科学)大臣の中でも、極めて危ない文部科学大臣の一人であることが明らかになった。河村建夫前文部科学大臣の場合も、教育基本法改正に執念をもやす〈危ない文科相〉であったが、今度の中山成彬文部科学大臣は、前大臣以上に〈危ない文科相〉だといえるのである(2004年10月5日)。
2004年10月24日掲載
2004年10月18日 鈴村明
「中山成彬文科相の正体」を執筆・投稿したのち、中山成彬(なりあき)氏についての新しい資料を入手した。その資料を少し紹介しつつ、中山成彬文科相の正体をさらに明らかにしておきたい。
(1)「自虐史観に貫かれた今の歴史教科書を一日も早く改定する」
既に指摘しておいたように、中山成彬氏は「戦後50年の教育の環境を検証」する際に、「大東亜戦争は、日本にとって有史以来の敗戦であり、大きな衝撃」という“驚くべき理解”を示しながら、「戦後流行したマルクス主義史観や東京裁判の影響、GHQの占領政策もあって、日本では過去を語ること、特にその栄光の部分を語ることは、ともすれば『保守反動』として退けられてきました」と自虐史観を批判している(中山「国家百年の大計として教育を考える」)。そして、中山成彬氏は、戦勝しつづけた日本の「過去を語ること、特にその栄光の部分を語る」ことが必要と強調する(中山前掲論文)。中山成彬氏は、自民党内につくられた「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の「座長」(№2)という役職に今年1月についており、この会ができた1997年の時点では、論文集『歴史教科書への疑問』(展転社)に論考「歴史教科書改定は国家百年の計」を寄稿している。この論考を入手することができたので、その結論部分を紹介しておく。中山成彬氏は、その論考で次のように書く。
「どこの国の教科書をみても、祖国をつくり、祖国を護った英雄達の話はいっぱい出ているが、祖先が悪いことばかりしてきたということを教えている国はない。(中略)日本民族としての自覚と素晴らしい祖先を持ったという誇り、そして世界のために貢献したいという高い志を持った青少年を育てなければならないが、そのためには、自虐史観に貫かれた今の歴史教科書を一日も早く改定することが国家百年の計として必要であると考える」(『歴史教科書への疑問』展転社、489―490頁)
中山成彬氏ら「議員の会」が歴史教科書問題で特に問題にしているのは、「従軍慰安婦」の記述であり、中山氏も、「いわゆる『従軍慰安婦』が、今年(=1997年)から中学校の教科書に載り、今全国の中学生に教えられていると思うと、いたたまれない気持ちになる」と書いている(『歴史教科書への疑問』488頁、括弧内の西暦は引用者)。そして、日本の歴史教科書は「祖先が悪いことばかりしてきたということを教えている」教科書であり、そうした「自虐史観に貫かれた今の歴史教科書を一日も早く改定すること」が必要と中山成彬氏は考え、行動してきたのである。中山成彬氏が今年1月に「座長」に就任した「議員の会」は、1997年11月に「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」という名称で、自民党所属の国会議員107名が参加する議員連盟として発足した会だが、当初より、侵略戦争と植民地支配を賛美する「新しい歴史教科書をつくる会」と綿密に連携しながら、「つくる会」運動をバックアップしてきた団体である(教科書ネットの俵義文氏のホームページ)。新しく文部科学大臣に就任した中山成彬氏は、「若手議員の会」発足時から同会の「副代表」になっていた人物である(今年1月に「座長」に昇格)。前文部科学大臣の河村建夫氏の場合、同会発足時に「オブザーバー(勉強会参加者)」にすぎなかったことを考えると、今度の中山成彬文部科学大臣の方が、格段に危険度の高い人物だといえるのである。
(2)「教育勅語の精神を子どもたちがわかればすばらしい社会ができる」
中山成彬氏(清和政策研究会政策委員長)は、2002年4月21日に清和政策研究会(=自民党森派)が主催した「教育問題全国タウンミーティングin大阪」において、「教育基本法の改正について」と題する「問題提起」をおこなっている。そして、その中で中山成彬氏は「私は、政策委員長を拝命しており」ます、と自己紹介した上で、「『教育基本法を改正したい』というのが皆様方への提言です。5つの問題があります」と語っている。この発言によって、“中山成彬氏が清和政策研究会著『人づくりは国の根幹です!教育基本法改正へ5つの提言』の作成・編集に深く関与していた中心人物であること”が裏づけられた。
また、清和政策研究会著『人づくりは国の根幹です!』には、「巻末資料」のトップに「教育勅語とその口語訳」が入っているが、この点について、中山成彬氏は次のように語っている。
「『教育勅語』は、昭和22年に『教育基本法』が制定されたときも、引き続き存続すると考えられてきました。精神的なもの、人間の内面にかかわるものについては、『教育勅語』にゆだねるとなっていたのですが、GHQの命令によって昭和23年に廃止されてしまったのです。教育勅語を読み返してみましたが、『古めかしい』『天皇の』ということでこれまで遠ざけてきましたが、本当にすばらしいことが書かれています。今度、出版される本に口語訳も載せていますので、ぜひ読んでいただきたい。このことを子どもたちがわかればすばらしい社会ができるのではないかと思います」(「ヤフー」サイト:「清和政策研究会主催:教育問題全国タウンミーティングin大阪」の記録より)
中山成彬氏が描く〈教育基本法と教育勅語との関係〉論は、「世界平和教授アカデミー」に関与している杉原誠四郎武蔵野大学教授(『教育基本法の成立―「人格の完成」をめぐって』文化書房博文社などの著者)や「新しい歴史教科書をつくる会」副会長の高橋史朗明星大学教授らごく一部の「教育学者」が論じている見地であり、教育基本法の制定過程史を歪める謬論(びゅうろん)である。教育基本法が制定された後の約一年間、「教育勅語」問題が未清算の時期があったことは確かだが、1948年の衆参両院において、日本人の主体性と責任において、「教育勅語」問題は完全に清算されたのである。例えば、当時の文部省調査普及局が編集した『日本における教育改革の進展(文部時報、臨時特集号)』(1951年)には、次にように書かれている(同書7頁)。
「教育基本法は、・・全く新しい形式と手続きにおいて、教育勅語に代って日本教育の根源を明示する地位を持つに至った。そして、この事実を国家的に確認し、疑いの余地を残させないために、さらに1948年6月、衆参両議院において『教育勅語等の効力排除(失効確認)に関する決議』が決定された。政府は、この決議に基き、学校等に死蔵されていた教育勅語の返還措置をとり、この教育勅語に関する問題は、教育上、こうして完全に終結するに至ったのである」
結局、中山成彬氏ら自民党森派の人々には、「教育勅語等の効力排除(失効確認)決議」がたいへん気にくわないのであり、中山氏ら自民党森派の人々は、この決議によって今日の教育荒廃がもたらされたと考えるのである。実際、中山成彬氏が中心になってまとめた「自民党森派の教育基本法改正提言」には、以下のように書かれている。
「教育勅語が謳いあげている『目指すべき教育のあり方』が、けっして間違ったものでなかったことは明白であろう。むしろ、こうした指針がなくなったことが現在の教育の荒廃を生む一因となったと理解いただけるのではないだろうか。だからこそ、私たちは、『かつての教育勅語に相当する教育理念の制定を目指すべきではないか』と提案する」(『人づくりは国の根幹です!』78頁)。
重大な点は、教育基本法「改正」法案の準備作業を開始した文部科学省のトップ・文部科学大臣に、教育勅語を礼賛する中山成彬氏(自民党森派=清和政策研究会の政策委員長)が就任しているということなのである。前文部科学大臣の河村建夫氏も、教育基本法「改正」について「平成の教育勅語を念頭において議論したい」と本音を語っていたが(1999年8月自民党教育改革実施本部での発言)、そうした“時代逆行の姿勢”を引き継ぎつつ、新しい中山成彬文部科学大臣は、21世紀版の「教育勅語を子どもたちがわかればすばらしい社会ができる」と内心で思いながら、教育基本法「改正」法案を準備しているのである。
こうした現代日本における民主主義の重大な危機を、広範な国民に早急に知らせながら、教育基本法「改正」法案の上程を阻止するため、あらゆる取り組みをすすめることが緊急に求められている。
〈平和と平等〉、そして〈自主的・自発的精神の尊重〉という教育理念の下で、21世紀の子どもたちが育っていってこそ、初めて「すばらしい社会」が生まれうるのであり、それは現行の教育基本法を生かしていく道なのである。逆に、教育基本法「改正」の先にあるのは、〈平和と平等〉の教育理念を投げ捨てた〈戦争と差別〉が支配する世界であり、〈自主的・自発的な服従〉が求められる“心の管理社会”にほかならないのである。現行の教育基本法を「改正」してはならない。
《資料》
※:「清和政策研究会の教育基本法改正提言」の骨子(清和政策研究会著『人づくりは国の根幹です!教育基本法改正へ5つの提言』中経出版)
◇改正されたことのない教育基本法と荒廃のすすむ日本の教育問題
◇わが国を教育亡国にしないために早急に教育基本法の抜本改正を
◇教育基本法制定過程に行われたGHQの関与を問う
◇中曽根内閣から森内閣、そして小泉内閣へと受け継がれた教育改革の思い
◇教育基本法改正へ向けて清和政策研究会の5つの方針
一、新しい教育理念の制定をめざそう
二、日本社会に脈々と流れる命の尊さを謳おう
三、生涯を通じ人生の目的が持てる教育を創出しよう
四、情報化、グローバル化等の時代潮流に対応しよう
五、世界から信頼され尊敬される日本人を育成しよう
◇ 憲法改正も視野に入れた教育基本法改正論議を国民レベルで
◇ 自分たちの時代の、自分たちの教育基本法を、今こそ、私たちの手でつくりあげよう
※:「中山成彬氏の教育論、教育基本法改正論」を知る上での文献
①「歴史教科書改定は国家百年の計」(日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会編『歴史教科書への疑問』展転社に収録、1997年)
②「教育基本法の改正について」(「ヤフー」サイト:「清和政策研究会主催・教育問題全国タウンミーティングin大阪」の記録より、2002年4月)
③「国家百年の大計として教育を考える」(清和政策研究会著『人づくりは国の根幹です!教育基本法改正へ5つの提言』中経出版、2002年5月)
なお、③の文献は、「日本の教育改革」有識者懇談会(民間教育臨調)のホームページにある「新文部科学大臣中山成彬氏の人物像」のうち、「人物像」の部分をクリックすると、その全文を読むことができる。教育基本法「改正」勢力である「民間教育臨調」が、「文部科学大臣の人物像」を取り上げるのは初めてのことである(2004年10月18日)。
以 上、
2004年12月19日掲載
2004年12月15日 鈴村明
(1) 次期通常国会に教育基本法「改正」案が上程される危険性
中山文科相は、就任直後から"教育基本法改正法案を来年の通常国会に上程したい"と繰り返し発言しています。例えば、2004年11月30日の定例記者会見で、中山文科相は「私といたしましては、できるだけ早く国会に提出できるような段取りになればいいと考えております」とし、「教育基本法の改正法案が国会に提出され、そして成立すれば、中央教育審議会の審議のほうも加速されるのではないかと考えています」と回答しています。
中山文科相は、「神の国」発言をした森喜朗前首相が会長を務める清和政策研究会(自民党森派)の政策委員長として、教育基本法改正という至上命令をうけて文部行政のトップになっている人物であり、実際に改正法案が上程される危険性が高まっています。すでに、政府提案の法案作成に関与する内閣法制局も動きだし、文部科学省が、改正にむけての「中間報告」を発表している与党教育基本法改正に関する検討会(保利耕輔座長)のもとで、「19条建ての新法案」の検討を開始しているといわれています。政府提案として教育基本法改正法案がだされた場合、その所管省の責任者が中山文科相になるわけです。
また、自民党と民主党の有志議員が結成した超党派改正議連(=教育基本法改正促進委員会。最高顧問は、自民・森喜朗前首相と民主・西岡武夫元文相)は、民間教育臨調(「日本の教育改革」有識者懇談会)と共同して、11月29日に冊子『新教育基本法の提唱』(全52頁)を発行し、2004年6月に共同発表した「新教育基本法の大綱」にそって基本法が改定された後の世界をパンフレットにして描いています。同じ11月29日、超党派改正議連と民間教育臨調は、改憲翼賛組織である日本会議と共同して「教育基本法改正を求める中央国民大会」なる集会を開催しています。改憲勢力が主催した教基法改正大会に、憲法尊重擁護義務がかせられている国務大臣であるにもかかわらず、中山大臣は政府代表として登壇し、早期改正をもとめる署名を受理し、「(教育基本法を改正する)覚悟を新たにした」と述べ、「超党派改正議連と民間教育臨調の方々が6月に『新教育基本法の大綱』をまとめられたことを重く受け止め、教育基本法の改正にとりくんでまいりたい」と決意表明しているのです。
(2)明らかになりつつある「中山成彬文科相の正体」
このホームページの中で、「中山文科相の正体」について論じてきましたが、その後の事態の中で、中山大臣の正体が明らかになりつつあります。
そのもっとも大きな問題は、中山大臣が11月27日の大分のタウンミーティングの中で、日本の歴史教科書について「極めて自虐的で、やっと最近、いわゆる従軍慰安婦とか強制連行とかいった言葉が減ってきたのは本当に良かった」と発言したことです。この問題発言に対して、いくつかの市民団体から大臣辞任を求める声明や談話がだされています。
1997年、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の発足と同時に、同会の副代表(のちに「座長」に昇格)に就任していた中山成彬氏は、「いわゆる『従軍慰安婦』が、今年(=1997年)から中学校の教科書に載り、今全国の中学生に教えられていると思うと、いたたまれない気持ちになる」と書いており(論文集『歴史教科書への疑問』)、今回の発言は、2000年ごろからの歴史教科書攻撃の中で、「従軍慰安婦」などの記述が激減したことを受けたものであり、文字どおり中山成彬氏の本音がでたものだといえます。中山氏は、「自虐史観に貫かれた今の歴史教科書を一日も早く改定することが国家百年の計として必要である」と考えている人物なのです(前掲書)。
また、中山成彬氏が、衆院選のときに統一教会系の「世界平和連合」から百万円の献金を受け取っていたことも朝日新聞や多くの地方紙が報道し、問題になりました。この問題についていえば、1999年の『週刊現代』2月27日号の「国会議員と統一教会との関連リスト」に、中山成彬事務所の秘書が「以前、世界平和連合に関係したが今は一切関係ない」と「電話にて回答」したとありますが、今回の献金授受の発覚で、中山成彬氏が統一教会系の「世界平和連合」と継続的に関係していたことが明らかになったわけです。
実際、中山成彬文部科学大臣は、統一教会系の新聞『世界日報』(2004年10月18日付)に現職の大臣として登場し、そのインタビューに答えながら、教育基本法の改正方向についての持論を踏み込んで語っているのです。
(3)「新しい時代の日本人像を示したい」と強調する中山文科相
現行の教育基本法は、平和憲法の理念に即した人間教育を基調とし(平和的な国家および社会の形成者としての「人格の完成」)、子ども、青年一人ひとりがその内的な特性を開花させることを大切にし、そうした「個人の尊厳」を重んじた教育を通じてこそ、「真理と平和を希求する人間」、つまり民主的な社会をつくる主権者になる良き国民を育成しえる、という構造になっています。
しかし、中山文科相は「教育基本法の改正により新しい時代の日本人像を示したい」としています(2004年11月4日、第27回経済財政諮問会議議事要旨)。つまり、政権与党から見た「良き日本人づくり」なるものが前面にだされ、憲法理念にそくした人間教育については全面否定するような新しい教育基本法に大きく変質させられようとしているのです。
中山成彬氏は、以前から「日本人としての自信と矜持(きょうじ)、民族の誇りを失った国民」には「民族としての同一性や団結心」を育むための教育が重要になっているとし、「これからの子どもたちに日本人としてのアイデンティティー、目指すべき日本人像というものをしっかり身につけさせなければならない」と強調しています(清和会著『人づくりは国の根幹です!』「序文に代えて」)。
そうした教育基本法「改正」の狙いを達成するために、愛国心や宗教的情操の涵養、あるいは道徳心や公共心などの徳目を明記し、一連のナショナリズム(新旧の国家主義)をとりいれた改正法案が提出される可能性があります。
また、中山大臣の教育改革私案「甦れ、日本!」をみると、大競争時代に果敢に挑戦する精神をもった逞しい日本人像が重視されており、そうした日本人づくりをすすめなければ「日本は東洋の老小国になってしまう」という危機感をつよく打ち出しています。ですから、改正法案の中に、競争原理を強化するために都合のよい文言が入る可能性もあります。社会的にみれば弱者である子ども一人ひとりを大事にする教育ではなく、21世紀の日本国家発展のため、競争原理に耐えられる強く逞しい人間になるように、常に子どもを追い詰めるような教育の世界がつくられようとしているのです。
(4)教育基本法「改正」と学校現場
少し具体的に考えてみましょう。例えば、与党検討会の「中間報告」には、子どもが「規律を守り、真摯に学習する態度は、教育上重視されること」と書かれていますが、こうした条項が入れば、子どもたちの学習権や意見表明権を尊重する学校ではなく、学校というところは、子どもを管理の対象として常に規律を守らせることを第一義的に追求する場所になってしまいます。また、「新教育基本法の大綱」には、「教員は教育活動の全領域について、適切な指導と評価を受ける旨規定する」とあり、教員を管理統制する条項が用意されています。こんな条項が入ってしまえば、教員への指導や評価の名による締め付けや多忙化がいっそう進行してしまうのは明らかです。また、「大綱」には、「共同体の関わりの中で人格を陶冶し、社会・国家、ひいては世界に貢献する日本人を育成することが目的である旨、更に伝統と文化の尊重、愛国心の涵養、道徳性の育成が重要である旨規定する」とありますが、仮に、こうした条項が誕生すれば、『心のノート』による道徳教育などが徹底されることになってしまうのです。
現行法の第2条には「学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない」とありますが、こうした大切な教育理念が削られることで、「学校では『学問の自由の尊重』や『自他の敬愛と協力』などどうでもいい」ということになってしまうのです。このように、教育基本法が「改正」(=改悪)されてしまうならば、今でも多忙化の中で、子どもとのかかわりをはじめ、本来の教育活動ができなくなっている学校現場の状況が、さらに悪化の方向に向かうことは目にみえているのです。
中山大臣が政府代表として出席した「教育基本法改正を求める国民大会」で閉会の辞を述べた超党派改正議連の亀井郁夫委員長(参院文教科学委員長の亀井氏)は、英国教育調査団へ参加したことにふれ、「サッチャーの教育改革に学び、日本の教育基本法を改正しよう」と強調しています。なぜ、サッチャーの教育改革が日本の教育基本法「改正」のモデルとして強調されているのでしょうか? その一つの理由は、1988年のイギリスの教育改革で歴史教科書が自虐史観から栄光史観に大きく変わった、ととらえているからです。もう一つは、教育改革後のイギリスでは全国学力試験が実施され、それを通じて学校と教師、子どもをランクづけ、優秀な学校や教師には褒賞を(最大はナイトの称号)、成績の悪い学校・教師・子どもには罰を与えている制度(成績の悪い学校は教育水準局の監督下におき一部は廃校に。不適格教員を2ヶ月で免職にできる仕組み)に注目しているからなのです(#)。
中山大臣が、歴史教科書に対して「極めて自虐的」と敵視する発言をおこない、「全国学力テストの導入を検討する」と発言しているのも、同氏がサッチャーの教育改革を念頭において教育改革をすすめているからなのであり、こうした中山大臣の発言は、教育基本法「改正」と連動した教育政策を示唆したものなのです。
以上のように、教育基本法が「改正」(=改悪)されてしまうと、学校現場には、大きな変化が持ち込まれることになってしまうのです。
現行の教育基本法は、人間教育の条理にそった優れた法律であり、子どもの権利条約とも響きあう先駆的な「教育の根本法」であり、そうした法律が「改正」(=改悪)されてしまうことは、人間教育の条理にも、子どもの権利条約にも反した法律ができあがってしまうことを意味しています。教育基本法「改正」なるものが、教育基本法の「全面改悪」であることを広範な人々に知らせ、そうした策動をとめるために、今、頑張る正念場をむかえています。
#;椛島有三『教育基本法改正から始まったイギリスの教育改革』(発行・日本会議)、
および座談会「サッチャー改革に学べ!教育再興の任は国家にあり」(雑誌『正論』2005年1月号)を参照。
この座談会で、文部科学省の政務官でもある下村博文議員(超党派改正議連委員長代理)が、中山文科相の教育改革私案「甦れ、日本!」は、英国教育調査団の報告をふまえて作成されていると発言しています。