2004年4月18日掲載
千葉県に住んでいる鈴村明と申します。教育基本法「改正」問題などを調べているものですが、とくに2002年に登場した道徳教材『心のノート』は、大変、問題の多い国定教材だと考えています。
2004年4月10日に出版された教育書に、「新しい歴史教科書をつくる会」副会長の高橋史朗・明星大学教授の講演記録が掲載されています。この講演で、高橋史朗「つくる会」副会長が、『心のノート』について発言していたことが明らかになりましたので、この問題についてお知らせし、いくつか真相を明らかにしておきます(2004年4月13日)。
「高橋史朗「つくる会」副会長が、『心のノート』を使わない現場教師を問題扱い!?」
鈴村明(教育問題研究家)
(1)高橋史朗「つくる会」副会長が『心のノート』問題で発言!
高橋史朗「つくる会」副会長が、昨年(2003年)5月13日に都内で行った教育講演会(主催は東京財団)の中で、2002年度より文部科学省が日本中の小中学生に配布している『心のノート』について、「つくったはいいが、現場ではほとんど実践されていない」とし、この道徳教材を使っていない現場教師を問題視する発言をおこなっていたことが明らかになった(共著『学校教育を変えよう』自由国民社 2004年4月10日発売)。
高橋史朗「つくる会」副会長は、昨年5月の講演で、次のように述べている。
「心の教育がさかんに叫ばれ、『心のノート』というものが小学校低学年、中学年、高学年に各一冊、中学校に一冊と合計四冊つくられた。しかし、つくったはいいが、現場ではほとんど実践されていない。そこには、『心などというものは教えられるものではないんだ』という思いが現場にまだある。大人が『心』を教え込むのだと考えているのである。
しかしそうではない。『心のノート』の目的は、心というものに気づかせることである。そのために、どういう方法原理、どういう筋道が必要か、どういう専門的指導が必要かという検討の結果できたものなのである。
私は教育の原点は自分探しだと思っている。自分の心に気づかずに、自己発見も自己実現もできない」(76ページ)
高橋史朗「つくる会」副会長は、講演「戦後教育、何が間違いか、どうすべきか」を本に収録する際に、次のような注もつけている。
用語説明
*⑫【心のノート】2002(平成14)年に文部科学省が発表した道徳の副教材。同省によると心のノートは『教科書や副読本に代わるものではなく・・・児童生徒が自己の生活や体験を振り返る生活ノート的な性格や、家庭との架け橋としての性格を有し、児童生徒の道徳学習の日常化をめざしたものである』としており、使用は各学校の判断に任せている。(96ページ)
高橋史朗「つくる会」副会長は、改憲・翼賛組織の「日本会議」の役員であるが、2000年5月21日、同会が発足させた「日本教育会議」の主任に就任している。そして、日本教育会議を発足させていた日本会議が、2001年3月に、総会議案書の中で「本会の国会質疑を契機に文部科学省は『心のノート』という道徳教材の作成を決定した」と記載したのである(詳細は、子どもと教科書全国ネット21編『ちょっと待った!教育基本法「改正」』学習の友社)。
このように、高橋史朗「つくる会」副会長が主任となった「日本教育会議」の方針の下に、「日本会議国会議員懇談会」に所属する議員が国会質疑を展開し、それが「契機」となって「文部科学省は『心のノート』という道徳教材」を作成、2002年度より全国の小中学生に配布したのにかかわらず、その教材が活用されていないことに、高橋史朗「つくる会」副会長は強い不満を述べていたわけである。
『心のノート』を評価し、それを活用しようとしない現場教師を批判する高橋史朗「つくる会」副会長の議論(2003年5月13日)は、山谷えり子議員(当時)が国会質疑で「道徳用副教材『心のノート』が教育現場で"骨抜き"にされている実態」を批判したのと同じ観点からのもので(産経新聞2003年2月26日付)、あからさまな、〈『心のノート』による「心の教育」押しつけ論〉にほかならない。
高橋史朗「つくる会」副会長は、「『心のノート』の目的は、心というものに気づかせること」にあるのに、現場教師は「大人が『心』を教え込むのだと考えている」と批判する。こうした論点は、遠山敦子前文部科学大臣の議論とも共通している。
遠山敦子前文部科学大臣は、2004年3月に出版した自著の中で、「『心のノート』に対し、国による特定の価値観の押しつけだといった批判が聞かれるのは残念であるし、あまりにも偏った考えではないか」とし、『心のノート』への批判者を偏向扱いしながら、この教材は「当たり前であるが大切な事柄について児童生徒自身によって考えさせるきっかけを提供しているにすぎない」と弁解する(遠山敦子著『こう変わる学校、こう変わる大学』87ページ 講談社)。
■「心の国定教科書か?」
高橋史朗「つくる会」副会長は、『心のノート』の目的は、子どもたちに「心というものに気づかせる」だけだと語り、遠山敦子前文部科学大臣も、ほぼ同様のことを書いている。しかし、『心のノート』の目的は、子どもたちに「心というものに気づかせる」だけ
ではなく、9年間かけて、学習指導要領道徳編に示されているような「心」、つまり、国家が求める「心」の持ち主に子どもたちを育てあげることにあるのである。
『心のノート』の4冊は、文部科学省が期待する「人間としての在り方・生き方」を子どもたちが自覚していくように誘導し、子どもたちの「心」を育成していく国家的なプロジェクトなのだ。だからこそ、現場教師の健全な感覚が働き、『心のノート』を活用せず、国家が考えるような「心の教育」を実践していない場合も少なくなく、「国による特定の価値観の押しつけだといった批判」の声があがっているのである。
文部科学省は、「『心のノート』活用事例集」という指導資料を作成し、全国の教員に配布しているが、この活用事例集をよめば、『心のノート』によって、文部科学省が「学校教育を変えよう」としていることが明らかになる。
子どもと教師が『心のノート』を活用していく場面は、「道徳の時間」だけでなく、朝の会・帰りの会、自由時間、給食の時間、各教科、総合的な学習の時間、学校行事という全ての学校生活に及び、さらに放課後における活用、家庭や地域社会における活用にまで広がっている。つまり、『心のノート』は、子どもたちを24時間、朝から晩まで道徳漬けにする〈新しい道徳教育構想〉(※)から生まれたものであり、『心のノート』は、子どもが自らおこなう「道徳学習の日常化をめざしたものである」(文部科学省)。
この教材を作成した責任者の河合隼雄氏(現・文化庁長官。『心のノート』作成協力者会議座長)は、この教材について「心が育つには、時間がかかる」と発言している(『北海道新聞』2003年3月17日)。つまり、『心のノート』は、子どもたちが9年間、息長く活用していく国定の「心の教科書」にほかならないのである。
(※)この〈新しい道徳教育構想〉は、「『心のノート』をつくるのが夢だった」と語る元文部科学省教科調査官・押谷由夫昭和女子大学教授が提唱している「総合単元的な道徳学習」構想。子どもの道徳性の発達は、子ども自身の全生活にかかわる連続的なものだとし、子どもの日常的な道徳学習を重視する考え。
■「つくる会」と『心のノート』の深い関係
(2)高橋史朗「つくる会」副会長と『心のノート』作成者たちとの深い関係
高橋史朗「つくる会」副会長は、『心のノート』について、心を教育するために「どういう方法原理、どういう筋道が必要か、どういう専門的指導が必要かという検討の結果できたもの」と断言している。
しかし、なぜ、『心のノート』完成にいたるまでの検討課題と、その「検討の結果」を高橋史朗「つくる会」副会長は熟知しているのだろうか?
それは、高橋史朗「つくる会」副会長が、『心のノート』の作成や編集に直接かかわった人々と深い交流があるからにほかならない。
そこで、高橋史朗「つくる会」副会長と『心のノート』作成者たちとの交流について、いくつかの角度から指摘しておく。
なお、高橋史朗明星大学教授には、「つくる会」副会長という肩書きのほかにも多くの肩書きがあり、以下の記述では、「感性教育研究所長」、「民間教育臨調」運営委員長という肩書きも登場する。
①『心のノート』編集担当者と高橋史朗「つくる会」副会長とのつながり
第1に、高橋史朗「つくる会」副会長と文部科学省の『心のノート』編集担当者とのつながりを指摘することができる。
『心のノート』を編集担当した文部科学省のメンバーをみると、「道徳」や「特別活動」担当の教科調査官・視学官だけでなく、「美術」担当の視学官が参加していることがわかる。『心のノート』を編集担当した文部科学省の「美術」担当官は、遠藤友麗(ともよし)文部科学省視学官(当時、現在は聖徳大学教授)だが、この人物は、高橋史朗「感性教育研究所長」と深いつながりのある人物であった。
1995年、高橋史朗「感性教育研究所長」は、「日本感性教育学会」設立に向け、同学会の「平山郁夫会長の下、1年間準備会を作って議論した」ことを明らかにしている(第38回アジアフォーラム。1999年7月19日)。そして、この学会の設立大会で記念講演したのが、平山郁夫画伯の教え子である遠藤友麗文部省視学官(当時)であった(1996年)。
つまり、高橋史朗「感性教育研究所長」は、1年間、遠藤友麗文部省視学官(当時)らと共に、「日本感性教育学会」準備会で議論をしていたのである。そして、「日本感性教育学会」(平山郁夫会長)の設立大会の報告集は、高橋史朗「感性教育研究所長」が編集担当し(高橋史朗責任編集『現代のエスプリ〔感性教育〕』至文堂)、この教育学会の事務局の方は、遠藤友麗文部(科学)省視学官が担当していたのである。
『心のノート』という教材は、子どもたちを惹きつけ、その「心」を誘導していくために、非常に沢山のイラストや写真が使用されている実に巧妙な教材だが、そうした教材をつくるために、文部科学省は、「美術」担当のトップクラスの人物を編集担当者に据えていたといえる。そして、その「美術」担当の遠藤友麗(元)文部科学省視学官は「道徳」についてもかなりの論客であり、『心のノート』は、次のような遠藤友麗氏の道徳教育論をふまえて作成されている教材だといえる。
「道徳教育の大切な点は、価値に気付かせるという理詰めの教育ではなく、題材や経験から心に感じるように導く『感性教育の手法』が必要であろう」(遠藤友麗「心の教育と感性教育」『青少年の心の荒廃と心の教育』教育開発研究所)
つまり、『心のノート』は、理詰めの文章では説明しきれない事柄や理屈で納得させられないような日本的な倫理観や宗教観、あるいは日本の伝統文化について「心に感じる」ようにつくられており、『心のノート』は、高橋史朗「感性教育研究所長」流の言い方でいえば、「日本的感性」を育てる教材になっているのである。
ところで、『心のノート』作成協力者会議の河合隼雄座長が、「日本人の心の行方」論を度々論じていることは周知のことである。河合氏は、いまの日本について、「日本人固有の感性」や「伝統的なよさ」という「日本人の根っこ」(日本の心)が消えていく危機的状況に陥っている局面にあるとし、生活文化に溶け込んでいた「日本人固有の感性」や「伝統的なよさ」を、これから言語化するなどして、次世代に伝えていく必要性がある、と強調していた(『こころの生態系』講談社新書など)。
こうした河合隼雄氏の〈「日本的教育」の再生論〉や『心のノート』で援用されている〈深層心理学の手法〉を詳しく論じる余裕はないが、河合隼雄氏の著作を調べていくと、高橋史朗「感性教育研究所長」の主張と類似していることもわかってくる。
■「学習指導要領」「つくる会」の深い関係
②『心のノート』作成協力者会議の委員と高橋史朗「つくる会」副会長とのつながり
第2に、高橋史朗「つくる会」副会長と『心のノート』作成協力者会議メンバーとのつがなりが指摘できる。『心のノート』は、戦後最大の道徳教育事業であるだけに、『心のノート』編集委員会とは別に、『心のノート』作成協力者会議が設置されている。
◇『心のノート』作成協力者会議(河合隼雄座長)は、11名の有識者で構成。
◇『心のノート』編集委員会(主査:新宮弘識淑徳大学教授)は、編集協力者(冊子代表・4名の大学教授)と文科省の編集担当者(数名)を中心に、現場教師、教育委員会の関係者、約百名で構成。
『心のノート』作成協力者会議の中には、尾田幸雄お茶の水女子大学名誉教授が参加しているが、尾田氏は、かつて遠山敦子氏が文部省中等教育課長だった1980年代後半の時期に、遠山氏と共に道徳教育資料の作成に関与した経験もある元文部省視学官(大学教授兼務の視学官)である。このように尾田氏は、文部(科学)省と深いつながりのある倫理学者であるが、尾田氏は、『高橋史朗編集。感性・心の教育(第3号)』(1999年、明治図書)に筆頭論文「生きる力と感性」を寄稿している人物でもあった。尾田氏は、『心の教育実践体系』(日本図書センター・全10巻。1999年)という百科事典規模の編著を一人で監修する等、今日、「心の教育」論の大家とみなされている。
つまり、高橋史朗「つくる会」副会長は、のちに『心のノート』作成協力者会議の委員になる、「心の教育」論の大家と交流があったわけである。なお、尾田幸雄氏は、高橋史朗「つくる会」副会長が運営委員長に就任した「民間教育臨調」(#)の代表委員になっている。
#:「民間教育臨調」(=「日本の教育改革」有識者懇談会2003年1月発足)は、教育基本法「改正」を実現しようとする人々の連合体。詳しくは、雑誌『世界』2004年4月号の俵義文論文「教育基本法『改正』を目論む人々」参照。
③学習指導要領道徳編の起草者と高橋史朗「つくる会」副会長とのつながり
第3に、高橋史朗「つくる会」副会長と、『心のノート』が依拠している学習指導要領道徳編の起草者たちとの深い関係が指摘できる。
高橋史朗「つくる会」副会長が運営委員長を務める「民間教育臨調」には、かつて学習指導要領道徳編を起草、作成した2人の道徳教育学者(金井肇氏と村田昇氏)が重要ポストについている、ということである。
「民間教育臨調」には、4つの部会があるが、今回の本で、高橋史朗「民間教育臨調」運営委員長は、今年(2004年)、5、6月に「教育理念、学校教育、家庭教育、教育制度について・・総論を出版し」、2005年春までに「各部会より単行本を出版する予定」であることを明らかにしている。
この4つの部会のうち、第1部会(教育理念部会)と第2部会(学校教育部会)の部会長に就任した金井肇・元大妻女子大学教授(元文部省視学官)と村田昇・滋賀大学名誉教授(元・小学校学習指導要領道徳編作成協力者会議委員)の2名は、立場上、『心のノート』作成過程を熟知しており、『心のノート』作成過程に関与していたと推察することもできるが、2002年以降、両者とも『心のノート』事業を推進する論文などを執筆している人物である。
国の道徳教育政策の作成に関与し、現在、文部科学省の『心のノート』事業を推進しているような人物と高橋史朗「つくる会」副会長は深くつながっていたのである。
④『こころのノート』小学校低学年用の編集責任者と高橋史朗「つくる会」副会長との交流
高橋史朗「つくる会」副会長は、2003年5月の講演で、『心のノート』問題にふれた後にも、『心のノート』を直接編集した人物と交流している。
高橋史朗「つくる会」副会長は、2003年11月に、「日本教育文化研究所」という〈右派の教員団体=全日本教職員連盟の付属研究所〉が主催した「教育シンポジウム2003」にパネリストとして参加しているが、このシンポジウムには、『心のノート』を直接編集した人物がパネリストとして参加していた(日本教育文化研究所のホームページ)。
その人物は、『こころのノート』小学校低学年用の編集責任者(冊子代表者)である上杉賢士千葉大学教授(『心のノート』編集協力者[冊子代表]の一人)。シンポジウムの主題は「新しい時代の教育基本法を考える~美しい日本人の心を育てる教育の視点から~」というものなので、明らかに教育基本法「改正」論を前提にした教育シンポジウムである。こうした教育シンポジウムにおいて、高橋史朗「つくる会」副会長は、『心のノート』を直接編集した人物と交流していたのだ。
⑤以上、高橋史朗「つくる会」副会長と『心のノート』を直接編集した人物や『心のノート』事業を推進する元文部省役員らとのかかわりを論じてきた。
こうした関係を踏まえれば、高橋史朗「つくる会」副会長が、『心のノート』について、子どもたちの心を教育するために「どういう方法原理、どういう筋道が必要か、どういう専門的指導が必要かという検討の結果できたもの」と断言できた理由も理解できる。
■「国家が「自分探し」をガイド」
(3)高橋史朗「つくる会」副会長が考える『心のノート』論
――国家が「自分探し」をガイドする「心の管理社会」へ
高橋史朗氏は、「教育の原点は自分探し」にあるとのべ、『心のノート』が「教育の原点」にそった教材であるかのように描きだしている。そこで、この問題について最後にふれておく。
①教育勅語から『心のノート』へ
この問題を読み解く上で、教育学者の大田堯(たかし) 東京大学名誉教授が論じる「教育勅語」論が参考になる。
大田堯氏は、戦前の教育勅語体制について、ご自身の子ども時代の体験を回顧しつつ、教育勅語を自動車のカーナビのような存在だった、と譬(たと)えている。
運転手が自分の判断で自動車が進む進路を選ぼうとしても、カーナビから「こちらの道の方がよい」という指示がだされ、その指示どおり進路を変更するのが当然と考えられている。つまり、いつも、車の運転手がカーナビに従うように、戦前の子どもたちは、常に教育勅語の指示に従いながら、自らの在り方や生き方をみつめ、見直していかなければならなかった、というのである。
こうした大田堯氏の教育勅語についての指摘は、『心のノート』についての指摘として読み直しても、そのまま成立する。現代日本の子どもたちも、「『心のノート』の世界」を鏡にしながら、日常的に自らの在り方や生き方を見つめ、見直していくように仕向けられているからである。
②国家が直接「自分探し」をガイドしていく文教政策の開始
高橋史朗氏は、中教審が「教育は『自分探しの旅』を扶ける営みと言える」と打ち出した「生きる力」答申(1996年)を評価し、次のように語っている。
「文部省は最近『自分探しの旅』と言っていますが、これは感性で探すものです。ぼくは、30歳になって戦後史を研究したいと思った。これまでの教育に一番欠けていたのは、自分探しの旅を助けることです」(第38回アジアフォーラム。1999年7月19日)
文部科学省は、2002年に『心のノート』を作成し、国として、子どもたちの「自分探しの旅を扶ける営み」を本格化させ、学校教育の場を中心に軌道にのせようとしている。『心のノート』編集者たちの言葉を借りれば、この道徳教材は、子どもたちの自分探しの旅を扶ける「心のガイドブック」として作成したものである。そして、そうした『心のノート』事業を高橋史朗「つくる会」副会長は、「教育の原点」論を持ち出しながら擁護し、推進しようとしている。
しかし、一人ひとりの子どもたちが自我(人格)を形成していく過程=ひとり一人の「自分探しの旅」を、国家がガイドしていくというのは非常におかしなことなのではないか。「教育は国家の統治行為ではない」からである。
■「教育は国家の統治行為」
③高橋史朗「つくる会」副会長も、「教育は国家の統治行為」論
『心のノート』作成協力者会議の河合隼雄座長は、小渕内閣のときに「21世紀日本の構想」懇談会(以下、「21世紀懇」と略)の座長をつとめており、『心のノート』は、「21世紀懇」の最終報告を踏まえて作成された道徳教材といえる。そして高橋史朗「つくる会」副会長もそうした関係は、よく知っているのである。
その点、高橋史朗「つくる会」副会長は、「21世紀懇」が最終報告を発表した際に、教育雑誌に書いた論文の中で、この最終報告の「新しい公(おおやけ)」論には、"愛国心を曖昧にする"という理由からクレームをつけていたものの、「21世紀懇」が「教育は、国家の統治行為」とした点については高く評価していたのである(『現代教育科学』誌)。
つまり、「教育は国家の統治行為」なので、『心のノート』という国定教材で、一人ひとりの子どもの「自分探しの旅」を国家が導いても良い、という立場であり、そうした考えが高橋史朗氏の『心のノート』論なのである。
高橋史朗氏は、今回の講演で、『心のノート』を使わなければ、子どもたちは「自分の心に気づかずに、自己発見も自己実現もできない」 と語っている。しかし、こうした発言には、国定教材『心のノート』による「自己発見、自己実現」の問題点を隠蔽しようとする意図がある。
つまり、高橋史朗氏のような主張が正しいとすれば、『心のノート』の各ページに埋め込まれている〈顔の見えない国家からの声〉を聞きながら、子どもたちは「自分の心に気づき」、そして、〈国家の声〉に誘導されながら、「自己発見」や「自己実現」をしていくことになるではないか。
『心のノート』(中学生用)には、「10年後、20年後」に、この教材で学び続けた「中学校生活の3年間が、人生の根っこだったことに気づくでしょう」と書かれた詩が登場している。これは、国定教材『心のノート』が、一生つづける「自分探しの旅」の基礎(=人生の根っこ)をつくる、という未来予想の思想にほかならない。「『心のノート』の世界」という国家公認道徳の世界を子どもたちの心の奥底に内面化させ、「人生の根っこ」になるように植え込もうとしているのではないか。
つまり、子ども時代の9年間、『心のノート』を使い続けた全ての日本国民が、中学卒業後の全生涯において、国家からプレゼントされた「心」を導きに「自分探しの旅」を歩んでいくような社会=『心のノート』がつくりだす近未来社会は、そうした「心の管理社会」(佐藤学東大教授)なのである。
結局、高橋史朗「つくる会」副会長の『心のノート』論は、日本の国家が国家のために国定の道徳教材をつくり、未来に生きる子どもたちの「自分探し」を直接的に導いていく教育が、これまで「一番欠けていた」というものなのである。
高橋史朗「つくる会」副会長が主任となった、教育基本法「改正」を目論む改憲・翼賛の教育組織の方針に基づいた国会質疑が展開され、それが「契機」となって「文部科学省は、『心のノート』という道徳教材」を作成、2002年度より全国の小中学生に配布し、その活用を押しつけようとしている。こうした経緯を改めて指摘しておきたい。
そして、そうした経緯を背景につくられた国定の「心の教科書」を、全国の子どもたちが日常的に活用しながら、「自分の心に気づき」、「自己発見」や「自己実現」をしていくような学校に、高橋史朗「つくる会」副会長は変えようとしているのである。
【補足】高橋史朗「つくる会」副会長がすすめる「道徳・心の教育」
高橋史朗「つくる会」副会長が考える「道徳・心の教育」の内容について、本稿ではふれていないが、高橋史朗「つくる会」副会長は、『感性・心の教育』という雑誌を編集するなど、道徳・心の教育についての発言も少なくない。実際、高橋史朗「つくる会」副会長は、昨年(2003年)8月、右派の教員団体・全日本教職員連盟(全日教連)が開催した第20回教育研究大会(香川大会)において、「心の教育・道徳教育」分科会の助言者をつとめている。
全日教連の教研大会には、『心のノート』の作成を具体化した「文部科学省の河村建夫副大臣(当時・現大臣)も出席。『郷土を愛し、国を愛す心をはぐくむ教育の実践を』」と来賓挨拶している(『長崎新聞』2003年8月3日付)。このように全日教連は、教育基本法「改正」を先取りした教育活動を展開している教員団体である。
そうした全日教連が「心の教育・道徳教育」についてどのように考えているのかについては、全日教連のホームページにある「美しい日本人の心を育てる教育基本法に関する見解」をみると明らかになり、高橋史朗「つくる会」副会長らが考える「道徳・心の教育」論の概要もつかめる。
また、改憲・翼賛団体の「日本会議」の人々が、どのような道徳観をもっているのかについても、同会のホームページを開くと良く理解することができるので、その点も紹介しておく。 (以上)