学校の外から

『モラロジー研究会で、京都市教育長が祝辞・講演会』の深刻な問題性
京都市監査委員会 口頭陳述1

2003年11月15日掲載

今年の8月7日、モラロジー研究所の主催で行われました「第40回教育者研究会」に、門川大作京都市教育長が祝辞を述べ、講演を行ったことは、本HPで紹介したとおりです。「心の教育は、いらない!市民会議」のみなさんは、それに対し、強く抗議・申し入れをされ、10月24日に、京都市監査委員会へ、職員監査措置要求を出されました。(「京都市職員措置要求書」をご覧下さい。)
 またその後、11月11日の監査委員会で口頭陳述されました。
 以下、市民会議のみなさんの熱のこもった陳述をご覧下さい。
 この間の道徳教育の動きと、違法不当な公共機関の右傾化が、見事にリンクしている様子が現れているかと思います。(長谷川 洋子)

陳 述 書            
2003.11.11
                                                                                             

1.本件の経過

 ・本年、8月7日、モラロジー研究所の主催で、「第40回教育者研究会」が開催された。この研究会に関して、運営にあたっている京都府モラロジー協議会から、6月6日に、京都市教育委員会に対して後援名義使用許可申請書、また、京都市教育委員会門川大作教育長に対して、祝辞ならびに講演の依頼文書が出された。(事実証明書⑤)

 ・この後援名義使用許可申請に対して、京都市教育委員会は、7月4日、後援名義の使用を許可した。

 ・さらに、「第40回教育者研究会のご案内」という案内文書(事実証明書①)が、いくつかの小・中学校で、教職員に供覧されるなど、市教委も集会への参加要請に協力した。

 ・教育長への祝辞・講演の依頼については、教育委員会としての正式な決定手続きを行なわないまま(事実証明書⑥)、教育長は、8月7日の教育者研究会において、「当会においては、道徳教育の育成に献身的なご努力を賜っている」(東京新聞 8.17 事実証明書④)というようにモラロジー研究所の活動を賛美する祝辞と、さらに1時間10分にも及ぶ講演を行った。

 ・一方、モラロジー研究会は、「第40回教育者研究会のご案内」というホームページ(事実証明書③)を作成しているが、そこでこの研究会の主催者挨拶として、モラロジー研究所の廣池幹堂理事長の、「新世紀に求められる教育とは」という挨拶文を掲載した。

・この主催者挨拶は、憲法を「国際法違反」と露骨に否定し、教育基本法についても改正の必要を訴えたものであることから、市民らの間で、市教委の後援はおかしいし、まして、教育長が祝辞・講演を行うのは、憲法第99条の「公務員の憲法擁護義務違反」ではないかと問題となった。

・そのため、7月中旬以来、多くの市民からの抗議が市教委に寄せられ、直接、市教委を訪れて、抗議の申し入れをした市民・市民グループなども多かった。(事実証明書⑪)
京都市では、現在、市民との対話を行政の基本姿勢としているが、市教委は、こうした抗議文や公開質問状などにいっさい回答すらしていない。

・市教委は、こうした市民からの抗議の声をかたくなに無視し、後援決定を撤回することもなく、8月7日、教育長が教育者研究会において、祝辞・講演を行ったのである。これだけ露骨に憲法否定の開催趣旨を明らかにしている研究会への、多くの市民の抗議を無視した市教委の異常なまでのテコ入れは、理解しがたい。
なお、当初、講演を予定していた文部科学省の柴原弘志氏に対しても、京都市民からの抗議が寄せられたが、同氏は、当日の教育者研究会を、「体調不良」と称して欠席し、研究会は、門川教育長とモラロジー研究会の講師の2人だけが講演を行う結果となり、門川教育長の果たした役割は実に大きい。

・この問題は、全国的にも大きな注目を集め、8月17日には、東京新聞が、「こちら特報部」という2ページにわたる大きな特集記事を組んでいる。(事実証明書④) 東京新聞は、この特集の「デスクメモ」という欄で、「ある一つだけをお上が認め、推し進めると、世の中どうなるか。親の世代は、その結果をたっぷりと味わってきた」と強く批判している。



2.憲法・教育基本法を否定したモラロジー研究所主催の「教育者研究会」の開催目的
 
・ホームページ(事実証明書③)で広く公開されたこの「教育者研究会」の主催者挨拶において、モラロジー研究所の廣池幹堂理事長は、今回の研究会の開催目的を次のように説明している。

 ・主催者挨拶(事実証明書②)   

 ・まさに、街宣車でがなりたてる右翼団体の主張そのもので、唖然とするような主催者挨拶である。
ここで明かになった研究会の開催目的をまとめると次のようになる。
① 戦後の教育を、「家庭と国家を否定した教育」「自虐的な歴史教育が進められた」と断定している。
②「皇室を中心として祖先が培ってきた」と、日本の歴史があたかも天皇を中心に形成されてきたかのように、史実を無視して皇室を賛美 している。
③ 特に問題となるのは、「敗戦・占領という主権がないときに制定された憲法は国際法違反であり、『アメリカ人の、アメリカ人による、 アメリカ人のための憲法』。日本が真の独立国になるためには、『日本人の、日本人による、日本人のための憲法』を一日も早く制定し なければなりません」と、憲法そのものを完全に否定している。
 また、教育基本法改正も強く主張している。
④「この研究会を機に、皆様方がなお一層、我が国の再建と日本人の心の再生に貢献してほしい」と、今回の研究会が、上記のような位置 づけ・目的のもとに行われていることを明確に述べている。


3.モラロジー研究所主催の「第40回 教育者研究会」を、市教委が後援し、教育長が祝辞・講演を行ったことの問題点
(公務とは見なせない理由)

 ①公務員の憲法擁護義務違反
  
 ・憲法第99条では
「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と、公務員の憲法尊重擁護の義務を明確に述べている。
「憲法をは国際法違反」と明確に否定した研究会を、市教委が後援し、さらに教育長が祝辞・講演まで行ったことは、この憲法99条の公務員の憲法擁護義務違反であることは明白である。

  ・この点について、9月11日、前回の監査請求の陳述の場で、門川教育長は、「国民・市民の間には、憲法改正について、改正すべき、擁護すべきというような多様な意見が存在する。教育長としては、講演の中で、憲法改正の賛否について一切コメントは行っていない」として、問題はないと主張した。
 また、市教委の担当者も、我々に対して「集会に行っても、主催者の主張に賛同するようなことを言わなければ問題はない」と主張した。

・このような詭弁は、全く通用しない。教育長は、この研究会への祝辞の中で、「当会においては、道徳教育の育成に献身的なご努力を賜っている」(東京新聞 8.17 事実証明書④)と、モラロジー研究所の活動・主張を全面的に称え、憲法を否定する主催者の主張に賛同している。しかし後にも述べるように、モラロジーの道徳とは、「天照大神の『慈悲・寛大・自己反省』の精神を基礎」としたものであり、教育長は、それを賛美したこととなるのである。

  ・そもそも、公務員として参加・出席できない場所があるのは明白である。
 以前、大阪地裁は箕面忠魂費訴訟において、教育長が忠魂費前の慰霊祭に出席したことに対して、「公務とみなすことはできないので、その間の給料を市に返還せよ」という判決を出したことがある。(事実証明書⑨) 
 今回の市教委の主張は、「慰霊祭に出席しても、慰霊祭の趣旨に賛同する発言をしなければ問題はない」などという詭弁と同じである。
 市教委の主張が通用するのなら、「教育長が、暴力団の集会に出席しても、暴力団の主張に賛同しなければ問題がない」ということになってしまう。

  ・このように、憲法否定の集会を後援し、まして教育長が祝辞・講演まで行ったことは、憲法99条
で定める公務員の憲法尊重擁護義務違反であることは明確であり、公務とは認められない。従って、教育長はそれに要した約2時間分の給与は不法に受け取ったこととなり、その金額を返還しなければならないことは当然である。


 ②モラロジー研究所は宗教団体(少なくとも宗教的色彩の強い団体)であり、京都市後援名義等使用許可基準に抵触
  
・今回のモラロジー研究所の「教育者研究会」については、6月6日に、京都市教育委員会に対して、後援名義等使用許可申請書が提出され、市教委は、7月4日に、後援名義の使用を許可した。

  ・後援名義の使用許可については、京都市では、京都市後援名義等使用許可基準(事実証明書⑧)が定められている。
そこでは、まず、後援名義の使用を許可するものとして、「後援名義は、市民の福祉の増進等本市の施策の推進に寄与する事業について使用を許可する」としている。
しかし、今回のような憲法を露骨に否定した研究会の趣旨は、ここでいう「市民の福祉の増進等本市の施策の推進に寄与する事業」でないことは明白である。

  ・また、同許可基準では、使用を許可しない場合として、「事業が宗教的又は政治的な色彩を有しているとき」などをあげている。我々が注意しなければならないのは、「事業が宗教的・政治的である場合」と定めているのではなく、「宗教的・政治的な色彩を有している場合」と定めていることである。
  
  ・そもそもモラロジー研究所は、宗教的な性格をもった団体である。
『現代日本の新宗教 情報化社会における神々の再生』(事実証明書⑫)という本では、モラロジー研究所は、実践倫理宏正会などと共に、新宗教の中では、「修養団体」に定義されており、次のように解説している。
「最高道徳なるものは、第1に日本の天照大神、第2に中国の孔子、第3にインドの釈迦、第4にユダヤのイエスキリスト、第5にギリシャのソクラテスをそれぞれ中心とする、5つの道徳系統すべてに一貫する思想と道徳の原理をさす。---この最高道徳の実質と内容を形作る6大条件とは、次のようなものである。---②神意に同化す。---」(同書P267)
「他の修養団体と同様に、モラロジーも宗教でないことを主張しているが、信仰の大切さについても説いている。モラロジーは、神には2つの種類があるとする。---」(同書P268)

  ・また、関西大学の上杉聡氏の論文(事実証明書⑬)のP55では、同氏が宗教団体の系譜図をあげているが、そこでは、モラロジーは、教派神道系に位置づけられ、天理教の影響を受けて発足した宗教団体であるとされている。
 さらに、モラロジーの教義として、「天照大神の『慈悲・寛大・自己反省』の精神に道徳の基礎を置き、それにもとづく国家体制、道徳原理と経済活動の一体化などを主張する」(同P53)としている。
 このような教義を持つ団体は、少なくとも「宗教的な色彩」を持つことは誰も否定できない。

  ・市教委は、9月11日の陳述で、「モラロジーは公益を目的として設立された財団法人であり、公益性、公共性に照らしても問題はない」と主張している。しかし、宗教法人か、財団法人かが問題となるのではない。京都市後援名義使用許可基準では、「宗教的」というのではなく、「宗教的な色彩」とされていることに注意すべきである。
 少なくとも、上記のようなモラロジー研究所は、宗教的な「色彩」が強いことは明白であり、京都市後援名義使用許可基準に抵触する。 


 ③モラロジー研究所は、憲法・教育基本法改悪などの政治的行動を繰り返しており、今回の主催者挨拶も政治的色彩の強いものであり、  後援名義等使用許可基準に抵触

  ・主催者挨拶にもあるように、この研究会の目的は、憲法・教育基本法の改正を訴えるものであり、露骨な政治的主張を前面に出していると言わざるを得ない。少なくとも「政治的な色彩」を帯びたものであり、後援名義使用許可基準に抵触することは明白である。

  ・たまたま、今回の主催者挨拶の憲法を否定した表現だけが問題となったのではない。モラロジー研究所は、従来から、憲法・教育基本法の改悪や教科書問題など、露骨な政治的行動を続けてきた。
   
  ・その内容については、『季刊戦争責任研究』(事実証明書⑫)の「日本における『宗教右翼』の台頭と『つくる会』『日本会議』」という論文に詳しい。

  ・この論文のP48の最下段にもあるように、2002年に結成された日本最大の右派組織、「日本会議」は、憲法改正・教育基本法改正・靖国神社公式参拝の定着・夫婦別姓法案反対・つくる会教科書の普及などを中心課題に据えた団体だが、日本会議中央役員名簿(P50)を見ると、モラロジー研究所理事長の廣池幹堂氏は、代表委員を務めている。
  ・また、本年1月には、教育基本法改悪勢力の総結集の場として、「新しい歴史教科書をつくる会」などが中心になって、「日本の教育改革有識者懇談会」(略称・民間教育臨調)が発足した。この民間教育臨調は、政府や各都道府県などに対して「積極的に改善案を提示し、改善を求める」ため、さまざまな運動を繰り広げるとしているが、モラロジー研究所理事長の廣池幹堂氏は、この民間教育臨調でも、役員を務めている。(P47 表3)

  ・また、この上杉論文では、岡山や愛知などでは、「新しい歴史教科書をつくる会」の活動が盛んで、特に愛知県は、「つくる会」の運動は、モラロジーの会員が中心であるとしている。(P54)

  ・このように、モラロジー研究所は、従来から政治的活動を繰り返してきており、京都市後援名義等使用許可基準に抵触することは明白である。


 ④後援できるのは「市民の福祉の増進等本市の施策の推進に寄与する事業」に限る
    ---京都市教委の「外国人教育指針」にも逸脱した門川教育長の講演内容

  ・市教委は、我々との交渉の中で、「後援したからといって、主催者の考え方を市教委が支持していることではない。宗教的・政治的・営利的でない事業は広く後援する」と再三、主張した。しかし、この主張も間違っている。「宗教的・政治的・営利的」という前に、後援許可の大前提があるのだが、市教委はこの点を完全に無視している。
 
  ・京都市の後援名義等使用許可基準では、「後援名義は、市民の福祉の増進等本市の施策の推進に寄与する事業について使用を許可する」とはっきりと定めている。上記のような市教委の主張は全くの誤りで、「京都市の施策の推進に寄与する事業」でなければ後援できないのである。それとも、憲法・教育基本法否定の研究会が、「京都市の施策の推進に寄与する事業」だというのか?

  ・また、今回のモラロジー研究所理事長の主催者挨拶にある、「戦後は自虐的な歴史教育が進められた」という主張についても放置することはできない。また、「日本人の心の再生」「日本人の心と魂」「日本人としての自覚と誇り」と再三繰り返していることも、京都市の小中学校で学ぶ多くの在日外国人の子どもの存在を全く無視したものである。
 市教委は、「外国人教育指針」等の中で、「正しい歴史を教える」ことを強調してきたはずである。そのような教育までも、モラロジー研究所は、「自虐的な歴史教育」と否定しているのである。これが、京都市教委の「施策の推進に寄与する」というのなら、市教委はその矛盾について、市民にはっきりと説明しなければならない。
 自分たちの歴史教育について露骨に否定されていながら、のこのこと出かけていって祝辞・講演を行った門川教育長は、自ら、京都市教委のこれまでの施策を否定したとしか言えず、祝辞・講演は公務として行われたと主張できるはずはない。
 なお、「新しい教育の創造 京都の課題」という当日の門川教育長の講演のレジメを見ても、学力検査や文部科学省の指定事業などについて自画自賛を繰り返しているだけで、京都市教育行政の大きな柱であったはずの、市内の小中学校に学ぶ外国人の子どもの存在については、一言も触れていない。
 京都市の教育行政のトップが行った、京都市の教育についての説明としては、あまりに片手落ちで杜撰なものとしか言いようがない。

  ・なお、10月24日に提出した我々の職員措置請求書では、この後援名義等使用許可基準の、「後援名義は、市民の福祉の増進等本市の施策の推進に寄与する事業について使用を許可する」という大前提について触れていなかったので、この点について追加することを特に強調したい。


 ⑤「モラロジーは文部科学省所管の公益法人だから問題はない」という市教委の主張の誤り
  
  ・市教委は、我々との交渉の場や、9月11日の、前回の職員措置請求の陳述の場でも、「モラロジー研究所は、民法34条にもとづいて設立された文部科学省所管の公益法人であり、市教委が後援を行っても、公益性・公共性に照らして問題はない」と主張している。
   彼らの主張は、モラロジーがいくら憲法否定の立場であっても、また、政治的・宗教的な団体であっても、公益法人だから問題がないというものであり、それ以上の判断は全くしようともしない。

  ・しかしこの市教委の主張は全くの誤りである。
 まず、民法34条とは何か?
 「祭祀、宗教、慈善、学術、技芸その他公益に関する社団又は財団にして、営利を目的とせざるものは主務官庁の許可を得てこれを法人となすことを得る」
 このように、社団法人・財団法人のことを公益法人というにすぎず、民法34条でも、「祭祀、宗教、慈善、学術、技芸その他公益に関する社団又は財団」と定めているように、宗教的な活動をするものであっても、公益法人として認められる。後援許可にあたっては、「宗教的な色彩」があるかどうかを判断しなければならないのであるから、「公益法人だから問題はない」という市教委の主張は通用しない。

  ・また、市教委は、「モラロジーは文部科学省所管の公益法人だから、問題はない」と再三主張している。文部科学省という言葉を使って、国も認めているのだから当然だというのである。
 しかし、公益法人の所管官庁とは、単に、公益法人の設立認可・指導監督等に係る事務を担当する行政庁にすぎない。
  文部科学省所管の公益法人は、現在、約2000もあるが、その中には、「宗教」に係る活動を中心とした公益法人も多い。たとえば、文部省所管の公益法人には、伊勢神宮崇敬会やキリスト教会伝道社団などもあるように、文部省所管の公益法人であるからといって、京都市後援名義等使用許可基準でいう「宗教的な色彩」の問題はないとは言えないのは明白である。


 ⑥教育長は、職免の手続きを行っておらず、職務専念義務違反
 
  ・京都市職員が、他の研究会などに出席する場合、職務に専念する義務の特例に関する条例、また同施行規則により、あらかじめ任命権者またはその委任を受けた者の承認を得る必要がある。(事実証明書 ⑭)
 しかし、今回、門川教育長は、その手続きをいっさい行っておらず、祝辞・講演に要した約2時間は、職務専念義務に違反したものである。

  ・まず、職務に専念する義務の特例に関する条例、また同施行規則を説明する。
 地方公務員法35条は、職務に専念する義務を定めており、市職員は、職員個人の勝手な判断で、外の会議や研究会に、どこへでも自由に参加したり、講演を行えるものではない。

 職務に専念する義務の特例に関する条例の第2条では、次のように定めている。
 「職員は、次の各号の一に該当する場合においては、あらかじめ任命権者またはその委任を受けたものの承認を得て、その職務に専念する義務を免除されることができる。
(1) 研修を受ける場合
(2) 厚生に関する計画の実施に参加する場合
(3) 任命権者の指定する団体または機関の業務に従事する場合
(4) 前3号に規定する場合を除くほか、任命権者が定める場合」

  ・そして、この第4号の、「任命権者が定める場合」として、職務に専念する義務の特例に関する条例施行規則の第2条では、次のように定めている。
  (4)職務遂行に関し、密接な関連を有する会議、委員会、学会または研究会等に出席する場合

  ・これでも明確なように、市職員は、外部の研究会が、いくら職務に密接に関連している場合でも、何の手続きもせずに自由に参加できるのではない。事前に任命権者の承認を得る手続きが必要なのである。

  ・今回、門川教育長は、「教育者研究集会」に出席し、祝辞・講演を行うことについて、何の決定手続きも行っていない。それは、事実証明書⑥や⑦で、いっさい公文書を作成していないことからも明らかである。


 ⑦多くの市民からの抗議に回答すらしない市教委 「説明責任」放棄で市民不在

  ・このような憲法否定の教育者研究会を市教委が後援し、さらに教育長が、祝辞・講演を行うことに対して、市民グループ、教職員の職員組合、さらに、学者・文化人らのグループなどから、多くの反対の声が市教委に寄せられた。
 この問題について、市民等から寄せられた申入書・抗議文等を情報公開請求を行ったところ、京都府教職員組合・「心の教育」はいらない!市民会議、日本共産党京都市会議員団、学者・文化人ら23名による抗議文や公開質問状が提出されている。(事実証明書⑩)そのうち、「心の教育」はいらない!市民会議や、学者文化人ら23名連名の申入書・質問状は、回答を要求したものであるが、市教委は一切、市民への回答を拒否したままである。また、これらの文書以外にも、直接市教委を訪問して抗議した市民たちや、抗議文をファックス等で送った市民たちもいる。
 ここに、8月7日の教育者研究会で、門川教育長が行った講演のレジメがある。そこでは、「市民とのパートナーシップ」を強調し、さらに、「説明責任」の重要性をうたっている。市民からの質問状等に、いっさい回答拒否しておきながら、ぬけぬけと講演の中では、「市民とのパートナーシップ」や「説明責任」を語るその欺瞞性にはあきれる他ない。

  ・なお、この公開された市教委の供覧書もきわめて不自然なものである。事実証明書⑩にあるように、7月25日に、京都府教職員組合と、「心の教育」はいらない!市民会議から申入書・抗議文が出されている。しかし、これらの文書を市教委内で供覧した文書は、同じ7月25日に供覧が開始され、教育長までの供覧が終わったのも、同じ7月25日である。「心の教育」はいらない!市民会議が抗議文を市教委に持っていったのは、その日の午後6時で、それから1時間ほど企画総務課長と交渉を行っている。そんな夜から起案して、教育長までの供覧が終わったのであろうか? 8月1日の供覧書でも、供覧開始と終了が同じ日であり、きわめて不自然である。
情報公開請求が出されたので、あわてて事後に供覧書を作った疑いがきわめて濃厚である。


 ⑧草の根右翼団体と露骨に提携しだした京都市教委。他の教育委員会などでは後援取消も

  ・今回のモラロジーの問題が市民の強い怒りを呼んでいるのは、5月に市教委が同じような問題を起こしているからである。(東京新聞参照 事実証明書④)

  ・この5月、京都市教委は、教育勅語を賛美し、男女共同参画社会を露骨に否定した「教育研究会未来」の講演会(6月1日 開催)を後援し、その案内チラシを学校で子どもたちに持ち帰らせた。
 この「教育研究会未来」は、北村弥枝氏が主宰するものだが、同氏は、憲法改正を訴える日本会議との親交から天皇在位10周年記念の奉祝委員を務めたりしている。
 この講演会は、次のような内容のものであり、まさに薄気味悪いとしかいいようがない講演内容である。
「『戦後の日本は外国による弱体化政策にはまり』、『世の中のお役に立てない子供がすごく出てきている』という。その政策とは『若い女性に殿方と同じように表に出て働くことが最高の喜びと教え』、『妻を放棄し、嫁を放棄させ、夫婦別姓などと言うほど狂わせ』、その結果『大和魂を持った子供たちを世の中に送りだすことができなくなった』。
 このため『神国日本としての意識を取り戻し、全世界の中心をなる国になるためには』、『子の心は胎教で母親が教え』、かつ男性の運勢は女性の『愛の出し方』に左右されるので『妻とお母さんの心を取り戻すべき』と主張している。」(東京新聞2003.8.17 事実証明書④)

  ・また、市内の小中学校で、子どもたちに手渡された、この「教育者研究会未来」の講演会のチラシでは、「母親が尊んだ子どもはいじめられない」と大きく強調されている。このようなチラシを学校で渡された「いじめられている子ども」やその母親の想い、また母親のいない子どもの想いについて、市教委はどのように考えているのか?(事実証明書⑪)

  ・この「教育研究会未来」の講演会を市教委が後援したことについても、多くの市民から市教委に抗議の申し入れが寄せられていたが、市教委はこうした市民の声に全く応えようしなかった。そして、その直後に、露骨に憲法を否定したモラロジー研究所の教育者研究会の後援や、祝辞・講演問題を起こしたのである。
 市民の抗議を無視し、こうした宗教右翼団体、草の根右翼団体と連携しようとする市教委の意思は強固なものであり、単に簡単な事務手続きだけで後援決定をしたものではない。

  ・東京新聞の特集記事によると、高知県教委が、女性団体の抗議を受け、「教育研究会未来」の講演会の講演取消をしたり、北海道などでも同様な動きが始まっているという。毎年継続しているからといって、これだけの問題になりながらも方針を変更しようとしない京都市教委の姿勢が問われる。

  ・結局、今回の問題で明らかになったことは何か。
 モラロジー研究所の「教育者研究会」の「開催のご案内」(事実証明書①)でも明らかなように、モラロジー研究所が強調しているのは、「心の教育」である。また、「教育者研究会・未来」の6月1日の講演会のタイトルも、「『心の教育』関西講演会」というものであり、同会は、各地で「心の教育」というタイトルをつけた講演会を開催している。
 このように、宗教右翼団体、草の根右翼団体と、現在の文部科学省・京都市教育委員会を結びつけているのが、「心の教育」というキーワードであることが分かる。

  明らかになったことは、京都市教委などが強調する「心の教育」とは、実際には、これらの宗教右翼団体、草の根右翼団体が強調するような、憲法や教育基本法を否定し、母親に「殿方」への無償の奉仕を強調するような道徳教育と全く何の相違もないということである。その意味では、市教委にとっては、こうした団体の講演会を後援することも、後援名義等使用許可基準に定める「本市の施策の推進に寄与する事業」であると考えているのが本音なのであろう。

  しかし、それは憲法と教育基本法にもとづいて進められなければならない教育行政としては、違法・不当なものであり、許されないものであることは言うまでもない。



<最後に---京都市監査委員の皆さんへのお願い>

  ・京都市教育委員会に関連した問題について、京都市の監査委員会の監査結果で、京都市民だけではなく、全国的にも有名になった事案として、1986年12月に監査結果が出された、「君が代」テープ配布に関する住民監査請求がある。
 この監査結果の中で、当時京都市監査委員であった故梅林信一委員は、次のような意見を堂々と公表されている。
 「学校教育は、政治的に中立であるべきであり、教育委員会及び学校は、教育課程や特別活動の中で、それを守っていかなければならないものである。しかるに-----『君が代』を公教育の場で強制することは、守られるべき学校教育の政治的中立性を侵すものであり、政治的権力の学校教育への不当な介入であるとのそしりをまぬがれないものと考える。」(『京都市公報』1986.2.23)

  ・行政の不当・違法な問題について、自らの信念にもとづき、これだけ毅然とした意見を公表された故梅林信一氏に、我々は深い敬意の念を表したい。そして、現在の京都市監査委員の皆さんが、今回の請求についても、憲法と教育基本法にもとづき、毅然とした判断を表明されるよう要請したい。

『モラロジー研究会で、京都市教育長が祝辞・講演会』の深刻な問題性
京都市監査委員会 口頭陳述2

2003年11月15日掲載

陳   述  (11月11日 京都市監査委員会)

監査委員会の皆様、私は、今回の監査請求にあたり、特別な法律理論や宗教性の如何を問うという点でお話しようとは思いません。
私には、2人の子どもがいます。保育園、小学校、中学、高校と、どなたもが経験されたであろう子育ての経験と、会社に勤め、社会人として多くの方とおつきあいしてきた、その素朴な感覚を通して、今回の門川教育長がモラロジー研究所主催の研究会で、祝辞を述べ、講演をしたという行為が、どのように受け止められるかという事をお話ししたいと思います。

監査委員の皆様、皆さんの1日は24時間ですね。
人は、この限られた時間の中で働き、眠り、余暇を楽しんだり、そうして人間は、月日を重ねて生きていきます。
特に仕事を持って、社会の中で貢献的役割を担っている多くに人々は、今日の仕事は何をするか、明日はどの人と会うか、来週のスケジュールをどう組むか、来月はどこに行くか、その時間調整と選択のプライオリティを考慮して、限られた時間をこなしていきます。
 こんな常識的な事は、もちろんここにおられる監査委員の皆さんは当然おわかりです。
極端な話、意味の無い会議には行かないし、大事と思う人には会う、集会にしても、どんな人が主催して、どんな話があるのか、考える。
さらには、時と場合によっては、たとえ気持ちの向かない招待でも、そこに行くことに「ある意味」があるのなら、気持ちを抑えて参加する。これが大人の常識というものです。

同じことが、当然、教育長の門川さんにも言えます。
政令指定都市、人口146万の京都市。その教育委員会の行政トップが教育長です。たとえ5人の教育委員が、民間から選出されていても、京都市の教育行政は、門川教育長の手に握られているのが、実態でありましょう。
その重責を担う教育長のお仕事というのは、私には想像できませんが、さぞかしお忙しいことと推察いたします。
市議会が開会している間は、市役所を離れられないとかも聞いていますし、今回私たちが問題としています8月7日のモラロジー研究会の講演でも、門川氏は「桝本市長はかつて、教育長の時、就任1年目で市内全学校を訪問したが、私は、3年目になるが、まだできてない」と発言され、お忙しい合間にも、学校訪問もしないといけないと話されています。
学校訪問よりモラロジー研究所の方が大事みたいですが、どうやら門川さんは、スケジュールの優先順位が、学校第一ではないようです。
その超お忙しい門川教育長が、今回、8/7木曜日の午前中を費やして、モラロジー研究所主催「第40回教育者研究会」におもむき、そこで祝辞を述べ、さらに1時間10分にも及ぶ講演を行いました。

  これは、大変なことです。
  ウィークディの半日を、この講演に自分の時間をささげるというのですから、さぞかしこのイベントが門川氏にとって、重いものだと想像するのは、私一人ではないと思います。
 そう、門川さんは、教育長というたくさんの仕事の中で、8/7の午前中は、多分他にもさまざまな用件、仕事があるのに、こともあろうことに、このモラロジーでの講演を選択したのです。
 モラロジーという空間に身を置いたということ、その事自体が、すでに明らかな意思の現れであり、その行動に対して、周囲の人は、一種ある評価をくだすのです。

 世間の目、世の中の常識というのは、そういうものです。

 例えば、私の親戚の結婚式に、市長さんが祝辞を言いに来たとします。
 誰かの葬式の、葬儀委員長が国会議員だとか、どこかの団体の旗ひらきに市会議員さんが参列するとか。
 そういうのって、よくありますが、これを見ている、周囲の人はどう感じるでしょか?

「ふ~~ん、あの人がこういうところに出てくるんやなぁ」
「ここに来るということは、あの人とこの人は、ええ関係なんやろうなぁ」
「そうやなぁ、なんぞエエことなかったら、あんな偉いさんが、時間さいて来るわけないもんなぁ」
「やっぱ、そういう仲やろう」と。
 そう思うのが、世間の常識じゃないかと思います。

 だから、門川さんが、モラロジーに出たということは、何を話したとか、どんな祝辞を言ったとかより、まずは、モラロジーというお皿の上に載るという選択をした、と思われて当然なのです

 そう、「門川教育長はモラロジーと仲良しなんだね」と、いう見られ方です。
 仲良しという表現が多少、子どもっぽいなら、こうも言い換えられます。
 門川氏はモラロジー研究会という時間設定に自分の身を置いた、すなわち、彼は、この主催者のために「仁義をきった」のです。
「仁義をきった」という言い方が下品なら、「誠意を示した」とでも言いましょうか、要は、京都の教育行政がどうのとかの講演内容が問題なのではなくて、京都市教育長がモラロジー研究会に行く、ということの重要性に、門川氏は自覚して、選択、決断、行動したのです。

 7月29日、私たちは今回の件について、教育委員会企画課の春田氏と佐伯氏と話し合いを持ちました。
 その時に、春田氏は「教育長への講演要請は、主催者側から直接教育長にあって、最終判断は教育長自身がした。社会教育課も企画課も、教育長が講演する、しないの決定には関与していない」と、説明しました。
 その言葉が仮に本当だとしたら、今回、この講演をするということは門川教育長自らの判断、自分で決めたということになります。
 それだけ、モラロジー研究所からの要請が重要だったということです。他にすることが無かったはずはありません。
門川氏は、この講演を他の用事より優先し、そして、その時間に価値を見出したのです。

 私たちは、この事が分かった時点で警告しました。
「お止めなさい。今なら間に合う。これは相当にまずい事だ。考えなおして、中止しなさい」と。

 8月7日のこの研究会は、午前と午後に分かれていて、午前が門川さん、午後が文部科学省の調査官の柴原弘志さんが講演する予定でした。
 しかし、私たちのメンバーが、モラロジー研究会の本質的な意図を見抜いて、柴原さんに直接「お止めなさい」と忠告申し上げたところ、柴原さんは、当日講演をキャンセルしました。
もちろん、キャンセルの理由は、体調不備だとか急用だとか何とでも言いようがありますが、少なくとも、この文科省官僚は、「これは、マズイ」と逃げ出すだけの知恵があったという事です。
 でも、門川さんは、私たちの忠告を無視しました。

 また、過日の春田氏の弁解によると「教育長が京都市の教育行政のあり方を説明しに行くことは、問題ない」と言っています。
 この春田氏の見解によると、教育長という仕事を持つ人間は「京都の教育」を語る限り、どこの主催の会であろうと、どういう場面であろうと、それは問題ないという風に理解されますが、それで間違いないでしょうか?
 また、門川氏自ら当日の講演の冒頭で「大統領制を主張するグループがあるとして、それはある種、憲法改正を指していることになるが、そういう団体の集会に行ってはダメかと言うと、そうではない。多様な議論がなされることは民主主義の中で重要なこと」と言っています。
 この言葉の意味は、「憲法改正を主張する団体の集会に、教育長は行ってはいけないのか。そうではない。多様な議論は民主主義の基本なので、その集会に行って、議論しあうことは大切だ。だから、私は、このモラロジー研究所に来たのだ」と理解できるのですが、これは、私の曲解でしょうか?

 監査委員の皆さん、よく考えてください。
 例えば「若者の道徳について考えましょう」という集会をするので、ご参加くださいと、先ほどは北上田さんも例に出しましたが、広域暴力団山口組から案内が来て、それでも、春田さんが言うように、教育長は、京都の教育行政を語るのがお役目だからって、門川さんが行きますか? 民族系右翼水明会でもいいですよ、オウム真理教でもいいですよ、そんなところから呼ばれたら、行きますか?
 多様な議論は民主主義のために良い事だからと、教育長がヤクザと話し合うのでしょうか? とうてい信じられません。

 私が参加している市民グループ「心の教育はいらない市民会議」は、これまで門川さんに対して「京都市の道徳教育について話し合いたいから時間を取って欲しい」と何度も要請をしましたが、去年の夏から一度もそのお願いに対して、誠意ある回答さえいただけていません。
 つまるところ、教育委員会のやることに異議申し立てするようなヤカラとは一切話はしない、問答無用の態度が今も続いています
「多様な議論が民主主義の基本」なら、どうして私たちと話し合いをしないのかと思います。まったく、理解できない行動です。

 だからこそ、今、私は申し上げています。
 今回の問題点は、まさにこういうことなのです。
 主催者が何者なのか、だれのオファーに応じたのかという事が、一番重要なのです。


 今回の門川さんの行動は、結果としてモラロジー研究会を支持し、公認し、さらには友好な関係であることを証明してみせています。
 教育長がこういう行動をとるのですから、それは、京都市教育委員会全体がモラロジーを認めているという意思がある、とみなされても当然でしょう。
 いえ、むしろ、門川さんは、教育長というその立場と権威を、今回の行動でモラロジーに示してあげたというのが、私の見方です。

 その行動の意味の重さを、想像して欲しいのです。
 監査委員の皆さん、どうか大きな目で考えてください。

 歴史というのは、小さなものごとが繰り返され、わずかな作業の積み重ねが、いつしか慣例化していきます。始めは違和感のあった事が当たり前になり、だんだん何の疑問も持たなくなる、そうした人間の怠惰と批判精神のゆるみが、大きな状況の変化に対して鈍感になります。

 その小さな局面が、今、今回の門川さんの行動です。
 私たちは、その小さな局面に警告を発しているのです。
 それは、わずかな兆しを見逃したがゆえに、戦前の教育がファシズムを許し、戦争ヘの道を止めることが出来なかった、そうした反省の上にたってのものです。
 国家が教育に介入し、教育を使って国民を洗脳し、教師も教育行政もそうした流れに荷担した。
 日本がどんな状況にあるのか、大きな状況を見る眼を、戦前の教育が奪ってきたのを知っているがゆえに、私は、今回の出来事を認めることはできません。
 世の中の大きな流れ、社会がどんな方向に向いているのか、その大状況の中で、目の前に起こっている事実の意味を判断することが大切です。
 その判断、その見極めを、どうか、監査委員の皆さん、ここで行って欲しいのです。

 去年、道徳教育推進市民会議という市教委の肝いりで発足した会議が行った、「道徳教育1万人アンケート」について、その会議に所属するある委員の方に私が申し上げたことがあります。
「アンケートをとる事自体は悪いことではないと、あなたは、ご自分の使命を正当化される。しかし、あなたが今なさっていることの意味、どんな力がそうさせているのか、事の結果にどういう政治的効果があるのか、その結果は何に利用されようとしているのか、大状況として、ご自分の行動を冷静に判断していただきたい。あなたは、あなたの意思とは別の恣意的な力学に、利用されているのではありませんか?」と。
 その後、その委員の方は、道徳教育推進市民会議の委員を辞任されました。
辞任の本意は誰にも分かりません。
 しかし、少なくとも、京都市教育委員会の方針に対して、まさに、自分の貴重な時間を費やしてまでも、そこに身を置くことはできないという判断なのでしょうか。他にどんな真意があるかは分かりませんが、私は、この委員さんの心のどこかに<良心の声>が響いたのではないかと想像しています。

 ひるがえって、今、ここにおられる監査委員の皆さん。
 皆さんのお仕事は、地方自治法にのっとる監査制度を実現するお役目の方々です。今回の意見陳述を聞くということに、ご自分の貴重なお時間を割いていただいた、皆さんです。
 <大状況でものを見る>ということを、どうか、心して今回の監査請求の審理をお願いしたいと申し上げます。
 門川さんが、モラロジー研究会に行ったこと。たかが1時間10分の講演をしたこと、8月7日門川さんの2時間分の給与の返還。
そのどれもが、とるに足らない、小さな出来事かもしれません。
 私が先に申し上げた、「市教委はモラロジーを認めている」と思われますよ、という感覚も、「それがどうした」と、思われるかも知れません。
 しかし、こうした小さな事実の積み重ねが、何を意味していくのか?
 モラロジー研究会という組織が、何を意図している団体なのか、うすうす分かっている皆さんの良心に、私は訴えたい。
 小さな事実の累積の先に何があるのか、賢明な監査委員の皆さんなら、見えてくるものがあるはずです。
 まるで戦前と同じ道を、今もまた日本が歩いているのではないか、教育の中立性が脅かされているのではないか、そう感じているのは、私一人でしょうか。

 監査委員会は、ただの公金使途の妥当性を論ずるだけの役目ではないと思います。公務員が何をしたのか、税金がどう使われたのか、それはすなわち、庶民にとって<お上のなさること>なのです。
 <お上のなさること>の審査を皆さんがしている、その意味の深さを、どうか忘れないでいただきたい。
 だから、皆さんには、大きな状況に影響をもち、ある種の思想を増幅させる可能性のある、小さな問題を見逃さないで欲しいのです。

 最後に監査委員の皆さんに申し上げます
 今回、門川さんに「公務員の憲法遵守義務違反」を言うのと同時に、私は、監査委員であられる皆さんにも、同じ事を申し上げたい。
 見識高い皆さん、日本国憲法の精神を十分に心しておられる方々と思います。
 公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではないことの認識は、もちろん、かつて日本が戦争への道を歩いてしまった過去の反省のもとに、公教育は絶対に、中立公正であらねばならない。
 その点に、皆さんが反論されるはずはありません。
 しかし、門川さんは、今回、その本質を踏みはずした行為をされたのです。
 監査委員の皆さんの、良識ある見解をお待ちしたいと思います。

『モラロジー研究会で、京都市教育長が祝辞・講演会』の深刻な問題性
『心の教育は、いらない!市民会議』京都市教員措置請求書

2003年11月15日掲載

京都市職員措置請求書 2003年10月24日

1.請求の趣旨
 この8月7日、財団法人モラロジー研究所の主催で、「第40回教育者研究会」(以下「研究会」)が京都市で開催された。この研究会に対して、京都市教育委員会が後援決定をしただけではなく、京都市教育委員会教育長の門川大作氏が、祝辞と1時間10分にも及ぶ講演を行った。
 ところが、この研究会の開催目的として、憲法や教育基本法を否定した挨拶文が主催者から事前に公表されていたことから、多くの市民・組合・政党・学者グループなどから、後援決定を取り消し、教育長の講演を中止するようにとの申し入れが寄せられたが、京都市教委・ 京都市教育長はそうした抗議の声を無視したのである。

 財団法人モラロジー研究所の廣池幹堂理事長による主催者挨拶文では、
「戦前の行き過ぎた国家主義教育の反省と自由と民主主義の履き違えから、家庭と国家を否定する教育に加えて自虐的な歴史教育が進められた」
「とくに皇室を中心として祖先が培ってきた、寛容の精神、共生の心は(中略)最も必要な心であり、若い世代にぜひ伝えていきたい」
などと述べ、さらには、
「敗戦、占領という主権がないときに制定された憲法は国際法違反」「日本が真の独立国になるためには、『日本人のための憲法』を、我々の責任で1日も早く制定しなければなりません」
と、日本国憲法を完全に否定し、「憲法と教育基本法の改正は避けることはできない」と強調している。
 
 民間団体が独自の主張をするのはともかく、憲法・教育基本法にもとづいた教育行政を進めなければならない教育委員会が、このような憲法を否定した研究会を後援しただけではなく、教育長が祝辞・講演まで行ったことは認められない。
 憲法第99条は、「公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と定めており、今回の京都市教委・京都市教育長の行為は憲法第99条違反であることは明白である。
 京都市教委は、我々の抗議に対して、
「集会に行っても、主催者の主張に賛同するようなことを言わなければ問題はない」などと釈明した。
 しかし、憲法遵守義務のある公務員が、憲法否定の集会に行って祝辞・講演を行うこが許されないのは明白で、このような詭弁は通用しない。
 また、門川教育長はこの日の研究会の祝辞で、「当会においては、道徳教育の育成に献身的なご努力を賜っている」(東京新聞2003.8.17)と、モラロジー研究会の活動を賛美したのであるから、市教委の説明は事実にも反している。
 
 
 そもそもモラロジー研究会とは、天照大神・孔子・釈迦・キリスト・ソクラテスを「最高道徳」とし、「宇宙根本の神霊、聖人」を信仰し、これらを祭ってある神社を尊敬せよと説く修養団体・宗教右翼団体である。(沼田健哉『現代日本の新宗教---情報化社会における神々の再生』創元社) 
 また、理事長の廣池幹堂氏は、憲法・教育基本法の改正を強く主張する日本最大の右派組織・「日本会議」の中央役員や、今年の1月に教育基本法改悪勢力の総結集の場として設立された「『日本の教育改革』有識者懇談会」(略称「民間教育臨調」)の役員を務めるなど、この間、教育基本法改悪に向けた政治活動を精力的に続けている。
 また、モラロジー研究所と「新しい歴史教科書をつくる会」の繋がりも各方面で指摘されている。
 従って、今回の研究会は、京都市後援名義等使用許可基準の、「事業が宗教的又は政治的な色彩を有しているとき」に明らかに該当しており、後援名義の使用を許可できなかったはずである。祝辞・講演にいたっては論外と言うほかない。
 
 
 以上のように、門川教育長がこの研究会で行った祝辞・講演は、憲法擁護義務のある公務員としての公務と見なすことができない。
 また、職員は、勤務時間中に職務に密接に関連する研究会などに出席する場合でも、職務に専念する義務の特例に関する条例に定める手続きを行う必要があるが、今回、門川教育長は、その手続きもとっていない。

 従って、門川教育長は、8月7日の講演と会場への移動に要した2時間分の給与を不法に受け取ったこととなるので、この2時間分の給与を京都市に返還するようにとの勧告を行われるよう請求する。


2.請求者
住 所 職 業 氏  名 印




 以上、地方自治法第242条第1項の規定により、別紙事実証明書を添えて必要な措置を請求する。

京都市監査委員殿