2003年10月12日掲載
臨床心理学者の立場から「こころ主義」に早くから警鐘を鳴らし続けてこられた小沢牧子さんの講演を聞き、「こころのノート」が意図する真の危険性にあらためて気付かされました。
それは『もの言わぬ民』を育成するための権力者による心の国家的管理装置だという事です。
「こころのノート」の本質=愛国心に収斂されるごり押しの国家統制道徳教育のみ目が行きがちだったのですが、もっと恐ろしい謀略が仕掛けられていたんですね。
心の教育の源が80年代にまで遡るということもわかった。
経済停滞に危機感をもった資本家が「目に見える商品から目に見えないもの(心)の商品化」へ消費社会の新戦略をうち出し、経済活動の自由化・多様化へと戦略転換を行った。
経済界の意向に先導されて、同時に教育の個性化・自由化が強調されだし、これはあからさまな能力主義が謳われる現在に続いている。
競争原理の激化に疲れた大人が「癒し」を求め、カウンセリングに代表される心理主義が社会に浸透しだした。
教育の自由化の進行は、「一握りの勝者(優れた個性)」と「大多数の敗者(非才なる個性)」を峻別し、後者の不満や挫折感・鬱屈感が生み出す子ども達の「問題行動」の増加を招いた。これに危機感をもった資本家は「心の教育」という「内面管理」の手法を生み出し、心を「商品」とみなす一部の臨床心理学者達を取り込み、学校カウンセラーの配置を目論んだ。
「心の教育」のねらいは、激化する競争社会の中で、蓄積されていく個人・社会の怨念を内側に閉じ込め、不満を自己処理し、従順・自発的に現況に適応する心を育てることにある。
社会の仕組みの不条理さを個人の心の問題(悪いのは私の心の持ち方)にすり替え、心の平穏化をはからせ、問題を起こしている社会現状を維持する装置として機能していくということだ。
この装置の中では人々は分断され、社会的不平等への怒りを静めたい権力者の管理技法に絡み捕られる。
それも管理されている人間が管理されていることに気付かないままに。
「心のノート」がソフトな手法で学校教育に課した課題は、「沈黙する羊」と堕した教師に、子どもを同じく「沈黙する羊」に育てあげさせ、学校を「少数の上層員と大多数の下層員からなる階級社会」再生産の場にする事ではなかろうか。
戦前の空気と酷似化してきたとおっしゃった小沢さん。これが実体化される行く末には・・・。(志)
同講演は10月4日高槻現代劇場で、おやおやネット主宰で行われました。
講演後、小沢さんを囲んでサンドイッチつきの交流会も開かれました。
高槻市内の保護者の方々で作られた「おやおやネット」。
ネットのみなさんの周到な準備と、小沢さんのお人柄もあって、
和気藹々とした交流会になりました。
講演のはじめに、小沢さんから
「高槻は、心のノートについてしっかり学習ができている。」
と、お褒めの言葉がありましたが、
交流会でも、参加者の忌憚のない意見・質問が続きました。
前回の交流会でもそうでしたが、心のノートの問題以前に
「興味・関心・態度」の評価が子どもにもたらす影響や、
教師の罵声や体罰の問題など、
子どもの心を縛る深刻な要因がすでに学校に内在する事を
参加者みんなで再確認した結果になりました。
「子どもは学校を、値札をつけられる場所だと思っている。」
という小沢さんの言葉は、象徴的でした。
「子どもと親は五分五分。『教えてやろう』なんて思っていたら、
一緒に生きて学びあう楽しみを捨てるようでもったいないですよ。」
これは、教員と子どもにもあてはまるでしょう。
そして、こんな素敵な感性で、教員が子どもと会話できたら
子どもはどんなに気持ちが楽になるでしょう!
小沢さん、を目指してみようか
と、真剣に想った週末の午後でした。(長)