2003年9月22日掲載
京都歴史教育者協議会事務局長 本 庄 豊
『心のノート』と国定修身教科書青表紙本
『心のノート』と比較するために、戦前の修身教科書(青表紙本)をじっくり読んでみた。両者は内容だけではなく、叙述の方法も非常に似通っている。
修身教科書は昭和初期までは黒表紙本だった。それが青表紙本となったのは1934年のこと。戦時体制が強まるなかで、修身教科書も声高な愛国主義的絶叫調になったかと想像したが、まったく逆だった。大正デモクラシーのなかで展開された児童中心主義(新教育運動)や心理学の発達を青表紙本はたくみに取り入れていたという。しかし、内容的には教育勅語に沿った忠君愛国教育に直結するように手のこんだ工夫がなされていた。
「1931年(昭和6)満州事変が勃発した。日本は戦時体制に入り、この状況のもとに第四期の(修身教科書-筆者)改訂作業がなされ、1934年(昭和9)より実施された。この改訂は従来と異なって根本的な改訂であったといえる。教科書内容は全く刷新された。外観の上からも著しい変化となり、黒表紙本から薄青色に花模様を散らした表紙となり低学年には色刷りの挿絵が使用され全体としてカラフルで明るい色彩観(「色彩感」か?-筆者)のあるものとなった。教材の選択や配列にも表現形式にも児童の心理や生活が重視され童話・寓話などがふんだんに使われた。題目や文章も児童の生活に即した表現をとり児童が興味をおぼえる読み物として工夫された編集になっている。これらは大正期にはじまった新教育思想の影響といえる。しかし他方では編集方針として「忠良ナル日本臣民タルニ適切ナル道徳ノ要旨ヲ授ケ」「殊ニ国体観念ヲ明微ナラシム」という主旨が掲げられ、従来の内容とは一新して国体明微、「忠良ナル臣民」の育成目標に沿った教材内容選択がなされ、方法として新教育思想が取り入れられている」
(梅村佳代『道徳教育の研究』2000年、奈良教育大学発行)
戦後の民主化の中で、修身は廃止され、地理科、歴史科と統合され、社会科という新しい教科が誕生した。教科書は民間が自由に発行できるようになり、国定教科書は廃止された。朝鮮戦争を期に、しだいに教科書検定制度強化という「逆コース」もはじまるのだが、ともかくも国定教科書の廃止は民主教育の発展にとって大きな前進だった。
アメリカの占領政策の転換により、日本の再軍備化がはじまる。教育委員会の公選制がなくなりそれが任命制となり、カリキュラムに道徳が登場。しかし、国家が特定の考え方を道徳として強制してはならないことが建前となっている。だから文部科学省は、自らが発行し現場に送りつけたにもかかわらず、「『心のノート』は教科書でもないし、副読本でもない。参考資料だ。学校に押しつけることはしない」と言わざるを得ない。
だが実際に文部科学省が行政「指導」としてやっているのは、『心のノート』の子どもたちへの配布押しつけであり、『心のノート』を使った教育の強要(『心のノート』の国定教科書化)だということは、全国の状況からみて明らかだ。教室に保管することで「配布した」と行政に報告している学校もあるとのこと。教育基本法改悪をたくらむ勢力が国会質問までつかって、『心のノート』使用を学校に迫るのは、それだけ「心の教育」の押しつけが学校現場で反発を受けている証左でもある。
『心のノート』作成の中心となった河合隼雄氏
『心のノート』作成の中心となり、今日その普及の旗振り役をつとめている河合隼雄文化庁長官を「日本を代表する心理学者」と呼ぶ人たちがいる。心理学を専攻する知り合いの大学院生は、河合氏についてのコメントを私から求められたとき、「ユング心理学を普及するという意味で功績はあったと思うけど、政治家になってしまった」と指摘した。
結論からいえば、河合隼雄氏は日本の心理学を代表してはいない。精神科医のなかには、河合氏の心理学を「ちゃちなもの」と決めつける人もいる。河合氏は、彼の所属する学会の認定制度にすぎない「臨床心理士」を国家資格に格上げしようと、行政と癒着していった。そして行革審の委員となり、今では文化庁長官にまでなった。公立学校への「心の相談員」派遣事業の背景には、河合隼雄氏の政権党との癒着がある。そして今度は『心のノート』の作成に乗り出した。
日本の侵略戦争を肯定する歴史教科書の登場、有事法制整備や教育基本法改悪の動きなどの根っこにあるのは、日本を戦争のできる国家にかえていくという戦略である。偏狭な愛国心を育て、国家のためにすすんで命を投げ出す国民の育成をねらっている。『心のノート』の問題はそうした大きな流れの中で見る必要がある。
河合隼雄氏の著書は広く読まれているし、彼の講演会はいつも満席となる。「問題児は問題を提起している」「問題を起こす子どもは我々に問題を提起している。考え直せということだ」「教師は生徒から学べ」「心理療法家は患者から学べ」「親は子育てをしながら子どもから学ぶ」。これらはすべて河合隼雄氏の著書や講演からの引用である。間違ったことは言っていない。だが、私たちが日常的に話していることであり、何も目新しくはない。こうした話を聞いて「目から鱗が落ちる人」は、いったいどんな人なのだろう。
「河合氏は小泉首相に利用されているだけ」という意見もあるが、この間の彼の生き方を見ていれば、利用されているのではなく、自ら望んでそうした立場に立っていることは明らかである。河合隼雄氏は教育基本法改悪推進勢力に取り込まれ、『心のノート』の作成、普及の旗振り役を自らかって出ているまでになってしまっている。
うしろから読む『心のノート』
『心のノート』はやさしく、やわらかくつくられている。だから、ノートを広げてもなかなか本質が見抜けない。「このノートで良い子になることが強制される」と批判する人たちがいる。「じゃあ、道徳や人権学習のなかで、教師が学校で書かせている感想文はどうなんだ」と反論する人もいる。考えさせられる問題である。
新学習指導要領が実施され、「生きる力」や「学び方」を重視する新学力観が持ち込まれている。学習内容の吟味をともなわない新学力観的授業技術主義をきちんと批判していかないと、『心のノート』に対して本質をついた反論ができないのではないか。
『心のノート』の手口は、書かせること、書かせた内容を本当に自分の考えだと信じこませることにある。人間の心は複雑であり、書いた内容がそのまま本人の気持ちとは限らないし、時間とともに変化することもある。しかし、書いた文章は『心のノート』に確実に記録されていく。あとで読んだとき、書いた当時の状況を無視して、それを自らの認識の記録と錯覚するかもしれない。
中学校版『心のノート』の最初と最後に、「私の自我像」というページがある。自分の「心の成長」を見ようとするものだ。彼らはどんな「心の成長」を望んでいるのか。物事の本質はうしろから見える。中学校版『心のノート』のうしろの二十数ページを読んでみよう。
102-105頁 大切な家族の一員だから
106-109頁 この学校が好き
110-113頁 郷土をもっと好きになろう
114-118頁 この国を愛し、この国に生きる
118-121頁 世界に思いをはせよう
122-123頁 緒方貞子氏の国際貢献論 日の丸をつけた田村亮子選手
ここには、「家族愛→学校愛→郷土愛→愛国心→国際貢献」というあからさまな図式が透けて見える。家族であれ、学校であれ、郷土であれ、この国であれ、世界であれ、それが愛するにたるものであるかは、それぞれが判断するべきことである。将来家族をつくる、つくらないことも自由なのだ。学校は子どもたちにとって「好き」と言えるような場であろうか。日本を愛するに値する国に変革していく展望を持つことの方が大事なのではないか。『心のノート』のなかには自由で健全な批判的精神はかけらもない。
「心理主義」と教育実践の内向化
心の問題をつきつめていけば、個人の問題につきあたる。自分自身を見つめ、自己コントロールする力を徐々につけていくことが大切だと説明される。「課題は一人一人違うのだから、対応も一人一人違う」と非常に説得力ある(というか当たり前の)言葉が飛び交う。ここでは学校を含む社会にどう適応するかが一番の関心事となり、心や性格や生育暦という個々の問題へのかかわりが重要とされる。教師の実践は、学校の民主的改革ではなく、個人に関わる問題へとどんどん内向化していく。
一人一人の人間はさまざまな社会的関係のなかに生きている。学校も含めて、社会とどう向き合い、学校や社会を住みやすいものにしていくという人間の能動的なあり方を見ないのが「心理主義」である。書店にも「心理主義」の本が並ぶ。心を「分析」し、「プラス思考だ」「心を大きく持て」「くよくよするな」と諭される。悩む人には、「各自の自助努力で乗り切りなさい」と説く。「15年もかかって今の状況になったのだから、『育ち直し』に15年はかかる」ともっともらしい言葉で言われると、多くの人たちは反論できない。
学校において「心理主義」が浸透していったのはここ十数年である。この時期私たちの参加する教育運動においても、同様の「心理主義」的傾向が見られたのではないか。教育研究集会の講演で、「傷ついた子どもの心にどうむきあうか」「思春期の心の揺れに寄り添う」「良い子の心が疲れている」「育ちの中で心のぶつかり稽古を」等という演題が並んだことがあったという。「荒れる」子どもたちとのかかわり方がわからず、四苦八苦している親や教師に、講師は(今の子どもたちはこんなに大変なのだ)と情熱的に、そして優しく語りかける。キーワードは「揺れる」「寄り添う」など、非常に情緒的であいまいな言葉や、「心のぶつかり稽古」などの比喩的表現である。こうした言葉や表現が親しい男女や個人的関係のなかで使われるならばそれは意味あることかもしれないが、教育実践の場や客観的判断を求められる場において無批判に使われることに対して、私は危惧をおぼえている。河合隼雄氏の「日本は母性原理の社会だ」などという話に参加者はうなずくが、父権の強いとされているキリスト教社会でも原始母系制のなごりは強くある。これらはつっこまれればどうとでも答えられる「言葉遊び」ではないか。
この手の講演会に参加した親や教師たちは、(そうだ。子どもたちは大変なのだ)とホッとする。講演が参加者の癒しにもなるという点で、「心理主義」は困難をかかえる学校現場において蔓延する必然性をもっている。しかし、現実の問題は何も解決しない。教職員や子どもたちにとって息の詰まる学校を放置したまま、子どもの「心」にのみに関心を集中させる「心理主義」は、『心のノート』と同様、強圧的でないという点でより根が深く、罪が重いと言える。
河合隼雄氏が『心のノート』作成の中心を担ったという点から、最近河合氏に対する批判が強まりつつあるが、かつて「心理主義」的風潮の中心にいた人物が手のひらを返したように、河合批判をやっている姿はこっけいですらある。内省する力のない人は、葛藤がないから、子どもたちの様子を単純にわかりやすく「分析」できる。私たちをわかったような気にさせる彼らのやり方に対して、もっと警戒感を持たねばならないと感じる。
しかし、「心理主義」批判は学校現場ではなかなかむずかしい。「心理主義」研究者の著書を読み、講演を聞いて、熱心に実践している人たちに対して、どのようなアドバイスをしたらいいのかと悩む。さて以下の言葉は、最近耳にしたものだが、「心理主義」への疑問を率直にあらわしており、なるほどと膝をたたきたくなるのではないか。
「『事例』をちょっと聞いただけで、『分析』するすごい先生がいるけど、私なんか十年以上戦争体験の聞き取りをしてきても、人間の心理はわからない。そういう先生たちは、すぐにわかる。なぜだろう」「朝鮮戦争では韓国でも従軍慰安婦制度をつくった。またベトナム戦争では韓国兵が虐殺をしている。<極限状況における人間性の喪失>なんて、簡単な言葉でわかったような話をしないでほしい」「心は実態のないもの、人間関係のなかでつくられるもの。その心をまるでモノであるかのように、『心の傷』『心に寄り添う』なんて言う。こういう意味不明言葉の洪水の中に教師はいる」「家庭が問題だ、育ちが問題だ、なんて簡単に言わないで下さい。それを言っていた人が、次に会うときには、お母さん自分を責めないでとささやくのです。なんで!と叫びたくなる」「高額のゲーム機を与える母親の問題点ですって?無気力に過ごしている子どもがいて、ゲームをしている瞬間は目が輝いている。何もしないよりも、そんなゲーム機でもあったほうがいいと思っている親の気持ちが、あなたにわかりますか!」
私の知り合いの若い女性カウンセラーは次のように述べていた。
「企業に配置される臨床心理士は、企業という組織のなかで不適応をおこしている社員にかかわり、彼らを再生させようと努力します。それは企業のあり方をかえようとするものではなく、社員の心の持ち方をかえようとするものなのです。もしその企業が社会的な問題をおこしており、それにたいして改革の意志をもったことが彼の心の病の原因であっても、それにはふれず、ひたすらに彼の心の持ち方に話を限定するのです。結果的に私たちは企業の延命と不正に関与してきましたが、今日の企業は私たち臨床心理士を『いらない社員を再生させてしまう』厄介者として、一番に首切り対象にするのです」
『心のノート』もそうだが、社会に適応していくこと、自己改革を求めるだけの「心理主義」は、学校において克服されねばならないことだ。河合隼雄氏の学問的影響下にいるであろう少なくない「心の相談員」やカウンセラーの方々が、骨身を削る思いで築いてきた現場教職員や保護者たちとの信頼関係を台無しにしてしまっていることに、かの「高名な心理学者」はまったく気づいていないのである。