2019年8月8日掲載
(元)高槻市立南平台小学校教員・山田 肇
本年2月5日、最高裁第3小法廷は、山田肇ら3人の「君が代」不起立を唯一の理由とした再任用合格取消の撤回を求める上告を「棄却する」「本件を上告審として受理しない」とする一片の通知を三行半のごとく送りつけてきました。それから6ヵ月たった今も、「絶望の裁判所」(瀬木比呂志著、講談社現代新書)、「暗黒の最高裁」に腸(はらわた)が煮えくりかえっています。怒!怒!怒!
「君が代」の踏み絵を踏まない者はクビ!を、最高裁は是認した
『今後、卒業式や入学式等における国歌斉唱時の起立斉唱の職務命令を含む上司の職務命令を遵守します』という府教委の「意向確認書」に署名捺印した者だけを、つまり「君が代」の踏み絵を踏んだ者だけを再任用する府教委のやり口は、憲法19条「思想・良心の自由」に反するというのが、この裁判での私たちの大きな主張であり、また、「争点」でした。
しかし、昨年3月28日、大阪高裁・稲葉判決は、府教委の言う「意向確認書」、つまり「君が代」の踏み絵には「必要性、合理性がある」として、この「君が代」の踏み絵を踏まない者は「問題」であり、それに「重きを置いて勤務実績を判断」して再任用を決めることは当然だと「判決」の名で認めました。
「意向確認」、つまり、「君が代」の踏み絵は「思想調査にあたり、憲法19条『思想・良心の自由』に反する」という私たちの主張に、最高裁が全く向き合わず、また、昨年度の再任用選考から、大阪府教委は意向確認の文言を「職務命令に従います」と変更し、「地公法32条(上司の職務命令に忠実に従う義務)の遵守が確認できればよい」と回答している実態をも省みず、1回の弁論を開くこともなく「上告棄却」という形で、大阪高裁・稲葉判決を是認するとは何たることだ!江戸時代のキリシタン弾圧で使われた踏み絵と同じ「君が代」の踏み絵を、この現代の日本で裁判所が、最高裁が、教員の再任用で是認するとは何たることだ!怒!怒!怒!
「君が代」不起立者だけを「異なる基準」で再任用を決めていい、と最高裁は是認した
飲酒運転で「停職3ヵ月」の者も体罰事例で「停職6ヵ月」の者も再任用されているのに、「君が代」不起立者は戒告で(山田の戒告処分は人事委員会で取り消されているのに)「君が代」の踏み絵を踏まないと再任用されないのは、平等原則、公平原則に反し、憲法14条「法の下の平等」に反するというのも、この裁判での私たちの大きな主張であり、また、「争点」でした。
しかし、昨年3月28日、大阪高裁・稲葉判決は、「君が代」不起立は飲酒運転や体罰事例とは「過去の非違行為に対する評価」が違う。「君が代」の踏み絵を踏まない者は「自らの主義主張を優先」し、法令や職務命令「遵守」が「期待できず」、「違反行為のおそれが高い」から「学校の規律や秩序の保持の観点から問題がある」。「君が代」不起立者だけを「異なる基準」で、つまり、「君が代」の踏み絵を踏まない者はクビにしても、平等原則違反ではないし、「思想・良心の自由」の「制約」ではないとしました!
何と恐るべき判決か!天皇をたたえる「君が代」は歌えないとする者を、まるで国家に反逆する「非国民」のごとく敵視して「異なる基準」で再任用を決めるとは!しかし、最高裁もまた、この不公平・不平等に目をつむり、憲法14条「法の下の平等」を踏みにじり、 もはや、この国には「思想・良心の自由」も憲法もないと宣言したのです。怒!怒!怒!
「処分」が取り消されても、「君が代」の踏み絵を踏まないとクビ!を、
最高裁は是認した
私の「戒告処分」は、2014年3月24日、大阪府人事委員会で「高槻市教委の違法な内申により戒告処分を取り消す」という裁決が出されています。つまり、「君が代」不起立を理由とした私の「戒告処分」は存在しないのです。裁判で主張してきたように、処分は“ない”のだから、再任用に合格していた時点にもどして再任用するのが当然だったのです。
そして、高裁での裁判で早稲田大学の岡田正則先生に執筆していただいた「鑑定意見書」は、私の「戒告処分は存在せず、かつ、この処分がなされたことを前提とする資質向上研修と意向確認書提出は山田氏とはまったく無関係」であり、私の再任用合格取消は、「重要な事実の基礎を欠く」「平等原則違反」「適正比例の原則に違反」しているから「裁量権の逸脱・濫用であって、違法である」としました。
しかし、大阪高裁・稲葉判決は、処分が取り消されても、職務命令違反は消えない!「実体上」の処分は存在しないが、「君が代」の「踏み絵」を踏まないから、再任用取消=クビは当然としました。そして、最高裁も「上告棄却」という形で、処分が取り消されても「君が代」の踏み絵を踏まないとクビだという、この理不尽を是認しました。怒!怒!怒!
教師の「良心」を亡ぼして、教育がたちゆくか
昨年5月、日大アメフト部の「悪質タックル」問題で宮川泰介選手は、「そのプレーに及ぶ前に自分で正常な判断をするべき」だった、監督の命令だからと何でも従うのではなく、「自分の意思を強く持つことが今後重要」だと発言しました。「良心」にもとづく素晴らしい発言でした。
日大アメフト部の内田監督が「悪質タックル」で「相手をつぶしてこい」と命令したことと、「君が代」を立って歌えとする職務命令はどこが違うのでしょうか? どちらも「悪質」な命令です。「君が代」の職務命令は、日本の侵略戦争を進めた天皇をたたえろ、とする命令です。この命令に従うことは「教え子を戦場に送る」道をくり返すことにつながり、また、子どもたちに何が正しいか、自分で考えて行動するようにと言ってきた教師としての「良心」に反します。「悪質タックル」と同じく「良心」を踏みにじる命令です。
それゆえ、私は2012年3月の卒業式で、「自分で正常な判断」をして、侵略戦争を進めた天皇をたたえる歌「君が代」は、「教え子を戦場に送らない」という立場と自らの「良心」から、職務命令を出されても歌えませんと静かに座りました。
しかし、大阪高裁・稲葉判決は、思想・良心の自由は認めない、ことの是非、善悪は判断するな、「悪質タックル」でも「君が代」起立斉唱の命令でも、命令ならば思考を停止して、すべて何でも従え!そして、教師は命令に従うアイヒマンたれと「判決」の名で表明しました。そして、今回、最高裁もまた、私たちの訴えを「上告棄却」という形で、教師は命令に従うアイヒマンの道を行けと宣言したということになります。
かつて、田中正造は「人間の生きる『義』を亡ぼして、国家がたちゆくか」と言いました。この言葉を借りていうと、「教師の『良心』を亡ぼして、教育がたちゆくか」ということになります。教師の「良心」を亡ぼして、教育は立ちゆきません。命令で教育は成り立ちません!
「君が代」不起立の抵抗はつづく!闘いはすすむ!
私たちの裁判は残念ながら「絶望の裁判所」「暗黒の最高裁」を見せつけられる結果で終わってしまいましたが、「君が代」不起立の抵抗は続いています。今年の卒業式でも、府立高校で2人の方が「君が代」は歌えない、歌わないと着席しました。M高校のSさんは「気分が悪くなりました。あの音楽(「君が代」)が流れると、気分が悪くなるんです」と校長に答えたと聞いています。
また、5月23日、7名の「君が代」不起立戒告処分取消共同訴訟の控訴審の判決で大阪高裁・石井寛明裁判長は、井前弘幸さんに対する戒告処分を取り消す判決を下しました。井前さんが勤務していた高校の校長は、2014年4月3日の校長会で教育長から「国歌斉唱時の起立斉唱」の確認は「各校長の責任と裁量において考えてほしい」旨説明を受け、「校長に裁量が与えられたものと理解」し、同年の入学式で「君が代」起立斉唱の「『職務命令』の文言を使用せずに、同月7日の職員会議では『起立斉唱をお願いします』・・・との発言をするにとどまっていた」。(「 」は判決文からの引用)それで、大阪高裁・石井裁判長は、校長による「職務命令」がなかったことを事実に基づいて認定し、井前さんの戒告処分を取り消したのです。
井前さんは「原告の私としては、教育に携わる者としての良心に基づいて、(校長が)最低限の抵抗を試みたのだと確信をしています」と言われています。しかし、大阪府「国旗国歌条例」「職員基本条例」の違憲・違法性や、それを根拠とした「君が代」を立って歌えとする職務命令の違憲・違法性については、大阪高裁はまともに判断せず、残り6名の戒告処分は取り消しませんでした。とはいえ、裁判所が「君が代」不起立での「戒告処分」を取り消したことは画期的なことです。闘いの大きな前進です。