学労ネット

増田賢治さんを偲んで

2019年05月11日掲載



 増田賢治さんが3月23日にお亡くなりになってひと月が過ぎようとしています。増田さんの存在感、お人柄をますます強く感じる毎日です。増田さんは、学労ネットに大変篤いサポートをして下さいました。ここに増田さんへの感謝と思い出を綴りたいと思います。

 増田さんともうお会いできないことが、まだ信じられない思いです。

 何回かご病気をされ、入院されたり、静養されたりしておられましたが、必ず病気と折り合いをつけて復活してこられました。そして、会議や交渉の後の打ち上げでは、スピード違反ぐらいのペースで美味しそうにお酒を飲んでおられました。今回もそうだと思っていました。「面会は近親者だけで」と言われてもなお、まだお話が聞ける、お話ができる日が来ると思いこんだままでのお見送りでした。
 いつも私たち学労ネット・高槻の大きな力になって下さいました。資料整理や提供、噛み砕いた説明など丁寧で細かい支援。また、交渉などでは、法規やデータを基にした細やかで大胆で、相手を納得させてしまいながら一歩も引かない姿勢を目の当たりにして、いつも心強い思いでした。それらの姿からたくさんのことを学ばせて頂きました。本当にありがとうございました。
 作務衣姿の増田さんがいます。おつれあいの修子さまのお話し、特にお料理に関するお話をされる時の誇らしげでうれしそうな顔の増田さんがいます。そちらには家保さんがいますね。一緒に好きなだけ飲んで下さい。     (末 廣)


 「21g」
 
 増田さんと初めてお目にかかった頃、何も知らない私に、増田さんは「基本法コンメンタール・地方公務員法」と「教育関係法」の御本を下さった。中には、増田さんのきちっとした字が書かれた付箋がびっしり貼られており、何色ものマーカーで複雑にラインが引かれている。「すべて覚えられたのですが?」と尋ねると、覚えたと答えられた。増田さんとこの2冊の本のお陰で私は組合や交渉のイロハを学ぶことができた。
 増田さんが学労ネットにつきあって下さった時の分厚さを肌身に感じる。集会、市教委交渉、裁判、学習会、そして宴会。高槻の街のどこを向いても増田さんの想い出が刻まれている。交渉後、市役所近くのS軒で「反省会」が終わり、増田さんとふたりでJR駅を目ざす事が多かった。星空の下、寡黙な増田さんに「何を聞こう?何て話しかけよう?」と独り焦っていた自分を思い出す。機会は永久になくなってしまった。 
 映画「21g」では、人間が死ぬと体重が21g少なくなる、21gは魂の重さだと言う。私は死後の世界を信じないが、増田さんの魂の(一部)を頂いたような気がする。決してブレなかった増田さんを、いつも魂の中で追い続けたい。       (長谷川)

増田賢治さんのご逝去に哀悼の意を表します
 
 増田賢治さんには、私が2012年3月「君が代」不起立で戒告処分や再任用
取消を受けた直後から校長や高槻市教委への抗議や申し入れで先頭に立っていただき、とても心強いものを感じていました。7年前となりましたが、あの時、「君が代」不起立を理由とした私の理不尽な再任用取消に対して、高槻市教委や校長を理路整然と追及された増田賢治さんのどっしりとした力強いお姿が、今でもくっきりと頭のなかにあります。
 また、処分と再任用取消の撤回を訴えた人事委員会では補佐人として、たくさんの助言や応援を頂きました。大阪地裁・高裁での裁判にも、毎回傍聴に来て頂きました。そして、ほとんど毎回、「山田さんを支える会」にもご参加いただき、「支える会」の活動を応援していただきました。不当にも処分され、それと闘う者を見捨てない、とことん支援するという増田賢治さんの姿勢、魂のようなものを私は感じさせていただきました。増田賢治さんのお姿を思い浮かべながら、人間はこうでなくては、と思っています。
 そして、学校労働者ネットワーク・高槻の特別執行委員として高槻市教委との交渉にも参加していただき、労働組合法等に熟知しておられ論理立てて高槻市教委を追及する姿にはいつも学ばせてもらっていました。惜しい人を亡くしました。増田賢治さんとは、また、酒を酌み交わしたかったですが、今となっては、それも叶わなくなりました。心からご冥福をお祈りいたします。合掌。                     (山 田)

最後まで相談にのってくださった増田さん

 増田さんは阪大病院の入退院を繰り返しておられ、緩和ケアーの病院へ入院される前に自宅で療養されていた。その頃、私の家の近くの店の昔からの味付けのたこ焼きと回転焼きを持参してお見舞いをかねて何度か相談にうかがった。その相談は再任用組合員の転勤問題だった。もうその頃は声が出にくくなっておられ、午後には熱が出る状態だったが、それにも関わらず私の相談に的確に応じてくださった。思い返せば、増田さんは組合結成後の校長交渉申し入れとそれへの拒否、さらに校長交渉実現にいたる私達の闘争への全学労組代表としての指導に始まり、その後の市教委交渉への特別執行委員としての参加(とういよりは指導)、山田組合員への君が代処分反対闘争、人事委員会・裁判闘争への積極的関与等私たち学校労働者ネットワーク・高槻の闘いにいつも深くかかわっていただいた。なによりも人に対する優しく厚い友愛にあふれた増田さん人柄に私たちはいつもつつまれ、励まされてきた。組合交渉の後の増田さんとの楽しい飲み会の語らいは、増田さんの積み重ねられてきた闘いの経験をお聞きし、私たちの栄養分として吸収する時間でもあった。あの時間の記憶はこれからも私たちの身体のなかに生き続けていくだろう。増田さんありがとうございました。ゆっくりお休みください。           (松 岡)