2014年11月30日掲載
(松 岡)
安倍首相靖国参拝違憲訴訟始まる
昨年12月26日午前、安倍首相の靖国参拝のテレビ中継が流れた時、私の身体に落雷が直撃したような衝撃が走りました。私の父は1945年1月に中国湖北省で戦死しました。私は1944年3月生まれですので、私の生育史は戦後史とほぼ重なっています。父の戦死をどう受け止め、東アジアの民衆との加害の関係をどのように考えるかを私の課題として生きてきました。またぞろ安倍首相は日本を戦争の道にすすめようとするのか!私の息子の時代を戦争で血に染めるのか!私の孫に私と同様な悲しみの人生を歩ませるのか!と怒りが身体を走りました。その時、私は自然と靖国合祀イヤですアジア・ネットワーク事務局に電話を入れていました。その日の晩に緊急の会議があり、安倍首相靖国違憲訴訟の準備が始まりました。
安倍第二次政権は靖国参拝、特定機密保護法の強行、集団的自衛権行使容認の閣議決定等とますます戦争への道を進もうとしています。小泉首相靖国参拝訴訟の経験を踏まえて、靖国合祀取消訴訟原告・弁護団、靖国合祀イヤですアジア・ネットワークを中心に国、安倍晋三、靖国神社を被告に、安倍首相の靖国参拝を問う違憲訴訟が提起されました。訴訟は関西と関東の二箇所でなされました。私たちの組合員の多くもこの提起に賛同し、原告となりました。
大阪では4月11日、第一次提訴が行われました。第一次提訴は546名で、北海道・東北、関東・甲信越・北陸・中部、関西、四国・中国、九州・沖縄の各地からの参加です。第二次提訴は9月18日の行われ、日本在住者193名、このうち沖縄関係12名、さらに台湾の原告の29名の参加があり、合計222名でした。第二次提訴は沖縄原告と台湾の原告が参加したことが大きな特徴でした。提訴後の記者会見には台湾原告の張嘉?さんと沖縄原告の知花昌一さんが参加しました。張さんは祖父母の世代が靖国に合祀されていることは認めることができず、安倍靖国参拝は自らの平和的生存権を脅かすものである訴えました。また、知花さんは沖縄での自衛隊配備の増強の状況を述べ、安倍靖国参拝が沖縄原告の平和的生存権を侵害していると主張しました。東京では4月21日、関東地方の原告を中心に韓国に住む戦没者の遺族ら合わせて273名が第一次提訴を行いました。さらに第二次提訴は10月17日に364人で行われました。第二次提訴は在海外原告281人と多いのが特徴です。
その後、7月28日、大阪地裁で第1回口頭弁論が開かれました。この裁判で原告側弁護士は今回の訴訟の重要な論点である「平和的生存権の侵害」を中心に訴状の意義を展開しました。そして、24歳の若い世代の原告意見陳述があり、「私は戦争に行きたくありません。靖国神社に祀られたくありません。」との訴えに感動しました。引き続き、10月21日、第2回口頭弁論が行われました。次回から第一次、第二次提訴は合併されることになりました。今後、安倍首相の靖国参拝が与えた「被害申告書」を原告から集めることになっています。
靖国合祀取消要求行動で靖国神社へ
10月14日、今年で3度目になる靖国合祀取消要求行動で靖国神社に行ってきました。靖国合祀いやです・アジアネットワークによるものですが、私は1回目の靖国行動に参加し、これで2度目です。元合祀取消訴訟原告の4名とネットワーク事務局の4名が靖国神社社務所の応接室で約45分ほど合祀取消要求を靖国神社側に突きつけました。靖国神社側は尾形権宮司、宮沢総務部長他2名でした。ネットワークから出した「要請書」を読み上げ、なぜ靖国神社はなぜ合祀を取り下げないのか、その理由を追及しました。また、このときに提出した25名の「合祀を取消要求書」の思いを訴えました。その中の私の要求は、「父の戦死は、私を育ててくれた母にとっても、父の死をどうとらえるのか悩んで育った私にとっても、非常に悲しいことでありました。しかしながら、私たちは戦争の被害者であるとともに、中国の人々にとっては父は侵略軍の一員で、加害者でした。したがって靖国神社が父を『英霊』として祀ることは拒否します。合祀を取り下げられたい。」です。
引き続き、来年も取り下げ要求に来ると通告して、終わりました。以下、「要請書」の一部です。
「靖国神社合祀イヤです!訴訟の元原告は戦死した家族がなお靖国神社に合配され続けていること、靖国神社が私たちの家族が戦死したことを『進んで国に命をささげた英霊』だと勝手に意味づけし続けていることを許すことはできません。まして、首相や閣僚、国会議員が「英霊に感謝をささげる」として憲法が禁止する政教分離の原則を冒して参拝することは、政府の起こした不当・無謀な戦争に駆り出され、無念にも死んだ私たちの家族に対する侮辱であり、私たち遺族に対する侮辱です。そして、それは私たち遺族だけでなく、憲法原理である主権在民・平和主義・基本的人権を何より大切なものと考えるすべての人々に対する侮辱です。」
「私たちは、遺族の責任として、靖国神社が私たちの家族を『英霊』としつづけていることを拒否します。戦死した私たちの家族は大日本帝国により有無を言わさず戦地に引き出された者たちです。大日本帝国の引き起こした侵略戦争において戦地とされた地で食糧を強奪し、田畑を荒らし、家を焼き、レイプした皇軍(日本軍)の兵士として、戦闘を担い、傷つき、飢え、倒れました。私たち遺族は、私たちの家族が戦死したことをもって、日本軍の兵士がなした行為の一切を無化・無視することはできないと考えています。私たちの家族は大日本帝国により死を強いられた『被害者』であると同時に、アジア諸国の民衆に取り返しのつかない多大な被害を与えた『加害者』でもあるのです。私たちの家族も含めたすべての戦死者の死を『英霊』としてたたえることは侵略戦争そのものとその過程でなした日本軍兵士の行為の一切を是認することです。」
「政府が日本を再び『戦争をする国』にしようとしているこの事態のなかで私たちの家族が靖国神社によって『英霊』とされ続けていることを許すならば私たち遺族が新たな『戦争をする国』に加担することになってしまいます。私たち遺族は、戦死した私たちの家族の願いは、何より戦争のない社会であり若い人々が再び他国を侵略するための銃をとらなくてよい社会だ、と信じています。私たち遺族は戦死した家族の無念を引き継ぎ、その願いを実現しなくてはなりません。再び、戦争の加担者になるわけにはいきません。改めて要請します。私たちの家族の名前を霊璽簿から削除してください。」