2009年8月17日掲載
不受理決定!無念の終結!
(松岡 勲)
9月13日に最高裁判所から9月11日付「調書(不受理決定)」が到着しました。早い不受理決定です。我々の職場の過酷な勤務実態を一顧だにしない司法の決定に強い怒りを覚えます。日本の裁判は実質2審制であると痛感しました。提訴から5年5ヶ月になりますが、長い間のご支援、ご協力に感謝します。
私たちは、身体を壊すまで働くか、仕事をほどほどにしてでも健康を維持するかの二者択一では、後者の立場に立ち、再度、職場闘争を構築するつもりです。当面は、延び延びになっていた市教委交渉が、10月29日に設定されていますので、労働安全衛生法の完全実施、定年退職者の短時間勤務再任用を要求して闘っていきます。
ところで、私的な話になりますが、定年退職後に休憩訴訟を始めたのですから、この訴訟が私の「現場」だった訳です。裁判の不受理決定で、「この現場」がなくなったことになります。今後の私の「現場」をどこに置くかが思案どころです。
訴訟を5年余やってきたのですから、その経験を「理論化」することが課題ですし、もう一度「労働法」の勉強をやってみようと思っています。それだけでなく、もう少し包括的に「教育論」を射程に入れて、勉強し直して行こうかと思っています。
組合に関わって、仲間の生活と闘いを支えることを続けていくとともに、大学の非常勤講師として若い学生さんに「教育論」を語っていくことを意識化しようとも思っています。以上のようことを「あらたな現場」として、再出発していくつもりですので、今後ともよろしくお願いします。
◆終結−上告棄却決定−に際して
(家保 達雄)
あー終わった。案の定だ。この裁判闘争を振り返れば原告側の準備不足は否めないにしても、日本の司法制度の限界については、司法の愚直さ・蒙昧さ・傲慢さ・冷淡さ・杜撰さ、更に、行政との癒着構造・怠慢性・権威主義・事なかれ主義等々あげつらうことはできる。なかんずく、地裁判決の不当性はのっぴきならぬほど重いものであった。
何はともあれ、本人訴訟という貴重な経験の中で、教職員の置かれている労働実態と教育行政側が抱える法的問題点は、一・二・三審と進むにつれてより明解に整理できてきたように思う。
「休憩問題」を縦軸として、私自身、さまざまな支援・アドバイスを機に法令の重要性等、随分と学ぶことがあった。その運用はともかくとして、司法としても法令遵守の姿勢を崩すことは出来ない訳で、人権抑圧や不当労働に泣き寝入りすることはないのである。今や、教育行政も現場監督責任者(校長)も、長年の間放置してきた教職員の「休憩時間」を無視することはできない。限界はあるにしても、今後とも臆することなく、提訴・告発を手札とし、人権抑圧・不当労働につながる理不尽な攻撃に対抗していく糧に出来ればと思う。
2010年 3月、休職に引き続き定年退職を迎える身ではあるが、自分の生き方と重ねながら、微力ながらも関われる範囲で、(教育)労働者の権利擁護のための活動には参加していきたく思う。
最後に、本人訴訟という形をとった今回の裁判闘争は、多くの人たちとの出会いもあり、緊張しつつも結構楽しかったですね。
◆夢にまでも・・!
(末廣 淑子)
午後3時半、「職員のみなさんにお知らせします。ただ今から休憩時間です。仕事をやめて休憩してください。」と放送が流れた。やりかけの仕事をやめて、ゆっくりしよう・・と思った。どこで休もうか。職員室?いやだ! 教室?いやだ! 休養室?だめだ!(休養室とは名ばかりで、女性職員二十数名に対して6畳ほどの畳があるだけ) 結局、休憩する場所がない。
夢にまで出るか!!変に現実味を帯びた夢は目覚めを悪くした。(現実には放送などありません)
2002年度から試行が始まった休憩時間。休憩時間が取得できないのは違法、健康で働き続けたいという思いで04年に提訴。裁判という未踏の地に足を踏み入れてしまった。そこでの用語やしきたりも解らない中、陳述書で悩み、証人尋問で悩み、学校現場の実態が伝わらないもどかしさ、証拠固めの弱さ、詰めきれない自分に悩み・・での7年。今、裁判では負けたけれど、休憩が取れない実態はそのままで、過重労働・超過勤務は増えているという現実に怒りが増してくる自分がいる。「まだ終わっていない。」という思いがある。それはこの裁判を通して、同じ現実の中で労働している人たち、実務面・精神面で支えて下さった人たちとの交流の中で得た強さだと思う。職場でドキドキしながらも休憩時間について発言が出来るのも、みなさんが背後霊のように憑いていて下さっているからです。最後になりましたが、傍聴・カンパ等で御協力下さったみなさん、原告会議やメール等で力強いパワーを下さったみなさん、本当にありがとうございました。
◆裁判終結について
(志摩 覚)
『ウ~ン、一縷の望み、あれだけ心血を注いで仕上げた上告受理申立書でも、最高裁の壁は崩せない!』『いや、休憩時間裁判が提起した問題の重大性からすると、堕落した司法のピラミッドの頂点としては、「まず棄却ありき」の地裁判決を踏襲していかざるを得ない当然の行為で、なんら驚くことは無い!』
届いた不受理決定調書を前に、いまだに複雑な心境の往還を繰り返している。
拘束された休憩時間中の常態化した勤務実態を認定すること、そして学校制度発足以来長期間に亘り労基法違反の状態で捨て置かれた「休憩時間棄民」の教員を健康被害・過労死から守ることが司法の責務として当然だと考え、提訴してから5年半。
管理職・市教委が重い腰をあげ、教職員の健康・安全管理に注意を向けざるを得ない状況を維持させる、「草臥れるな!」の自戒を込めてこれからの地道な闘いへの一里塚としていければと思う。
松岡さんに大きな荷物を背負って貰いながらの裁判闘争でした。弁護人なしの本人訴訟をやりぬけたのは、裁判の骨子立てを手伝って下さった方々、毎回原告会議に出席して下さった方々、遠近を問わず足しげく裁判の傍聴に駆けつけて下さった方々等のお蔭である事は言うまでもありません。本当にありがとうございました。
◆夢は生まれたばかり
(長谷川 洋子)
「不受理決定通知」を郵便配達のひとから受け取った時、「コイツらに×(ペケ) つけ続けて正解やった!」と胸をなでおろしたが、いかにも官僚的な冷たい文面に、「ああ、やっぱり敵やったんや。」と改めて現実を認識した。
この5年間、本当に多くの事を学んだ。たくさんの方々の支援に力を得た。フラッシュバックのように、ひろい地裁の待合廊下、暗い高裁の廊下に、近くから遠くから仕事をおいて駆けつけてくださった方々のお顔がすべて浮かんでくる。支援をいただいたみなさんに、私も同じく支援させていただくことができただろうか、ダブルスの試合を3対1で闘うような行政訴訟には、横の連帯が本当に必要なのだと痛感する。
ただひとつ。被告校長の尋問の直前に、私は病院に入院するはめになり、仲間の原告に尋問してもらった。それが今でも口惜しい。
9月から復帰したが、基本的には休憩時間、疲れを覚えた時は掃除の時間の後などに休養室で少し横になる。たったそれだけで、体や気持ちをある程度リニューアルすることができる。「うちのクリニックでは、昼食後、スタッフ全員に20分間昼寝をするよう指示しています」と、ある有名なドクターが書いていたが、本来の休憩時間の位置には重要な意味があるのだ。
今の職場は、会議が休憩時間に入らないので有り難い。運動会当日など早朝勤務があれば、その分の早帰りを管理職がきちっと指示する。「当然だ」と思われる方もいらっしゃるだろうが、当然が守られていない職場がいかに多いか。
ますます混迷し仕事が増えていく現場で、休憩時間を絵に描いたモチにしてはいけない。先生達は自分が労働者であることを自覚しないと、十年後、病気で倒れるひとが今よりぐっと増えるだろう。病人がいうのも何ですが・・(笑)。
休憩時間という夢は生まれたばかり。実現させるのは裁判官ではなく私達だ。