2008年6月16日掲載
1回結審を阻止しました。
6月11日午後4時より大阪高等裁判所73号法廷(井垣敏生裁判長)で、休憩時間訴訟第1回控訴審が行われました。多くの傍聴者の支援を受け、控訴人の5名は裁判に臨みました。私たちが一番恐れたのは、最近の裁判が迅速化され、高裁段階で1回結審が増えていることでした。なんとか「1回結審を阻止したい。」というのが、私たちの共通の気持でした。
前の裁判の証拠調べが延びて、私たちの裁判の時間まで食い込み、4時5分近くになったのに、「次の裁判は15分もかからないので、4時15分から和解の協議を設定します。」と裁判長は言っているではないか。(その少し前に書記官と廊下で出会ったときに「申し訳ないが、4時半から和解が入ったので、それまでに終わるようにお願いします。」と言っていたが、えらい話がちがう!)これでは、「早く終われ!」と言っているのと同じだ。 案の上、我々の弁論が始まって、裁判長の訴訟指揮は高圧的で、居丈高だった。控訴人の末広の陳述が始まったら、裁判長が「そのまま読んだら25分はかかります。ふたりで5分のはずです。」と早く終われとばかりに末広の陳述を遮ってくる。頭に来た私は「ふたりで10分です!」と切り替えしたら、裁判長は「・・・・(ムムムム)」。続けて、もうひとり私の陳述があったのですが、ずいぶんと端折らされました。
さらに次回以降の予定が議題になったので、控訴人側は「被控訴人高槻市と大阪府の答弁書及び準備書面への反論書(準備書面)を提出したい。それと学者証人(萬井隆令龍谷大学法科大学院教授)等の新たな証拠申出をしたいので、書面提出まで1ヶ月半はほしい。」と言うと、裁判長は「被控訴人の答弁書なんて短いものでしょう。なんで書面作成にそんなに時間がかかりますか。」と噛みついてくる。また、「学者証人の依頼はいつしたのですか。」とか「給特法の法律論はいろいろと意見があって、もう出つくしているのです。」とか無茶苦茶なことを言ってくる。また、「依頼した意見書は9月末にできるので、証人として採用するかどうかの判断はそれを読んでからにしてほしい。」と控訴人の私が言うと、裁判長は「地裁判決が1月9日ですから、もう6ヶ月がすぎています。9月末まで待てません。」(正確には「5ヶ月」と思うのだが)と次回結審の腹を覗かせました。しかし、こちらが粘ったので、準備書面と証拠申出の提出は1ヶ月半後の7月25日になりました。次回の裁判日程についても、こちらの都合を言うと、裁判長は控訴人に「なぜ都合がわるいのですか。」と相手側弁護士には聞かないのに理由を聞き返してくる。頭に来た私は「地裁段階では都合の悪い理由など聞かれたためしがない。弁護士に聞かないのに!」と切り替えしたら、裁判長は「・・・・(ムムムム)」と何も言わなくなった。端から「素人」と思ってなめきっていたのが、控訴人に抵抗されて、こちらの言い分を飲んだ格好になりました。第2回控訴審は、8月29日(金)午後4時からに決まりました。(同日、午後1時15分より大阪市の新任免職裁判の判決がありますので、両方に出ていただけると思います。)これで、1回結審が阻止できましたが、次回で結審という可能性がありますので、控訴審の弁論の継続に知恵をしぼっていきたいと思います。
被控訴人(特に高槻市)を追いつめる訴訟戦術の追求
口頭弁論終了後、傍聴者にお集まりいただき、裁判所裏のプロポノセンターで今後の裁判戦術の検討をするために交流集会を持ちました。休憩時間を保障しないと刑事罰が科せられる「強行法規」である労働基準法に違反している被控訴人高槻市を追いつめる訴訟戦術について、また、龍谷大学法科大学院萬井隆令教授の意見書をどう裁判に生かしていくか等の今後の裁判闘争の方向性に関する多くの意見をいただきました。
今後の控訴人と支援者の会議で、被控訴人高槻市、大阪府の答弁書及び準備書面に対する反論の準備書面の作成、新たな証人として龍谷大学法科大学院萬井隆令教授、高槻市の労基法違反との対比で吹田市の休憩時間保障の取り組みに関して、増田賢治全学労組代表等ふくめた証人採用を求めた証拠申出書の作成に入ります。その成果の上に、次回弁論がさらに結審策動を阻止し、控訴審で被控訴人を追いつめていけるようにしていきたいと思いますので、ご支援をよろしくお願いします。(松岡)
休憩時間訴訟 第2回控訴審
8月29日(金)午後4時から、大阪高等裁判所73号法廷(別館7階)
2008年8月8日掲載
第1回控訴審 陳述を終えて
控訴人 末広
1審の最後に陳述書を書きました。この時は、「これで1審が終わる。もう一度、休憩時間が取得できなかった事実を訴えなければ!」という強い気持ちが言葉になったものでした。その後、判決。裁判ってどんなものか全く知らなかった自分が、多くの方に助けてもらいながら準備書面や陳述書、証人尋問と頭を悩ませながらも続けて来られたことが一瞬にしてゼロになったような虚脱感を感じていました。そして今、控訴という新たな場面をむかえ、これから何がどうなっていくのか見通しのないまま、陳述書を書くことになりました。思いは1審最後の陳述書と同じですが、新たな証拠というものがない中で、高裁の裁判官にどう迫っていくのかという迷いが頭の中を堂々めぐりし、書き終わった時には右手、右肩が動かなくなるくらいでした。
この陳述では特に、『高槻市教委の「7年目の試行」は違法』であること、校長は「休憩時間に労働実態があった」と認めているにもかかわらず、私が休憩時間の取得ができなかったことを否認しているという『校長の偽証』について訴えたいと思いました。高裁の裁判長の私たち裁判の素人に対するいやがらせ的発言(きっと次の和解の話し合いが気になっていたのでしょう。裁判長もそんなもんなんや!)で、出鼻をくじかれた感はありましたが、口頭での陳述を終えることができました。そして1回結審は避けられ、次につなげていけることになりました。今、私は勤務実態調査(休憩時間の振替含む)をしています。休憩時間取得の実態調査もせず、何の改善策も示さなかった高槻市教委の怠慢の結果が、7年目になる今年にもはっきりと表れています。休憩時間を保障しないと刑事罰が科せられる「強行法規」である労働基準法を「7年目の試行」と平気で公言する高槻市教委をどうにかして追いつめていきたいと強く思っています。
最後になりましたが、原告会議等で力になって頂いているみなさん、傍聴に来て頂いたみなさん、本当にありがとうございました。これからも支援をよろしくお願いいたします。
根性が明日を呼び寄せる! -控訴審第1回傍聴記番外編-
枚方市民 松田浩二
大阪地裁(第5民事部)の一審判決が2008年1月9日だった。控訴手続きは14日以内。これは厳守しなければならない。その後、50日以内に控訴理由書を提出することになるけれども、控訴理由書の場合は、上告理由書と違って、実際には、ある程度、融通が利く。この「休憩時間訴訟」の控訴理由書は、たしか4月30日に提出したと聞いているから、ほぼ規定の倍の時間を費やしたことになる。
6月11日の控訴審第1回口頭弁論で井垣敏生裁判長(大阪高裁第14民事部)が、控訴人(原告)の5人に対してのみ、極端に尊大な態度をとったということについては、増田賢治さんの傍聴記にくわしく書かれてあるとおりだ。そこでも裁判長は「一審判決から5ヶ月も経っている」とこれ見よがしに控訴理由書の遅延を持ち出して、まるで自分が、貸した金を踏み倒されても我慢している善良な被害者ででもあるかのように、恩着せがましく圧力をかけてきた。1回目の弁論で互いに構えているとはいえ、肝の小さい男である。凡庸な裁判官とは、えてしてこういうものだ。
そういえば、書いていて思い出した。私も原告だった枚方「スミぬり裁判」(住民訴訟)の控訴審第1回(2006.5.31)のときにも、やはり裁判長は同じことを言った。「本人訴訟だというので、控訴理由書に半年も待ったんですよ…ガミガミ」。もっともそのとき私は開口一番、誠心誠意、平身低頭、丁重に謝って、以後の展開に事なきを得ている。「戦わずして勝つ」兵法の極意というべきであろう。(しかし判決では、どエライ目にあった。)
本人訴訟では、つねに1回結審の不安がつきまとう。もちろん無意味に回を重ねればよいというものではないが、控訴理由書もそうであるように、法律と裁判の素人が、それなりに形を作り、納得できる主張・内容を尽くすには、ある程度の時間がどうしても必要である。裁判所はそのことを積極的に認めるべきだ。そう考えると、分厚い壁を押すような「給特法」がらみのこの裁判で、原告のみなさんのねばり強い頑張りは、たいしたものだと思う。近い将来、この壁はかならずや崩されていくことだろう。
6月11日の弁論では、私は末広さんの根性に限りなく感動した。そのことを書いておきたい。(松岡さんの発言などについては増田さんが触れているので、省略。)はじめ陳述書を朗読していた末広さんに、裁判長は「あのね、こんな調子で読んでたらあとどれぐらいかかると思ってんの、30分はかかるよ、そんなに待てませんよ、ふたりで5分ってんだから(…ったく、素人は)」と小馬鹿にしたようなぞんざいな口調で横ヤリを入れた。裁判長は、よほど虫の居所が悪いらしく、ひとつ目のカンシャクが早くも弾けた状態で、抑えがきかなくなっている。さぁ、これからどうするだろう、気の弱い私は傍聴席でとても心配した。末広さんは朗読をやめて、陳述書の5点の項目の要旨をアドリブで丁寧に説明しはじめた。1点目、2点目、3点目、決して急くことなく、学校現場の実態を坦々と、しかし明瞭な発音で最後の5点目までを堂々と陳述してのけた。なかなかできることではない。人間、逆境にあって、いちばん大切なのは根性だ。いい根性を見せていただいた。言い添えるなら、法廷で自分の書いた書面の要旨を陳述することは、実は人が思っている以上にずっと難しい。
末広さんの陳述の「実績」は、その後の展開を規定する重しとしてよく効いたと私は思う。裁判長の「弱い者いじめ」の姿勢は最後まで続いたが、ほとんど空威張りにすぎなくなった。司法も、法廷も「聖域」などではない。「裁判員制度」にしたって、素人を笑う者は、いずれ素人に泣くことになるだろう。私の知る本人訴訟は、そのことを予感させる。原告の長谷川さんも元気な姿で戻ってきた。控訴審も一歩ずつ最後まで頑張り抜いてほしいと私は期待している。(2008.6.22)
「学労ネット・高槻」休憩時間訴訟/第1回控訴審傍聴記
~素人とおもてなめたらあかんでぇ~
全国学校労働者組合連絡会(全学労組)代表 増田 賢治
本人訴訟(弁護士をつけず原告本人達だけで裁判を進める訴訟)である高槻学労ネットの「休憩時間訴訟」が大阪地裁で不当判決を受けて5箇月後の2008年6月11日、大阪高裁で「学労ネット・高槻」休憩時間訴訟第1回控訴審が開廷されました。控訴審で最も心配したのは、控訴審が1回で結審することでした。控訴人及び傍聴支援者は、「1回結審を阻止したい」との想いで裁判所の訴訟指揮に注目しました。
控訴人の陳述が始まるやいなや、裁判長は陳述している途中で遮り、控訴人に時間の短縮を強要するなど、裁判長の訴訟指揮は高圧的でした。しかし、結果的に「1回結審」を阻止することができました。
そして、今後の裁判の進め方について、控訴人側は「被控訴人高槻市と大阪府の答弁書及び準備書面に反論するために準備書面を提出する。」あわせて「学者証人(萬井隆令龍谷大学法科大学院教授)等の新たな証拠申出をする。」ので1箇月半ほど時間的猶予が欲しい旨の弁論を行いました。それに対して裁判長は、「被控訴人の答弁書は短いものなのに、何故準備書面作成にそんなに時間がかかるのか。」と難癖をつける。また、「学者証人の依頼は何時したのか。」、「給特法に関する法律論は出尽くしている。」とか居丈高でした。そして、控訴人側が「萬井教授に依頼した意見書は9月末までにできるので、証人として採用するかどうかの判断は意見書を読んでからにしてほしい。」という要請に対して、裁判長は「地裁判決(2008年1月9日)から6箇月も過ぎているので9月末まで待てない。」と言明しました。
このことは、明らかに次回で結審することを窺わせるものです。論議の末、準備書面と証拠申出の提出は1箇月半後の7月25日締切になりました。また、次回の裁判日程に関しては、裁判長が次回日程を示したのに対して控訴人側が自らの都合・不都合を言うと、裁判長は「何故都合がわるいのか。」と被控訴人側の弁護士には聞かない「不都合の理由」を聞いてくる。それまで我慢していた控訴人側は、裁判長の態度の悪さと訴訟指揮のでたらめさに激怒し、「地裁段階では、日程に関して不都合の理由など聞かれた事がない。」、「弁護士には聞かないことを何故聴いてくるのか。」等々、裁判長に怒りをぶつけました。すると裁判長は沈黙し、以後何も言わなくなりました。裁判長は端から「素人」と思って嘗め切っていたのですが、予期しない控訴人の抵抗に晒されて沈黙せざるを得なかったのでしょう。結局は控訴人の言い分を飲んだ格好になりました。
第2回控訴審は、8月29日(金)午後4時からに決まりました(同日、午後1時15分より大阪市の新任免職裁判控訴審の判決言い渡し日)。これで、「1回結審」を阻止することはできましたが、裁判長の言動からすると、次回で結審という可能性が極めて高いことは間違いありません。
被控訴人を追いつめる訴訟戦術の追求
控訴人と支援者は、被控訴人高槻市を追い詰める訴訟戦術として、・被控訴人高槻市、大阪府の答弁書及び準備書面に対する反論の準備書面を作成する。・龍谷大学法科大学院萬井隆令教授執筆予定の意見書を提出し、新たな証人として申請する。・高槻市教委及び校長の労基法違反を明らかにするために、吹田市教委の休憩時間保障の取り組みと対比させて、私(増田賢治全学労組代表)の証人採用を求めた証拠申出書の作成に入る。・教員の休憩時間は割り振りを変更しても保障されない実態及び常態化する超勤実態について調査を通じて明らかにする。等々について確認しました。
次回弁論で結審策動を阻止し、あわせて被控訴人を追い詰める訴訟戦術の構築と控訴審における新味の弁論を展開するために、控訴人はじめ支援者はもう一踏ん張りすることが必要です。