2008年5月3日掲載
平成20年(行コ)第28号 賃金等請求事件
控訴人(一審原告) 松岡 勲 外4名
被控訴人(一審被告) 大阪府 外8名
控 訴 理 由 書
2008年6月11日
大阪高等裁判所 第14民事部D1係御中
控訴人 松 岡 勲
控訴人 家 保 達 雄
控訴人 志 摩 覚
控訴人 末 広 淑 子
控訴人 長谷川 洋 子
記
<目 次>
はじめに
第一 原判決における明らかな事実誤認の削除・訂正を求める。
1)原判決における明らかな事実誤認
2)その他の事項で明らかな事実誤認
第二 公教育は教職員の超過勤務と休憩時間勤務によって維持されている。
1)休憩時間中に黙示の命令を為したとの一部認定による対価受給権・損害賠償請求権を求める。
2)休憩時間中に職務に従事したのは教職員の自発性・創造性に基づくものではない。
3)控訴人らの「空き時間」及び時間年休取得と休憩時間取得とは無関係である。
第三 支払われるべき休憩時間勤務の対価について
1)限定4項目以外の超過勤務を命じないことが前提
2)「教職調整額」を包括的に捉える誤り
3)自発的・創造的労働論の誤り
4)原判決の給特法解釈と現実との乖離
5)「対価受給権」は当然認められるべき
第四 賠償されるべき控訴人らの損害について
1)休憩時間取得実態調査(2002年度:高槻市教委)
2)被控訴人校長らの陳述書及び証人尋問と校長の勤務実態調査報告との乖離
3)高槻市教委の行政責任(故意及び重過失)
4)労働基準法と国家賠償法
おわりに
はじめに
原判決は、「原告らは、平成14年度又は平成15年度において、各校長から明示された休憩時間において、相当時間にわたり勤務に従事していたこと、当時、原告らを含む高槻市立小中学校の教育職員の多くが、明示された休憩時間を十分に取得できないと感じるような勤務状況であったことは認められる。」(55頁)としながらも、控訴人らの休憩時間に関する未払賃金及び損害賠償請求を棄却し、退けた。
しかしながら、2004年の提訴時点は勿論、その後現在に到るまで休憩時間は取れないままであり、教職員の超過勤務実態と休憩時間の労働実態はさらに過酷な状態になっている。また、高槻市教育委員会(以下、高槻市教委という)が休憩時間の試行を始めてから7年目(労働基準法に定められた規定だというのに、いまだ「試行」のままである。そもそも強行法規であり刑事罰を伴う労働基準法で、休憩時間は与えなければならないとあるのに、試行[試しに行う]ということが許され得るのか。)になるが、現場は過密労働とストレスで充満し、病気で倒れる同僚が激増している。休憩時間の取得は提訴時以上に困難になっている。被控訴人の校長らはアリバイ的に休憩時間の明示をするだけで、休憩時間中に職員が仕事をしている実態を黙認しているし、被控訴人である服務監督者の高槻市教委は休憩時間の「試行」のまま管理責任を放棄し、休憩時間取得実態調査もせず、取得のための手だても何ら講じていない現状である。
控訴人らは、このような実態と乖離する原判決を容認することができないので、従前の主張を維持しつつ、以下のとおり原判決の誤りを指摘するものであるが、貴裁判所が、実体面における「国立及び公立の義務教育諸学校の教育職員の給与等に関する特別措置法」並びに「公立の義務教育諸学校の教育職員の給与等に関する特別措置法」(以下、合わせて給特法という)や労働基準法(以下、労基法という)などの解釈・適用を誤った原判決を是正するとともに、労基法上の「無法地帯」とも言われて久しい学校現場の法的荒廃に対し、公正かつ厳正な判断を示されることを心底より望むものである。
なお、本控訴理由書で展開した主要な論点を要約すると以下の通りである。
1)原判決は「黙示の命令」を極端に狭く解釈し、休憩時間における労働に関して、恣意的に「職務性」を否定する誤りを犯しており、また、公教育は教職員の慢性的な超過勤務及び休憩時間勤務とによって維持されており、その現実を直視しない原判決の「自発的・創造的労働論」は間違っている。教職員のあらゆる仕事は、校務を分掌する校長の明示の職務命令に基づくものであり、教職員はその後の分担されたあらゆる職務遂行に当たって、校長から「黙示の命令」ないし「包括的職務命令」によって職務に専念しているのである。
2)原判決の給特法についての法律解釈を批判し、休憩時間勤務の対価受給権は当然認められるべきであることを主張する。給特法上は、限定4項目以外には時間外労働は行われないという建前に沿う限りにおいて、労基法37条の適用除外を定める給特法の条項が有効とされるのであって、地方自治体がその建前に反し給特法の構造を無視しながら、同法の労基法37条の適用除外を定める条項をだけは有効であるというのは、特別法たる給特法の解釈として適切ではない。給特法の建前に反する場合は、労働時間制の原則に立ち戻り、現実に超過勤務をさせた場合には、労基法37条が適用されるべきである。
3)労基法の休憩時間保障は刑事罰を伴う「強行法規」であり、被控訴人高槻市の行政責任及び校長らの管理責任は厳しく処断されねばならず、損害賠償請求は当然認められなければならないことを主張する。校長と高槻市教委は、関係法令に則して、すべての勤務日に休憩時間が確保できる措置を講じなければならないにも関わらず、休憩時間が確保できないまま連続8時間を超える勤務を強いてきたし、職務遂行に関わって、校長及び高槻市教委が違法行為を犯してきたことは明白であるといわざるを得ない。よって、被控訴人高槻市と高槻市教委及び当該校長らは、勤務条件に関わって、控訴人らに対して違法に精神的及び肉体的被害を与えたことについて、連帯して損害賠償する責を負わなければならない。
第一 原判決における明らかな事実誤認の削除・訂正を求める。
原判決には以下の通り明らかな事実誤認がある。これは書証の読み取りにおける裁判所の初歩的なミスであり、原判決における明らかな事実誤認の削除・訂正を求める。
1)原判決における明らかな事実誤認
(1)原判決文44頁のウの項で高槻市教委が2003年1月に行った休憩時間取得状況調査(甲2号証)について、「ウ 調査票において、前記イ(ア)の質問にBないしDと回答した者は、更に、休憩時間を取得できなかった理由を記述式で回答することを求められていた。」と述べているが、これはまちがいである。調査票の原文では、(問4)として「問2、問3でB、C、Dに○をつけた人は取得できなかった理由を簡単に記載してください。」となっている。そして、それを校長が取りまとめて記載したものが、判決文の45頁の内容である。
(2)休憩時間取得状況調査について控訴人松岡に関しては、柳川中学校長が記載した内容は、「明示した休憩時間は取れていないという予想はあったが、実態はそれを超えるものであった。制度の抜本的な改善か、人的配置を施す以外に方法はない。」(45頁)のみである。それ以下の「授業中はもちろん、放課後も生徒対応があり、日々多忙。」以下「休憩時間確保のため、会議等の時間が整理されたことは評価。しかし、退勤が遅くなったのが実状である。」までは、他中学校長が記載した内容である。各校長の記載内容は各校1行分である。よって削除を求める。
(3)同様に控訴人家保に関しては、庄所小学校長が記載した内容は、「授業終了後の45分を休憩に充てたが、児童との対応等でほとんど取得できなかった。来年度は一斉に休憩が取れるよう十分な検討が必要。」(45頁)だけであり、それ以下の13行分は他の小学校長の記載内容であり、削除を求める。
(4)同様に控訴人志摩に関しては、「児童への対応や教材研究等で、なかなか取得できない現状。」(46頁)のみであり、「時間変更等の工夫をしても、子どもとの対応が長引き,取得は厳しかった。」は、他校の小学校長の記載内容であり、削除を求める。
(5)同様に控訴人末広に関しては、「電話、来客対応、教材研究等のため、とりにくかった。しかし、意識づけとしての効果はあった。」(46頁)のみであり、「児童への対応が」以下「まわりに遊んでいるように見えてしまう。」(47頁)までの29行分は他校の小学校長が記載した内容であり、削除を求める。
(6)同様に控訴人長谷川に関しても、「休憩時間には、児童や保護者への対応が入ることが多い。児童がいる間は休憩をとるという意識が薄い。」(47頁)だけであり、「児童の安全確保や授業準備作業のため休憩時間の取得は困難である。」以下「昼休み、放課後もそれぞれの事由で取得困難であった。」までの20行分は他校の校長の記載分であり、削除を求める。
(7)高槻市教委が行った休憩時間取得状況調査において、裁判所の初歩的なミスとはいえ、控訴人らが勤務する学校以外の校長が記載した調査結果が示すものは、高槻市立小中学校に勤務する教育職員すべてに於いて休憩時間が確保されていない勤務実態である。また、校長が記載した調査結果は、如何にすれば休憩時間を確保することができるのか、常に児童・生徒がいる中で休憩時間を取得することは不可能ともいえる現実について、校長はじめ教職員の苦悶する姿を垣間見ることができる。
2)その他の事項で明らかな事実誤認
(1)控訴人家保に関して、原判決(11頁)「休憩時間は、月曜日・火曜日・木曜日は午後3時25分から午後4時10分までで、水曜日・金曜日は午後2時40分から午後3時10分までであった。」は、休憩時間は2002年度と2003年度とでは異なる。02年度では、月・火・木曜日は午後3:25~午後4:10までで、水・金曜日は午後2:25~午後3:10までであった。03年度では、月・火・木曜日は午後3:25~午後4:10までで、水・金曜日は午後2:30~午後3:15までであった。また、原判決(39頁)では、「庄所小学校での休憩時間」は、「いずれも「終わりの会」(約10分間)の終了時刻後の、放課後の時間帯であった」とするが、授業を校時の45分で行えば、「終わりの会」(10分程度)は、休憩時間に食い込んでいた。(被控訴人中井本人調書の11頁・13頁、原判決39頁)
(2)控訴人末広に関して、原判決49頁下から4行目の「(丙20、被告高浜本人)」は誤りであり、正しくは「(丙17、被告大西本人)」である。
(3)控訴人長谷川に関して、原判決43頁下から2行目の「3年生の他の担任教諭が新任2年目であったことから、放課後に学年会として同教諭との打合せを多く行った。」は、2005年度の勤務校(高槻市立南大冠小学校)のことであり、無関係のため削除を求める。(甲第76号証)
第二 公教育は教職員の超過勤務と休憩時間勤務によって維持されている。
原判決は「黙示の命令」を極端に狭く解釈し、休憩時間における労働に関して、恣意的に「職務性」を否定する誤りを犯している。以下、原判決の問題点を整理し、公教育は教職員の超過勤務と休憩時間勤務によって維持されていることを述べる。
1)休憩時間中に黙示の命令を為したとの一部認定による対価受給権・損害賠償請求権を求める。
原判決は、土室小(控訴人・志摩)及び竹の内小(控訴人・末広)におい て、「休憩時間中に職員会議が開かれることがあったことが認められる。職員会議の開催及びこれに対する出席は、校長の職務命令に基づくものといえるが、校長が職員会議を休憩時間中に開催するよう命じた明示の職務命令を認めることはできない。」また、「その会議の性質上、校長が休憩時間中の開催を黙認している以上、校長の黙示の職務命令に基づき、休憩時間中に開催されたということができる。」(以上、原判決50頁)としながら、「それ以外には、本件全証拠によっても、被告校長らが原告らを含む教職員に対し、休憩時間中に職務に従事するように明示して命令した事実は認められない。」(原判決51頁)と述べている。
しかし、原判決が休憩時間中に黙示の命令によって職員会議が開かれることがあったことを認めるなら、後述するように職員会議に関しては「校長は、職員会議を招集し、主宰する。」と規定しているのであるから、たとえ1件であろうと数件であろうと「黙示の命令」の下に「職員会議が開催された」との認定の上、しかもすべての勤務日に与えなければならない休憩時間を与えなかったことにより惹起した違法に対して、超勤手当に相当する対価受給権、損害賠償請求権を認めるのが当然であろう。ところが原判決の該当箇所には(50頁~53頁)、超勤手当に相当する対価受給権、損害賠償請求権を認めるべきでないとする如何なる理由も明記されていない。よって、対価受給権・損害賠償権が認められるべきであると考える。
2)休憩時間中に職務に従事したのは教職員の自発性・創造性に基づくものではない。
(1)原判決は、「被告校長らが原告らを含む教職員に対し、明示した休憩時間を取得できるように配慮していたことが認められる。」(51頁)とするが、被告校長らは、休憩時間を明示しただけで、実質的に保障する措置を何ら講じていない。また、原判決は「原告らの勤務状況によれば、原告らは、休憩時間にも相当時間にわたり、職務に従事していたことは認められる。」しかし、「教育職員の職務の特殊性に照らすと、その多くについては、原告らは、教育職員としての各自の自発性、創造性に基づき、その職務を遂行してきたと認めるのが相当であって、少なくとも、被告校長らが原告らに対し、各自の職務を休憩時間にわたり従事することを、黙示に命令したような事実は認められない。」したがって「上記の職員会議への出席を除くと、これらを遂行する時間帯までの指示があったとは認められず(したがって、これらの職務を休憩時間に遂行するよう指示があったとも認められない。)」、「原告らは、定められた職務担当につき、各自の判断から、都合のよい時間帯にその職務を遂行していたと認めるのが相当である(その日の職務内容によっては、休憩時間を取得すると、本来の終業時刻までに全ての職務を終わらせることができない場合もあることが推定されるが、これを休憩時間内に遂行するか、所定終業時刻後の残業として遂行するかは、各自の判断ということになる。)。」(以上、51頁から52頁)とする。また、「原告らは、休憩時間を全く取得できないような勤務状況にあったことから、被告校長らが原告らに対して休憩時間の勤務につき黙示の職務命令をしていたというべきである旨主張するが、以上の認定判断に照らすと、仮に原告らがそのような勤務状況にあったとしても、そのことから直ちに原告らが主張するような黙示の職務命令をしていたとは認められない。」(52頁)と述べる。
しかし、このような判断は黙示の命令を極めて狭く解釈したものであり、学校現場での労働の構造を理解しない考えであり、とうてい容認できない。
(2)学校現場では、年度はじめの職員会議で、「校務をつかさどり、所属職員を監督する」校長が学級担任はじめ校務の分掌を決定する。それは、校長が校務を分掌させるための職務命令に他ならない。そして、その命令に基づいて学年が構成され、各種委員会や部会が構成される。それぞれの分掌では「児童(生徒)の教育をつかさどる」教諭をはじめ分掌された構成員の協議を経て細目を決定する。そして校務は細分化されていく。また、年間行事計画や月例行事計画は、全教職員によって職員会議で決定し、それに従って教職員は職務を遂行していく。
「高槻市立小学校及び中学校の管理運営に関する規則」で職員会議は、「学校に、校長の職務の円滑な執行に資するため、職員会議を置くことができる。」「職員会議においては、校務に関する事項について教職員間の意思疎通、共通理解の促進、教職員間の意見交換等を行う。」「校長は、職員会議を招集し、主宰する。」と規定している。そして、学校教育法における職員の職務規定に関する見解、とりわけ校長の「校務をつかさどり、所属職員を監督する」ことの意味については意見が分かれている。すなわち校長を学内管理権者、教員の職務上の上司と見る場合と、教員の職務上の独立、職員会議の教育内容・方法など内的事項における議決機関性を重視する場合とで著しく異なる。また、行政解釈もその時期の教育政策の性格により大きく変動している。
いずれにしても、学校教育法において「教諭は、児童(生徒)の教育をつかさどる」のであるから、教育の仕事が教員の自主性・自発性・創造性に基づいて行われるのは当然であり、普遍である。したがって、職務の遂行にあたっては、逐一校長の文書ないし口頭による職務命令を待って行われることは考えられないし、あってもまれである。日々の学校・学年・学級運営は学校全体をベースにして行われる場合と、各学年や各部署の判断を尊重して行われる場合がある。いずれの場合も、年度当初の職員会議における校長による校務を分掌する命令に基づき職務が遂行されていくのである。
校務とは、「学校の運営に必要な校舎等の物的施設、教員等の人的要素及び教育の実施の三つの事項につきその任務を完遂するために要求される諸般の事務を指す。」(東京地裁判昭32.8.20判例時報124-8)のである。したがって、教職員は「校務をつかさどり、所属職員を監督する」校長の校務を分掌する職務命令に従い、職務を完遂することに専念しているのである。そして、文部科学省が実施した「教職員の勤務実態調査」結果(甲99号証、甲100号証、甲101号証)が示すように、教職員の勤務の実態は、法定された勤務時間内にとどまらず勤務時間外に及ぶことが常態化しており、更に日々「持ち帰り仕事」をせざるを得ないのが現実である。また、勤務実態調査結果で明らかになったように、あらゆる勤務日に与えなければならない休憩時間(勤務時間が6時間を超える場合は45分以上、8時間を超える場合は1時間以上)は、保障されていない。好むと好まざるに関わらず教職員は、連続8時間45分以上の勤務をせざるを得ないのである。これが教職員とりわけ教育職員の勤務の態様の現実であり、このような増加する教員の超過勤務、厳しい労働実態は、決して「自発的・創造的」に為している労働ではない。
したがって、前記の原判決の判定は、明らかに教員の勤務態様に対しての誤認ないし根本的な判断の誤りがある。教育の仕事が教員の自主性・自発性・創造性に基づいて行われるのは当然であり普遍であることを、あえて判決理由に「教育職員としての自発性、創造性に基づき、その職務を遂行してきた」のは、「被告校長らが原告らに対し、各自の職務を休憩時間にわたり従事することを、黙示に命令したような事実は認められない。」「原告らは、定められた職務担当につき、各自の判断から、都合のよい時間帯にその職務を遂行していたと認めるのが相当である(その日の職務内容によっては、休憩時間を取得すると、本来の終業時刻までに全ての職務を終わらせることができない場合もあることが推定されるが、これを休憩時間内に遂行するか、所定終業時刻後の残業として遂行するかは、各自の判断ということになる。)。」(51頁~52頁)と、暴論とでも言うべき判断をしており、教育職員の勤務態様を理解しておらず、日々の勤務実態を見ていない。現実の教職員の労働実態は、休憩時間においても消化すべき仕事が山積されており、また、それを消化しないと毎日の労働が完了しないのである。(甲69号証の2005年9月27日~10月25日における「休憩時間中の労働実態報告」参照)教職員のあらゆる仕事は、校務を分掌する校長の明示の職務命令に基づくものである。そして、教職員はその後の分担されたあらゆる職務遂行に当たって、校長から「黙示の命令」ないし「包括的職務命令」(原告準備書面7)によって職務に専念しているのである。すべての教職員は、体を壊してまで日々の勤務に於いて休憩時間を返上して、その時間に勤務しようとは思わない。心身ともに健康で働き続けるためにも、日々勤務する中で休憩時間が取れるなら当然休憩したいと願っている。しかしながら、日々の勤務の中で「休憩時間は取りたくとも取れない。」のが真実である。
3)原告らの「空き時間」及び時間年休取得と休憩時間取得とは無関係である。
原判決では、「各校長から明示された休憩時間において、相当時間にわたり勤務に従事していたこと、当時、原告らを含む高槻市立小中学校の教育職員の多くが、明示された休憩時間を十分に取得できないと感じるような勤務状況であったことは認められる。」(55頁)とするが、しかし、控訴人らには、(控訴人松岡に関して)「毎日1時限程度の空き時間」、(控訴人家保に関して)「週5時限程度の空き時間」、(控訴人志摩に関して)「週6時限程度の空き時間があった。」とする(55頁)。しかし、「空き時間」とは授業のない時間であっても、採点・ノート点検・教材準備・実験の後片づけ・生活指導上の対応等勤務が継続している時間であり、休憩時間にはなりえない。また、控訴人らは「所定終業時刻までの数時間に年次休暇を取得することが少なくなかったことが認められる。」(56頁)したがって、「教育職員の職務の特殊性に照らすと、原告らが休憩時間に従事した職務の大半は、教育職員としての各自の自発性、創造性に基づいて遂行されたものと認めるのが相当である。」「原告らが休憩時間を取得することが極めて困難であるような状況にあったとまで認めるに足りる的確な証拠はない。」(56頁)とするが、「空き時間」「年次有給休暇」等は休憩時間取得とは無関係である。また、控訴人らは休憩時間が取れていた訳ではないのである。控訴人らが休憩時間に従事した職務の大半は「教育職員の職務の特殊性」「自発性・創造性に基づいて遂行されたもの」という原判決の判断はまちがっている。 「原告準備書面9」では、「休憩時間中の労働実態報告」(2005年9月27日~10月25日までの1ヶ月間の控訴人家保、志摩、末広、長谷川の休憩時間の労働実態を記録したものを提出している。(甲69号証)この労働実態からも分かるように、「いずれも放課後に休憩時間が45分のまとまりとして割り振られており、(中略)この実態を見ても、休憩時間が子どもへの対応及び実質勤務の実態にあり、全く取れていないことが明確」であった。たとえば、控訴人末広の同年9月27日の休憩時間中の労働を見れば、障害を持つ子どもの下校及び子どもの喧嘩への対応、教室の後かたづけ、翌日の休憩は運動会用の旗づくりでつぶれている。これは他の控訴人の休憩も同様であり、休憩時間は子どもへの対応、授業や学年行事の準備、テストの丸つけ、ノート点検等のさまざまな業務で、めまぐるしいほどの労働が連続していた。原判決は、このような控訴人らの労働実態をあえて黙殺し、「休憩時間が取れないなら、有給休暇は取るな。」「空き時間にしなければならない業務などはない。」と言っているに等しく、控訴人らの「労基法を遵守し、休憩時間が取れるにようにしてほしい!」との痛切な叫びを無視した、暴論である。
第三 支払われるべき休憩時間勤務の対価について
原判決は給特法の理解を根本的に誤っている。以下、原判決の誤りを指摘し、休憩時間勤務の対価は当然支払われるべきであることを主張する。
1)限定4項目以外の超過勤務を命じないことが前提
原判決では、教員の勤務について「勤務時間の内外を問わず包括的に評価することにして、労働基準法37条等に定める時間外勤務手当及び休日給の制度を適用しないことにする代わりに、俸給相当の性格を有するものとして教職調整額を支給することとしたこと」「教職調整額に関して、・・・俸給月額の4%を支給すること」(52頁)としている。
しかし、原判決でも認定したように(53頁~54頁)給特法に基づいて、「教職員に対し時間外勤務を命ずる場合の規定」が定められたが(1971年)、同規定は「原則として時間外勤務を命じないものとする」としつつ(3条)、時間外勤務を命じ得るものを限定した。(限定5項目。各地方自治体段階では、「教育実習の指導」を外して、1生徒の実習、2学校行事、3教職員会議、4非常災害等やむを得ない場合という限定4項目。)その上、その限定4項目についても「臨時または緊急にやむを得ない必要があるときに限る」と制約を加えている(4条)。さらに、解釈による濫用を防ぐために、文部事務次官通達文初財377号は、2の「学校行事」とは学習指導要領に定めるものに相当する「学芸的行事、体育的行事及び修学旅行的行事を指す。」とし、4の「非常災害等」の「等」とは、「児童・生徒の負傷疾病等人命にかかわる場合における必要な業務」と「非行防止に関する児童・生徒の指導に関し緊急に措置を必要とする業務を指す。」ものとした。以上のように給特法の趣旨は、限定4項目以外の超過勤務を命じないことが前提である。
2)「教職調整額」を包括的に捉える誤り
原判決は、「旧給特法、府給与条例及びこれに関する前記法令の規定は、教育職員の勤務の特殊性に鑑み、その勤務については勤務時間の内外を問わずに包括的に評価することとし、・・・このことに照らすと・・・直ちにこの勤務に対する対価を受給するものではないというべきである。」(54頁~55頁)とするが、前述のように給特法成立の経過からいって、限定4項目以外の時間外勤務については「教職調整額」には含まれていず、「勤務時間の内外を問わず包括的に評価する」ものとして教職調整額を捉えることは誤っている。また、給特法の趣旨をこのように理解すれば、限定4項目以外の超過勤務を命じないことが前提であり、限定4項目以外の超過勤務が生じたときには、「対価受給権」が発生すると捉えることが論理的整合性を持つ。
また、原判決では前出のように「原告らは、定められた職務担当につき、各自の判断から、都合のよい時間帯にその職務を遂行していたと認めるのが相当である(その日の職務内容によっては、休憩時間を取得すると、本来の終業時刻までに全ての職務を終わらせることができない場合もあることが推定されるが、これを休憩時間内に遂行するか、所定終業時刻後の残業として遂行するかは、各自の判断ということになる。)。」(51頁~52頁)というような御都合主義的な論理も見受けられる。
3)自発的・創造的労働論の誤り
原判決は「原告らの勤務状況等及び教育職員の職務の特殊性に照らすと、原告らが休憩時間に従事した職務の大半は、教育職員としての各自の自発性、創造性に基づいて遂行されたものと認めるのが相当である」(57頁)とし、この考えを教職調整額を「勤務時間の内外を問わずに包括的に評価する」ものとして捉えることと結びつけようとする。しかし、「自発的・創造的」な労働が教育職員に求められる職務の特殊性であるならば、自発的・創造的な教育活動や業務は、まさに教員の職務そのものにほかならず、各教員が自発的・創造的に職務に専念すればするほど、教員はその職務、あるいは当然に期待される教員としての職務を行っているとの評価を受けるのであって、それらの職務について、いちいち細かい指示を受けるものではないが(これは一般の企業においても同じ)、使用者がそれを異議なく受領し、または黙認しているかぎり、使用者の黙示の命令、あるいは包括的職務命令によるものだと見なされるのが当然の認識であろう。このように、休憩時間における勤務が「自発的、創造性に基づいて遂行されるもの」とは言えず、また、限定4項目以外の超過勤務が生じたときに対価受給権が発生しないという理由に何ら正当性はない。このことは、すでに第2の2で述べた通りである。
給特法に関する法解釈について、萬井隆令龍谷大学法科大学院教授の「公立学校教師の超勤問題について~京都市教組超過勤務是正裁判についての意見書~」(労働法律旬報1610号、甲107号証)は大変重要な指摘が為されおり、以下に何箇所か引用する。(あわせて、萬井隆令「公立学校教師と時間外労働~給与特別措置法の解釈・運用上の問題点~」龍谷法学38巻第1号、甲70号証も参照)萬井意見書は、公立学校教員と労働時間制適用の意味を位置づけ、給特法成立後の教員の超過勤務訴訟を総括し、労働法学から見た給特法の解釈・判例批判・運用上の問題点を精緻に分析している。なお、京都市教組超過勤務訴訟は、2008年4月23日に京都地方裁判所で判決があり、原告が一部勝訴した。原告1名について、超勤時間が100時間を越えていると認定され、京都市教育委員会が「安全配慮義務違反」を犯したとし、55万円の損害賠償(慰謝料)を認めた。(甲108号証)
萬井意見書では、「自主性・創造性に基づく・・・活動」の「労働」性否定論について、次のように批判する。「本来、「自主的・創造性に基づく・・・活動」という文言は、当該「活動」の内容を特定するものではない。「自主性・創造性に基づく・・・」は、活動の動機などに関わり、当該「活動」の起動力なり、それをもたらす要因などを指すものであって、そのこと自体が「活動」の性格付けや方向付けをするものではない。(中略)当該「活動」とは他ならぬ、教師の教育活動、すなわち教師としての「労働」そのもの以外の何ものでもない。(中略)とすると、「自主性・創造性に基づく・・・活動」であるからそれは教師の「労働」ではないとする被告の見解は自己矛盾を犯しており、すでに破綻をきたしている。」(萬井意見書42頁)
4)原判決の給特法解釈と現実との乖離
また、原判決では、「もっとも、休憩時間における勤務について、給特法、府給与条例及びこれに関する前記法令の規定の趣旨を全く没却するような事態が生じた場合、すなわち、休憩時間において、勤務をするに至った経過、従事した職務の内容、勤務の実状等に照らし、休憩時間における勤務が教育職員の自由意思を極めて強く拘束するような形態でなされ、かつ、そのような勤務形態が常態化しているなどの場合においては、時間外勤務手当の支給除外を定めた法令の規定の趣旨に反するものとして、労働基準法37条、府給与条例21条の適用は除外されず、教育職員は、休憩時間の勤務につき対価の支給を求めることができると解するのが相当である。」(55頁)としながらも、「このように見ると、原告らの休憩時間における勤務が、勤務をするに至った経緯、従事した職務の内容、勤務の実情等に照らして、原告ら各自の自由意思を極めて強く拘束するような形態でなされ、かつ、そのような勤務形態が常態化しているとまでは認められない。そして、原告らの休憩時間における勤務の実情を放置することが、時間外勤務を命じ得る場合を限定列挙して制限を加えた趣旨にもとるような事情を認めるに足りる証拠はない。」したがって、「原告らは、被告大阪府に対し、休憩時間の勤務につき対価の支給を求めることはできないというべきである。」(56頁)とする。 しかし、「教員各自が自発性、創造性に基づいて遂行したもの」「被告校長らが職員会議への出席を除き、休憩時間に職務に従事するよう明示又は黙示に命令したとは認められない」という以上の理由はなく、職員会議のみを「黙示の命令」と認めるのは詭弁の謗りを免れない。休憩時間の勤務が常態化していることも意図的に無視した判示であり、とうてい容認することができない。(前述の甲69号証「休憩時間中の労働実態報告」参照)
以上述べたように原判決の給特法解釈は現実の学校現場での労働実態との乖離がはなはだしい。以下の萬井意見書での指摘は重要である。「文部省は、限定4項目以外の業務について時間外勤務が行われても差し支えないとか、「違法であれ合法であれ、教師の勤務を包括的に評価して・・・」と述べているわけではない。文部省としては給特法の建前が厳守されることが前提であり、「違法であれ・・・」と給特法の想定しない違法な超勤が行われることを前提として法律を解説できるわけがない。(中略)それはあくまで、給特法が遵守されることを前提とする。その前提が崩れ、給特法の規定や立法の趣旨に違反して超勤が行われた場合、当該超勤に対して手当をどのように計算し、支払うべきかについては、給特法自体は何ら定めてはいないのであり、それは解釈論に委ねられていると考えざるを得ない。」(前掲、萬井意見書41頁)「実際には、限定4項目であっても「臨時又は緊急にやむを得ない」場合ではないにもかかわらず、あるいは限定4項目以外について業務を指示され、業務が遂行されることがあり得る。このように給特法が想定しない「労働」に対しては当然、「調整」が行われている筈がないから、別途の対応が不可欠である。法の趣旨に反してそのような超過勤務が行われた場合、それに対する手当はどのように支払われるかについて給特法は何も定めなかった。とすれば、いかなる解釈論によってどのように支払われるべきであろうか。それが、教師の時間外勤務に対する手当問題の焦点である。」(同意見書44頁)
5)「対価受給権」は当然認められるべき
「原告準備書面4」で述べたように、名古屋地裁における昭和63年1月29日判決(愛知県立高校教諭に係るクラブ活動引率業務の措置要求判定取消請求事件、甲50号証)において、手当等の支給に関し次の如く述べられている。
「被告は右のような手当その他の金員を支給することは、地公法25条1項及び地方自治法204条の2の規定に違反し、許されない旨主張するけれども、右手当の支給は、給特条例3条の規定が適用されない場合のあることが認められた結果、給与に関する基本規定である給与条例によって手当の支給が認められるというものであって、法令上の根拠を有し、右地公法、地方自治法の規定に違反するものでないことは明らかである。」(甲第50号証、判例自治45号)
給特法成立後、これまで幾つかの超勤手当支払い請求訴訟が提起されたが、「今尚、教師の請求が許容されたのは、名古屋市人事委員会事件(志賀中事件)・名古屋地判平5・2・12のみであり、それ以外の判決は、(中略)超勤手当を請求することはできないとして請求を棄却した。」(乙11号証)「最高裁は(名古屋市人事委員会事件について)特に理由を述べることなく同名古屋高裁判決を「是認」したが、ただ「一切例外が認められないかどうかはともかくとして、原審の適法に確定した事実関係の下においては・・・」と述べて、事実関係によって例外を認める余地を残している。今後の最高裁の判断を見守ることにしたい。」(乙13号証)(前掲、萬井意見書37頁~38頁)
また、萬井意見省は、地方自治体が給特法の建前に反した場合について以下のようにも指摘しているが、まことに正鵠を射ているといえる。「給特法上は、限定4項目以外には時間外労働は行われないという建前に沿う限りにおいて、労基法37条の適用除外を定める旧・給特法10条が有効とされるのであって、地方自治体がその建前に反し給特法の構造を無視しながら、同条だけは有効であるというのは、特別法たる給特法の解釈として適切ではない。給特法の建前に反する場合は、労働時間制の原則に立ち戻り、超過勤務を命じるには事前に三六協定を締結する必要があり、現実に超過勤務をさせた場合には、労基法37条の適用がある。すなわち、時間外労働に対しては25%以上の、休日労働に対しては35%以上の割増賃金が支払われなければならない。」(同萬井意見書45頁)
以上のように、給特法の運用に重大な違法があることは明らかであり、控訴人らの「対価受給権」は当然認められるべきである。また、給特法の解釈は、それをどのように解釈をしようと、本来休憩時間を補償することとは別の論議であることを付記しておく。
第四 賠償されるべき控訴人らの損害について
原判決では、「高槻市教委又は被告校長らにおいて、原告らの休憩時間の取得を妨げるような行為をしたとは認められず、また、原告らにおける休憩時間の取得状況を認識しながら、これを放置していたとまでは認められない。」「休憩時間に職員会議が開催されることがあったが、このような場合は、休憩時間の分割取得による振替によって対処すべきであるところ、高槻市教委や被告校長らが、これを拒否した形跡もない(被告校長らとしては、このような場合、すすんで、休憩時間を振替取得するよう配慮すべきであったとはいえるが、振替取得することを原告らの判断に委ねたこと自体を違法とまではいえない。)。」とし、「原告らは、高槻市教委が、平成15年度以降、休憩時間の取得に関する実態調査を行わず、また、休憩時間の試行を継続していることを論難するが、これらの事実は、その当否はさておき、以上の判断を左右する性質のものではない。」とする。そして、「以上によれば、高槻市教委又は被告校長らにおいて、原告らの休憩時間に対する把握又は管理について、国家賠償法1条1項にいう違法な公権力の行使があったとは認められない。」と結論づける。(62頁~63頁・小括)
以上の様な原判決の判断は、服務監督者である被控訴人高槻市教委及び管理者としての被控訴人校長らの管理責任放棄を等閑視するものであり、控訴人としては到底容認できないので、以下に反論を述べる。
1)休憩時間取得実態調査(2002年度:高槻市教委)
2002年度に高槻市教委が行った休憩時間取得実態調査によると、多くの校長は「明示した休憩時間はとれていないという予想はあったが、実態はそれを超えるものであった。制度の抜本的改善か、人的配置を施す以外に方法はない。」(被控訴人竹下校長の所見)という趣旨の報告をしている。そして、多くの学校では「全く取得できなかった。」「ほとんど取得できなかった。」を合わせると80%を優に超えている。
この調査では、休憩時間の三原則のうち最も重要な「休憩時間の自由利用」の保障の観点は曖昧であった。それにも関わらず違法状態が顕現している。もし「自由利用が可能な休憩時間が取れているか。」という質問項目になれば、恐らく取得できていないと回答する教職員は100%近くになることが予測される。なぜなら、「休憩時間らしきもの(手待ち時間に相当)」が取れても「真の休憩時間」は取得できていないと考えられるからである。すなわち、休憩時間とは「単に作業に従事しない手待ち時間を含まず、労働者が権利として労働から離れることを保障されている時間」(昭22.9.13基発第17号)とあり、いわゆる手待ち時間は労働時間であり、休憩時間と認められないからである。
2)被控訴人校長らの陳述書及び証人尋問と校長の勤務実態調査報告との乖離
被控訴人校長の陳述書及び証人尋問によると、「すべての教職員に休憩時間を文書明示し、休憩時間はすべての教職員に与えられています。」あるいは「休憩時間に会議等を計画しないように命じておりました。」また「休憩時間に教職員が電話対応や学校訪問者への対応をしなくてもよいように、校長か教頭のどちらかが職員室に居るようにしておりました。」と陳述している。これは、2002年度の休憩時間取得実態調査における高槻市教委への校長報告とあまりにも乖離している。
あるいは「休憩時間の振替は必要だと思い、休憩時間が取れなかった理由と休憩可能な時間を校長に申し出れば振替を許可する旨を教職員に周知しておりました。」「教職員が職務のために休憩時間が取れない場合が生じたときは、校長に申し出れば振り替えて休憩するように伝えていました。」と陳述する。これは、超多忙な日々が常態化しており、超勤を余儀なくされる教職員が休憩時間の振替など不可能である勤務実態をあえて無視する偽証に等しい。そして、校長は「教職員には、週に何時間かの空き時間があるので、明示した時間に休憩が取れなければ、休憩をその時間を充てることは可能である。」との認識を陳述する。
偽証のそしりを免れたいならば、当時、被控訴人高槻市教委と被控訴人校長らは、休憩している教職員の日々の状態をどのようにして適法に確認し、記録したのか。その方法と記録の結果を示さなければならない。あるいは、休憩時間に教職員が職務に従事しているのを現認したとき、教職員の勤務時間を管理し指揮命令権を有する管理責任者として、どのように対処したのかを具体に示すことが必要である。すなわち、教職員の休憩時間取得状況を如何なる方法で把握し、記録確認したのか。そして、休憩時間が確実に保障された状態とは、どのような状態だと認識しているのか明らかにすべきである。
すなわち、2002年度・2003年度以前に出されている厚生労働省労働基準局長通知(2001年4月6日付、甲9号証、乙14号証)「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関する基準(通知)」(基発第339号)(以下、本通知という)では、「労働時間の適正な把握のための基準を策定し、併せて今後、集団指導、監督指導等あらゆる機会を通じて本基準の周知を図りその遵守のための適切な指導を行う」ことを明らかにしている。本通知は、我が国で常態化している「サービス残業」の防止に対する、行政政府の基本的態度を初めて明確にした画期的ものであるといえる。また、過重な労働を防止することをはじめ、時間外労働に対する割増賃金の未払いを防止するために、「労働時間を適正に把握すること」を求めたものに他ならない。
本通知に関わって、2001年5月24日、151回参議院文教科学委員会及び2001年10月30日、153回参議院文教科学委員会において、総務省ならびに文部科学省は「この基準は公立学校教職員にも適用される。また、教育委員会もその対象になる。」と答弁している。また、「厚生労働省の基準項目のうち、始業・終業時刻の確認及び記録の原則的な方法についての項目、労働時間の記録に関する書類の保存に関する項目また労働時間を管理する者の職務に関する項目などが適用になる。」と答弁している。そして、「始業・終業時刻については、命令のない超過勤務についても始業・終業時刻の確認及び記録の対象に入るか。」の質疑に対して、政府参考人として出席した文部科学省矢野重典初等中等教育局長と遠山敦子文部科学省大臣は「一般的には命令のない超過勤務についても始業・終業時刻に入るものと思っております。したがって、当然、命令による超過勤務ですとか、あるいは部活動などについてもこれは当然入ると思っています。」また、この基準の周知について、「人事主管課長会議等の勤務時間管理を扱う会議において指導したいと思っております。」と答弁している。そして、「文部科学省は、勤務時間終了後の命令でない超過勤務についても今後、始業・終業時刻の確認をすると表明されましたが、それらの実態を把握すべきであると思うが。」との質議に対して、遠山文科相は「各教育委員会に対しまして、常に教職員の勤務時間管理を適切に行うよう指導してまいっております。なお、服務監督権者である各教育委員会が、その責任と権限において、必要に応じて教職員の勤務時間管理の実態調査を独自に行うことはもちろん可能であろうと考えております。」とも答弁している。(甲10号証、甲15号証)
また、2006年4月3日、文部科学省初等中等教育局初等中等教育企画課長、同省高等教育局高等教育企画課長、同省スポーツ・青少年局学校健康教育課長通知「労働安全衛生法等の一部を改正する法律等の施行について」(18ス学健第1号平成18年4月3日、甲109号証)の「2.労働時間の適正な把握について 労働時間の適正な把握については、平成13年4月6日付け基発第339号厚生労働省労働基準局長通知「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関する基準について」(平成13年4月27日付けで総務省自治行政局公務員部公務員課長から各都道府県・指定都市に通知)において、具体的な方法等が示されているところですが、今後とも、各学校等における勤務時間の適正な把握に努めていただきますようお願いします。」「なお、基準として示されている主な内容は、以下のとおりです。(1)使用者は、労働時間を適正に管理するため、労働者の労働日ごとに始業、終業時刻を確認し、これを記録すること。(2)使用者が、始業・終業時刻を確認し、記録する方法としては、原則として、次のいずれかの方法によること。ア.使用者が、自ら現認することにより、確認し、記録すること。イ.タイムカード、ICカード等の客観的な記録を基礎として確認し、記録すること。(3)労働時間の記録に関する書類について、労働基準法第109条に基づき、3年間保存すること。(4)事業場において労務管理を行う部署の責任者は、当該事業場内における労働時間の適正な把握等労働時間管理の適正化に関する事項を管理し、労働時間管理上の問題点の把握及びその解消を図ること。」とあるように、校長は、労働時間を適正に管理するため、教職員の勤務日ごとに始業、終業時刻を確認し、これを記録しなければならない。また校長が、始業・終業時刻を確認し、記録する方法としては、校長が自ら現認することにより、確認し記録するか、あるいは、タイムカード・ICカード等の客観的な記録を基礎として確認し記録する。そして、労働時間の記録に関する書類については、労基法第109条に基づき3年間保存する必要がある。学校において労務管理を行う校長は、学校内における労働時間の適正な把握等労働時間管理の適正化に関する事項を管理し、労働時間管理上の問題点の把握及びその解消を図る責任がある。
このように被控訴人校長らは、教職員の勤務時間の適正な把握と労働時間管理の適正化に関する事項を管理し、労働時間管理上の問題点の把握及びその解消を図る責任があり、すべての勤務日に休憩時間が確保された状態を保障しなければならない。また、服務監督権を有する被控訴人高槻市教委は、適法な労働時間管理に努めると同時に、被控訴人校長らに対して指導助言する行政責任と義務がある。
3)高槻市教委の行政責任(故意及び重過失)
労基法第34条の違反については、同法第119条により、6箇月以下の懲役又は30万円以下の罰金に処せられる罪である。また、同法第121条によって、事業主に対しても罰金刑が科せられる罪である。
2003年3月10日、府教委は「休憩時間及び休息時間の確保に向けての運用について」(甲29号、乙16号証)の事務連絡を各地教委に出した。それによると、「休憩時間及び休息時間については、校長が勤務時間の割振りを行うにあたり、職員に周知することが必要である。この度、平成15年4月1日から休息時間を置くことになるのに伴い、休憩時間及び休息時間の確保に向けて別添メモを参照に取組まれるようにお願いします。」また、具体には次の通りとして、「平成15年度については、各学校で休憩時間・休息時間の確保及びその実態把握をする。平成16年度については、平成15年度の1年間の取組み状況を調査・検証し、確保できていない学校について、年度中に確保に向けて重点的に取り組むものとする。平成17年度において、休憩時間・休息時間が確保された状況をめざす。」そして「当面のスケジュール案」として、以下のように示されている。
平成15年(2003年)
3月上旬 各学校・各地教委へ通知(休息時間通知とともに)
4月~ 各校での取組み
10月 実態調査及び工夫指導
平成16年(2004年)
3月 実態調査
4月~ 確保困難校における重点的取組み
平成17年(2005年)
3月 実態調査
4月 実施
しかし、高槻市教委は2002年度以来2008年度に至るも「休憩時間の試行」を続けている。府教委の「通知(事務連絡)」及び「当面のスケジュール案」によれば、2005年度には「休憩時間・休息時間が確保された状況をめざす。」とあり、当然にも府下すべての学校で、労基法に基づく休憩時間の確保がなされなければならない。すなわち、すべての市町村は、これまでの違法状態を解消し、すべての勤務日に於いて誰にでも休憩時間の取得が可能な行政措置を講じ、適法な休憩・休息時間が「本格実施」されていなければならないにも関わらず、高槻市教委は行政責任を放棄したままである。
高槻市教委は、2002年度に一度だけ「休憩時間取得実態調査」を行ったが、それ以降調査を行っていない。これは、服務監督権を有する高槻市教委が、予測をはるかに超える最悪(無法状態)の調査結果に現れた実態を改善し適法化するだけの行政能力がないことを自らが認め、故意に行政責任を放棄したとしか思えない。
しかし、近隣他市等において、例えば吹田市教育委員会(以下、吹田市教委という)は、2003年度3学期に吹田市立小中学校でモデル校を指定し、5校のモデル校で試行実施した。そして、試行実施の調査結果を分析し本格実施に向けた課題を公表した。2004年度は、すべての吹田市立小中学校で1年間の試行実施を行い、実態分析と男女別休養室の再整備計画等の課題を明らかにすることを経て、2005年度より本格実施を行い現在に至っている。吹田市教委は、毎年度、休憩・休息時間取得状況調査を行い、その分析と課題を明らかにしてきたが、すべての勤務日に休憩時間が確保され適法化された状態にまでは至っていない。とりわけ小学校に於いて顕著である。しかし、校長ら管理職と教職員は、休憩時間取得に対する意識が醸成されてきているのも事実である。また、吹田市教委は吹田市立小中学校教職員すべてを対象に、2008年1月21日から25日の1週間限定で「勤務状況及び休憩・休息時間の取得状況に関する調査」を行った。調査での「勤務状況」は、出勤時刻と退勤時刻を自己申告し、実際に勤務した時間と超過勤務した時間及び休憩時間を何分取得できたかを自己申告するものである。また、調査での「超過勤務した時間」は、勤務時刻前と勤務時刻後の勤務内容と超勤した時間を自己申告するものである。さらに、調査での「休憩時間」及び「休息時間」は、取得できなかった場合、その主な理由を自己申告するものである。これは、2006年4月3日、文部科学省初等中等教育局初等中等教育企画課長、同省高等教育局高等教育企画課長及び同省スポーツ・青少年局学校健康教育課長通知「労働安全衛生法等の一部を改正する法律の施行について(通知)」(18ス学健第1号)及び2001年4月6日、厚生労働省労働基準局長通知「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関する基準(通知)」(基発第339号)並びに、時間外労働を縮減するために必要な「吹田市教育委員会特定事業主行動計画(府費負担教職員編、2005年9月作成)」に基づいて実施したものである。吹田市教委は、「勤務状況及び休憩・休息時間の取得状況に関する調査」の集約結果及び今後の課題について公表することを明らかにしている。
以上のことから十分推論できるように、高槻市教委は、大阪府下の近隣他市に比して、教育行政として権能を放棄するだけでなく、自らの怠慢と労基法違反を故意に放置する重過失を犯した行政姿勢は許されるものではない。
4)労働基準法と国家賠償法
前述したように、労基法第34条の違反については、同法第119条により、6箇月以下の懲役又は30万円以下の罰金に処せられる罪である。また、同法第121条によって、事業主(高槻市)に対しても罰金刑が科せられる罪である。したがって、高槻市教委はじめ校長は、労基法で規定する休憩時間をすべての勤務日に確保できる措置を講じる必要がある。しかし、市教委と校長が違法状態の現状を放置するなら、高槻市教委及び当該校長に対して刑事告訴がなされ、刑事罰が科せられることになる。
また国家賠償法第1条は、「国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。」と定めている。
教職員の仕事は、年度当初の職員会議で校長からの「校務を分掌する命令」を受けて、あらゆる職務が遂行されていく。そして、教育の仕事は、教員の自主性、自発性、及び創造性に基づいて行われるのである。したがって、具体の職務遂行にあたって逐一校長の職務命令を待って行われることは考えられない。しかし、職務遂行にあたっては、すべて校長の「校務を分掌する命令」に基づく形で行われるのが教職員の勤務の態様である。これは、校長による「校務の分掌」という明示の職務命令が根幹をなしている。すなわち、教職員は校長による「校務の分掌」という明示の職務命令に基づき、具体の職務遂行にあたっては、校長による「黙示の命令(包括的職務命令)」の基で行われているのである。
教育職員は、校長の「包括的職務命令」の基で職務を遂行するのであるから、休憩時間に勤務せざるを得ない経緯、従事した職務の内容、勤務の実情等を考える場合、「休憩時間」のみを微視的に捉えるのではなく、教育職員の超過勤務が常態化している超多忙な勤務実態を前提にして「休憩時間」を捉える必要がある。すなわち、教育職員の超勤は、校長による「包括的職務命令」に基づき職務を遂行する中で惹起しているのである。このような勤務実態がある中で、関係法令で義務付けられた休憩時間をすべての勤務日に確保するのは至難の業である。その証左は、2002年度に高槻市教委が行った休憩時間取得実態調査で、多くの校長の「明示した休憩時間はとれていないという予想はあったが、実態はそれを超えるものであった。制度の抜本的改善か、人的配置を施す以外に方法はない。」という趣旨の報告が物語っている。また、多くの学校では、休憩時間が「全く取得できなかった」「ほとんど取得できなかった」を合わせると80%を優に超えており、現在に至るも精神的及び肉体的に過酷な状況が依然として続いているのである。
原判決は、これまで述べてきた教育職員が職務を遂行するにあたっての勤務態様、学校現場において過酷なまでの超過勤務が常態化している勤務実態の中で休憩時間取得が如何に困難を極めることかを理解できていない(理解しようとしていない)のである。教育職員の勤務態様及び超過勤務が常態化している勤務実態における休憩時間取得は、まさに「絵に描いた餅」に等しいのである。すなわち、超多忙な現実さえなければ、あえて休憩時間に勤務する必要もなく、休憩時間を取得することができ、勤務時間内にほとんどの職務を遂行し終了できるのである。しかし現実は、教育職員の包括的職務命令に基づく勤務態様と超多忙な勤務実態から考えて、休憩時間における勤務が教育職員の自由意思を極めて強く拘束するような形態でなされているのである。そして、超多忙な勤務実態が常態化しているのである。原判決は、このような学校現場で日々惹起する現実をあえて直視せず、否、無視している。
したがって、原判決では、「休憩時間における勤務が教育職員の自由意思を極めて強く拘束するような形態でなされ、かつ、そのような勤務実態が常態化しているなどの場合においては、時間外勤務手当の支給除外を定めた法令の規定の趣旨に反するものとして、労働基準法37条、府給与条例21条の適用は除外されず、教育職員は、休憩時間の勤務につき対価の支給を求めることができると解するのが相当である。」しかし、「原告らの休憩時間における勤務が、勤務をするに至った経緯、従事した職務の内容、勤務の実情等に照らして、原告ら各自の自由意思を極めて強く拘束するような形態でなされ、かつ、そのような勤務実態が常態化しているとまでは認められない。」そして、「原告らの休憩時間における勤務の実情を放置することが、時間外勤務を命じ得る場合を限定列挙して制限を加えた趣旨にもとるような事情を認めるに足りる証拠はない。」したがって、「原告らは、被告大阪府に対し、休憩時間の勤務につき対価の支給を求めることはできないというべきである。」と意図的に誤った判断をしている。
校長と高槻市教委は、関係法令に則して、すべての勤務日に休憩時間が確保できる措置を講じなければならないにも関わらず、休憩時間が確保できないまま連続8時間を超える勤務を強いてきた。職務遂行に関わって、校長及び高槻市教委が違法行為を犯してきたことは明白であるといわざるを得ない。
すなわち、校長は、高槻市立小中学校に勤務する教職員に対して、関係法令で義務づけられた休憩時間を確保するだけの措置を講じていないことは明白である。これは校長の故意及び重過失による違法行為で、高槻市立小中学校に勤務する教職員は、過酷な勤務を強いられ、長年にわたって精神的及び肉体的苦痛を被ってきたといえる。また、高槻市教委は関係法令で義務づけられた休憩時間が確保されていないことを知りながら、故意及び重過失によって、高槻市に勤務する教職員に対して長年にわたって精神的及び肉体的苦痛を与え違法な損害を与えてきたことも明白である。
よって、被控訴人高槻市と高槻市教委及び当該校長らは、勤務条件に関わって、控訴人らに対して違法に精神的及び肉体的被害を与えたことについて、連帯して損害賠償する責を負わなければならない。
以上、控訴人らは、本件のごとき公務員の重過失は「公務員の個人責任を認めるべき」とするものである。公務員の個人責任なしとする原判決に対する反論として、以下の学説を援用する。
「・・・個人責任を全面的に否定する説の実質的根拠は、要するに、国又は地方公共団体が責任を負うことによって被害者の救済は十分であるということと、もし公務員の個人責任を認めれば、公務員が萎縮して公務の円滑な遂行が麻痺するということにつきる。・・・国または公共団体が、故意または重過失の公務員に対して求償権を有するといっても、それはあくまで行政の内部問題であり、わが国の行政の現実においては求償権の行使についてもその適正を保障する制度ないし意識があいまいであることなどを指摘することができる。・・・また、公務の円滑な遂行が麻痺するという理由は、軽過失の場合にはある程度妥当するとしても、慎重を欠く、故意または重過失に基づく違法な行政活動に対してまで妥当するといえないであろう。このような通説の理由は、比喩的にいえば、たとえば、公務員に対する職務命令に対してこれに公定力を認めなければ公務秩序が麻痺するという議論や警察官・消防吏員等に団結権を認めれば士気が落ち職務遂行に支障を来すという主張と同じようなものであろう。民主主義国家においては、故意または重過失による違法な他人の権利侵害行為を、いくら「職務を行うについて」のものであれ、公務能率のまたは公務遂行の円滑さを理由として認めるべき筋合のものではない。国民は、そのような公務遂行を決して公務員に期待してはいないのである。まして、公務員の個人責任を認めれば「公務員を志願する者が減少し、その任用ないし補充が困難になる」などという理由(古崎・前揚2頁)は、ほとんど合理的根拠を欠くものといえよう。」(室井力著『現代行政法の原理』勁草書房、148~149頁、甲110号証)
おわりに
文科省の実態調査によれば、「病気休職者数」は、平成9(1997)年に4171人だったのが、平成18(2006)年には約7655人になっている。全体の教員数は4万1千人余りも減っているにも関わらずである。病気休職者数のうち「精神性疾患者数」も、1997年の約1609人から2006年には4675人となっている。そして、顕著なことは、病気休職者数中の精神疾患者数の割合が教職員では特に多いことである。その割合は1997年では38.6%であったが、2006年では61.1%にも増加しており、病気休職者数の過半数を優に越えている。(甲111号証)控訴人らの周辺でも、精神性疾患で休職に入らざるをえない同僚が増加しており、日頃、体調の不調を訴え、「このまま教員を続けられるかどうか?」と苦悩する教員が多い。
それは「多忙化」に大きな原因がある。教育改革による、新しい教育内容と手だての開発や、保護者の学校に対する要求も多様化し、子どもたちも大きく影響されている今、教育活動が非常に難しくなってきていることは多くの識者も指摘するところである。(文部科学省・初等中等教育分科会(第55回)教育課程部会(第4期第13回)合同会議議事録・配付資料5-2「教職員をめぐる状況」甲112号証)
こうした実態の中で、労働の時間だけが延びているのでなく、その密度も極めて濃くなっている。ますます、労働条件の改善が必要なのである。休暇、休憩、休息、また、時間外労働の縮減は政府も一貫して施策に取り上げているが、控訴人らの学校現場においては、まったくといっていいほど改善されていないことは、文科省も実態調査で認めるに至った。
そのような厳しい勤務実態との関連で当訴訟を考えるとき、なによりも裁判所が労基法を中心とする「労働法」の守り手として機能してほしいと控訴人らは希求するものである。被控訴人である服務監督者としての高槻市教委及び管理者である校長らが労基法第34条の「休憩時間に関する原則」を遵守せず、「休憩時間に関する例外措置(一斉付与除外及び分割付与)」が「原則」として罷り通り「無法状態」を招来している「学校の労働実態」を貴裁判所が黙視せず、明快な判定をなされることを強く望むものである。
また、原判決は、「原告らは、旧給特法を適用して、休憩時間における労働に対する賃金を支払わないことが、労働基準法だけでなく、憲法27条2項(勤労条件に関する基準の法定)に違反する旨の主張をするが(原告ら準備書面(12)21頁参照)、地方公務員法、旧給特法は、労働基準法の特別規定であって、労働基準法と異なる規定を法律で定めること自体が、憲法27条2項に違反するわけではない。」(58頁)との詭弁を弄するが、既に述べてきたように特別法たる給特法の解釈が違憲性を帯びており、労働基準法の趣旨に反する給特法の適用が問題なのであり、「法の守り手」としての貴裁判所が原判決の誤りを正すとともに、公正かつ厳正な判断を示されることを望むものである。
以上