富士見再発見シリーズ
by CASTER
・1996年10月18日更新
【目次】(見たいタイトルをクリックして下さい)
0049 (95/03/16) CASTER 市内のお寺めぐりなど
└0050 (95/03/16) アイリー Re:49)市内のお寺めぐりなど
0056 (95/06/22) CASTER 富士見再発見シリーズを始めます
└0058 (95/06/23) やす Re:56)富士見再発見シリーズ期待しています
0057 (95/06/22) CASTER 富士見再発見シリーズ1
0059 (95/06/23) CASTER 富士見再発見シリーズ2
0060 (95/06/23) CASTER 富士見再発見シリーズ3
└0061 (95/06/23) ランナー Re:60)富士見再発見シリーズ/ランナー
0063 (95/07/03) CASTER 富士見再発見シリーズ4
└0064 (95/07/03) アイリー Re:63) 氷川神社の氷川は、簸乃川(ひのかわ)ですか。
0065 (95/07/04) CASTER 神社編裏話
0066 (95/07/06) CASTER 富士見再発見シリーズ5
├0068 (95/07/06) やす Re:66)富士見再発見シリーズ5
└0069 (95/07/08) ランナー Re:66)富士見再発見シリーズ5
└0071 (95/07/09) 【MINAMI】 Re:69)Re:66)富士見再発見シリーズ5
└0072 (95/07/09) アイリー Re:71) 「鎌倉街道」を歩こう。
0067 (95/07/06) アイリー 富士見市をNHKで放送
0073 (95/07/13) CASTER 富士見再発見シリーズ6
0074 (95/07/24) CASTER 富士見再発見シリーズ7
├0075 (95/07/24) ランナー Re:74)鎌倉道
└0076 (95/07/24) アイリー Re:74)私の歩いた「鎌倉道」
0078 (95/08/10) CASTER 富士見再発見シリーズ8
0087 (96/01/15) CASTER 富士見再発見シリーズ9
0089 (96/01/29) CASTER 富士見再発見シリーズ10
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Message # 49 is from: GKD0037 CASTER
Time: 95/03/16 20:06:08 Section 5: ふじみ・話題なんでも
Subj: 市内のお寺めぐりなど
まもなく、お彼岸となります。[暑さ寒さも彼岸まで]とか。
お休みを利用して、市内のお寺を訪れる散歩などいかがでしょうか。爺臭い?
私が、図書館と電話帳と地図と足で集めた、市内の寺院を紹介します。
この中でいくつ位御存知ですか?
現在営業中?(住職の居られる寺院)
日蓮宗 智性院 智永山 性蓮寺 水子地蔵尊/五輪搭 水子 5082
真言宗 不動院 永光山 大応寺 弘法大師像/如意輪観音 水子 1765
曹洞宗 川龍山 興禅寺 水子地蔵尊 下南畑 74
曹洞宗 臥龍山 長谷寺 東大久保882-1
天台宗 延命院 宝瀧山 溜璃光寺 伝教大師像/観音像 諏訪 1-8-3
天台宗 光明院 西雲山 来迎寺 伝教大師像/延命地蔵尊 鶴間 2-1-49
天台宗 薬王院 龍王山 護国寺 勝瀬 943
浄土宗 大眠山 浄円寺 諏訪 2-2-41
浄土真宗 本願寺派 恵光寺 阿弥陀堂 勝瀬 1619
金蔵院 密樹山 如意輪寺 無縁地蔵尊 上南畑 352
(堂のある所)
水子の宝性寺/水子の地蔵院/羽沢の来見堂/鶴間の観音堂/蔵の内観音堂/
柴崎の不動院/上沢の薬師堂/
もし、追加/訂正がありましたら、教えてください。
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Message # 50 is from: GKD0033 アイリー
Time: 95/03/16 23:15:31 Section 5: ふじみ・話題なんでも
Subj: Re:49)市内のお寺めぐりなど
健康をかねて、つれあいと二人でウォーキングに参加しています。
富士見市でも、年に何度かウォーキングを実施するので、都合がつけばたいてい
参加しています。自動車もないので、どこにいくのも自分の足がたよりです。
そんなこんなで、市内をかなり歩いている方だと思うんですが、こんなに沢山
あるとは知りませんでした。
ウロウロ・キョロキョロしながら、のんびり歩いているので、お寺さんも
かなり見ているはずですが、どうも名前までは頭に入っていないようです。
こんどは地図にプロットでもして、探しながら歩いてみようと思いました。
ところで、4月2日に生協主催の「見沼用水周辺を歩く会(?名称はさだか
ではありません)」があります。
天候にめぐまれれば、つれあいと一緒にいくことにしています。
たいてい当日参加にしており、その日の気分により突然中止ということも
ありますが、いまのところ参加しようかという気分に傾いています。
昨年は、「5キロ・10キロ」の2つのコースでしたが、今年は「5キロ・
10キロ・20キロ」の3コースがあるようです。
95/03/16(木) 22:48:21 ウロウロ・アイリー
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Message # 56 is from: GKD0037 CASTER
Time: 95/06/22 22:08:20 Section 5: ふじみ・話題なんでも
Subj: 富士見再発見シリーズを始めます
数年前散歩のついでに、江川の川岸を歩いたことがきっかけで富士見市内のあちこち
を探索するのが病み付きになり、土地の古老にお会いしたり写真を撮ったり文献
を探しているうちに意外な事実が判明したりしました。
まだ十分ではありませんが、私達の富士見市の側面を紹介し、話題作りに役立てば、
と思いシリーズを企画しました。皆さんのご感想、ご意見を期待します。
CASTER(GDK0037)
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Message # 58 is from: GKD0014 やす
Time: 95/06/23 0:29:19 Section 5: ふじみ・話題なんでも
Subj: Re:56)富士見再発見シリーズ期待しています
#56 CASTER さん、こんにちは。
なんと、富士見再発見シリーズを企画されたんですね。わたしはこの手の話は
大好きです。以前、長野県の諏訪市に住んでいたことがあるのですが、町中の歴
史探検的なつどいには結構参加していました。富士見市にもいろいろあるのでは
ないかと、興味しんしんです。そのうち、CASTERさんとオフで富士見市内
探訪なんていうのもあるといいですね。
1995/06/23 (Fri) 00:18:35 <ふじみ-ねっと> やす GKD0014
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Message # 57 is from: GKD0037 CASTER
Time: 95/06/22 22:08:34 Section 5: ふじみ・話題なんでも
Subj: 富士見再発見シリーズ1
富士見江川(1)<大昔の江川>
私達の住む富士見市は古代には武蔵野丘陵の東端で現在の鶴瀬・水子・勝瀬・針ケ谷の
台地があり、すぐそばまで海が迫っていたようです。
台地の至る所に湧き水があり、水処(みずこ)の地名となったそうです。この湧き水が
沢を作り、小川となって海に注ぐあたりに、人々が住み始め沢山の貝塚がありました。
この古代の人達の様子は水子貝塚公園や公古館で詳しく紹介がされていますが、今の
江川の周辺にも上流から本目・関沢・松ノ木・八ケ上・打越・山崎・水子の遺跡が発見
されています。中でも、今のみずほ台小学校付近の打越(おっこし)遺跡は、30000年
前の旧石器時代から6000年前の縄文時代中期までという信じられないような昔、私達の
住んでいる辺りで生活をしていたのです。
古代の人々にとって、湧き水は命の源であり、江川は母なる川であっただろうと思いま
す。白骨で発見された娘さんも、この水で産湯を使い(?)洗濯をしたに相違あるまい
と思うのです。
参考書 富士見市教育委員会著[歴史の質問箱]他
次回は<江川の流れ>です
CASTER(GKD0037)
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Message # 59 is from: GKD0037 CASTER
Time: 95/06/23 20:55:45 Section 5: ふじみ・話題なんでも
Subj: 富士見再発見シリーズ2
富士見江川(2)<江川の流れ>
富士見歴史研究会刊の(富士見の散歩みち)という本には古老の話として
>>富士見には七沢があり、上沢 羽沢 関沢 柿沢 権平沢 唐沢 南沢である。
また、富士見市教育委員会発行の富士見風土記によれば
>>江川は関沢3丁目の丸池を源にした流れと、唐沢より湧く清水の唐沢掘と合流、
>>来迎寺下より湧く泉と共に御庵下より本河岸・鶉町の用水に注ぐ
との記述がありました。
実際に江川を歩いてみると、関沢3丁目の丸池は今はなく、三好町東部の畑で源流が
消えていました。ただ、丸池集会所という名前からこの辺りに丸池があったのかと
推測できます。結局主流は三好町の東部から丸池集会所−関沢−東武線ガード−親水
公園−打越−鶴間−せせらぎ菖蒲園−健康増進センターから出来たばかりの放水路を
通り、新河岸川に注ぎます。これは、七沢の中の関沢ルートにあたります。
支流1は唐沢ルートで旧唐沢地区の東武みずほ台サンライトマンションの中から始ま
って唐沢公園を迂回し、第4保育所わきから東武線西側で合流していました。
支流2水子ルートは水谷付近から健康増進センターの対岸で水門を通り合流します。
支流3権平沢ル−トは鶴瀬から台中下を通り菖蒲園の近くで合流します。
江川は上流をみる限り”蓋の無い下水道”という、印象でした。
但し、湧水地には必ずといって良いほど不動明王などの社があり、当時の信仰が偲ば
れます。このことは、シリーズの他のコーナーで取り上げたいと思います。
次回は<侵水との戦い>です
CASTER(GKD0037)
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Message # 60 is from: GKD0037 CASTER
Time: 95/06/23 22:34:30 Section 5: ふじみ・話題なんでも
Subj: 富士見再発見シリーズ3
富士見江川(3)
富士見市史という本には1966年(昭和41年)の台風4号による富士見町の被害を
床上浸水138戸、床下浸水689戸、避難した住民は2715人と書かれています。
1963年に町村合併で出来たばかりの富士見町は、総人口が17167人で、旧南畑
地区の人数が3480人であったそうですから、大変な被害であったようです。
勿論これは荒川からの浸水ですが、新河岸川に注ぐ砂川掘や江川の流域も被害が出た
模様です。
古くは江川には3つの水車小屋があったそうで、潅漑用水として田畑を潤してきまし
た。
東京のベッドタウンとして開発が始まってからの江川は、他の河川がそうであったよう
に
雑木林が切り開かれ、水田が宅地化され、生活排水の為の下水道として水質の汚濁が進
ん
で来ました。また、雨水はすぐに流れ出し、下流の寺下地区では、大雨の度に浸水騒ぎ
が
発生し、広大な遊水地に、上流からの水を溜め、更に江川樋門を作り大雨の際には大き
な
扉を閉じて、新河岸川からの逆流を防ぐことにしました。
また、権平川等の合流地点には逆流防止装置を付け、水谷からの合流点と、江川樋門の
所には電動式の水門を作りました。
そして、この合流点には2種類の水位計が立っています。一本は本流の、もう1本は支
流
の水位計で、健康増進センターの対岸のものは、65cmの差がありました。
江川の治水工事は現在の川の堤防を補強しながら、延長をして来ましたが、昨年度の工
事
でついに、新河岸川に接続され、今年の4月には、従来の本郷中学校の裏に分岐する部
分
の締め切りを終え、元江川の一部を埋める工事をしています。寺下地区の人はほっとし
て
いることでしょう。
大きく変わった江川の下流を、散歩のついでに是非訪れてみてください。
<富士見江川>はこれで終わりです。御感想をお待ちしております。
次は神社編を予定しています。
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Message # 61 is from: GKD0013 ランナー
Time: 95/06/23 23:45:42 Section 5: ふじみ・話題なんでも
Subj: Re:60)富士見再発見シリーズ/ランナー
CASTERさん
富士見再発見シリーズ連載、有り難うございます。今後を期待します。
>>関沢3丁目の丸池は今はなく、三好町東部の畑で源流が消えていまし
>>た。
例によって、未調査のままのレスですが、関沢のガードのところに、確
か丸池という釣り堀がありましたが、あれは関係ないのでしょうか。
ランナー=GKD0013
6.23.95 23:44
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Message # 63 is from: GKD0037 CASTER
Time: 95/07/03 21:57:25 Section 5: ふじみ・話題なんでも
Subj: 富士見再発見シリーズ4
神社編(1)<氷川神社>
富士見市内には6つの氷川神社が鎮座しております。
氷川神社は大宮市にあるのが総本貫で、関東一円にその勢力を保持して
おりますが、主として埼玉県に多い神社です。
主祭神は、厄除けの神、須佐之男命(古事記)または素盞鳴命(日本書記)
(すさのおのみこと)で、天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟です。
天照大神が天の岩戸に隠れたのは、須佐之男命の乱暴が原因であったとか
氷川の語源は須佐之男命が八頭の大蛇(やまたのおろち)を退治した、
簸乃川(ひのかわ)から来ているようです。
諏訪氷川神社(折戸) 格:指定村社 諏訪1−13
境内社 稲荷神社・神命神社・北野天神社・来電神社・巌島神社
みどころ 弁天池の湧き水や雲居の滝など
1/1 元旦 2/17 祈年祭 5/1 例大祭 8/27-28 諏訪神社と共催
10/15 秋の例祭 11/中 七五三 11/23 新穀感謝祭
鶴間氷川神社(御庵) 格:村社 鶴間2−1−72
境内社 稲荷神社・八雲神社
みどころ 狛犬、産須那様(うぶすなさま)子宝・安産
1/1 元旦 2/28 豊年健康祈願祭 3月初午祭
7/14 八雲神社例大祭 7/31 名越大祓(輪くぐり)
11/15 七五三 11/28 感謝祭
水子氷川神社(山王) 格:村社 水子5031
境内社 稲荷神社・八雲神社・八幡神社・神命神社・諏訪神社
みどころ
4/9 例大祭
南畑氷川神社(難波田)格:無指定 下南畑3540
境内社 稲荷神社・八雲神社・御嶽神社・琴平宮・庚申社・天満宮
みどころ 境内のたたずまい
4/4 例大祭
針ヶ谷氷川神社(針ヶ谷) 格:無指定 針ヶ谷260
境内社 大六天社・牛頭天王宮・八幡大菩薩・稲荷神社
みどころ 新しい本殿、
4/12 例大祭
水子氷川神社(水子) 格:無指定 水子
水宮家が管理している
詳細不明
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Message # 64 is from: GKD0033 アイリー
Time: 95/07/03 23:26:23 Section 5: ふじみ・話題なんでも
Subj: Re:63) 氷川神社の氷川は、簸乃川(ひのかわ)ですか。
》氷川の語源は須佐之男命が八頭の大蛇(やまたのおろち)を退治した、
》簸乃川(ひのかわ)から来ているようです。
こんなところで、生れ故郷の地名「八頭」がでるとは思いませんでした。
いなかの「八頭」は、YAZUと読みます。よろしく!!
P.S.
》鶴間氷川神社(御庵) 格:村社 鶴間2−1−72
鶴馬でなくて、鶴間でいいんでしょうか?
「TURUMA」で変換すると、「鶴間」になってしまいますが。
ついでに、いま住んでいるところは「御庵下」です。タクシーに乗ったときは
「御庵下」といえば、間違いなくつきます。氷川神社の裏に長屋門の家がありますが、
この家の屋号が、たしか「大御庵」といって、この辺りの庄屋さんだったかと思います。
やすさんだけでなく、私も楽しみにしています。
95/07/03(月) 23:09:33 ウロウロ・アイリー
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Message # 65 is from: GKD0037 CASTER
Time: 95/07/04 21:36:39 Section 5: ふじみ・話題なんでも
Subj: 神社編裏話
ウロウロ アイリーさんご指摘ありがとうございました。
>> 鶴馬でなくて、鶴間でいいんでしょうか?
その通り鶴馬が正解です。
富士見再発見シリーズに取り組むにあたり、以前に調べておいたデータで
十分と思っていたところ、各神社の名前と神様の名前が資料によって一致
せず、再調査を余儀なくされました。
神道には実に沢山の神がおられます。天の上にも月も山も川も道端にも。
この沢山の神はそれぞれの分野での専門家です。このことが、日本特有の
信仰や、物の考え方を作り出しているのではないかと思います。
世界の主要な宗教は、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教のような唯一絶対
の神がすべてを創造したタイプとインドの仏教・ヒンドゥ教や中国の儒教・
道教のように唯一絶対の真理が有り、それを解き明かす聖者を崇拝するタイ
プとがありますが、いずれも、善と悪ははっきりしています。
原爆を投下したのも正義の戦争では正しいということになります。
日本の神道はそれぞれの時代の現実から出発した思想が有り、白・黒・灰色
・玉虫色も存在する世界で、他国を侵略した軍人、兵士も神になれるのです。
神社に初詣、結婚式を教会で、葬式はお寺でというスタイルは外国人には理解
できないに相違有りません。そこで、オーム真理教のような善悪のはっきりし
た宗教?に魅力が出てくるのかもしれません。
CASTER(GKD0037)
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Message # 66 is from: GKD0037 CASTER
Time: 95/07/06 19:27:40 Section 5: ふじみ・話題なんでも
Subj: 富士見再発見シリーズ5
神社編(2)<諏訪神社>
諏訪神社(諏訪) 通称お諏訪さま 富士見市諏訪2−15
主祭神 建御名方命(たてみなかたのかみ)
境内社 八雲神社・八幡神社
みどころ 神楽
祭礼 1/1 元旦 2/− 節分 7/14-15 八雲神社祭
8/28 夏越し大祓祭 8/27-28 諏訪大祭
元禄時代(1692年)には既に存在が確認されているので、それ以前
に建てられていた模様。
諏訪大社と主祭神(建御名方命のはなし)
出雲の国の神=大国主命(おおくにぬしのみこと)にはに数人の奥様が
おられました。須佐之男命の娘スセリヒメ、印旛のマカミヒメ、越の
ヌマカワヒメ等。大国主命は杵築神社に引退して[大黒様]に、長男の
コトシロヌシ命は、三穂神社の[えびす様]になられました。
そして、次男の建御名方命(たてみなかたのかみ)が出雲を治めること
になったのですが色々あって科野国州羽(信濃の国諏訪)に移動します
一説には黒曜石が欲しくて遠征をしたところ、クーデターで帰れなくな
ったというのがありますし、国を追われたとの説もあります。
そのころは、一般的には4つ足を食べる風習は無かったらしいのですが
諏訪では鹿食免(かじめん)という制度があり肉食の風習があったとか
やすさんはご存じありませんか?
CASTER(GKD0037)
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Message # 68 is from: GKD0014 やす
Time: 95/07/06 23:46:54 Section 5: ふじみ・話題なんでも
Subj: Re:66)富士見再発見シリーズ5
#66 CASTER さん、シリーズもいよいよ5になりましたね。
》 諏訪では鹿食免(かじめん)という制度があり肉食の風習があったとか
》 やすさんはご存じありませんか?
残念ながら、わかりません。それだけではあんまりですので、機器かじりの耳
学問から少々。
諏訪湖の魚法は日本海側のものです。地理的な分水嶺から考えると太平洋側に
近いのですが、CASTERさんのアップによる出雲とのつながりの強さを考え
ると納得できるような気がします。
あと、諏訪の語源で州羽(信濃の国諏訪)とあるのに興味を引かれました。諏
訪に住んでいた頃、諏訪は山口県の周防からきている学説があると聞きました。
州羽も諏訪も周防も、何かの「音」の当て字かも知れません。
1995/07/06 (Thu) 23:49:27 <ふじみ-ねっと> やす GKD0014
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Message # 69 is from: GKD0013 ランナー
Time: 95/07/08 8:00:31 Section 5: ふじみ・話題なんでも
Subj: Re:66)富士見再発見シリーズ5
CASTERさん>
富士見再発見シリーズ5の連載アップ、有り難うございま
す。楽しみに読ませていただいています。
》1963年に町村合併で出来たばかりの富士見町は(#60)
このときの町村合併は、現在の富士見市と同じなんでしょう
か。市制を敷いたのは、いつ頃なのでしょう?それにして
も、富士見市という名称は、なんだか歴史無視の味気ないよ
うな気がしないでもありません。それは、みずほ台という地
名にしてもそう感じます。富士見市−みずほ台というのは、
なんだか不動産屋のチラシのコピーみたいな感じがします。
確か、CASTERさんのお宅は水子からみずほ台に町名変
更になった地域ではないかと思うのですが、どうですか?
ところで、個人的な興味からお聞きするのですが、富士見市
内をいわゆる「鎌倉街道」は通っているのでしょうか?
ランナー=GKD0013
7.08.95 / 07:50
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Message # 71 is from: GKD0010 【MINAMI】
Time: 95/07/09 10:28:55 Section 5: ふじみ・話題なんでも
Subj: Re:69)Re:66)富士見再発見シリーズ5
> ところで、個人的な興味からお聞きするのですが、富士見市
> 内をいわゆる「鎌倉街道」は通っているのでしょうか?
詳細はわかりませんが、「浦和−所沢バイパス」の線に沿った形で何ヵ所かに
「鎌倉街道」の跡があります。
みずたに幼稚園の付近や三芳町の歴史民俗資料館(こどもの川の上)付近にその
説明があるのを見たことがあります。
-=- Written 1995/07/09 10:14:18 【MINAMI】-=-
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Message # 72 is from: GKD0033 アイリー
Time: 95/07/09 13:54:53 Section 5: ふじみ・話題なんでも
Subj: Re:71) 「鎌倉街道」を歩こう。
確か、水谷公民館主催だたかと思いますが、毎年「鎌倉街道を歩く」と
いうのがあります。
私も、つれあいと二人で参加しました。皆さんも、どうですか・・・
95/07/09(日) 13:51:35 ウロウロ・アイリー
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Message # 67 is from: GKD0033 アイリー
Time: 95/07/06 22:08:35 Section 5: ふじみ・話題なんでも
Subj: 富士見市をNHKで放送
この間、富士見市の放送が3・4回あり、もうこれでおしまいかなと思っていま
したが、まだ続きそうです。広報「ふじみ」の6月25日号に掲載されております。
6月10日から3ヶ月間、隔週の予定で、柳瀬川周辺の風景が放映されます。
NHK「おはよう日本」列島百景・火曜日AM6:50前後
NHK「いっと6けん」土曜日AM11:30
富士見市は、なんて景色のいいところだろう(すごい田舎だな)と思いながら
見る人が多いと思います。
最初は、どうも南畑周辺らしく、田んぼばかりでした。
次は、富士見有料道路のつきあたり近辺でした。
そのまた次は、東上線柳瀬川駅近辺ですが、どちらかというと水谷東の田んぼ
の方を映していたと思います。
もう1回あったと思いますが、どこだったかな???
次の火曜日も放送されるのかな?
参議院選挙なので、放送されないと思いますが・・・
95/07/06(木) 21:48:19 ウロウロ・アイリー
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Message # 73 is from: GKD0037 CASTER
Time: 95/07/13 21:37:35 Section 5: ふじみ・話題なんでも
Subj: 富士見再発見シリーズ6
神社編(3)<八幡神社>
八幡神社(下南畑) 富士見市下南畑1148
主祭神 誉田別方命(ほんだわけのみこと)
境内社 稲荷神社・八雲神社・御嶽神社・琴平宮・庚申社・天満宮
みどころ 獅子舞
祭礼 3/15、春、夏、秋に祭礼がある。
祭神(誉田別方命)は、第15代応神天皇であり、武の神
1400年に足利満兼がこの土地を鶴岡八幡宮に寄進したとの記録が
あるそうで、鰐口が社宝だそうです。
八幡神社(水子) 富士見市水子5084
主祭神 誉田別方命(ほんだわけのみこと)
境内社 何も残ってないが、白山信仰らしい石がある。
祭礼 3/15?
日連宗智性院智永山性蓮寺のすぐ上に鎮座する社、かなり老朽化している。
資料がなく、詳細不明
阿蘇神社(しゃくじょうさま) 富士見市東大久保83
主祭神 錫杖権現
境内社 阿蘇神社特有の、親族神を祭る
祭礼 10/19
妃神二宮阿蘇都比女命の父神とその御末5神などの他、大日霊市杵島姫など、
熊本の阿蘇神社とは、神様の配置や、12神へのこだわりが少ないように見
える。
CASTER(GKD0037)
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Message # 74 is from: GKD0037 CASTER
Time: 95/07/24 20:23:47 Section 5: ふじみ・話題なんでも
Subj: 富士見再発見シリーズ7
鎌倉道
鎌倉道というのは、鎌倉幕府が作った[いざ鎌倉]の道であることは知られています。
アイリーさんの書込みなどもありましたとうり、市内にも少し残っています。
鎌倉道には上道(かみつみち)<過密道?ではない>、中道(なかつみち)、下道(
しもつみち)の三本がありました。
上道は、鎌倉−府中−所沢−坂戸−嵐山−花園と今の関越道に当たり
中道は、鎌倉−都内−川口−浦和−岩槻−宮代−幸手−栗橋−古河と今の東北道に相当
し、下道は今の東海道にあたります。
富士見市を通る鎌倉道は上道と中道をつなぐ脇街道ですが、岩槻−大宮−与野−羽袮蔵
の渡し−下難波田−水子古城−針ケ谷−竹間沢−所沢という経路で、結構重要な道で
あった様です。(新編武蔵風土記)(新編埼玉風土記)
羽根倉では、1352年(観応3年)足利尊氏方の武蔵守護代薬師寺公義に率いられた
高麗経澄・助綱等が、足利直義方の難波田九郎三郎を討ち取った合戦がおこなわれまし
た。
CASTER(GKD0037)
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Message # 75 is from: GKD0013 ランナー
Time: 95/07/24 21:29:33 Section 5: ふじみ・話題なんでも
Subj: Re:74)鎌倉道
CASTERさん、「鎌倉道」についての解説、有り難うございました。
わたしも、鎌倉道については、結構あちこちで出会うような気がしていたの
ですが、やはり1本の街道ではなかったのですね。
》富士見市を通る鎌倉道は上道と中道をつなぐ脇街道ですが、岩槻−大宮−与
》野−羽袮蔵の渡し−下難波田−水子古城−針ケ谷−竹間沢−所沢という経路
この道筋は、今のバイパスではなくて、昔の浦所街道そのままですね。わた
しはバイパスが出来る前から(そしてみずほ台駅の出来る前から)、富士見
市には出没していまして、なるほど、あれが鎌倉道の名残かと、納得するも
のがあります。
ところで、ここにある水子古城というのは、たぶん古い城があったのでしょ
うが、どのあたりになるのでしょうか?
ランナー=GKD0013
7.24.95 / 21:31
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Message # 76 is from: GKD0033 アイリー
Time: 95/07/24 23:32:59 Section 5: ふじみ・話題なんでも
Subj: Re:74)私の歩いた「鎌倉道」
CASTERさん、鎌倉道のアップ、ありがとうございます。
CASTERさんのアップからすると、[水子古城−針ケ谷]の一部分をあるいた
ようです。今度は、[下難波田−水子古城−針ケ谷−竹間沢]ぐらい歩きたいもので
す。
[水子古城−針ケ谷]を歩いた感想ですが、なかなか雰囲気のある道ですが、よそ
の家の庭先のようなところもありますので、[下難波田−竹間沢]は難しかもしれま
せん。
95/07/24(月) 21:35:50 ウロウロ・アイリー
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Message # 78 is from: GKD0037 CASTER
Time: 95/08/10 14:46:12 Section 5: ふじみ・話題なんでも
Subj: 富士見再発見シリーズ8
地名のおこり(1)
私達の住む富士見の地名のルーツを追ってみました。
情報源は富士見の広報に連載されたものと、図書館の蔵書、近所の古老です。
<鶴瀬>明治22年(1889)村制施行の時、鶴馬村と勝瀬村を合わせ(鶴瀬村)と
したもの。
<鶴馬>元禄2年(1559)の北条役帳には、(鶴間)となっているのですが、
1646年8月の検地の記録には[相模の国にも鶴間があるので鶴馬に
改めた]という記録がありましたので、昔は鶴間であったのが正しいよ
うです。鶴の飛来する水面という意味からつけられたとのこと。
<勝瀬>文明9年(1477)榛名神社の棟札に再築入東郡勝瀬村と書かれており、
また、勝瀬孫六なる人物も北条役帳に登場しますが、おそらく川の瀬から
起こったもので勝は瀬に冠せた好字であろうと、山口和夫さん(市史編纂
委員)は推定されています。
<水谷>明治22年(1889)村制施行の時、水子村と針ケ谷村の合併によるもの。
<水子>諸説があるが、神山健吉氏の湧水源の意味の(水処)説や、水子伝説に
よるものとかがあります。代表的な水子伝説は、旅の僧を泊めたところ
その家の娘が妊娠し、再び現れた僧をなじると、僧は祈祷を行い、腹の
子が水となって流れて行ったというもの。
<針ケ谷> 谷(や)とは、山あいの谷(たに)ではなく、平坦な台地の続くところ
に深く喰い込んだ谷のことで、そこは低湿なところで、水田などがみられ
ます。この谷の源には湧水地があり、針には開墾という意味があるそうで
す。この湧水地には、不動明王が奉られることが多いとされます。
CASTER(GKD0037)
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Message # 87 is from: GKD0037 CASTER
Time: 96/01/15 20:27:38 Section 5: ふじみ・話題なんでも
Subj: 富士見再発見シリーズ9
みずほ台1
私達の生活に身近なみずほ台について調べてみました。
情報源は例によって、図書館の蔵書、近所の古老です。
みずほ台を語るには、やはり東上線を調べる必要があります。
東上鉄道が開通したのが大正3年(1914)5月1日で東京池袋から田面沢駅
(川越市内)間の33.5Kmで途中の停車駅は下板橋、成増、膝折(今の朝霞)、
志木、鶴瀬、上福岡、六軒町(川越市)でした。
運賃は並等1マイル(1.6Km)2銭、特等は5割増しであったそうです。
大正7年頃、上り・下りが2時間に各1本で池袋−鶴瀬間をほぼ1時間で走った
という記録がありますが、当然単線で蒸気機関車でありました。
その後の延長工事を簡単に紹介しますと、
大正4年 現川越駅が完成
大正5年 坂戸まで延長(9.2km)され、六軒町駅と田面沢駅廃止
大正9年 東武鉄道と東上鉄道が合併し東武東上線となる
大正12年 武州松山まで延長(9.4km)
大正12年 小川町まで延長(10.8km)
大正14年 寄居まで延長され(全長75.2km)国有鉄道八高線と接続出来ました。
延長工事が1段落した昭和のはじめ、各方面から電化と複線化の要求が出てまい
りました。それは首都東京の発展と密接にかかわっています。
昭和2年(1927)2月10日、水子に駅が出来ました。しかし、乗客用では
なく、東京から運ばれてくる屎尿の積み卸し用の仮設ホームでした。
1ヶ月70本の屎尿列車が運行し、東京から荷物が届くと、[ばんたろー]と呼ば
れる人が誰が何樽受け取ったかを記録していたそうで、後日清算をしたようです。
肥桶は牛・馬車や大八車、リヤカー、天秤棒で運び、野壷で発酵させ、農作業に
使用しました。
さて、この水子に出来た仮設ホームは東武鉄道が稲の穂が実る高台という意味で
[みずほ台信号所]と命名した・・・・と[駅名由来]という本に書いてあります。
この仮設ホームは昭和13年6月まで続きます。
ここから後、本物の駅が出来ますまでは、次回のおたのしみ。
CASTER(GKD0037)
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Message # 89 is from: GKD0037 CASTER
Time: 96/01/29 21:20:16 Section 5: ふじみ・話題なんでも
Subj: 富士見再発見シリーズ10
みずほ台(2)
昭和2年(1927年)東上線に仮設ホームが出来、農業に貢献してきたことは前回
紹介しましたが、昭和13年に戦争の影響で、仮設ホームは廃止されます。
戦後の食糧難には、東上線は食料の買い出しで満員となり、通称「イモ電車」と
呼ばれていたのは、皆さん御承知のとうりです。
戦争が終わって貨物輸送から客車が主流となり、仮設ホームを延長して一部複線
とし、列車の交換施設として、みずほ台信号所となりました。
この信号所はなんとなく駅らしい姿の為、地元の人々からも素朴な駅設置の要望
が出るようになりました。
昭和28年(1953)志木−川越間の複線化工事が始まる事となり、東武鉄道は地元に
4000坪の用地取りまとめを依頼し、水谷村は3813坪を駅予定地として売り渡しました。
川越までの複線化工事は昭和29年11月に完成しました。
その頃になると、不動産業者が暗躍し、地主や有力者に働きかけ、東武鉄道や、
住宅公団に売り込もうという動きが出始めたのです。
昭和35年(1960)地主会が結成され,駅周辺の8万坪を13,500円/坪で買い取る
計画に着手し、約49,000坪の買収に成功しましたが、水谷東地区の開発が急で、地価
の上昇に追い付けず、断念する事になります。
この後、東武鉄道は、駅建設には計画を出さない状態が続きました。
昭和44年(1969)新都市計画法による市街化調整区域への編入のおそれもあり、
みずほ台周辺の地主・有力者は、自治体の後押しも有り、土地区画整理組合を結成
して、昭和47年(1972)壮大な都市計画に着手しました。
対象地域は現在の水谷1−2丁目、東みずほ台1−3丁目、西みずほ台1−3丁目
面積87.4ha
地権者は当初599名(最終689名)
資金は当初13億8,500万円(最終32億2,500万円)
これは、途中でオイルショックが起こった事によるものと思われます。
全体の減歩率は18.73%(平均23.22%)で保留地31,026平方m
を捻出し、これを売却して資金とし、補助金とあわせて実行されました。
そして開始から8年後の昭和52年10月みずほ台駅が完成しました。
ちなみに、土地区画整理組合が売り出した保留地の公募価格は1平方メートル当たり
49,350円〜92,300円で競争入札とし、転売を禁止していました。
この頃としては相当な割高感があったと思われます。
次回は、みずほ台駅周辺の話題を紹介します。
CASTER(GKD0037)
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