(c)室田元美
山口県宇部市の瀬戸内海に面した床波海岸。海に突き出た2本のピーヤ(排気口)の下に、かつて長生炭鉱という海底炭鉱の坑道があった。 1942年2月3日朝、坑道の水没事故(水非常)が起こり、183人が死亡した。そのうち136人は朝鮮人労働者だった。日本人47人の中には沖縄の労働者も。昨年から始まった遺骨潜水調査は、日韓のマスコミも報道に力を入れており、両国で関心が高まっている。潜水調査を見守る最前線には、いつも井上洋子さんの姿がある。
生まれ故郷は長野県下伊那郡天龍村。天竜川のほとり、自然に恵まれた所だ。下伊那は戦時中、満蒙開拓団で大勢の人々を送り出している。 「東京の大学に入って、友人が貸してくれた朴慶植さんの『朝鮮人強制連行の記録』を読んで驚きました。自分の村の平岡ダムの記述があったんです。戦時中に朝鮮人、中国人、連合軍捕虜が働かされ、山の中にそのまま捨てられた死者もいたと。知らなかったことが悔しくて『なんで教えてくれなかったんですか』と高校の歴史の先生に手紙を書きました」
その後、夫の赴任先の山口市に転居。80年代には指紋押捺拒否運動の支援に関わる。拠点になった宇部の教会で、長生炭鉱の調査研究をしていた山口武信さんに出会った。 「事故は起きた時に報道されたきりで、その後は歴史から消されたまま。地元の人もほとんど知らないでしょう。私には故郷の山にうち捨てられた人々と、海底に眠ったままの人々が重なりました」
団体職員の仕事をしながら、井上さんは長生炭鉱の調査に加わった。日韓の遺族に手紙を書き、遺族探しを行った。91年に山口さんを代表に「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」が発足。翌年には遺族が初来日し、毎年、事故の日に合わせて追悼集会を開催してきた。
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