Subject: [fem-events 163] 「境界を移動する女性」パフォーマンス+トーク
From: Kazuyo Yasuda <reflect@interlink.or.jp>
Date: Thu, 16 Sep 1999 19:45:15 +0900
Seq: 163

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こんにちは、安田和代です。

来週とさ来週の週末、札幌のFree Space PRAHAで「Time Based Art 境界を移動する
」を企画しています。
3人の女性アーティストによるパフォーマンス+トーク「境界を移動する女性」と実
験映画の上映+トーク「映像の境界」の2プログラムの構成です。
札幌のみなさん、是非ご参加下さい。
また、札幌の知り合いの方にも宣伝いただけるとうれしいです。

それから、もう一つお知らせです。
WAN(Women's Art Network)のNewsletter no.3を発行しました。
今号のトピックは、大阪の女性センターによる女性の表現への規制「『早すぎる』っ
てどういうこと?- 女性センターと芸術表現-」です。
いろいろな問題を含む事件ですので、多くの方に知っていただき、意見、感想等を交
換できたらと思っています。興味のある方に、お送りしますのでご連絡下さい。

安田和代
art-coordinator
_「Time Based Art 境界を移動する」

・「境界を移動する女性」
9月24日(金)6:00pm - 8:00pm
パフォーマンス イトー・ターリ「私をいきること」
        山岡佐紀子「セミの重さを知るために」
9月25日(土)2:00pm - 5:00pm
パフォーマンス 高橋芙美子「Rush」
トーク「私とパフォーマンス」「Women's Art Network」

・「映像の境界」
10月2日(土)4:00pm - 「60年代の実験映画」
                                     (ジョナス・メカス、オノ・ヨーコetc.)
                      7:00pm -  「コンセプチュアル・シネマ」(飯村隆彦作品)
会場:Free Space PRAHA (tel. 011-513-0977)
入場料:パフォーマンス  2日間通し 2500円 、1日 1500円 (要予約)
    実験映画上映   2プログラム 1800円(学生1500円)(要予約)
主催:PRAHA Project
お問い合わせ/予約:PRAHA Project 大橋拓(tel. 011-513-0977)
企画/コーディネート:安田和代 (e-mail: reflect@interlink.or.jp)

・イトー・ターリ「私をいきること」
 前作「自画像」で自らの性の在り様を表明したイトー・ターリが、さらに自分を偽
らずに生きたいとの願いをこめて、性差別と異性愛主義に直面しているポジションか
ら、ひとつの生き方、その身体、そのエロティシズムを探る迫真のパフォーマンス。
東京都写真美術館、朝日新聞社、サントリーミュージアム「天保山」の主催で行われ
た「ラヴズボディ-ヌード写真の近現代-」のために制作されたものです。

・高橋芙美子「Rush」
情報としての「人間性の危機」「アイデンティティー」「人権」「戦争」。それらの
問いに対する答えは、日常生活の中にこそ散逸している。見過ごせば気付かない。し
かし積み重ねられていき、巨大な影響力を発揮する。個人が自らの状況を振り返るこ
とで、何か見えてこないか。象徴的に日本社会を映し出すシーンのひとつにラッシュ
アワーがある。改善が叫ばれているにもかかわらず、えんえん毎日繰り返される残酷
な場面だ。私達がどれほど自分自身の感覚に怠惰でいるか、そのことがどれほど負の
影響力を発揮しているのか。個人の上に社会という幻想を打ち壊す力がどこかに転が
っていないか。私達はどこに向かっているのか。情報、つまり他人ごととしてではな
く、自分自身のこととして世界を捕える地点を探すための、コミュニケーションの場
を創り、その時間を記憶に刻み込むことがこのパフォーマンスの目的である。

・山岡佐紀子「セミの重さを知るために」
「僕らはきわめて単純なルールがある。作文の内容は真実でなければならないという
ルールだ。たとえば……ぼくらは『クルミの実をたくさん食べる』とは書くだろうが
、『僕らはクルミの実が好きだ』とは書くまい。『好き』という語は精確さと客観性
に欠けていて確かな語ではないからだ。『僕らはクルミの実が好きだ』という場合と
、『お母さんが好きだ』という場合では、『好き』の意味が異なる。前者の句では、
口の中に広がる美味しさを『好き』と言っているのに対し、後者の句では『好き』は
、ひとつの感情を表している。感情を定義する言葉は、非常に漠然としている。その
種の言葉の使用は一切避け、物象や人間や自分自身の描写、つまり事実の忠実の描写
だけにとどめた方がよい…」(「悪童日記」アゴタ・クリストフ著、早川書房)

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こんにちは、安田和代です。


来週とさ来週の週末、札幌のFree Space PRAHAで「Time Based
Art 境界を移動する」を企画しています。

3人の女性アーティストによるパフォーマンス+トーク「境界を移動する女性」と実験映画の上映+トーク「映像の境界」の2プログラムの構成です。

札幌のみなさん、是非ご参加下さい。

また、札幌の知り合いの方にも宣伝いただけるとうれしいです。


それから、もう一つお知らせです。

WAN(Women's Art Network)のNewsletter no.3を発行しました。

今号のトピックは、大阪の女性センターによる女性の表現への規制「『早すぎる』ってどういうこと?-
女性センターと芸術表現-」です。

いろいろな問題を含む事件ですので、多くの方に知っていただき、意見、感想等を交換できたらと思っています。興味のある方に、お送りしますのでご連絡下さい。


安田和代

art-coordinator

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「Time Based Art 境界を移動する」


・「境界を移動する女性」

9月24日(金)6:00pm - 8:00pm 

パフォーマンス イトー・ターリ「私をいきること」

        山岡佐紀子「セミの重さを知るために」

9月25日(土)2:00pm - 5:00pm 

パフォーマンス 高橋芙美子「Rush」

トーク「私とパフォーマンス」「Women's Art Network」


・「映像の境界」

10月2日(土)4:00pm - 「60年代の実験映画」

                                    
(ジョナス・メカス、オノ・ヨーコetc.)

                      7:00pm - 
「コンセプチュアル・シネマ」(飯村隆彦作品)

会場:Free Space PRAHA (tel. 011-513-0977)

入場料:パフォーマンス  2日間通し 2500円 、1日 1500円 (要予約)

    実験映画上映   2プログラム 1800円(学生1500円)(要予約)

主催:PRAHA Project 

お問い合わせ/予約:PRAHA Project 大橋拓(tel. 011-513-0977)

企画/コーディネート:安田和代 (e-mail: reflect@interlink.or.jp)


・イトー・ターリ「私をいきること」

 前作「自画像」で自らの性の在り様を表明したイトー・ターリが、さらに自分を偽らずに生きたいとの願いをこめて、性差別と異性愛主義に直面しているポジションから、ひとつの生き方、その身体、そのエロティシズムを探る迫真のパフォーマンス。

東京都写真美術館、朝日新聞社、サントリーミュージアム「天保山」の主催で行われた「ラヴズボディ-ヌード写真の近現代-」のために制作されたものです。


・高橋芙美子「Rush」

情報としての「人間性の危機」「アイデンティティー」「人権」「戦争」。それらの問いに対する答えは、日常生活の中にこそ散逸している。見過ごせば気付かない。しかし積み重ねられていき、巨大な影響力を発揮する。個人が自らの状況を振り返ることで、何か見えてこないか。象徴的に日本社会を映し出すシーンのひとつにラッシュアワーがある。改善が叫ばれているにもかかわらず、えんえん毎日繰り返される残酷な場面だ。私達がどれほど自分自身の感覚に怠惰でいるか、そのことがどれほど負の影響力を発揮しているのか。個人の上に社会という幻想を打ち壊す力がどこかに転がっていないか。私達はどこに向かっているのか。情報、つまり他人ごととしてではなく、自分自身のこととして世界を捕える地点を探すための、コミュニケーションの場を創り、その時間を記憶に刻み込むことがこのパフォーマンスの目的である。


・山岡佐紀子「セミの重さを知るために」

「僕らはきわめて単純なルールがある。作文の内容は真実でなければならないというルールだ。たとえば……ぼくらは『クルミの実をたくさん食べる』とは書くだろうが、『僕らはクルミの実が好きだ』とは書くまい。『好き』という語は精確さと客観性に欠けていて確かな語ではないからだ。『僕らはクルミの実が好きだ』という場合と、『お母さんが好きだ』という場合では、『好き』の意味が異なる。前者の句では、口の中に広がる美味しさを『好き』と言っているのに対し、後者の句では『好き』は、ひとつの感情を表している。感情を定義する言葉は、非常に漠然としている。その種の言葉の使用は一切避け、物象や人間や自分自身の描写、つまり事実の忠実の描写だけにとどめた方がよい…」(「悪童日記」アゴタ・クリストフ著、早川書房)


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