『新ゴ−マニズム宣言』 第115章
『著作権裁判の背景にやはり慰安婦論争?』を嗤う
横山好雄・「脱ゴ−宣裁判」を楽しむ会
----------------------------------------------------------------------はじめに
いやあ、笑いました。本当に笑いました。ひとしきり笑った後に心底恐ろしくなり
ました。悲しくもなりました。人間、ここまで落ちれるものなのか。ここまで堂々
と、「嘘」がつけるものなのか・・・。
[今度の高裁での争点](P.60)に関しては、前稿「『原判決取消の理由書』に徹底的
に反論する」を参照して下さい。全てそこで言い尽くしています。ここでは、「著作
権法学会のシンポジウム」に論点を絞って、小林さんの歪曲ぶりを皆さんにお伝えし
ようと思います。
私の書くものは、仲間内からも「長げえよ、タコ」と批判されていますので
(笑)、今回はとっても短いっす。
◆ 「引用」(話し言葉も含む)は、[ ]で示します。
「ペ−ジ数」は、国際情報誌(ぷっ)「『SAPIO』4/26号」のものです。
では、始めますか。
先ず最初に、このシンポジウムに私が参加した経緯を説明しておきます。ホント、
偶然知ったんですよ。インタ−ネットで「著作権法」について適当にあたっていた時
に。「一般参加」(著作権法学会員でなくても)も出来そうだったのでテレコ片手に
出かけたわけです。受付で、「録音させてほしいが構わないですよね」と尋ねたんで
すが、何故かちょっと対応は鈍かったですね。そこで、「ワシは私的な使用しかしな
いぞなもし」と再度明確に断って了解を取りました。
パネラ−の発言は「公開シンポジウム」における発言ですので、勿論「引用」する
ことは可能です。しかし、以下お読み頂ければおわかりのように、こういった使い方
までを「引用」と言い得るかは、私自身疑問がないではありません。本来なら許諾を
得るべきものかもしれない。
しかし、両者の発言は小林氏によって明らかに「捏造、歪曲」されたものであり、
それを正す目的での「引用」でありますから、両者の支持は得られるものと信じま
す。(よって文責は私一人に帰属します。)
大家重夫氏のコメントについて
◆ シンポジウムに中村弁護士とトッキ−が来ていたことは前稿でもお伝えしまし
た。「おっ、結構真面目にやってんじゃん」と思いましたから、それはそれで評価し
ときましょう。
◆ [そこで会場からの質問・・・](P.66)。
この質問者が中村弁護士であることは言うまでもないでしょう。小林さんはこれを
架空の第三者にして描いてるけど、何でだ?。堂々と中村弁護士としてそのまま描け
ばいいじゃん。これじゃ、質問の内容自体が「恥ずかしいものだったから」としか思
えないぞ(笑)。事実、そうだったんだけど・・・。
それとも中村弁護士自身が小林さんに頼んだのかな。「小林さん、あの場面、私じ
ゃないことにしてほしいんだけど」「なーんでじゃ?」「ただでさえアンタの弁護で
仲間内の評判悪いんすよ。その上あんな質問内容じゃ、恥ずかしくて弁護士会とか行
けないですよ」「仕方ない、時浦にしとくか」「勘弁して下さいよ、先生。私だって
主従関係の意味ぐらい理解してますよ」「大体小林さんが無理矢理聞いてこいって言
った質問でしょ。責任とってほしいよな」「そうですよ、先生。やっぱりあの質問は
幼稚過ぎますよ」「何よ、二人して先生ぴゃんのこと。キッ−」「わかった、わかっ
た。架空の人にすりゃいいだろが」
チャンチャン。
「質疑応答」の時間になり、中村弁護士は大家氏を指名してこう問いました。
(「えー」とか「そのー」とかは略。また、正確にテープを起こしていますので、あ
くまで「話し言葉」であることを含意して読んで下さい。)
[先生からいただきましたレジュメの二枚目の所に、小林よしのり事件(※注)が書
かれてまして、先生の疑問点として争点の2の所にですね、「従来、鑑賞性が認めら
れる限り付従性が認められない」と、「『従』ではないと考えられがちだった」とい
うふうに書かれてまして、主従関係の要件については、例えば一つの漫画、或いはカ
ット、或いは絵画が鑑賞性を持っていてそれが独立性を、かつ備えていれば「従」で
はないという基準があったということなんですが、今回の判例でそれがもしかしたら
崩れていくかもしれない、将来的には鑑賞性・独立性もありながら付従性を認めるよ
うな判決が出てくるんじゃないかというお話しがあったんですけれども、そうなって
くると、絵画なり、漫画なり、或いは絵と文が一体となったような表現をする創作
者・クリエイタ−としては、もうほとんど著作権が守られなくなる危険があるんじゃ
ないかというふうに心配しているんですけども、そういう場合は、もしそうなってし
まった時にはどういう歯止めといいますか、著作権法一条のですね、創作者の著作権
を守っていくという部分ではどういう要件が別にたってくるのか、或いはもう一度そ
ういった独立性・鑑賞性の要件を見直していくのかどうか、その辺教えて頂けると有
り難いんですが。]
この質問を聞いた時、「小林さん側は一審判決を本当に理解してるのだろうか」と本
気で思いました。「主従関係」の概念が本当に解っているのか・・・。
大家氏はこう答えました。
先ず『コピライト』の大江修子弁護士の文章(前稿「『鑑賞性』について」の項参
照)を読み、その上で
[私はこれに同感したわけです。そこで、それ(レジュメ)を書いたわけですが、お
っしゃるとおり、こういうふうに、独立性或いは鑑賞性があると、いうことで認めて
いけばまさに骨抜きになると言いますか、そういう危険は多きにあるんですが、先ほ
どの方がおっしゃった読売新聞の「新聞広告事件」といっしょで、絵に対するです
ね、批評というか紹介というかその文章、そこの間の緊密な連係と言いますか、そこ
が、絞りがですね、ああいうふうに固い以上担保されてると。私は、そう考えますと
ね、こっちの方は、まさに、ですから主と従ですね、そこの主と従の中身ですね、だ
からそれが担保されておれば、日本の引用法制と言いますか、全部鑑賞の対象になっ
たり或いは独立性があってもですね、それはそれで、述べる方が、文章が主ならば、
いいではないかと、こういう歯止めですね、それで読みたいと思っております。]
[ありがとうございました](中村弁護士)。
という経緯です。[なんだかよくわからない]のは小林さんだけでしょう。
[とにかくざっと見て文章が主と感じたら絵の独立した鑑賞性など結局 無視してい
いではないか]って、これ一体何のこと?。曲解もここまでいけば、もう立派な「捏
造」でしょう。[緊密な連係][主と従の中身]という基本的なことはちゃんと説明
されてるのに。しっかりメモれよ、トッキ−。
また大家氏の名誉のためにも断言しておきますが、氏は[従来の要件を緩和した]な
どとは述べていません。「鑑賞性」については、むしろまだ一審判決に疑問を呈して
いることは前稿でも述べたとおりです。
(※注)小林よしのり事件
[「著作権法学会」では この問題「小林よしのり事件」という名称](P.60)などつ
いてません(笑)。ご覧のように、大家氏が自身のレジュメの中で便宜的に用いただ
けのことです。
人間、ここまで大物ぶったりはしたくないものです。
◆ 大江修子弁護士の名誉のためにも付言しておきます。
小林さんが65頁で挙げている『コピライト』の筆者が大江弁護士です(先述した
ように、その内容は前稿を参照して下さい)。
ご覧頂ければお解りのように、大江氏は、小林さんの[絵の独立の鑑賞性を認めた
上で]の解説など書いてはいません。あくまで一般論として、[被引用著作物が美術
の場合]と述べているだけです。曲解もここまでいけば、もう立派な「捏造」でしょ
う。
飯村敏明判事のコメントについて
◆ 飯村判事の発言は、[大家教授の発言を受け]てのものではありません。そこか
ら何人もの質問者を挟み、全く別の質問に答える中で、最後にわざわざ自分の方から
触れてくれたものでした。
以下、紹介します。
[それから「脱ゴ−マニズム宣言」は、わたくしが関与した事件ではございませんけ
れども、あれが、まあ、一番緩やかに解釈されている理由というのは、目的との関係
も多いにあるのではないかと思います。例えば研究目的とか報道目的とか、様々な使
い方があるんですけども、まさに原告の作品を、対象にした、使い方ということを、
まあ何かとその辺で、原著作物との関連性というような、或いは目的との関わり合い
というような、強く印象づけられるものですから、そこで多少緩やかに判断されたと
いう面もあるのではないかと思っています。]
さあ、この飯村判事の発言と「67頁/二コマ目」を比較してみて下さ
い。もはや私のごちゃごちゃした「解説」など不要でしょう。
また、ここでの飯村氏の肖像ですが、本人とは似ても似つきません。まあ、小林さ
んは来てないのだから多分トッキ−がスケッチして帰ったのでしょうが、でも似てな
いからって、これはこれで十分問題あると思いますけどね。これじゃ60過ぎの病人
だよ。「悪意」丸出しじゃん(笑)。
本人はもっと若く、マジでもっと二枚目でした。念のため。
終わりに
ねっ、短いでしょ(笑)。
「徒労感」が先立ってテンション低いんですよね。でも、このシンポジウムに行っ
たの「楽しむ会」ではアチキだけだから仕方ないの・・・。ゴメンね、いつも僕で・・・。
「判決」が出ましたね。上杉氏側は「上告」を決意しました。当然です。
私だって全然納得できませんもん。(小林さんはどうするでしょうか。)
多分、近いうちに「控訴審判決」についての詳論もアップされると思います。書き
手がまた僕だったらゴメンなさい。(それもう、お前だってことじゃん。)
ではまた。
2000/4/29(最悪の祝日に)