これが政治判決というものか
――最高裁による名誉毀損不当判決を受けて――
私が小林よしのり氏の漫画を引用した著作(『脱ゴーマニズム宣言』東方出版)を発表したことについて、彼が私を「ドロボー」と描いたことを名誉毀損と訴えた事件に対し、最高裁判所は、2004年7月15日、判決を下しました。すでにマスコミ等でご承知のように、東京高等裁判所における私の側の勝訴判決を全面的にくつがえし、逆転敗訴としたものです。
今回の最高裁の判決に先だって、6月24日、口頭弁論が開かれました。通常、このような場合、高裁判決は逆転するというのが「常識」であるわけですが、その準備に答弁書を作成する中で、どう考えてもひっくり返すのは無理という思いを強めていきました。そこで、まれに最高裁が、高裁判決の不備を補い、より厳密な判決を確定するために審理を開く場合があることを知り、私についてもそうであろうと、高橋弁護士ともども話していたのでした。
支援の方々とも、「こんなに論理明快、説得力ある答弁書(「脱ゴー宣」裁判を楽しむ会のHPにすでに掲載)を読んで、もし変な判決が出るとしたら、それは最高裁がおかしいよ」と言い合って、口頭弁論に臨んだのでした。そこには小林氏も来ており、彼が意見陳述したため、私もその内容に対して口頭で厳しく、かつ丁寧に批判したところ、彼は気恥ずかしそうに、こそこそ帰っていきました。これで、裁判官もよくわかってくれたものと思い、「最高裁で意見陳述したなんていうのは、一生の思い出だよ」などと、冗談を飛ばしながら、退廷したものでした。
とはいえ、昨日の判決当日になると、やはり「判決がひっくりかえるかも」という「常識」と、「裁判官に少しでも考える力が残ってさえいれば、そんなことはありえないよ」という「確信」の間を揺れていました。ただ、口頭弁論の時から気になっていたのは、最高裁の建物の異様さでした。まるで要塞のような構造をもったその建物は、学園紛争を意識し、学生が押しかけてくることを予測して設計されたものと土屋弁護士から伺いました。そして、入り口までの、まるで参道のように長い登り階段、人影まばらで閑散とした内部空間、裁判官に対して「うやうやしい」しぐさを見せる職員たち、その裁判官が座る椅子は、まるで後光がさしているように見えるデザイン、などなど。人の体温を感じさせない寒々とした空気に、悪い冗談を聞かされつづけているような居心地の悪さを感じていたのでした。
しかし、その「悪い冗談」が、現実のものとなりました。判決文を高橋弁護士の事務所でいただいて読んだところ、驚きました。こちらの答弁書など、まったく検討された跡がなかったからです。私への「ドロボー」呼ばわりが「見解の表明」などではありえないことを、こちらは論を尽くして主張していたのです。それを無視し、まず無前提に「ドロボー」が「法的な見解の表明」であると断定するところから出発し、「法的な見解の表明は、事実を摘示するものではなく、意見ないし論評の表明である」という同語反復により、名誉毀損にあたらないという結論を出したのでした。
知性あるはずの大人が5人も集まって出した結論が、こんなにもでたらめであることに驚き、私は怒りさえ起こりませんでした。むしろ、これで負けたからといって、肝心の著作権裁判では勝っているわけですから、「どうっていうことない」。むしろこの裁判に勝って、弁護士さんに十分な謝礼をお支払いすることも、私の大切な動機でしたから(著作権裁判の方に十分なことができなかった)、弁護士さんにその点が残念ですとあやまり、素晴らしい代理人をしていただいたことに感謝しつつ事務所を出ました。
大阪へ帰る飛行機の中で、私は眠りながら、5人の裁判官たちの表情を思い出していました。口頭弁論のとき、私の意見陳述を、肝心のところで、姿勢を固くして、こわばった表情で聞いていたけれど、あのときもう今回の判決内容が決まっていたのか、などと思いながら、ふと、彼らはどういう裁判官たちなのか、という思いがよぎりました。「慰安婦」とされたおばあさんたちの裁判が軒並み負ける中、私の裁判はかなり勝ってきました。そのことで私は、著作権や名誉毀損の裁判は、日本政府を守ろうとする政治的色彩の濃いシビアな慰安婦・戦後補償裁判と少し違い、裁判官も比較的自由に良心にしたがって判決してくれていると思い、また期待してきたのでした。しかし、今回の判決のでたらめさの理由をさがしあぐねた私は、もしかして…と思ったのでした。 帰宅して、さっそくインターネットで、判決文に載っている5人の裁判官の名前を検索して、「そうだったのか」と、私の無知を思い知らされることになりました。裁判官の名前は…
横尾 和子
甲斐中辰夫
泉 徳治
島田 仁郎
才口 千晴
でした。このうち、今年1月に任命された才口裁判官を除く全員が、昨年12月にフィリピンのおばあさんたちの上告を棄却した裁判官たちでした。おまけに横尾・甲斐中両氏は、その前の3月に、拉致問題に関するマスコミ報道の嵐とイラクへの空爆開始の中で、韓国や在日の方々から起こされていた訴訟に対し、あいついで最高裁が上告不受理・棄却決定おこなった5件――3/27
「対日民間法律救助会訴訟」('92提訴)、3/27
「麻糸訴訟」('97提訴)、3/28 「宋神道訴訟」('93提訴)、3/28
「金順吉訴訟」('97提訴)、3/28
「江原道遺族会訴訟」('91提訴)――のうち、最初の2つの判決を出した人でした。
「ああ、政治判決とは、こういうものだったのか。事態はこんな形で動いていたのだ」「おばあさんたちや韓国の被害者たちの訴えを、拉致問題の激風やイラク戦開始という状況の中で、一斉に棄却したような裁判官が、その被害者の立場に立とうとして本を書いた者が「ドロボー」となじられたことについて、不当と考えたり、痛みを感じるはずがないではないか」と思い、これらの事情に昨日まで無知であったことを、深く恥じたのでした。
しかし、これでやっと私は、不当判決で涙を流しつづけてきたおばあさんたちの側に、少しだけ押しやられたわけで、「それもけっして悪くないな」と、思いました。というのは、今回の参院選で自民党は負け、野党の議席数が与党をわずかながら上回り、小泉政権はこれから死に体になっていくことが予想されるからです。すべての野党が、その基本政策や公約に、「アジアの戦争被害真相究明法」と「慰安婦立法」の実現を入れています。情勢の潮目は変わりつつあります。政権交代や戦後補償法案が実現する日は、そんなに遠くないと私は考えています(その分析については、教科書情報資料センターのHPに掲載)。そのとき、最高裁の裁判官たちも、違った立場の人たちに代えられていくことでしょう。その日の喜びを被害者の方たちと共に分かちあうためには、むしろ昨日の判決があった方がよいかもしれないわけで、それを私の今後の励みにしたいと思うからです。
これまで支援・応援してくださった皆さん、どうもありがとうございました。私と小林氏の裁判は、これですべて終わりました。弁護士さんは、ほんとうに素晴らしい仕事をやってくださいました。『脱ゴーマニズム宣言』は、今も書店に並び、売れつづけています。来年の戦後60年は、いよいよ反撃の年になるでしょう。共にがんばりましょう。
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