昨年あたりから、アメリカ、イギリス等で「日本の刑務所で受刑者に民間企業の製品を強制的に作らせているのは、ILO条約の禁止する強制労働に当り、違法だ」との強い批判がされるようになった。この問題は、これまであまり検討されたことのない新しい問題なので、@海外での批判の内容、A日本の刑務所労働の状況、BILO条約の内容、C日本の刑務所労働がILO条約に違反するか、の順に検討してみたい。
1.国際的批判
(1) 1994年6月10日、アメリカ議会下院外交委員会のアジア・太平洋小委員会(アッカーマン委員長)が突然、日本の刑務所労働(Japanese Prison Labour Practice)について公聴会を開催した。証人として出席したラビンジャー氏(元府中刑務所受刑者)、グリフィス弁護士、アトキンス弁護士(IBA−国際法曹協会刑事法委員会委員長)からは、次のような証言がなされたようである。
●アッカーマン委員長「先週私は、自分の選挙区民であるラビンジャー氏から、日本の刑務所で服役した際、民間企業の製品を作るために、時給3セントの賃金で強制的に働かされたことを詳しく聞き、ショックを受けた。これは、日本も批准したILO強制労働禁止条約に明白に違反している。」
●ラビンジャー氏。彼の発言内容についての資料は手元にないが、新聞記事や本人の宣誓供述書から推測すると、概ね次のような証言がなされたものと考えられる。「私は薬物所持の罪で有罪判決を受け、1993年3月まで16ケ月府中刑務所で服役した。その間、2500人の受刑者と共に、セガ、ミズノ、三越等の民間企業の製品を作る労務作業を、休憩時間以外はトイレも行けず、脇見も、会話も許されない完全沈黙での苛酷な労働条件で、一時間3セントの奴隷的賃金で、懲罰におびえながら強制された。」
●グリフィス弁護士。ラビンジャー氏の代理人として活動している弁護士で、公聴会での発言文は手元にないが、1994年6月9日付の同氏のクリントン大統領宛書簡から推測される内容は、次のとおり。「私の依頼者の訴えによれば、日本の刑務所では、アメリカ人を含む受刑者が、セガ、バーバリー等民間企業の製品を制作する刑務労働を強制されている。アメリカでも、民間企業のために受刑者が働くことが認められているが、@任意性(受刑者の同意)とA最低賃金保障(同じ労働が一般労働者によってなされた場合に支払われる最低賃金以上の支払)の二条件が充たされた場合に限る。なお、アメリカの関税法は、外国の刑務所労働によって作られた製品の輸入を禁止している。アメリカのような条件なしに受刑者に民間企業のために働くことを強制している日本の状況は、ILO29号条約に違反する。」
●アトキンス弁護士「強制労働に該当するようなかたちで外国人に刑務労働を強制するのは、人権侵害だ。奴隷労働をアメリカ市場への輸出品製造のために利用することは、人権の観点からも、経済的にも受け入れられないし、関税法違反でもある。アメリカでは、民間企業のための受刑者労働は、任意で、十分な賃金の支払が条件だ。」(以上は個人的意見)
この公聴会の模様はニューヨークタイムズでも報道され、日本の新聞・週刊誌もとりあげた。
(2) その後1995年5月28日、今度はイギリスのインディペンド紙に、同様に府中刑務所で約一年服役したイギリス人の写真とともに「イギリス人受刑者、奴隷労働に利用(British Prisoners used as slave labour)」の標題を付けた大きな記事が掲載された。内容は、日本の刑務所が、懲罰で強制しながら、受刑者を厳格な規律とわずかの賃金で、民間企業の製品を作るために働かせており、ILO29号条約に違反し、不公正な輸出だと非難されている、というものである。タイムズ紙にも同種の記事が掲載され、5月30日の同紙に、当時の法務省の松田矯正局長が、「日本の懲役による受刑者は刑法で労働を義務づけられており、『奴隷労働』ではない。」と反論した。ちょうどそのころ私は、海渡弁護士らと東京三弁護士会代用監獄調査委員会のイギリス監獄調査団の一員として訪英中で、滞在中にBBCから2回インタビューを受けた。その際、日本の刑務所での「奴隷労働」についても問い質され、当時は私も問題意識を欠いていたので、はっきりした意見を言わないまま切り抜けた記憶がある。
(3) なお、1995年5月にカイロで開かれた国連犯罪防止会議でも、前出のグリフィス弁護士が法務省の出席者と本件について話し合いをしたらしい(ジュリスト1077号、P75)。 (4) 以上は、日本の刑務所で受刑者が民間企業のために労働することを強制されている実態を批判するものであるが、@ILO条約違反、A苛酷な処遇状況、B国際的な不公正競争の三つの非難が混在している感じを受ける。
2.日本の刑務所での懲役労働
日本の刑務所では、定役に服することが義務づけられている懲役受刑者と労役場留置者、禁固受刑者や未決拘禁者で作業を請願するものが刑務作業についている。犯罪白書(平成6年)によると、一日平均約35,600人が刑務作業に従事し、年間約140億円の収入をあげている。形態別人員を分類すると、次のとおり。
「自営作業」は、炊事・洗濯等刑務所運営のための作業だから、職業訓練と共に、ILO条約の強制労働問題とは無関係であり、この表の「生産作業」だけがここで問題となる。生産作業は、@財団法人矯正協会が、国に材料を提供し、製品(靴・家具等、ブランド名キャピック)を販売するもの(約20%)と、A民間企業と刑務作業契約をして、民間企業の製品を製作するもの(約60%)に分かれる。Aは更に、イ、刑務所内で作業するものと、ロ、民間作業場に受刑者が出かけていって作業するもの(その詳細は1993年1月の総務庁報告書P96。数は少なく、比率は全体の1%以下のようである)に分かれる。
ILO条約が禁止する「強制労働」に該当するかどうかが問題になるのは、Aの民間企業との契約による刑務作業である。
なお、法務省は、アメリカの関税法の規定を考慮し、刑務所で製作された製品はアメリカには輸出しないよう業者を指導している(局長通達)。
3.ILO条約の内容
ILOの強制労働に関する条約(29号)は1930年に成立した古い条約で、日本は1932年に批准しているが、その内容は次のとおり。
まず、1条で、一切の「強制労働」(forced labour)を廃止することを規定し、2条1で、「強制労働」を、ある者が処罰の脅威の下に強制され、かつその者が任意に申出たのでない一切の労働をいう、と定義する。典型的な「強制労働」は、日本が戦前・戦争中、朝鮮人や中国人を日本に強制連行し、民間企業のために働かせたり、慰安婦にしていた事例であろう。
2条2に、例外的に禁止の対象から外される労働が列挙されており、洪水の際等の緊急時の作業等と共に、C項に次の規定がある。
「(C)裁判所による有罪判決の結果としてなされる労働」。これに但書で二つの条件がついている。「但し、@その労働は、公の機関の監督と管理の下になされなければならず、A労働する者が、私人、会社、団体に雇用されるか、又は、それらの者の利用に供されてはならない。」(not placed at the disposal of …)条約集では「指揮に服しては…」と古い言葉が用いられている。)
4条では、権限ある機関が、私人、会社、団体の利益のため強制労働を課し、又は課すことを許可することを禁止している。
4.条約の検討
まず、刑務所内で行われている民間企業との契約労働について検討してみよう。これが条約2条2(C)の有罪判決による労働に該当することは明白であり、問題は但書の二条件である。第一条件の「公的機関の監督、管理」は、日本の刑務所では、当該企業の作業指導員が来て製品のチェックをすることもあるが、作業の指導・監督を国の専門技官が行い、私語も脇見も、流れる汗を手でぬぐうことも許さない、世界に類を見ない厳しい軍隊式規律を看守が強制しながら作業させている状況からみて、「合格」と考えてよいだろう。
第二条件のうち、「私企業等に雇用されていないこと」は当然充たされており、最も問題となるのは、受刑者が「私企業等の利用に供されていない」と言えるかどうかである。
この条約の逐条解説のような文書は見当たらず、文言が広くも狭くも解釈できるあいまいな言葉なので、解釈が難しい。この解釈に当たって最も参考になるのが、ILO条約の適用について検討するために設置されているILO専門家委員会(CEACER;国際人権規約における規約人権委員会のような役割で、国別審査を行う)の議論であろう。東京にあるILO支局に資料を探しに行ったところ、事務局の人がコンピューターで検索してくれ、委員会でこの問題が30年ほど前から度々議論されてきていることが判明し、驚いた。
1979年の一般調査(General Survey)には、次のような記載がある。
「1974年、委員会は各国政府に、受刑者労働の民間企業による使用に関する法と実情について報告を求めた。1968年一般調査以降、かなりの国が立法によりそのような状況を廃止し、又は他の自由労働者と同一の条件を必要とし、受刑者の同意を条件とする等の立法による改善を行った(英国、ノルウェー、ドイツ等)。民間企業の運営する作業場で行う受刑者の労働は、賃金・社会保険について他の自由労働者と同等の労働条件でなされ、当該受刑者の同意がある場合のみ、強制労働禁止条約の違反とならない。」
又1990年から94年までオーストリアの国別調査に関する条約適用報告書は、次のように述べる。「(オーストリア)政府は、刑務所内で民間企業が運営する作業場での受刑者の労働は、民間企業と契約関係にない特殊な労働だと主張するが、条約2条2(C)で受刑者の労働が条約違反とならないためには二条件が必要であり、民間企業の『利用に供されて』ないことも必要条件である。委員会は、民間作業場で働く受刑者について、政府が更に受刑者の労働条件を改善し、受刑者の同意を必要とする措置をとるよう期待する。」
これらの報告書によると、ILO専門家委員会は、受刑者が民間企業の運営する作業場で行う労働について、@受刑者の同意とA賃金等労働条件が民間労働者と同一であること、の二条件が充たされている場合のみ条約違反にならない、との見解を取っており、この見解に沿って多数の国々が刑務労働について制度改革を行ってきたことが理解される。
日本の刑務所での民間企業との契約による刑務労働がILO専門家委員会で過去に問題になったのかどうか、日本での実情とオーストリア等他のヨーロッパ諸国での実情が違っているのか、同一であるのか等又不明な点は多く、更に調査の必要がある。
日本の刑務所で受刑者が、本人の同意なく、月に3000円程度の作業賞与金の支払を受けるだけで、セガ、三越等民間企業の製品を作る下請労働を強制されていることは事実であり、前記のILO専門家委員会の意見や欧米諸国の状況を考慮すると、日本の受刑者はILO条約違反の「強制労働」に従事させられているのではないか、とも考えられる。そうだとすると、重大な国際法違反であり、是正されなければならない。特に、民間企業の作業場に受刑者が出かけて行う刑務労働は、条約違反の疑いが濃いであろう。日本政府の、「『懲役』は義務的だから全く『強制労働』に該当しない」、との回答は問題点を正確に理解していない感がある。今後も日本の刑務所で服役する外国人はますます増えるであろうから、アメリカ・イギリス等海外からの、日本の刑務所での強制(奴隷)労働の批判は続くと考えられる。
(以上)