フランスにおける被拘禁者の人権―ミシェル・マッセ教授講演会報告
桑 山 亜 也(CPR事務局)
2000年9月21日、日弁連会館にてフランス・ポワチエ大学教授のミシェル・マッセ教授による「欧州における被拘禁者の人権〜フランスを中心に」と題する講演会が開催された。
マッセ教授は、刑法、刑事訴訟法、国際刑法、交通刑法と幅広い分野を専門とし、フランスでも権威ある『フランス刑法雑誌』の国際刑法の欄に執筆を担当している。一方で、CRIという受刑者やその家族の援助、えん罪救済等に携わる市民団体をはじめとする市民活動にも積極的に参加しているというユニークな経歴を持つ。
講演会では、表題のとおり、現在のフランスにおける被拘禁者の状況を説明した後、理論的観点からそのあるべき姿を論じた。
発展の沿革
フランスの現状については、「確かな発展」と「恒常的な危機」の両側面から説明した。ヨーロッパ全体で見たときに、北欧諸国に比してフランスの被拘禁者の人権状況は必ずしもよいとはいえない。1945年以降、常に改善が図られてきたにもかかわらず、批判が耐えない。今年に入ってからはある本がきっかけで大きな批判が沸き起こり、議会のなかに特別の委員会が作られている。
フランスにおける被拘禁者の人権状況の発展は、政権の交代や社会的な事件の発生などと密接に結びついてきた。まず、第二次大戦後に新社会防衛論に影響を受けた大きな改革があり、ここでは受刑者の家族に対する社会福祉面での改善などが行われた。さらに、1959年には刑罰適用判事の創設、そして、72年から75年にかけては、「五月革命」後政治囚が相次ぎ釈放される中で大幅な改善がなされた。その内容は、懲戒手続や制裁内容の緩和、独居拘禁適用の規制の整備、家族との面会・通信の規制緩和、所内における雑誌やラジオなどの自由化、またあらゆる受刑者に対してとくに疾病・母子保険等の社会保険の受給が認められた。
さらに、80年代に入ると左翼政権への交代に伴い大きな改革が行われ、81年には死刑廃止が実現されている。また、具体的な改革としては、受刑者から制服が、面会室から遮蔽板がなくなり、外部との通信や懲戒手続のさらなる改善が行われ、電話による通信も一定条件のもとに許されるようになる。また、各施設にボランティアによって運営され、家族や友人を受け入れるための社会・文化的な団体の設置がされた。以上の改善は、デクレ(一種の政令)によって行われたが、1987年には行刑法の改正が行われ、刑務所内労働は義務ではないこと等が法律上明記された。さらに、1994年から98年の間の改革では、公衆衛生や社会保障、懲戒手続の面で、刑務所外部における諸々の処分や適用される法律との接近を図ることを目的とした改革が行われた。
フランス行刑の改善点
前述の経緯により、どのような点が大きく改善されたのだろうか。マッセ教授は、具体例として、表現の自由・集会の自由、刑務所労働、医療、懲戒、家族との接触、受刑者移送の六つの側面について説明した。懲戒手続においては、対象となる行為の明確化、防御のための準備期間の確保、書面による告知、結果に対する異議申立のしくみが導入された。家族との面会については、来年から「家族訪問ユニット」と呼ばれる、遠くからの監視付きのアパートで家族とともに過ごせるという処遇を導入する予定である。また、受刑者移送については、すでにフランスは20カ国との間で移送条約を締結しており、海外で有罪判決を受けたフランス人、あるいはフランスにおいて有罪判決を受けた外国人にとってその母国で処遇を受けることのメリットは大きく広く活用されている。
確実な発展を見せている裏側には「恒常的な危機」が存在している。刑務所内部にあっては、かなり大きな暴動が頻発しており、職員にも受刑者にも大きな傷を残していること、また、外部にあっては、市民活動団体などからの矯正当局への批判が相次いでいるという。さらに、2000年初頭、「ル・モンド」紙に、女性医師が書いた『サンテ刑務所の主任医師』という著書の抜粋が掲載され、これが大きな反響を呼び、世論の矯正当局への批判が高まり、ついには、議会を動かすことになった。この本には、矯正当局が刑務所運営のために十分な資力を持っていないこと、そのために安全や社会復帰の目的が達せられていないこと、過剰な収容率のために受刑者が暴力的になっていることなど、現在の刑務所内部の問題点を明らかにしている。この本を発端に、国会の国民議会と元老院のそれぞれに委員会が作られ、国民議会はあらゆる刑務所の調査を、元老院は未決収容の状況を調査し、それぞれが報告書をまとめた。そこにはこれまでにない厳しい内容が盛り込まれ、刑事拘禁施設の位置づけ、被拘禁者の権利義務という根本の問題から見直す契機となっているという。
被拘禁者の人権をどうとらえるべきか
マッセ氏は、自由と人の尊重のシステムという意味での民主主義にとって、拘禁の問題は本質的な問題であるという認識のもと、被拘禁者の人権を考える際の、二つの議論の視点を示した。その二つの視点をマッセ氏は、「残余性」と「保護性」と呼ぶ。
残余性とは、被拘禁者の人権を考える出発点を刑務所に置く。外部の世界では法律によって保障されている権利も、閉ざされ強制された世界である刑務所の中では十分に保障しえない。つまり「残り物の権利」としてとらえられる。拘禁生活の要求に服従させられ、権利は、秩序・保安維持のために手段化される。いきおい恩恵のようなものとなり、拒否されるかもしれないという状況のなかで交渉しながらやっと得られるという不安定なものになりがちである。
一方、保護性は、出発点を人間としての被拘禁者に置いている。有罪判決によって奪われた唯一の権利は移動の権利だけであるとする。人権保障の法源であるヨーロッパ人権条約からあらゆる条件下の「基本的自由」のありようについて考えるとき、以下の三つの方向性が導かれることを示した。@被拘禁者のすべての権利は国内法に明文化されなくてはならない、A権利への制約は刑法の目的に沿って「厳格かつ明白な」制約に限られるべき、B効果的な救済手段の行使を認める。
マッセ氏は最後に、「どこまで被拘禁者の権利を押し進めるべきかを考えたとき、拘禁が本質的に苦痛をともなうとしても、達成されるべき目的にはそれ以外の苦痛を付加してはならないはず」と締めくくった。
昨今、日本においても被拘禁者の人権状況の改善が、国際的・国内的に求められるなかで、ヨーロッパの経験は多くの示唆を与えてきた。今回は多くの批判を受け容れながら、改善に進むフランスのあり方を知るよい機会となった。
(詳細は『季刊刑事弁護第24号』(現代人文社)に掲載)