K事件高裁判決にみる裁判所の退廃
海渡雄一(第二東京弁護士会)
1 Kさん事件について
2000年11月30日、東京高等裁判所第4民事部(矢崎秀一・原田敏章・木下秀樹)は府中刑務所革手錠暴行事件(Kさん事件)について、控訴を棄却した。
この事件は「監獄と人権」(明石書店)とCPRニュースの第6号、8号でも紹介し、東京地裁民事2部の一審判決(1998年6月29日)は第20号(福島武司弁護士執筆)でも紹介した。
2 基本的な争点と高裁の判断
本件の争点は、@府中刑務所においてO看守がKさん(控訴人)を制圧した際、Kさんが同看守につかみかかろうとしていたか、である。このことは、同刑務所においてO看守が意図的かつ常習的に無抵抗の受刑者に暴力的制圧を行っていたかどうか、という問題に関わる。Aこの制圧後の革手錠施用、さらには、その増し締めによってKさんの腹部の内出血と足指の神経障害が生じたか、である。B著しい苦痛と屈辱を与える革手錠の施用が非人道的といえるか、であった。
3 「よりましな事実認定・奇妙な論理」の地裁判決、「ねじ曲がった事実認定・論理的にすっきりした」高裁判決
一審判決は、頭からKさんの証言を排斥し刑務官の証言を信頼して判決を下したものではなかった。むしろ、Kさんの供述を一部信用し、それゆえ重大な事実上の争点について判断を放棄している部分があった。だからこそ総体的には、一審判決は極めて奇妙な論理と推論を積み重ねて、独自の論理で原告敗訴の結論を導き出していた。その顕著な特徴は刑務官の違法を示す客観的証拠の評価を特異な理屈でねじ曲げていた点である。要するに判決の行間に迷いが認められるのである。こうした我々の批判をうけて、高裁はこのような迷いの見られる部分をきれいに「片づけて」しまった。結論を控訴人敗訴と決め、それに沿って国側の主張をなぞったにすぎないのである。
4 本件訴訟の根本問題 O看守問題
O氏は体重100キロ、柔道の達人という顕著な特徴を備えた看守である。同一の特徴を有する看守が関係した受刑者暴行事件が、短期間に集中して4件も発覚した。各訴訟の原告は全く相互の連絡無く提訴し、Kさんを除き、当初段階では自らを暴行した看守の氏名は知らず、看守の特徴からO氏が浮かび上がってきたのである。これら4件は、本件、Xさん事件(ニュース第6号、13号)、バフマン事件(17号)、クリテンダン事件(22号)である。すべての事件が、O看守が従順でない受刑者に対して「示し」をつけるために、ただ肉体的苦痛を与える目的で革手錠を締め上げるという同一のパターンを有する、紛れもない「拷問」事件なのだ。本件は府中刑務所独居区における刑務官による連続受刑者暴行陵虐事件の一つである。
KさんはOから本件の取調べの際に次のように言われたと証言している。
「おれは今までに五〇人くらいの人間に革手錠を締めてきてるけども、ほんとに自分に対して暴行の気勢を行った人間というのは二人しかいなかった。あとはみんな君と同じようなケースであった。」「しかしここは府中刑務所であり、刑務所の中で一番程度の悪い人間が集まっているので、これ以上悪いところはない。その上に持ってきてもうここは五区の独居にはその中でも、まともに生活していけないはぐれ者ばっかりが集まっているんだから、ここでちょっと逆らえば痛い思いをして、こういう苦しい目に遭うんだなということを、何かあればその都度わからせておかないと示しがつかないんだから、だからそういうことはしようがない、わしもこんな役目はしたくないんだけど、しようがないんだよな、上の人間にやらせるわけにはいかないし、下のものにやらせるわけにもいかないし、わしもつらい立場なんや」
O看守がどのような職業倫理をもち、何の目的でこのような違法行為を繰り返していたかを理解することができるだろう。O看守は「逆らう」受刑者に痛い思いをさせ、苦しい目にあわせることによって「示し」をつけることを目的としていたのである。
原告敗訴とした地裁判決ですら、「O自身が他に二名の部下職員を連れていたとはいえ、密室である保護房に赴いて、ベルトの緊度を増したことは、報復感情に基づく措置を疑わせるものであって、相当な措置であったということはできない。」「Oの緊度調整前の革手錠装着もそれに習熟した職員が行ったというのであるから、ベルトの緊度が緩かったにしても、更に約10センチの締め増しが必要であったのかについては疑問なしとしない。」としているのである。
O看守に対する暴行気勢があったとされる件数が多数に上り、その多数について原告側が事実無根を主張していること、O看守による革手錠の使用が高率であり、多数の人権侵害の訴えが同人に集中しているということは、O看守が暴行気勢もないのに、受刑者に革手錠使用・保護房収容を常習的に行なっていたこと、そして、受刑者に対して報復的に、苦痛を与える目的で革手錠の増し締めを行なっていたとの疑いを生じさせる。また、「示し」である以上、これらはO看守の個人的行為ではなく、府中刑務所における上層部の明示若しくは黙示の承諾によるものと考えざるを得ないのである。
5 KさんはO看守につかみかかったか(争点1)
1)一審判決における事実認定
一審判決ですら、KさんがO看守につかみかかろうとしたという事実は認定できなかった。Kさんに「おまえは何様なんだ」と最初に大声を浴びせたのはO看守自身である。そして、これに対して、Kさんは「何様でもない」と返答している。そして、O看守は「何だその言い方は」というと、Kさんは「そっちから先に大声を出したんじゃないか。」と答えている。このやりとりの内容自体からも、興奮しているのはO看守の方であり、Kさんは冷静に応対していることがわかる。
続く経過を地裁判決から引用してみよう。
「Oは(中略)『出てこい』と強く指示したが、原告が直ちにその指示に従わなかったため、右足を原告の居室内に一歩いれて、安座していた原告の首の後ろ付近に手を回して、手前に引くようにして、出房を促した。この時、原告の身体が、両手を前に伸ばした状態でOの方に勢い良く出てきたため、Oは、原告が自分の膝に掴み掛かろうとしていると感じて、とっさに身を斜め後ろに引くとともに、原告の奥えりを掴んで前に引き倒した。その際、原告の眼鏡が外れ、原告の居室の出口付近に積まれていた作業材料(紙片)が外に散らばった。」「原告が暴行の意思を有していなかったとしても、Oが原告に対して出房を指示した段階での原告の応答は口論というべきものであって、原告も相当程度に興奮した状態にあったことは前記認定の通りであるから、原告の動作に暴行の気勢があると判断したことをもって、違法と言うことはできない。」
一審判決は、O看守が「原告の動作に暴行の気勢があると判断したことをもって、違法ということはできない。」と認定しているが、その前提としては、Kさんの言動が興奮した状態であったということしかあげておらず、Kさんがつかみかかったかのような状況は認定されていないのである。
2)高裁判決の事実認定
これに対して、控訴人は、KさんがOに掴みかかったという事実がなく、Kさんの体が勢い良く出てきたこと、眼鏡が飛んでいること(さらにOも認めるようにKさんの胸ボタンが飛んでいる。)、OがKさんを前に引き倒していることを総合すれば、事態はO看守が無抵抗のKさんに難癖を付けて房の外に引きずり出し、床に引き倒して制圧したことは明らかであると論じた。そして、Oの制圧の実力措置とこれに引き続く金属手錠、革手錠の施用は法的な要件がないとの指摘を行った。
ところが、高裁判決は、O看守とKさんの証言を聞いて判断した一審判決がどうしても認定できなかったKさんの暴行の意思をいとも簡単に認定した。そして、その根拠として、OがKさんの首の後ろ付近に右手を添えて手前に引くようにしたという程度の有形力の行使によっては、「原告の身体が両手を前に伸ばした状態でOの方に勢いよく出て来るという体勢が生じる可能性は少ない」「原告もOが引きずり出したと主張するだけであって、何らかのはずみでこのような体勢になったとは主張していない。」と説明する。
Kさんの身体が「両手を前に伸ばした状態でOの方に勢いよく出て来」たからこそ、「首の後ろ付近に右手を添えて手前に引くようにした」という程度の有形力の行使ではなく、OがKさんを引きずり出したと考えるほかないのではないか。高裁判決の思考経路は、Oは引きずり出していない→にもかかわらず、Kさんの体は勢い良く飛び出してきた→ならば暴行の意思があったに違いない、というものである。
6 革手錠増し締めで傷害を負ったか(争点2)
1)カルテ改ざんを追認する地裁判決
後述するように、Kさんが「訴訟を前提とした証拠保全」のために診療を願い出ていることを知っている以上、万一、その時点で真実「内出血痕がなかった」のだとすれば、被控訴人国には「内出血痕などない」ことをカルテに明確に記載し、さらには写真を撮影するなど、いくらでも、その証拠を完全に保全する方法があったのである。
Kさんは、94年4月18日(保護房収容は21日まで)事件後、4月22日と25日に「腰から下、左側足の裏の感覚が戻らない」「左足の親指が元通りに持ち上がらない」という重大な身体の変調を訴えて、自費診断及び診察の願いを出し、4月26日の診断では、カルテ上「皮手錠で締められたときから左大腿部〜左足までのshibire(痺れ)」「左足趾の伸展困難」「左足の筋力低下」と記載されている。
その後、5月19日には証拠保全のための自費診断の願いを提出しており、「私の腰の回りに残っている皮手錠の締め過ぎによる真黒な内出血のあとも日に日に消滅してきており」と記載している。5月23日にも「訴訟前提とした証拠保全の為にカルテに残してほしいので診察をお願い致します」という医務診察の願箋を提出していることが判る。
他方で、控訴人は公正な第三者の診断を受けたいと願い出て、これを拒絶され、やむなく、所内の医師の診療を受けているのである。
Kさんは内出血痕があることをはっきりとカルテに記載してもらったと述べているにもかかわらず、カルテには何も記載がない。もし、診療を受けた時点でカルテに記載が認められなかったすれば、Kさんの性格からすれば、さらに、裁判所などに対する証拠保全の申立を行ったものと考えられる。Kさんがこのような手段をとらなかったのは、M医師がこの診療の際に内出血痕を明確にカルテに記載して、これをKさんに示してくれたからなのである。
この点についてKさんは、「私もくどいほど念を押して、この痕を証拠として残さなければ後々裁判になったときに、どの程度の力で皮手錠を締められたかの、私の主張する証拠がなくなってしまう」と伝えたところ、M医師は、「カルテを、私に指し示して、見えるようにカルテを出して、ちゃんと人間の体の格好を書いて、ちょうど腰の内出血の部分に当たるところに、黒いボールペンでそう言う痕があったという印をつけて、こういうふうにちゃんと君のいうことはここに書いてあるし、内出血の痕があったということはちゃんとこうやって記録に残してあるから」と答えた、というのである。
しかし一審で、M医師は非常に奇妙な証言を行った。「ないという印象」がある。控訴人との間で、「ここにあると」「どこにあるのか」といった問答は一切なかった。内出血痕の有無を確認することが目的の診療であったにもかかわらず、診療録には何の記載もない、「書けばよかった」と述べるだけで、書かなかったことの何の合理的な理由も示せなかったのである。このような証言に信用性を認めることなど到底できない。
当時の診療録のうち事件直後の部分について、検証を実施した地裁は、紙に多数の断裂があり、罫線が薄くなったり、剥離消滅した箇所が多々あることを確認した。しかし判決においては、この原因について、「証拠としない部分を紙で覆っていたところ、これをはがす際に薬液を使うなどしたため」とする国の説明と「矛盾しない」との認定を行った。
上記のKさんの証言、M医師の証言と、このようなカルテの当該部分が薄くなったり、紙が断裂しているという異常な状態とを総合すれば、診療録には内出血痕の記載があったにもかかわらず、その記載のある部分を刑務所側が剃刀で削り取り、そこに別の記載を行ったものと断定することができる。余談であるがこうした「改ざん」が明らかになったため、以降、各地の裁判所は同種訴訟で訴訟前の証拠保全を広く認める傾向にある。
2)皮膚変色は地裁も認定
地裁判決は、平成6年5月19日「当時、原告に何らかの皮膚変色が存したことは推測できる。」としつつ、「圧迫による内出血」というよりも「擦過痕との疑いも生ずるところである。」「擦過痕であるとすれば、必ずしもベルトの強い緊張と必然的に結びつくものではないのである。」とした。Kさんの身体に革手錠に起因する異常があることは前提としつつ、これを内出血ではなく「擦過痕との疑い」として革手錠増し締めとの因果関係を否定したのである。
控訴人は、ベルトを締めることによって擦過傷が発生するようなことは通常は考えられないこと、また、地裁判決が「呼吸による動きの大きな前腹部から脇腹にかけての皮膚とベルトの間に生じた擦過痕」としている点を仮に認めたとしても、このような擦過痕自体が不必要な革手錠の緊縛による傷害であることは明らかであると主張した。皮膚の変色が革手錠を原因として発生していれば、それが内出血であっても、擦過痕であっても違法であると主張したのである。
3)高裁判決における認定変更
ところが高裁判決は、我々の地裁判決批判には一切答えないで、控訴人の皮膚の変色があっかどうか自体を「仮定的な認定」とした上で「仮に当時原告の腰部に何らかの皮膚変色が存在したとしても、本件戒具の使用から既に1カ月を経過していることを考慮すると、それが本件の革手錠のベルトによって生じたものであるかは疑問である。」と認定を変えるという、最も根本的な事実を否定してしまったのである。
しかし、このような決定的な認定の変更には何の説明もなされていない。控訴人の請求を棄却した地裁判決もあえて疑問を差し挟めなかった控訴人の皮膚に変色があったこと、この皮膚の変色が革手錠の使用に起因するものであることという前提事実を変えるに当たって、「原告は、右の記載当時には既に本件について訴訟を提起することを決めていたのであるから、(筆者注;Kさんの)右の記載をそのままに信用することはできず」としか説明していない。
そのような手段を講じていない国が免罪され、裁判を提起するため証拠保全の努力を行っていたから控訴人の言動など信用できないと言うに至っては、東京高裁は受刑者の裁判を受ける権利自体を認めていないのではないかとすら疑われる。
7 国際人権法違反(争点3)
1)高裁判決
明確な必要性がないまま、長期にわたって継続された革手錠・犬食い状態の放置は明らかに非人道的で品位を傷つける処遇であり、国際人権規約自由権規約7条、10条1項に違反する。地裁判決は「左手前右手後ろで皮手錠を施用した状態でも、著しく無理な体勢を取ることなく、独力で食事ができること及び股割れズボンを等を着用した状態での用便の自己処理が可能であること、うつぶせ及び横向きで就寝が可能であることが認められるから、革手錠を戒具とすることが直ちに右各規定(国際人権規約B規約7条、10条1項)に反するということはできない」と判示した。高裁判決はこの点に触れてもおらず、訂正もしていない。
しかし、通常、革手錠を緩める措置をとらない場合は、職員が食事の介添えを行う扱いになっている。例えば、前記Xさん事件では、刑務所職員が原告に中華用のレンゲを用いて食事をさせている。このことは、とりもなおさず、介添えがなければ食事することが不可能なことを示している。
また革手錠を両手とも体の後で締める使用法については、いたずらに身体的、精神的に強度の苦痛を与え、自分で用便の始末をすることも不可能であり、食事も犬のようにするしかないとして、違法とする判決が1998年1月21日東京高等裁判所で出されている。
2)矯正当局も自ら一部改善
平成11(1999)年11月1日付矯正局長通達「戒具の使用及び保護房への収容について」でさえ、食事の際には原則的に施錠を外すことを要求し、次善の策として、バンドを緩くする等の緩和措置を要求している。もともと保護房収容とは、自傷他害のおそれある場合等の緊急やむを得ない場合の措置であり、その上で右通達が緩和措置を規定していることの意味を、高裁判決はまったく踏まえていないとしか言いようがない。
国会から政府宛の質問主意書によって、近年革手錠の使用数が激減していること、革手錠の装着方法が「両手後ろ」「片手前・片手後ろ」から「両手前」に変更されてきていることが明らかとなった。これは、国際機関や前記の高裁判決などを受けて矯正当局自らが方針を変更したものである。従来府中刑務所で年間200件を数えていた革手錠の使用が3件となったことは、個々のケースの判断基準自体が変更されたことを示している。このような方針変更について、控訴人からは証拠も示して主張したにもかかわらず、高裁判決は一切言及していない。高裁判決はこのような矯正局内部での一部改善の動きに水を差し、その反動をあおり、革手錠濫用を容認するものである。
3)国際的にも革手錠の残酷性は認められている
アムネスティ・インターナショナルの日本の刑事施設に関するレポートでは、「日本における刑事被拘禁者は組織的で、残虐な非人道的な若しくは品位を傷つける取扱いを受けており、残虐な懲罰にさらされる高い危険がある。」としている。
1998年10月行なわれた規約人権委員会の日本政府報告書の審査において、日本の刑事拘禁制度について多くの問題点が指摘された。最終見解は27項において「委員会は、規約2条3項(a)、同7条、及び同10条の適用について深刻な問題が生じている日本の刑務所制度の諸側面に関し、深い懸念を抱いている。特に、委員会は以下の事項について懸念を有している。」として6つの項目を取り上げ、それらのうち、dfは「d)刑務官による報復行為に対し、申し立てを行った受刑者に対する保護が不十分であること、f)残酷で非人間的な取扱いと考えられる革手錠のような保護手段の多用」としている。
8 結語
Kさんは、即座に最高裁に対して上告した。現在、革手錠・保護房の実務は一部改善され、自傷他害のおそれが明確なケースにのみ革手錠を施錠し、ほとんどの保護房収容も革手錠なしで運用されていると聞く。司法が今日の行刑当局による一部改善を支持し、改善以前の拷問的な実務に違法の判断を下して反動の芽を摘みとるのか、それともあくまでも行政を追認して反動の芽を温存するのか、最高裁の判断が注目される。