日弁連と法務省がイギリス・ドイツの刑事施設とNGOを共同調査

加毛  修(日弁連拘禁二法対策本部事務局長代行)
海渡  雄一(同)


はじめに
 日弁連と法務省は、「受刑者処遇に関する勉強会」を設置し、受刑者の作業、賃金及び教育などのテーマについて研究をしているが、今般、共同してイギリス及びドイツの刑事施設を視察した。

1)視察団のメンバー
 日弁連;西島勝彦(東弁)井口克彦(東弁)加毛修(一弁)、小池振一郎(二弁)海渡雄一(二弁)八重樫和裕(二弁)。
 法務省;片山厳(法務省矯正局付検事)、富山聡(法務省総務課補佐官)。

2)視察先と日程
平成12年11月6日午前、ベルマーシュ刑務所(ロンドン郊外)
同午後、イギリス刑務所庁(ロンドン郊外)。
平成12年11月7日午前、ナクロ(ロンドン市内)。
同午後、スタンフォードヒル刑務所(ロンドン郊外)。
平成12年11月9日午前、ヘーゲル刑務所(ベルリン)。
同午後、ハーケンフェルデ刑務所(ベルリン)。
平成12年11月10日午前 ユニバーサル財団職業訓練施設(ベルリン)。
午後、同上、居住施設。

3)日弁連単独視察
 日弁連では、オーストリアが受刑者の作業に対し賃金制を採用したので、その内容を独自に調査することにした。平成12年11月13日午前にオーストリア連邦司法省を訪問した。
 この外、日弁連視察団は、平成12年11月6日夕方、国際的な刑務所制度の研究組織であるICPS(ロンドン市内。アンドリュー・コイル氏がディレクター)を視察し、又、同所に留学していた九州大学の土井正和教授とも意見交換をした。日弁連と法務省は、今回のヨーロッパ刑事施設の視察内容について共同して報告書を作成することとしているので、視察内容の詳細はこの報告書を参照されたい。


イギリス(イングランド及びウェールズ地方)報告

 イギリスには、刑務所が約136ヶ所あり、被収容者(未・既決)の合計は約6万5000人であり、スタッフは約2万2000人で、そのうち約23%が女性のスタッフである。
 イギリスの受刑者は、カテゴリーAからカテゴリーDの4ランクに区分され、Aランクの受刑者は重罪でかつ警備が厳重である必要があるものである。
1)ベルマーシュ刑務所
 この刑務所は、ロンドン郊外のテムズ川のそばのプルームスティード湿地の王立兵器跡の平坦な土地に1991年に開設された閉鎖刑務所であり、警備は厳重であった。被収容者の定員は841名であり、現在の収容人員は821名であり、受刑者が約60パーセントで未決が約40パーセントである。受刑者のうち約120名がカテゴリーAであり、他のほとんどはカテゴリーBの受刑者である。この刑務所の就業率は平均25パーセントである。
 この刑務所における受刑者の平均賃金は、1週間12乃至15ポンド(1ポンド約175円として、約2100円乃至2625円)である。(尚、イギリスの刑務所庁の説明では、刑務所での作業の平均賃金は1週間約7ポンドであり、民間企業の仕事をしている受刑者は、1週間25ポンドまで支払われることがある)。教育に参加している受刑者には、1週間で6乃至9ポンドが支払われる。
 教育は外部のカレッジから専門のスタッフを派遣してもらっており、常時90人位の教育が可能である。イギリスでは、受刑者の約50パーセントが読み書きや算数ができず、再犯率も約60パーセントと高い割合である。
2)スタンフォードヒル刑務所
広大な農園刑務所
 スタンフォードヒル刑務所は、シェッピー島のイーストチャーチ村の南約1マイルに位置し、面積は約300エーカーという広大な敷地を有し、その大半は刑務所内の事業として耕作されている開放処遇刑務所である。そのため、周囲には塀がなく、どこからどこまでが刑務所の敷地であるのか全くわからない感じであり、郊外の村に、大きな農場や牧場があるといった感じである。この刑務所はカテゴリーDの刑務所であり、最も低いセキュリティーにランクされている。

終身刑も収容
 この刑務所の定員は384名であり、現在の収容者は340名である。この刑務所に収容される受刑者は他の刑務所で服役し、適正を調べた上で、ふさわしいタイプの者であると判断された場合ここへ送られる。ただし、性犯罪者や18才以下の者に危害を加えた者は、この刑務所には送られてこない。イングランド地方では、現在約3000名の終身刑の受刑者がいるが、この刑務所には、16名(定員40名)の終身刑者が収容されている。終身刑者は、最後の2年間この刑務所で収容され、始めの9ヶ月間はこの刑務所で生活し、その後は地域社会のプロジェクトに参加し、外部の人と接触し、地域社会生活への復帰の準備をする。

教育部門はアウトソーシング
 この刑務所には、農場、牧場の外、各種工場があり、職業訓練(各種資格をとるため)も行われている。受刑者全員が仕事に就事している。教育部門は、アマシャム・カレッジに委託して行っている。
 ワークショップでは、受刑者がトレーニングシャツやパンツなどを作っていた。仕事(作業)の時間帯は、原則として平日午前8時45分から午前11時45分まで、午後1時15分から午後4時45までである。牧場のミルク絞りの作業は、毎日早朝6時から行われており、午後も行われ、休日にもミルク作業は必要であるので、受刑者は交替で休日にミルク作業を行う。この場合には、オーバータイムペイがつくだけであり、代替休日の制度はない。ミルクを販売したことによる収入は一定の比率により国及び刑務所の収入となる。

地元の子供たちも利用するプールまで
 そのため、この刑務所の所長は、エンタープライズ部門の責任をも負っている。作業賃金は1週6,7ポンド、14,7ポンド、17,7ポンド、20,7ポンド(1ポンド約175円)の4種類に分かれているが、その30パーセントは強制的に貯蓄されて釈放時に受刑者に交付する。尚、ワークショップで作業する受刑者は、当初は週7,8ポンドで、訓練後は8,10ポンドとなる。居室のある建物の錠は、午前7時45分に開錠され、午後8時45分に施錠される。居室内にはテレビもある。週日に町に出かけることもできる。
 各自の居室の錠は、受刑者が自分の居室の錠を所持しており、他の受刑者が入れないようにしている。なお、スタッフも錠を所持している。教育は外部に委託しており、3年ないし5年毎に入札制により指名している。
 図書館も設置され、アスレチックジムや温水プールまである。プールでは、水泳監視員の資格を持つ受刑者が地元の子供達に水泳を教えている。逃亡者は、月に2〜3人いるが、ほとんど警察に捕まり、その後は閉鎖刑務所に移送される。逃亡者がいても、年間40名以内であれば、施設の責任は問われない。労災は一般労働者と同じに保障されている。
 この刑務所では、アルコールの不法持ち込みが多く、アルコールの不正使用の方が麻薬よりもコントロール上問題がある。麻薬については薬物検査をし、検査結果に不服のある者は再検査の申立ができ、又、民間に検査を依頼することもできるが、その費用は受刑者負担となる。アルコールや麻薬の不法使用については、懲罰として釈放の期日が延長される場合があり、刑務所の所長は、法廷内の裁判長と同じような権限を持っている。
3)ナクロ
スタッフ1000名以上の巨大NGO
 ナクロは刑を終えて出所した者の福祉のために活動する民間の任意団体である。ディレクターのヘレン・エドワーズさんから説明を受けた。この組織は地域社会、犯罪者とともに仕事をしている最大の民間組織である。政府はこのような活動を歓迎してきた。イギリス全土で約1000名を雇用している。他にボランティアが500ないし600人活動している。(1999/2000年次報告書によるとスタッフ数は1152人とされている。)
 活動の重点は昔も今も変わらない。@教育と訓練、Aハウジング、B雇用について活動している。政府の様々な部門から財源の援助を受けているが、政府からは独立した組織である。政府部門の中では内務省からの援助が最大であるが、教育雇用省、健康省、環境・運輸・地方自治省(住宅問題に関して)、貿易産業省(テクノロジーの発達と犯罪の予防に関して関係)からも援助を受けている。政府の政策に影響を与え、現実に出所者にサービスを提供しながら政府の政策も批判するということで、団体の運営には外交的な手腕が必要である。
 私たちの組織では前受刑者がスタッフとして、またボランティアとして活躍している。前受刑者の雇用の保障は極めて大切なことであるが、雇用主には抵抗がある。そうした中で、私たちが率先して前受刑者を雇用してモデルを示すように努力している。ところが、プリズン・サービスは前受刑者であるナクロのスタッフが刑務所内で活動することを出所後5年間は許さないため、支障が生じている。

住居の安定が社会復帰の基本
 住居については、受刑者の3分の1がもともとホームレスか満足な住居を持っていない。また、受刑者の2分の1が刑を受けて家を失うこととなる。出所の際に住むところがない者は住むところがある者と比較して再犯の可能性が2・5倍である。このことは内務省のレポートに記載されている。また、受刑者の2分の1が元々失業しており、90%は釈放時に無職である。出所時に仕事のない者の再犯率は仕事のある者と比較して2倍に達している。
 いま、ナクロでは短期の受刑者に焦点を当てている。毎年9万人が新たに刑務所に入所するが、そのうち6万人が1年以下の刑期となっている。この受刑者たちは保護観察の監督のもとになく、再犯の可能性も高い。
 ナクロが直接住居を提供しているのは3500人である。他の団体ハウジング・アソシエーションや地方自治体とも協力している。最近の喜ばしい徴候として、DETRの発行したグリーンペーパーの中で、自治体の住宅政策の中で、出所者に優先して住居を与える政策が提言されている。このような政策はすべての人々に人気のある政策といえない。

読み書きの基本の修得
 ナクロは地域の中で職業訓練を行っている。刑務所は収入を上げるためのコマーシャルな仕事に力を入れている。我々は必要な技術を身につけることを重視している。読み書き(Literacy)などのBasic Skillsが重視されるようになってきた。最近の分析では、60−70%の受刑者は労働市場に入る以下の14歳程度の知識水準で、96%の仕事にはアクセスできないことがわかった。
 すべての刑務所にリーフレットを配布しており、面会所などで入手できる。受刑者からのニーズはおおきく、とても答え切れていない。

内務省から年間60億円の補助
 年間3800万ポンド(約60億円)の援助がプリズン・サービスから提供されている。これらの多くは教育や訓練に関する援助は短期の契約で、毎年更新しなければならない。青少年向けの教育訓練には1500万ポンドが援助されており、多くは住居のために支出されている。チャリティもあるがあまりポピュラーなチャリティ先とはいえない。
 内務省からの財源は大臣の政策によって変化する。ハワード内務大臣の時は関係が良くなかったが、現在の労働党政権との関係は良好である。

ドイツの報告

1)テーゲル刑務所
 テーゲル刑務所は、ベルリン郊外にある閉鎖刑務所であり、1898年に設置されているため、帝国時代の古い建物がある。面積は、サッカー場14コ分の広さであり、現在の収容者は約1700人である。職員の数は約915名である。この刑務所のレーナ・ヘス分類部長は、この刑務所では、受刑者を分類し、受刑者の刑期・犯罪の種類などにより、担当スタッフを心理学者又はソーシャルワーカーにするかなどを決め、又、開放処遇か閉鎖処遇にするかなども決める。
 受刑者には、1977年行刑法により労働の義務が課せられ、受刑者に作業の選択権がある。受刑者に支払われる賃金は、社会保険を支払うことが義務づけられている人の平均年収(5万3000マルク)の5パーセント(1マルク60円で1ヶ月1万3250円)であったが、2年前に連邦憲法裁判所で違憲判決がだされ、ベルリン州政府では2001年1月から支払額を7パーセントに改訂する予定であるが、再び違憲判決がでる可能性もある。
 外部との連絡は、テレフォンカードで電話をかけることができ、面会については会話を録取せず、視覚によるコントロールだけであり、手紙も開封するが内容は見ないとのことである。尚、個別的には保安上の理由により、面会禁止の場合もある。
2)ハーケンフェルデ刑務所
素晴らしい設備の開放刑務所
 ハーケンフェルデ刑務所は、ベルリン市内にある開放刑務所である。この刑務所には、管理棟を含めて8つの建物があり、1998年に新しく改築されて使用している。収容者の定員は248名であるが、現在は277名収容している。職員は、所長が1人、上級職が3人、中間職が6人、ソーシャルワーカーが6名及び一般行刑職員53人の合計69名である。開放刑務所では、警備のためのスタッフが少なく、そのため経費が安い。この刑務所に収容されている受刑者は、2年以上の刑期があるもので、重度の犯罪者(麻薬、強盗、詐欺、傷害致死など)が比較的多い、この施設では独居が原則であり、この外リビングルームがあり、4人で共同で使用する。居室には、ベッド・机・イス・棚・洗面台・トイレなどがある。居室のドアーの鍵は内側から施錠できないが、外からは受刑者自らが施錠できる。テレビは、自分で持ち込むことができるが大きさに制限があり、37センチメートル以上のものは持ち込みができない。又、録音録画は認められず、又、カメラの持ち込みは認められていないが、ラジカセは持ち込める。
 居室のある建物には、受刑者4人が共同で使用できるリビングルーム(応接セットがある)や洗濯ルーム(洗濯機・乾燥機)がある。この外、シャワールームもあり、キッチンには冷蔵庫があり、受刑者各自の専用の冷蔵ボックスもあり、レンヂもあるので自炊もできる。外部通勤を認められている受刑者は外食もできる。公衆電話は、自由にかけられるが、携帯電話の使用は禁止されており、玄関の入り口の小さい貴重品用ロッカーに携帯電話を入れることになっている。この刑務所には、受刑者専用の面会室があり、休暇がとれないなどの理由で家族を呼んで面会をすることもある。子供用の部屋(育児室)もある。スポーツルームには、ジムや卓球台の設備がある。作業場ではオモチャや水車を作っている。施設の広場には、受刑者が製作した立派な水車が置いてあった。施設の敷地では、小さい池や橋があり、これらも受刑者が作ったものである。この施設には、車椅子を必要とする身体障害者の受刑者も収容されており、居住用建物の入り口にドアーの開閉用ボタンがついており、ボタンを押して出入りすることができる。受刑者は現金の所持が認められており、刑務所内に自動販売機もある。

労働は外部通勤が原則
 この刑務所に収容される受刑者は、外部社会において、仕事に従事していた者が多く、問題のない企業であればそのまま仕事を継続していくことができる。従前の勤務先に問題のある受刑者、特に麻薬に関係があったり、麻薬の誘惑のある職場の場合には、職場を辞めさせて他の職業を斡旋する。毎週火曜日には、職業安定所のスタッフが刑務所に来所して受刑者に職を紹介している。雇用関係は、受刑者と企業(就職先)の契約であるが、刑務所の方に労働契約の解約権があることを承諾する合意文書を提出させる。即ち、受刑者が別の犯罪を犯した場合や閉鎖刑務所に送致する場合には労働契約にかかわらず、直ちに契約を解除できる。賃金は企業から直接刑務所に支払われる。刑務所では、この賃金から1ヶ月200マルク(1マルク約60円)の施設使用料を控除し、釈放の際の積立金として約4週間分の生活費として1100マルクになるまで、順次積み立てていく。この刑務所には、債務弁済調整のための役人が2人いて、例えば、受刑者の債権者と交渉して1000マルクの債務を500マルクに減額するなどの調整を行っており、多くの受刑者は賃金から借金の弁済をしている。この刑務所の受刑者(本日は277名であるが280名位まで収容可能)のうち、常時210名乃至225名位が監視無しで外部に通勤して働いている。職についていない受刑者は、この刑務所の施設で作業をし、刑務所での1日の平均賃金は0マルク乃至12マルクであるが、そのかわり、宿泊費・食費・医療費は無料である。大部分の受刑者は外部の企業に働きに行く。この施設では、原則として、8時間乃至12時間施設にとどまらなければならないが、所長の許可により8時間以下の場合もある。受刑者は、経費として月200マルクを施設に支払う。職業のない人対して、職業安定所のスタッフが一週間に1回来て職を斡旋する。職についていない人は、この施設で作業をし、1回10〜12マルクが支給されるが、宿泊費や食費は無料である。

教育やセラピーも施設外が原則
 この刑務所の受刑者の多くは、施設の外で働いているため、改善のための処遇や再社会化のための教育は行われていない。この刑務所は受刑者の行刑プランを作成し、刑期、家族の問題及び本人がどんな問題を抱えているかを確認し、必要に応じて外部の施設を紹介し、セラピーを受ける。例えば、アルコール依存症や性犯罪者のための施設やセラピストを紹介する。受刑者は、紹介された施設を釈放後においても利用できる。
 セラピーを必要とする受刑者は外部の施設での援助を受けることは義務ではあるが強制はされない。刑務所では、受刑者にセラピーに参加したいと思わせる方法として仮釈放の可能性を示唆することもある。仮釈放時の期間は、刑期により異なるが、刑期の2分の1又は3分の2を経過した後に仮釈放が可能となる。

週末は帰宅でき年休も取れる
 週末は自宅に帰宅することができ、年休は21日間であり、ドイツ国内を旅行することもできる(滞在先は届けることになっている)。食事は外食もでき、自炊もできる。刑務所からの食事の支給はない。仕事の後の帰所までの時間は、買い物や映画なども自由だが、飲酒は禁止されている。
 この刑務所から閉鎖刑務所へ移送される年間の人数とその理由は、飲酒を理由とする者が年間約10名位、新たな犯罪を理由とする者が年間約15名位程度である。また、この外毎年5人から10人くらいの受刑者が施設に戻らないものがいる。

開放処遇の意義
 この施設は、受刑者が一定期間施設にとどまることが義務づけられ、飲酒や麻薬などは禁じられているが、施設外では一般人と同じような生活ができるので、施設内に入れないで、社会内処遇という考え方もあるのではないかとの質問に対し、開放行刑も刑罰の一部であり、国家の刑罰権や法秩序を守るために必要であり、被収容者にとっても一定期間施設に戻る義務が課せられるということは、大変な負担であり、決して軽い刑罰とはいえないとのワグナー所長の言葉が印象的だった。
3)ユニバーサル財団
 調査団はベルリン州などで受刑者の社会復帰のために活動しているユニバーサル財団の職業訓練施設と居住施設を訪問した。

財団の歴史
 この財団はラジオ俳優をしていたヘルムート・ジーグナー氏が設立した。1948年にジーグナー氏がベルリンのある刑務所で慈善公演を行い、受刑者と話をした。受刑者との話の中で、行刑の問題点を感じた。すなわち、刑務所の中で意味のある活動や仕事ができないこと、釈放後の住宅と仕事を探すことが難しいと言うことに気づいたのである。そして、自分の資金で、まず8部屋あるアパートを借り、釈放された受刑者に住所を与えることをはじめた。仕事がないと住居が借りられないし、住居がなければ仕事も得られない。そのような悪循環をまず住むところを作ることで変えようとした。また、仕事についても、タイプライターの修理や果樹園での仕事などを元受刑者に提供した。まもなく、二つ目の8部屋ある住居を、やはりジーグナー氏は自費で買った。また、1954年には定員45名の組立工の仕事を提供することができるようになった。このように活動の規模が大きくなり、徐々に個人の財産ではまかなえないようになってきた。そこで、ジーグナー氏はベルリン州政府の経済庁長官、職業安定所長と話し合い、1957年4月30日にこの財団が公益財団として設立された。
 その後、刑務所の中にも職業訓練所を作ることができた。現在、定員900名18の手工業職について訓練教育を行っている。その中には、庭師、ガスの配管工、水道工事、電気技師、ペンキ、木工、二輪車、自動車などがふくまれる。この財団は約1100人にこのようなサービスを提供している。全体のスタッフ数は300名。その財源は連邦雇用庁からの予算が大部分であるが、州内の各区の青少年局の児童・未成年者育成法に基づく予算、社会福祉制度の補助金、ベルリン州政府の司法庁、青少年庁、福祉庁などからも財源を得ている。

職業訓練施設の概要
 財団の施設がベルリン州の土地内に建てられている。州政府の委託を受けて、ここで5つの職業訓練施設を運営している。我々は民間の公益事業団体である。この職業訓練施設では、犯罪に関係ある者も、ない者に対しても、職業訓練と社会に再統合する目的で活動している。ここにいる者は受刑者、刑を終えて釈放された者、学校教育が十分でない者などである。ここで職業訓練を受けている者は200名、職員数は約35名。
 開放刑務所から外出してくる場合と、刑務所に出向いて職業訓練を行う場合がある。現在は前者は少ない。テーゲル刑務所や女性や青少年の施設、未決拘禁施設でもプログラムを実施している。刑務所からの出所者は200名。刑務所内でプログラムを受けているのは250名である。

監督下の居住の提供
 財団の活動の二つ目の柱は「監督下の居住」である。これは、一人で自分の生活を管理できない人のためにすむところを提供する活動である。1948年以来、われわれは仕事と住居がともに重要であるという考えに立ってきた。現在では、青少年、家を持たない人、社会福祉の対象となっている人達のための3つの居住施設があり、200人の定員を受け入れることができる。ここでの活動はソーシャルワーカーが生活を監督し、徐々に一人で生活をしていけるように、監督していく。我々はこのような施設の一つを訪問することができた。  この施設は1976年に設立され、財団でもっとも古い施設である。ここに暮らす人の95%が受刑者で刑務所から釈放された人たちである。37の個室がある。これは二つに分けられ、@12戸は保護監督つきの居住グループであり、A25戸は保護観察付き一時しのぎのグループである。
 @のグループはケアをしやすい人のグループであり、依存症の者は少ない。これに対して、Aのグループはアルコール・薬物の中毒者が多く、より取り扱うのが難しいグループである。@のグループでは共同の行事なども取り組みやすいが、Aのグループでは困難である。スタッフは4人で、1人は管理人、他に社会教育の専門家やソーシャルワーカーが働いている。シフトで勤務し、かならず、誰かが常駐するようにしている。
 我々は、破産して家も持っていない個人、家族があっても離婚しているような人たちが、一人で社会的な責任をもって生活できるようにしていく仕事で、大変難しい仕事である。具体的には、区役所の福祉課を通して住居を得るやり方と青少年局の青少年保護対策を通じて住居を得るやり方である。

使用料を支払うのが原則
 見学した施設は1人用の設計になっている。必要な家具やシーツ、タオルなどは備え付けである。施設の内外で通常の住環境を整えるように心がけてきた。当初近隣に反対運動などもあったが、今は寛容になってきた。
 居住は半年間であるが、事情によっては、1年間まで延長できる。失業している者は社会扶助を受ける権利がある。半年で家賃を支払えるようになってもらう。一人で生活するということを教える。全く収入のない人には区役所から1日80マルクが、失業保険が支払われている人には1日20マルクが支払われている。家賃は月350ないし500マルクである。この家賃は市場家賃とほぼ等しい。これに付加して、@のグループは1日43マルクのAのグループは1日80マルクのケア費用を支払うことになっている。経済力がある場合には支払ってもらうが費用のない人は補助金から支払われる。失業保険の金額はやめる前の仕事の収入の65%である。平均すると、月800−1000マルク程度である。
 ベルリンの壁が崩壊してから住宅は借りやすくなった。刑務所から出た人も住居を得やすい状況となっており、ニーズはほぼ満たされている。施設に入所したものの50%が(社会復帰に)成功している。25%は刑務所に戻り、25%は連絡がない。ベルリン州全体の再犯率は50%程度である。ルールはほとんどない。アルコールはだめという規則があったが、守ることが不可能なので、廃止された。友人が泊まることも再社会化の一環として認めている。しかし、ここに友人が引っ越してくることは認められない。


調査の意義
 今回の調査は日弁連と法務省が海外を一緒に調査し、同じものを見たというところに大きな意義があると思う。受け止め方には差異があったであろうが、今後の勉強会での議論の共通の基盤ができたのではないかと信ずる。海外で収集した資料も含めて、今後の法務省との勉強会を実りあるものとし、我が国の刑事施設の処遇の改善につながるように努力したい。