東京拘置所のパキスタン系イギリス人被拘禁者が国賠を提訴

野島 正(第二東京弁護士会)


1 はじめに

 東京拘置所に勾留中の被告人(A氏)が看守らに暴行陵虐を受け、わたしが訴訟代理人となって国賠請求を提訴した事件があります。本件では、2度、証拠保全の申立をした点に特徴があります。読者の皆さんに、わたしの弁護活動の一端を明らかにし、将来何かの参考にしていただければ、とも思い、簡単に報告させていただくことにしました。

2 事件発生まで

(1)A氏は21歳のパキスタン系の英国人男性です。ロンドン在住の父親の中古車輸入業を手伝うため、昨年(1997年)11月8日に90日間の短期滞在ビザで来日しました。昨年7月に続いて2度目の来日でしたが、日本語はまったくといっていいくらい理解できませんでした。2度目の来日の目的は、父親と在日パキスタン人との間に生じた取引上のトラブルを解決するためでした。ところが、11月26日に、同月18日ころそのパキスタン人の事務所に進入し、窃盗をしたということで、緊急逮捕されました。

(2)わたしが当番弁護士としてA氏に最初に接見したのは、12月19日です。A氏は、窃盗につき処分保留となった直後、詐欺未遂等で再逮捕されたのです。前任の(当番)弁護士が継続受任をしなかったので、わたしが被疑者援助事件としてA氏の起訴前弁護を引き受けることになりました。A氏は否認していましたが、結局、昨年12月26日に、東京地裁に起訴されました(罪名は、建造物侵入、窃盗、詐欺未遂、偽造有価証券行使)。

(3)A氏の強い希望があったので、わたしは起訴後も国選弁護人を引き受けることにしました。年が明けて、本年1月14日に東京地裁刑事8部から国選弁護人選任命令を受けました。A氏は、1月16日(金曜日)に、三田警察署から東京拘置所に移監されました。

(4)A氏が拘置所に移される前に、今後、弁護人との面会を求める場合は、電報を利用するように言っておきました。さっそく、1月19日(月)午後にA氏から電報がありました(A氏は同日の早朝、本件事件の発生前に事件とは別の理由で、わたしに打電したものらしかったのですが。)が、わたしがA氏に会ったのは、1月21日(水)の午後でした。A氏は接見室で立ち上がり、ズボンを下ろし、右脇の腰部の傷を見せ、拘置所の看守に暴行を受け傷害を負った旨、わたしに報告をしました。

3 傷害発覚後の拘置所との折衝

(1)1月21日のA氏の報告はおよそ次のとおりでした。
(1)(傷害発生について)
「平成10年1月19日午前10時30分から11時までの間、東京拘置所内医務室において担当医に対し自分の体調について説明しようとしたところ、担当医から拒まれ、同室において5人程度の拘置所看守らに体を押さえ込まれ、強制的に自分の房まで引きずり戻された際に、複数の看守から暴行を受け、右脇腰部に傷を負いました。」
 傷については、「受傷後、丸2日以上経過しているが、まだ横8字様に丸がふたつ並ぶように直径7〜8センチ程度の打撲傷(擦過傷ともみられる。)とみられる傷が明らかであり、かつ中央部には出血の跡と思われる赤い生々しい跡」も見え、その時は「全治約3週間程度」と思われました。
 同時に、A氏は「その日は正午から翌日の昼過ぎまで、24時間くらい懲罰房(punishment room)に入れられ、ひどく寒い思いをした」と告げた。
(2)(食事を強要したこと)
 A氏はイスラム教徒だが、ラマダン(断食)中に拘置所内で食事を強制されたとして、およそ次のとおりのことを述べました。
「1月19日の午後4時ころ、明らかに日の入り前の時間に、看守二人から体を押さえ込まれ、鼻からチューブを押し込まれ、流動食を無理矢理食べさせられました。そのとき、その二人の看守に後頭部を殴られたり、顔面を殴打されたり、5〜6回の暴行を加えられました。わたしは、イスラム教徒です。昨年の12月29日から本年の1月28日までラマダンという断食の期間で、この期間はイスラムの教えでは、日の出から日没まで食事をしてはならないのです。その戒律に従い、食事をとらないでいたわたしに対し看守らが暴行をもって、しかもチューブを鼻に通すというきわめて卑劣な方法で無理に食事をとらせたのです。」

(2)A氏の報告を受けて、わたしは直ちに拘置所の職員に対し、事実上の証拠保全措置(検証)として、拘置所側で傷害部位を写真撮影し、その写真を弁護人のわたしに手渡すように請求しました。
 現在、東京拘置所の弁護人控室の掲示には、携帯電話機、テープレコーダーと並んでカメラの接見室への持ち込みを禁じる趣旨の文言があります。わたしはそのような禁止は、弁護人との秘密交通権を侵害する違法な措置ではないか、と思っています。違法でないといえるためには、少なくとも、本件のような事態が生じた場合、弁護人が持ち込めないカメラを拘置所側が用意し、あるいは弁護人の指示にもとづいて拘置所職員が直ちに写真撮影をして証拠保全に協力する、という信義則が確立されていなければなりません。さもないと、上記の接見室へのカメラの持ち込み禁止は、(本件のような)拘置所の不法行為を容易に闇に葬ることを意図した違法な措置だ、ということになります。法治国の法務省管轄の部署がそのような愚劣な目的のために、接見室へのカメラ持ち込み禁止の掲示をするなど、あってはならないことは言うまでもありません。
 ところが、拘置所職員は、これを拒絶しました。わたしは、施設管理権を有する拘置所長との面会を求めました。所長は留守ということで、結局、N調査官との面会の機会を得ました。

(3)わたしは、N調査官に対し、前記(1)でA氏からの報告内容を伝え、直ちに写真撮影などの証拠保全措置をとるように、再度請求しました。ところが、N調査官はこれを拒んで、裁判所の手続であれば従う旨の回答をしました。その言葉を聞いて、わたしは裁判所に国賠請求をするよりないと考えました。

4 提訴・証拠保全申立

(1)1月21日午後3時ころ、わたしはA氏と再度面会をし、国賠請求提訴と証拠保全申立のために、訴訟委任状をとりました。定型の委任状用紙を持ち合わせていなかったので、レポート用紙を使って手書きで訴訟委任状を作成しました。そのときのA氏の話では、わたしが写真撮影等を拘置所側に請求した後、拘置所の医師がA氏の傷を診断し、写真撮影をしたとのことでした。

(2)わたしは、東京拘置所からの帰りがけに郵便局で予納郵券と貼用印紙を買い、1月21日中に、訴状、証拠保全申立書、報告書(甲第1号証)を起案し、東京地裁の夜間受付で提訴を済ませました。ぼやぼやしていると、傷は消えてしまいますので、証拠保全の申立は急がねばなりません。

(3)翌日、裁判所に電話連絡し、事件の配点を急いでもらい、その日のうちに係属部を決めてもらうようにしました。一般には、事件の受付が配点をした日の翌日に配点のあった係属部に記録が届くということでした。それでは証拠保全に実施日が相当遅れてしまい、証拠保全の目的が果たせなくなってしまいます。わたしは事情を説明して、手続を急いでもらうように求めました。

(4)証拠保全の実施日が遅れ、肝心の証拠である傷が消えてしまうことをおそれたわたしは、1月22日(木)午後2時ころ、A氏と拘置所で面会し、接見室内でレンズ付フイルムで傷の部分を写真撮影しました。同日中に、フイルムは現像焼き付けを済ませておきました。それらの写真は、後に甲号証として裁判所に証拠提出しました。

(5)1月22日の夕刻までに東京地裁民事第10部の裁判官から翌23日の正午に面会をしたいとの連絡が入りました。1月23日(金)の裁判長らとの面会で、1月26日(月)午前11時に東京拘置所内で傷の存在と状況について検証をする方向で話が進み、23日午後4時までに法務省に執行官送達をすることになりました。

5 証拠保全実施(傷害の検証・写真撮影)

(1)証拠保全の実施日の1月26日午前9時ころ裁判所に確認の電話を入れたところ、書記官から「拘置所から午前8時40分ころA氏が居房内で騒いだので保護房に入れた旨の連絡があった」旨の報告をもらいました。(後で、A氏本人に確認したところ、所定の時間に英国大使館への電報を申し出たところ、これを拒まれたので、抗議した、とのことでした。同日午前中に証拠保全手続があることは一切知らされていなかったそうです。)拘置所が理由なしにA氏の打電を拒み、A氏を挑発し、保護房に入れ、「A氏が騒いで保護房に入れられた」部分のみをわざわざ裁判所に報告し、担当裁判官にA氏が危険な性格であるかのような偏見を与える工作をしたことは、明らかです。

(2)わたしは、証拠保全に備えて自分のカメラ、予備のフイルム、電池、名刺、スケール、セロテープなどの用意をして行きました。裁判所のカメラに万一故障等があったときに助けになりますし、傷の大きさが一目で分かるように工夫をする必要があるからです。

(3)証拠保全の手続は、拘置所内3階研修資料室で実施されました。部屋にはあらかじめ裁判長、書記官、原告、被告、証言台に相当する椅子、机が並べられていました。

(4)受命裁判官(左陪席)、書記官、訟務検事らと簡単な打ち合わせをした後に、検証手続に入りました。目的が傷の検証に限られるということで、英語の通訳人を置いていませんでしたが、受命裁判官が人定質問と手続の趣旨をA氏に説明した後に、傷の部位の写真撮影と測定をしました。わたしは、同時にA氏に傷を負った時の状況を質問し、その回答を報告書に作成して甲号証として後に裁判所に提出しました。検証手続は、30分程度で終了しました。

6 被告国側の答弁

 第一回口頭弁論期日の2月27日までに国側から提出された答弁は、
(1)原告の主張事実である、
(1)A氏に対する暴行傷害については、1月19日午前中、医師がA氏の診察を終え還房を促したところ、A氏がこれを拒んだので、4人がかりでA氏を診察室から居房まで連行した、その際A氏が両足を交互に激しく屈伸させ暴れたため一人の看守が抱えていたA氏の右足が外れ、A氏が右臀部付近から通路に落下し、同看守が直ちに右足を再度抱え上げ、連行を続けたこと、
(2)A氏に対し鼻からチューブを入れて流動食を入れたことについては、1月19日午後3時45分ころ、A氏が拒食による身体的衰弱・脱水・低栄養状態にあり、(A氏は幻聴妄想状態による薬物治療中であったが)そのまま薬物治療を継続すると、その副作用として悪性症候群を発症するおそれもあったことから、Y医師がA氏への鼻道給養が必要であると判断し、通訳を介してその説明をしたところ、A氏が拒否したので、看守6人でA氏の体を押さえたうえ、Y医師が「経口栄養剤500ミリリットル、水500ミリリットルのほか、リントン(抗精神薬)及びヒベルナ(抗ヒスタミン薬)を混和し、鼻道給養を実施した」ということ、 でした。

(2)そして、国側は、最高裁昭和58年6月22日大法廷判決、及び名古屋地裁昭和55年4月25日判決を引用し、(1)(1)の暴行傷害については「拘置所の平穏な生活環境を保持し、施設内における安全と規律及び秩序を維持するために必要かつ相当な範囲内において行われた職務行為であって何ら違法性が存しない」、(1)(2)の鼻道給養については、A氏がイスラム教徒であることは不知とし、何ら違法性がないと、それぞれ争っています。

7 刑事事件の進行・ビザ更新不許可決定との関係

(1)A氏の刑事事件は、ロンドン在住のA氏の家族がバリスター(注:法廷弁護士)に本件を相談し、そのバリスターから第一回公判期日(2月16日)の直前になって、公判期日の延期要請がありました。バリスターが刑事事件に関して証拠を整え、2月末から3月初めにかけて来日する、というのでした。刑事法廷は、A氏の罪状認否保留のまま、2月25日、3月16日、19日と回を重ねました。実際に、3月16日の法廷に傍聴人という形ではありましたが、バリスターがやってきたのには、わたしも驚きました。3月25日に結審し、3月31日に執行猶予の判決を得ることができました。

(2)ところで、2月の初めにA氏の90日間の在留期限が切れるので、わたしが代理人となって東京入管にビザの更新請求をしてみましたが、予測したとおり更新不許可決定となりました。A氏はオーバーステイの状態になったわけです。

(3)そこで、わたしは2月27日の国賠請求の第一回弁論期日で、裁判所に対し、A氏が執行猶予の場合は退去強制となり、原告本人尋問ができなくなるおそれのあることを説明し、A氏に執行猶予が出た場合には原告本人尋問について証拠保全を申し立てることを述べておきました。

8 再度の証拠保全(原告本人尋問)の申立と実施

(1)バリスターの来日など特殊な事情があって、なかなか弁護の方針が定まらず、刑事裁判の進行が遅れてしまいました。そのうえ、刑事裁判官の異動が3月の末にありましたので、裁判の結審が3月25日、判決期日が同月31日と、あわただしい展開になってしまいました。

(2)3月26日中に東京地裁民事10部に判決期日の前、30日までに原告本人尋問の証拠保全手続を実施してくれるように申し立てしました。仮に31日に執行猶予が出れば、A氏の身柄は直ちに東京拘置所から東京入管に移され、間髪をいれずに国外退去させられるかもしれません。それでは、原告本人の供述という最も大切な証拠を裁判所に直接提出する機会が、実質上奪われてしまうことになります。ただ、通訳人の日当が必要なために、7万円の予納を請求されました。

(3)裁判所は3月31日に4月7日(火)午前10時から12時まで東京入管において原告本人尋問をするという証拠保全決定をしました。さすがに、3月30日までに証拠保全を実施するというのは無理だったようです。ただ、判決期日がもっと前に分かっていれば、判決期日までに証拠保全の実施日を入れてもらうことは可能だったと思います。

(4)東京入管当局の話では、一般に、執行猶予判決後、東京入管に身柄が移されて国外退去されるまで(本人に航空券を買うお金があれば)1週間から10日くらいが平均だといいます。しかし、国賠請求をしている原告本人がどのような扱いを受けるか心配でした。無事に4月7日に原告本人尋問ができて、ホッとしました(A氏は4月16日ころロンドンに戻ったようです)。

9 まとめ

 本件は、国選弁護中に被告人が拘置所職員から暴行等を受けた場合の対応の一事例です。国賠訴訟の費用は、国選弁護人の全部持ち出しです。A氏は上記以外にも拘置所側の虐待を報告しています。通訳人もなしに外国人被告人と拘置所等で多数回面会するため、けっこう労力と時間を必要とします。けれども、国選弁護の過程で勾留中の被告人が拘置所職員から残虐な扱いをされたと訴えているのです。これを看過することはできません。金銭の扶助や通訳人の体制など解決すべき問題はたくさんあります。本稿が、その面でも、多少の問題提起になれば幸いです。