引き続きシェイク・ハンズ・プロジェクト
への参加者を募集中

ボランティア・コーディネーター 吉 原 令 子


被拘禁者とボランティアとの文通プロジェクト、『シエイク・ハンズ・プロジェクト』が発足して3ヵ月が経ちました。現在、参加者はボランティア11人、被拘禁者10人になりました。被拘禁者の方からは「一般社会人との文通は新鮮なもので、心のゆとりをもたらしてくれます」といううれしいお便りも頂いています。今回は、ボランティアをしてくださっている方からのメッセージをご紹介したいと思います。これからも、多くの方がボランティアとして、被拘禁者として、シエイク・ハンズ・プロジェクトに参加してくださることを心からお願い致します。御興味のある方はCPRの住所へ、ボランティア・コーディネーター吉原あてに手紙またはファックスをください。説明書を送らせて頂きます。CPRのスタッフの不手際や発送の遅延もありますが、これからもよろしくお願いします。
●詳しくは、左の絵をクリックしてください。

【以下は、シェイクハンズ・プロジェクトに参加して、獄中のペンフレンドと文通している方からのお便りです】

 日頃、いろいろな職業の人と接して話をするのが大好きな私は、人権がどうとか難しいことを考えずに、気軽にこのプロジェクトに参加しました。そのせいか初めて手紙を受け取った時に何だかとても不思議な気持ちがしました。何を書いてよいかわからず返事を出すのを延ばし延ばしにしてしまいました。勇気を出して自己紹介の手紙を送ると、私の手紙を待っていてくれたかのようにすぐに返事が届きました。
 最初の手紙には事件を起こした場所や逮捕されたときのことなどが書いてあり、なるほど、この人は本当に拘置所にいる人なのだと改めて思いました。あまりにもすばらしく穏やかで知的な文面に驚かされました。私はその人についての詳しい罪状については知りませんが、死刑を求刑されているそうです。最初はそれを聞いてとてもショックでした。いったい、何をしたのだろうかと少し怖くなりました。しかし、文通を重ねるうちにそんな気持ちはどこかに飛んでいってしまいました。私の文通相手が過去にいったいどういう経過でどんな事をしてしまったのか私は知りませんが、ただ私が知っていることは現在この人はとても穏やかで他人の事を気づかうとてもやさしい人だということです。
「ボランティア活動は情を入れすぎたらやっていけないわよ」という厳しい友人の言葉に納得できないときもありますが、今は私のできる範囲内で続けていきたいと思っています。私の友人で福祉施設に勤めている人がいて、軽度から重度までさまざまな身体障害者と毎日の生活をともにしています。こういう仕事ですから、死と向き合うことも多いそうです。ある日、彼女は私に「この人たちが死ぬ前に少しでもいいから私の顔を思い出してくれたらいいなと思っているのよ」と語っていました。私の文通相手も単調な拘置所の生活の中で私のことをちょっと思い出してくれたらいいなと思っています。
(T・M)
 昨年の12月半ば、拘置所で生活するペンフレンド、K氏から始めて手紙をもらった。便箋14枚に、ていねいな文字でびっしりと自己紹介文が書かれていた。文通を始めるとき、シェイクハンドプロジェクトの事務局からは、相手がどんな人か知らされてなかったので、ワクワクしながら心待ちにしていた手紙だった。名前、生年月日、身長、体重、家族構成、子どもの頃の思い出、そして最後の1ページに、拘置所にいる理由と死刑判決を受けていること、冤罪であることが書かれていた。
 私は、最後の1枚を何度も何度も読み返した。相手が死刑囚だとは、想像すらしてなかった。一審、二審とも死刑判決を受けていて、現在、上告審で頑張っているという。えらいことになった、と思った。なぜか、涙が出てきた。しかし不思議なことに、文通をやめたいとは思わなかった。
 私と同じように、K氏も犬などの動物がとても好きらしいことが書いてあり、最初から妙な親近感があったことが、その理由かも知れない。あと何年、文通できるかわからないけれど、「他のペンフレンドと同じようなスタンスで、まっ、ともかくやってみるか」という気持ちで、返事を書いた。
 K氏は、毎回便箋7枚にびっしり文字を埋めてよこす。もう7通にもなるだろうか。私が植物を育てるのが好きだと書くと、自分も昔は植物を育てていて、こうすると植物が元気に育つとアドバイスをくれたり、私の知らない料理についてレシピ付きで詳しく教えてくれたこともあった。K氏がかかわった事件について、書かれていることもある。前回は、どのようにしてデタラメな供述調書が作られたのかが詳述されていた。事件以外の話は、とても死刑を宣告された人とは思えない明るさで書いてあるので楽しいのだが、事件のことになると、とたんにつらくなる。
 しかし本当に冤罪かどうかは、今は知ることができないだろう。私が手紙を送ることで、K氏が少しでも心静かに過ごせるなら、それでいいと自分を納得させている。
(ノロユリコ)