東京拘置所ナイジェリア人被拘禁者
に対する暴行事件判決報告
水野 英樹 (第二東京弁護士会)
- 1.事件の概要
- 被害者はナイジェリア人の男性、マイケル氏。
1994年2月10日以降東京拘置所に勾留されていた。
被害の内容は、4度にわたる暴行である。
2月11日に、身体各部を殴打等され、保護房でも暴行を受けた。
4月に、保護房において身体各部を殴打された。
7月7日に「ゴリラ」と呼ばれたことに怒って「ばか野郎」と言ったところ、保護房において身体各部を殴打され、奥歯が一本欠けた。
12月19日に、ペニスを蹴り上げられる暴行を受けた。
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2.証拠保全
- 1994年11月1日に提訴を行い、その後直ちに証拠保全の申立を行い、12月27日に証拠保全が実施された。
保全された証拠は、原告の身体についての鑑定だけであったが、最近歯が欠けたこと、最近ひざに相当な加重がかかったあざがあることが保全された。原告は東京拘置所における医師記録の保全をも申し立てていたが、東京拘置所が開示を拒否したため保全されなかった。
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3.訴訟の進行
- 国は事実関係を全面的に争ってきた。
原告は、医師記録について文書提出命令の申立を行った。裁判長が自主的に書証として提出するよう勧告を行ったが、当初は提出を拒否するありさまであった。さらに強く裁判長が勧告を行った結果、ほとんど真っ黒(墨塗り)の医師記録が提出された。その後も他の拘置所において証拠保全に応じた例があることなどを指摘して全面開示を粘り強く求めたところ、徐々に開示部分は拡大され、最終的には医師の氏名を除いてほぼ開示されるに至った。
人証については、原告本人尋問に続いて、被告が申請した3人の刑務官の取り調べが行われたが、これらの証人は全て管理職であり、直接原告と接した者ではなかった。原告が直接事実を経験した刑務官を証人として申請するよう求めたが、被告はこれを拒否した。
そこで、原告が事実を直接経験したと思われる刑務官の証人を申請し、その一部である3人を裁判所が採用しようとしたところ、被告はあわてて、「裁判所が採用するのであれば、その証人については被告から申請する。」と述べ裁判所が採用しようとした証人についてのみ申請を行ったのである。
ところが、そのうちの一人は、事実を直接経験していない事が、証拠調べの結果判明した。原告は直接事実を経験したはずである刑務官一人を改めて証人申請したが、裁判所は「もういいでしょ。」と言わんばかりに、採用しなかった。
そして裁判所は弁論の終結を宣言しようとした。原告が最終準備書面を作成して提出すると申し出ても、裁判所は必要はないと主張して終結を強行しようとしたのである。原告が主張を行うのは原告の権利であること、最終準備書面の作成・提出は通常行われている進行であることなどを主張し、さらに終結を強行するのであれば裁判長を忌避するとまで主張して、やっと終結を断念させたのである。
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4.判決
- 判決は、原告の全面敗訴であった。
その理由は、刑務官の証言は信用する事ができ、原告の供述は信用できないというものである。
原告の供述を信用できない主な理由は、傷害の事実が医師記録に記載されていない事である。証拠保全によって確認された奥歯の欠損とひざのあざについては、原告主張の暴行から生じたものとは考え難いとするだけであった。
これに対して、刑務官の証言は不自然な部分が存しないと言うのである。原告代理人が種々の不自然な点を反対尋問において指摘したにもかかわらず。
なお、刑務官が原告を「ゴリラ」と呼んだ事があるかどうかの事実認定について、当該刑務官が「原告がゴリラのまねをするので『ゴリラ』と言ったことはある。」と認め、さらに原告が「人の事をゴリラと呼んだのに懲罰を受ける事はできない」と当時主張していたことは被告も認めているにもかかわらず、判決はゴリラと呼ばれた事実を認めるに足りる証拠はないとするのである。さらに「仮に、拘置所職員が原告をゴリラと呼んだことがあるとしても、そのこと自体は不適切な言動として非難されるべきではあるが、その一事をもって直ちに違法とまでいうべき筋合いのものではない。」と述べる部分については、裁判所の人権感覚を大いに疑わせる。
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5.雑感
- 裁判所の訴訟指揮及び判決は、最初に結論ありきという印象を受ける。
当然ながら原告は控訴した。
戦いはまだまだ続く。