KUMAMOTO 10
熊本刑務所刑務官大量処分事件で人事院に不服申立
監獄人権センター 刑務官部会
5月23日、東京霞ヶ関の弁護士会館で懲戒免職処分を受けた元刑務官大林敏之さんが、田鎖麻衣子弁護士とともに記者会見を行った。
人事院に不服申し立てを行ったというものである。大林さん自身の問題の他に、「『暴力団』というレッテルを貼られただけで人権侵害を受けている真面目な服役者のヤクザの人たちのことも問題にしたい」、と語った。
「私は上司の看守長から、複数の受刑者に懲罰を打つために報告書を書くように指示されました。事実と違うこともありました。自信がないと言っても無理やり書かされました。懲罰を受けると仮釈放がなくなったりするんです。恨みも買っているでしょう。彼らの名誉を回復するためにも、不服申し立てを行い、このように実名で記者会見をしたのです。」半年以上も苦しさを分かち合った奥さんも同席した。
仕組まれた記者会見
3月29日午後4時、法務省福岡矯正管区(荒井英雄管区長)で記者会見が行われた。
本田孝信第一部長が記者会見に臨んだ。
「暴力団組員からの飲食の供応を受け、受刑者との連絡を仲介するなどの特別な取扱いをした熊本刑務所の看守を懲戒免職、看守部長二人と作業専門官の三人を6月から2月の停職処分にした…」
本田部長は厳しい表情で立ったまま、コメントを読み上げ記者の質問を受けたが、詳細な説明を求められると、
「これ以上コメントできません」
と一方的に会見を終了させた。
実は、その4日前の3月25日、退職を強要されて辞表を書かされたり、無理な配置換えを言い渡された刑務官5人が人事院に救済を求めていた。教育部門の山本春男氏もその一人である。両親の介護のため熊本を離れることができない事情を説明、懇願したが大分刑務所への配置換えの内示は変更されなかった。山本氏は、不祥事件とは全く無関係である。むしろ刑務所側の立場で受刑者から事情を聞いた人だった。勤続満24年、もう1年勤めれば長期勤続となり退職金も300万円多く貰えたのである。血も涙もない決定だった。辞めざるを得ないとして辞表を提出したが、どうしても納得がいかなかったので、辞表を撤回し人事院に望みを託した。
「刑務官は親の介護もできないのでしょうか? 組合の結成を禁止されている刑務官は人事院に救済を求める以外に方法はないのです。」山本氏は急遽上京し「行政措置要求書」を人事院に提出し、東京霞ヶ関の弁護士会館で記者会見を行ったのだった。
本田部長は事態が公になったので記者会見を行った。同時にマスコミを利用したともいえる。
【特定の暴力団関係者と地元刑務官の癒着により、酒席の供応が行われ、その見返りとして、処遇に手心が加えられたり、不正な伝言・連絡、あるいは物品の差し入れが繰り返されていた。】
新聞各紙は取材をしないまま、本田部長が作り上げたコメントをそのまま事実として記事にした。
熊本刑務所長は終始取材を拒否した。
大量処分
刑務官の処分は、4月1日、2日にも行われた。こちらは記者会見なし、共同通信の記者が取材を申し入れたら、またまたノーコメント。取材を拒否された。
山本氏も大分刑務所への転勤が強行発令された。
人事院は何の役にも立たなかったのである。それもそのはず、法務省矯正局は法務大臣官房人事課を介して人事院の内諾を得ていたのである。縦の関係機関は事前の根回しで了解済み、すべて筋書き通りの結果だったのだ。もちろん酷いデッチ上げの文書によってである。
結果は次の通りである。
懲戒処分 11人/免職 1人/停職 6人(三名は退職、他の三名は関東・関西の刑務所に転勤)/減俸 2人(関西の刑務所に転勤)/戒告 2人(関西の刑務所に転勤)/転勤命令処分 2人(熊本を離れられない事情があったが、当初の内示通り大分刑務所への転勤命令を強行された)
刑務官は幹部を除き他施設への転勤はない。処分を受けた刑務官は40才から50代前半の者ばかりである。生活の本拠から遠く離れることで意に反して辞職せざるを得ないのは山本氏ばかりではなかった。
事件は密告から
昨年4月に就任した川畑明則所長は規則にやかましい。所内の雰囲気が一層息苦しくなった。
「主任さん(熊本刑務所では刑務官のことをこう呼ぶ。)、そのうちえらいことがおきますよ」
多くの受刑者が刑務官にそれとなく漏らしていた言葉である。2年で交代する所長が変わる度に処遇も変わる。規律が厳しくなると受刑者の中にはあの手この手で反抗する者が出る。暴動や幹部に対する暴行は昔の話しで、今は告発・密告などの陰湿な手段が横行する。気に食わない受刑者も巻き添えに一石二鳥を狙ったものもある。
8月に某受刑者が「情願書」を提出した。法務大臣宛てに検閲なしで送ることのできる手紙である。同僚等から拾い集めた噂などをもとに作り上げた刑務官とヤクザとの不正行為を書き連ねたものだったのであろう。
過去にも規律が厳しくなる度に同様の告発があり、刑務所幹部が掻き回され、多くの刑務官と受刑者が不当な取り調べを受け悲惨な目に遭っていた。
事の真相
情願を担当する法務省矯正局保安課は福岡矯正管区に調査を依頼した。矯正管区は熊本刑務所長に情願内容を説明し報告を求めた。
今までに問題になった未解決の事件も徹底的に解明することになったらしい。
取り調べは受刑者から始められた。収容中の全受刑者、釈放後、再度他施設に収容された者の取り調べも行われ、証拠固めが図られた。目的は刑務官の徹底処分である。
懲戒免職になった大林敏之氏が最初のターゲットになった。9月7日午前8時半、夜勤明けでそろそろ帰宅しようという時間に川原剛主席矯正処遇官に呼ばれた。
大林さんは、いきなり事実無根のことを突き付けられた。
「既に釈放になっているヤクザOから、昭和59年ころ外部との手紙の仲介などを行う名目で手付金200万円の交付を受け、以後平成6年まで月々5万円の交付を受けていただろう。Oは小倉に入っているお前の写真を見せて確認した。現金受け渡しの証拠の写真もあるんだよ。」
以後、9月11日午後8時半まで、熊本刑務所の塀の中に監禁状態にされ取り調べを受けた。通行鍵を取り上げられた大林さんは奥さんに電話をすることさえできなかった。事実無根を訴える大林さんに対して、川原主席は不正行為を行っているとの予断のもとに取り調べを続けた。
大林さんは、幼少から剣道に親しみ、高校時代には国体・インターハイにも出場した。大学時代にも全国大会に出場し、剣道の腕と人柄によって推薦されて刑務官になった人である。人一倍優しい気持ちの持ち主で親切な刑務官だった。受刑者に対しては常に暖かい思いやりをもって処遇していた。その分受刑者に騙されることも多かったが、騙されるのも刑務官の仕事と思っていた。
大林さんは、年配の工場担当に性格のいい後輩として可愛がられていた。工場担当Tさんは、受刑者の面倒も良く見ていた。長期の刑を務める受刑者にとって工場担当はまさに親父である。時々釈放された人たちも、お礼を言いにTさんを訪ねた。
義理に厚いヤクザの人と酒を酌み交わすこともあり、大林さんはTさんに呼ばれて酒席を同席したこともあった。Tさんが在職していたころのことで、6年から9年も前のことである。
川原主席はそのことを取り上げて、酒席を共にしたヤクザの人の配下や同じ組の受刑者に伝言などをしただろうと言い掛かりをつけて、大林さんの供述を引き出した。
「『頑張れよ』ということは言ったと思います」
「そうしたら何て答えた?」
「さあ…」
「答えないはずがないだろう! 親父さんによろしくとか言ったんじゃないのか」
自白が唯一の冤罪事件がこうして創られていった。
10件の服務違反を捏造
大林さんは、10件の服務違反を捏造された。それが処分理由である。
大林さんを処分するために、大林さんが言葉を交わしたとされるヤクザ関係の受刑者には不正連絡等の規律違反で懲罰が科せられた。
大林さんの取り調べ結果等の報告を受けた川畑所長、福岡矯正管区及び法務省矯正局は多くの刑務官が絡んだ不正連絡(通称ハト行為、伝書鳩のハトである。)による贈収賄事件があったという結論を導き出していた。
10月中には法務省から全国の矯正施設(刑務所、少年刑務所、拘置所、少年院及び少年鑑別所)に前代未聞の不祥事件の発覚と綱紀の保持に関する指示が流された。
法務省が大騒ぎしたが、もともと、ハト行為そのものは存在していなかった。
何がなんでも、ハト行為と贈収賄がなければ、熊本刑務所長らは自分たちが嘘の報告をしたことになる。管区と法務省の関係者も保身のために多数の刑務官のクビを切らなければならなくなった。
刑務所幹部は、職員間の派閥争いを利用して服務違反等を密告させる手段に出たようである。ターゲットになった刑務官には手荒な取り調べを行い退職願いを書かせた。大林さんを含めて5名の刑務官が日付抜きの辞表を書かされたのである。
最終的には、11人の刑務官は個々バラバラの服務違反を幾つも捏造されて処分を受けるが、励ましの一言が伝言になりハト行為であったという結論もいくつか導き出されたのである。
福岡矯正管区本田一部長は記者会見の席上、
「現金のやりとりはなかったので告発はしない」
と言ったが、実際は熊本地方検察庁も巻き込んでいた。11月から約2ヶ月、熊本刑務所の刑務官は入れ代わり立ち代わり熊本地方検察庁で検事調べを受けた。その数は100人以上にも上るともささやかれている。
11月には看守長が2名、管区長から直々に「不良刑務官を処分するために全力を尽くせ」という「名誉ある特命」を受けて赴任した。
年が明けると、年度末に大量処分を行うことが確認され、供述調書等の書類の整備のために、福岡矯正管区の幹部が多数派遣されている。
一件書類がまとまると法務省と人事院に根回しが行われた。
大林さんは検事調べが終了した翌日、1月12日には、「懲戒免職をお願いします」という奇妙な上申書を書かせられていた。
大林さんの不服審査は公開の場で行われる。審査の過程で刑務官が置かれている状況と矯正とは名ばかりの受刑者処遇の実態と問題点を公にしていきたい。