(週刊金曜日400号2002.2.22より抜粋)

平和憲法の国コスタリカ

非武装という強さ

コスタリカでは1949年に制定された憲法12条の規定により、常備軍を廃止した。中米の紛争地域にありながら同国が平和を確立し、維持できるのはなぜか。この国から学ぶことは多い。

伊藤 千尋(いとう・ちひろ)
朝日新聞・ロサンゼルス支局長


コスタリカ共和国憲法:第12条
◆恒久的制度としての軍隊は廃止する。
◆公共秩序の監視と維持のために必要な警察力は保持する。
◆大陸間協定により若しくは国防のためにのみ、軍隊を組織することができる。いずれの場合も文民権力にいつも従属し、単独若しくは共同して、審議することも、声明・宣言を出すこともできない。

 日本と同じく平和憲法を持つ中米の小国コスタリカ。しかし、日本と違うのは実際に軍隊を廃止し、積極簡な平和外交を展開していることだ。
 コスタリカ憲法第一二条では、自衛権を含め、国防のための再軍備は否定していない。しかし、周囲の国が内戦に突入した中米紛争の時代も再軍備せず、逆に周囲の国の紛争を終わらせる平和の道を選んだ。
 二月三日に行なわれた大統領選挙を機にコスタリカを訪れ、同国が揺るぎない平和憲法を維持する秘密を探ったこの国には、個々人が安心して生きられてこそ国家の平和もあるという発想と、紛争の解決に対話 を重視することを小さいころから身につけるための学校教有が根づいている。そして何よりも「平和は守るものでなく創るもの」という行動的な姿勢が見て取れた。

民主主義は「ある」もの でなく「創る」もの

 大人が子どもを連れて投票所に入ってくるように見えるが、実は逆だ。子どもが大人を連れてくる。
 コスタリカの首都サンホセ郊外のパソアルトスにあるビリングエ学校では、大統領選の当日、生徒が主催して模擬投票が行なわれた。有権者として投票に参加したのは、学校の周辺に住む三歳から一四歳の子どもたち約三○○○人だ。
 校門には「男の子、女の子のため の選挙」と書いた横断幕が掲げてある。校舎の壁にはあらかじめ有権者登録をした子どもたちの名前の表が張ってあり、それぞれ投票所の部屋番号が示してある。子どもたちが部屋に入ると、まず名前を確認して投要用紙を受け取る。投票用紙には実際の大統領候補一三人の顔写真と政党名、シンボルマークがカラーで印刷してある。実際に大統領選で用いられる用紙に校名を入れて印刷した、本物そっくりの投票用紙だ。子どもたちはダンボールの覆いをした場所で意中の候補者にX印を付け、ダンボールの投票箱に入れる。
 六歳のコルドバ・ガルシア君は、改革を主張する新人候補に投票した。「お父さんとは意見が遠うけど」と言うと、かたわらの父親が笑った。女の子四人に付き添って来た建設会社のロイ・オルティスさん(三七歳)は、「夕食のあとに、今の社会の問題など家族でよく話します。選挙前にはそれぞれの候補の主張の違いなどが話題に上ります。私は社会民主主義の党を支持していますが、子どもたちはどうでしょう?」と話す。長女のナタリアさん(一一歳)から四女のカロリーナちゃん(五歳)まで「いいと思う人に入れた」というだけで意中の候補の名は明かさない。
 模擬投票を主催したのは、同校の第一一学年(日本の高校二年生にあたる)二○人だ。地域学習の一環として自分たちで提案し、選挙管理委員会の立場になって選挙を運営した。ニカ月前から準備し、会計や選挙監視員などの役を分担。近所の子に呼びかけて、一週間前から有権者登録を開始した。選挙の当日は背に「選挙管理委員会」と書いたそろいの白いTシャツを着て臨んだ。
 投票をにこやかに見守っていたのは校長先生だ。選挙をやりたいという生徒の提案に賛同し、選挙管理委員会にあたる選挙最高裁判所にかけあって本物そっくりの投票用紙を印刷する許可を得た。「子どもたちが活動を通して民主主義を身につけるとてもいい機会です」と語る。生徒の意思を尊重し、伸び伸びと育てようという姿勢が現れている。
 この学校では一六年前から大統領選のたびに、子どものための模擬投票を行なっている。投票用紙の印刷などにかかる費用は日本円にして約四○万円。有権著として参加した子どもたちが小遣いを寄付してまかなう。子ども一人あたり一三○円くらい出せば採算がとれる計算だ。
 コスタリカでは、学校教育の一環として生徒が選挙を実施し、付近の子どもたちが有権者という存在を三歳のころから体感する。民主主義は「ある」ものでなく、日々「創る」ものだという考えがその背景にあるのだ。小学校の女性教師に会った。「教育とは、子どもたちが自立し、どんな大人になりたいか、どんな市民になるのかを自分たちで考えることの手伝いです」と言う。教室で荒れる子の身上を調べると、愛情に恵まれていなかったことがわかる。対話を通じて人生を愛すること、自分に価値を見出すことを教える。一人ひとりが自分自身を平和にしてこそ社会の平和も保てる、と語った。
 ちょうど新学期が始まる前で、書店には教科書が並んでいた。内容を見て驚いたのは「公民」にあたる「市民教育」だ。日本の中学一年生にあたる第七学年から高校二年にあたる第一一学年まで毎年、しっかりした教科書で授業を受ける。第八学年の教科書を開くと、人間性の尊重平和外交、対話などの項目が書かれている。単に暗記させるのではなく、重視するのは実践だ。たとえば不当解雇を想定し、解雇された社員の立場になって、憲法や人権宣言では労働者にどんな権利が保障されているのか、などを生徒自身が調べる。
 コスタリカでは選挙を取り仕切るのは選挙最高裁判所だ。選挙は、立法、行政、司法の三権と並んで四番目の権力と言われるほど独立している。選挙の前には警察も選挙最高裁判所に編入される。選挙と民主主義と人権とが一体となって子どものころから意識に根づいている。その延長に平和があるのだ。

兵士の数だけ教師を

 コスタリカが平和憲法を自分たちの手で制定・施行したのは一九四九年だった。内戦(と言ってもわずか六週間にすぎないが)で約二○○○人が亡くなったのを機に、軍隊を廃止した。憲法一二条は「恒久的制度としての軍隊は禁止する」とうたう。だが、本当にすごいのは、その後だ。「兵士の数だけ教師を」を合い言葉に、それまでの軍事予算を教育予算に変えた。以後、年間予算の三分の一が教育費になった。
 このときのスローガンには「トラクターは戦車よりも役に立つ」、「兵舎を博物館に変えよう、銃を捨てて本を持とう、トラクターはバイオリンへの道を聞く」というものもあった。戦車はものを破壊するだけだが、トラクターで耕せば農民もやがてバイオリンを弾けるような豊かな生活をおくることができる、という意味だ。単に平和を叫ぶのではなく、バイオリンを挙げた点に民度の高さを感じさせる。それも今から五○年以上も前の時代に、だ。
 平和を保つのは生やさしいものではなかった。とくに困難だったのは八○年代に中米紛争が激化してからだ。隣国ニカラグアやエルサルバドルなど、中米は軒並み内戦に入った。ニカラグアからコスタリカに難民が押し寄せ、政府軍に追われたゲリラが国境を侵犯して逃げ込んできた。こうしたときに「永久的非武装、積極的中立」を宣言したのが当時のモンへ大統領だ。
 そのモンへ氏に郊外の別荘で会見した。「積極的中立とは、人権を守り紛争を解決するため、調停や仲介などの行動をすることだ。私たちは軍を持ってないからこそ、それがやれた」と彼は語った。さらに軍を廃止した憲法について「コスタリカは貧しい国だ。教育と発展か、軍を持つか、どちらかを選ばなければならなかった。だから教育を選んだ」と言う。こう聞くと当たり前のようだが、その選択は容易ではない。現に世界のほとんどの貧しい国は軍の方を選んだ。日本も今や軍事国家への道を歩んでいる。それを考えると、当たり前のことをする勇気がこの国の人々はあったのだと改めて感心する。その選択の正しさは歴史が証明している。
 モンヘ氏の跡を継いで大統領となったアリアス氏は対話によって中米全体の紛争を終わらせてしまった。私は大領就任以来たびたびアリアス氏に会見したが、彼の発想はいわぱ「国際火消し」である。平和は一国では達成できない。隣の国が戦争をしていればいつか火の粉が自分の国に降りかかる自分の国が平和であるためには隣の国も平和にしなければならない、という考え方だ。
 中米に平和をもたらした功績で、アリアス氏は八七年のノーベル平和賞を受賞した。彼はその賞金を基金として「アリアス平和財団」を翌八八年に設立した。サンホセ市内の同財団を訪れ、女性の専務理事ララ・ブランコさんに会った。
「平和は日々、創るものです。コスタリカは軍を廃止し軍事予算を他の分野に回しました。それが発展の基礎になりました。今は世界中の非武装と軍縮を二つの目標に、武器の売買の禁止などの運動をしています」と言う。米国でのテロ事件にも触れ「武器の国際取引がなかったらビンラディンの活動もなかったでしょう。米国ではテロで多くの人が死にましたが、貧しい地域で日ごろどれだけの人が死んでいるかを忘れてはなりません」とも語った。ほかに力を入れているのは、女性の権利向上や他の国の女性への識字教育だ。ここにも、教育や民主主義こそ平和の基礎だという基本的な考えが見える。
 憲法で軍隊を廃止しようとした立役者、半世紀前の政治家で「国父」と呼ばれる故ホセ・フィゲレス氏の妻、カレンさんに会った。彼女は熱い口調で、こう言った。
「平和とは単に戦争のない状態を指すのではありません。行動を伴ってこそ平和になるのです。私たちはバラス(弾丸)でなくポトス(投票)を選びました。平和を願うなら闘わなければなりません。単に”平和主義者”であってはならないのです。非暴力での闘いをすべきです。武器を持たずに平和のために闘うのです。それは勇気を必要とする闘いです。平和を創るのは容易ではありません。しかし、やりましょう。実現しましょう。夢を!」

「活憲」こそ最大の「護憲」

 コスタリカで会った人々は、だれもが燃えていた。それにひきかえ今の日本は元気がない。「改憲」が当然であるかのような雰囲気がまかり通っている。その中で「護憲」勢力は弱体化するばかりだ。私は思う。
 憲法もサッカーも、守ってばかりでは勝てない。法は活かしでこそ法である。不断に行動してこそ平和は実現できる。コスタリカが中米で行なったように、日本の平和憲法を活用してアジアに平和をもたらし、かつ自分たちの生活にも平和をもたらすことが求められているのではないか。憲法を清かす「活憲」を、コスタリカから提唱したい。


「対話こそキーポイント」と語る

カルロ・バルガス氏
(国際法律大学教授、国際反核法律家協会副会長)

 なぜコスタりカのような小さな国が軍隊なしでやっていける のか?
 答えは簡単だ。民主主義をうまく実践してきたからだ。だれもが教育を受け、富に近づくことができる。人権が保障され、子ども、女性、お年寄りが社会に参加でき、社会保障が整っている状態。それが私たちコスタリカ人の考える民主主義だ。
 私たちは一九四九年に軍隊を廃止し、軍事予算を教育、福祉、医療に回した。軍をなくしたから、無料で病気を治せるようになったのだ。
 民主主義を維持するのは大変だった。さまざまな危機を乗り越えて理想を実現してきた。それを可能にしたのは、常に対話の道を通じてきたからだ。私たちはそう教育されたし、子どもたちにもそう教育している。対話で紛争を解決し、人権を重視する。差異を認めながら対話を続ける。対話こそキーポイントだ。
 八六年にニカラグアとホンジュラスの問で戦争が起こりかけて米国が介入しようとしたとき、当時のアリアス大統領は自分たちの手で問題を解決すると言った。米国は友たちだが米国に従属してはいない。コスタリカと米国は同じ位置にある。それはコスタリカ外交の確固たる柱だ。
 非武装中立言(八三年)からさまざまなものが生まれた。中立という立場があったからこそ、中米の紛争に口をはさむことが許され、紛争解決に役立ったのだ。日本は大国だから中立宣言はできないという意見があるが、国の大きさが中立宣言のマイナス要因となるのだろうか?私はそうは思わない。
 日本は唯一の原爆の被害国だ。アジアで中立宣言できる最大の候補国だ。日本が中立宣言することによって理想を他の国に広めることができる。日本の教育水準はきわめて高い。日本国民は国外の問題に高い関心を持っている。他国から学ぶことが日本にはできる。それに経済力がある。
 武装した国は他の国にも武装を促す。それは見せかけの平和だ。いつ戦争がおきるかもしれない。なぜ日本がアジアに人権を輸出しないのか? 日本が音頭をとって、アジアに人権裁判所を作ってはどうか?
 コスタリカではすでに自由がある。生まれや地域などに左右されず、人間はみな世界市民として平等であることを私たちは認識している。
 私はコスタリカ市民であることに誇りを感じている。


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