「鰻の寝床」外交―黄色い家、コスタリカ外務省のお話

大学教授T

 コスタリカの外務省(正式には外務および養成省)は、建物の外見から黄色い家(カサ・アマリージョ)と呼ばれている。間口は一見狭いが奥行きが深い。訪問した際「鰻の寝床のようだ」、と団員のどなたかの口からもれた。私の出身地、京都の町屋がよくそう呼ばれている。

 他の方々が帰国された後、帰任中のセケイラ駐日大使から黄色い家にご招待を受けた。大使は外務次官への報告書類を一杯手にされていた。伺えば2日前まで入院されていたそうである。「後の報告が長引きそうなので、あなたと次官の会見時間が短くなってしまう」と恐縮の体。「いや、外交機密って奴がありますからね」と軽口を叩いたら、真剣な顔をして「いいえコスタリカに秘密はありません」。見ればあちこちに公文書が入った箱が積まれている。「政権交代に備えて、継続案件以外の書類は全部国立公文書館に行くのです」と大使の説明。公文書館の外交文書を、外国人を含む研究者たちが利用していることは、私も知っている。

 大使の上司ゴメス次官は若い黒人女性、サンホセの日本大使館でも「切れ者」と評判だ。「コスタリカの本を書いてくれてありがとう」など、そつない外交辞令。会見途中でコラーレス外務研究所所長さん登場、省内を案内して頂くことになった。「この建物は元々中米司法裁判所だったんです」。時は20世紀の初頭、国内裁判所の判決に不服の場合、一般市民が国を飛び越えて国際裁判に訴えることができる、という個人出訴権を認めた世界初の裁判所である。「その後改装して使っています」。

 鰻の寝床の黄色い家、そのさらに奥まった建物に外務研究所はあった。政策立案のためのシンクタンクを兼ね、1988年設立以来、大学院修士課程相当の外交官養成コースに常時15人前後が学んでいる。養成するのは、コスタリカの外交官だけではなく、中米7カ国すべての外交官。 「外国の」外交官まで「養成」してしまうのだ。流石に一寸ビックリ!「アリアス元大統領の和平プランに基づいているのです」。

 元々連邦だった中米では、紛争の後さまざまな統合が進んでいる。一国の人口が少ないため、束にならないと経済的にはやって行けない。しかしコスタリカでは、政治統合に反対の声が大きい。例えば閣僚よりも権威と力を持つコスタリカ大学総長、マカヤ博士は「経済ならともかく、政治統合に50年はかかる」と主張されている。残念ながら私も同意見。人口の大半を占める先住民に長い間、参政権を事実上認めてこなかったグアテマラなど他の国とは、民主化の歴史が違い過ぎるのが現実だ。アリアスプランには、EU議会のような中米議会の構想が提唱されていた。しかし今、他の中米諸国とは異なり、有権者が直接選挙する中米議会の議員をコスタリカでは選んでいない。中米議会など目先の統合には慎重な反面、外交官養成という、将来への布石はすでに打ってある。中米諸国の外交官に黄色い家の出身者が多い、という時代がいずれ来る。建物同様コスタリカ外務省の外交は、間口は狭く見えて奥が実に深そうだ。

 他の中米諸国と同様、コスタリカは台湾と国交を結んでいる。ODA援助国のトップが台湾だ。逆に言えば台湾はODAを使って、貴重な国交をつなぎとめている。太平洋側の湾に橋を架けようという大プロジェクトがあった。採算が合わないと日本のゼネコンも首を振った話を台湾が受けた。「おたくがお断りになるのなら、北京の中国政府に話を持って行きますよ」そうコスタリカ外務省の担当者はもちかけたのだ。日本の援助関係者が証言してくれた話である。どこかの国のムネオハウスの話とは大変な違いではないだろうか。

 コスタリカの外務省は、その建物のような奥深い外交によって国際的な応援団を獲得してきた。応援団をバックにした外務省=黄色い家は、世界最強を自認する「白い家」(ホワイトハウス)を相手に、時にはタメを張って凌駕することさえある。「鰻の寝床」外交、コスタリカの外交を、愛着を込めてそう呼んでみたいものである。


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