コスタリカは、一度訪ねてみたい国でした。この国は、私が、予てより、説いてきました「権力非武装国家」(警察力を超える武装装置を常備しない国家)は、「人権を重んじ、教育と福祉に重きをおき、民主主義に徹し、自治を重んずる国である」という考えを実際に実現している国だからです。事実、コスタリカでは、なにものにも勝って、「自然人」一人一人の人権を重んじ、全ての人に「教育を受ける権利」が保障されていて、義務教育は無償ということでした。ただし、教材費などは有償で、テキストを買えない子供もいるということでした。主として、それは難民の子供たち。医療も国立病院が中心で、国立病院では難民など患者が貧しいからということで診療を拒むことはないということでした。ただし、金持ちのために「私立病院」はあるということでした。
「平和の基礎は民主主義に徹すること」として、そのための制度が作られていました。また、国民主権は制度化されていて、「主権者権」は実質化し、これを守るために、「四権制」(立法、行政、司法、選挙管)が採られています。この国においても『主権者権』という言葉は使用されてはいないようですが、国民が、『主権者』として機能するための制度ができていて、国民の主権者としての権利が実質化しているのです。選挙は、国民が主権者として政治に関与する上での基本をなすものです。国民の選挙権は18歳以上で、子供たちにも選挙を楽しむ権利があり、そのためにさまざまな形で『お祭りとしての選挙』に子供たちも関与しているようでした。
大統領の任期は四年で、何人も再選はされず、1期だけに限られています。国会議員をはじめ、、全ての、選挙による『公的ポスト』には、何人も連続して選ばれることは無いように制度化されています。そして、全ての公的ポストに3分の1の女性がつくべく規制されているということです。女性の権利が実質的に確立していないところには、真の『民主』制は機能しないものです。
コスタリカのもうひとつの特徴は、早くから自然環境の保全に努めてきたことです。今やそれが、資源の少ないこの国の貴重な観光資源となっているのです。ちなみに、この国のグリーン・ツアー(環境保全体験観光)は、基幹産業の一つとなっているのです。
このたびの「過密な学習ツアー」のなかで、唯一、観光気分に浸れる機会であった、「モンデベルデ自然保護区観光ツアー」に、突然参加できなくなってしまいました。それは、Tさんが懸命になって、準備してこられたコスタリカ大学の学長との面会日がその日に決まったからなのです。大学からは学長の公用車を私たちのホテルに回してくださり、面会の席には、学長のほかに政治学部長(女性)国際交流センター長、および政治学部の教授を招いて、私たちを歓迎してくださいました。マカヤ学長は、化学の博士で、40才代の若若しい聡明な方で、会話のテンポも早くテキパキとした方でした。
コスタリカでは教育に特段の力を入れていて、とてつもなく多い難民をも含て、この国に住む人全てに「教育を受ける権利」を保障しているということでした。この国には多種多様な大学があり、多くの若者が多くの分野で学んでいるということでした。お尋ねしたコスタリカ大学には、13の学部と46の大学院および8の博士課程が、5箇所のキャンパスに分散してあるということでした。この大学は、現在300以上の外国の大学と国際交流をしており、100人以上の大学の研究者が、外国の大学との交流に出かけているということでした。そして、今、600を越える外国人学生を受け入れているということでした。
コスタリカという国が、四国と九州を合わせた程度の国で、人口も約342万人、国民所得が、日本の約4分1程度ということを考えますと、その力の入れ方も理解できます。日本のいくつかの大学との間にも国際交流があり。早稲田大学との間にも近く協定にサインする運びとなっているということでした。
コスタリカの人々に「軍隊が無くて不安ではありませんか」と尋ねますと、「どうして、何のために、どこの国が攻めてくるのですか」と問い直されました。私は、予てより、今という時代は「高度に発達した科学技術を組織してほぼ全てのものを工業制商品として生産するという生産の仕方と労働の組織の仕方が世界化している「グローバル化の時代」なので、軍事侵略や軍事占領という現象は生じない、だから、「自衛のための武力は要らない時代」に入っていると説いてきたのですが、そして、人々に「地球球体の有限性」が見えてきているので、「浪費を慎む文明」が求められ、最大の浪費機構が軍隊なので、軍備の全廃は歴史の必然。と説いてきたのですが、コスタリカの人々は、そのような時代がくる以前から、「軍隊が在れば、不幸になるのは国民」と考えて、軍を持たないで生きてきたのです。
日本で、平和を守る戦いをしている人々の間で、如何程の人が「もし攻めてこられたら」という問いに「攻めてこられることなど無い」と確信を持って答えてきたでしょうか。この点に日本の護憲運動の弱さがあるように思うのです。
「法律時報」の2002年5月号に、「日本国憲法の歴史的位相」と題して一文を書いておきましたので、参考にしていただけますと幸いです。