まずハチドリについてですが、しあわせだったのはコスタリカにハチドリがいることを知らなかったことでした。だからひじょうに驚きかつ喜べました。
ハチドリは長い間想像していたより大きかったでした。テレビで見、図鑑で見、大きさがわかんないわけなかったのに、自分の頭の中でどんどん小さくしていったようです。いつごろからこの小さな鳥に心引かれたのかはわかりませんが、もともと小さいものが大好きで、小指の先ほどの地球儀とか親指くらいの人形とかを見つけて買えるだけのお金を持っていた時買ったものがわたしの本棚には並んでいます。世界一小さい鳥にひかれたのもその延長です。実際にハチドリをまじまじ見て思ったのは、小ささより色のきれいさでした。深い玉虫色の微妙な違いがいくつも重なり合った色調。十二単とかサリ−とかのように、重ねたり透けたりを考慮にいれて色合わせを楽しむ、そんな身体と羽根の色でした。「美しいことがこの鳥の仕事なんです」と、ガイドさんは言いました。この言葉はすばらしいひびきで感動したんですが、帰国してこの文を書いているうちに、「じゃあ、きたないハチドリはどうなるんだろう」などと、美
しさに一度も縁のなかったわたしは身につまされて心配になりました。
しかし、今の世に何がのんきにハチドリだ!と怒り狂うわたしもいます。9月11日以降あまりにも世界のいろいろなことがズバリズバリとあからさまになってきて、心がとんがりっぱなしなのです。たとえば死者の種類です。世界中から悲しまれる死と、何万人死に続けても無視されっぱなしの死。これはなにも去年の9月11日に始まったことじゃないでしょうが、こんなにはっきり目に見えたのはわたしにははじめてでした。世界は一国独裁だったんだということももうごまかしようがありません。それに、なにより、「テロ撲滅」という世界的スロ−ガンの裏にあるものの正体まで見えちゃった。撲滅するぞなんていう態度がテロをせっせと生み出す元気な母だということを一番よく知ってるひとたちがどうしてこんな猿芝居をするのか、と誰もが思う。で、当然ながら石油などの利権に行きつきます。それから、武器。いや−、武器ほど消費財として優秀なものはないということをこれほど毎日毎日見せてくれて。使用は一回限り、リサイクルはきかない。ミサイルなんて一発2億4千万円。金額の割に効果が低すぎる。こういう無駄をよく納税者は黙ってるもんだ。コッポラだってオリバ−・ストンだってこれほどわかりやすい映画は作れませんでした。
さて、結びはコスタリカです。こんなに無駄な武器なんて持たないにこしたことありません。でも大抵の国が持っている。なぜか。国民を安心させたいからか、政治家が不安だからか。それともまたまた利権か。日本は憲法と実際が正反対だから、嘘つき国家だということを世界に宣伝してるだけだけど、コスタリカは国民のやることを憲法が追いかけています。「武器を買わなければその分かなりのことに使えるよ。武器を持たないと人間が見えてくるよ。」という見本がコスタリカだと思いました。前例があることはなんて心強いんでしょう。でも、もっと一般のひとたちの話が聞きたかったなあとも思いました。