<週刊金曜日438号(2002.11.29)抜粋>

平和とは言葉でなく行動

同じ「平和憲法」を持つ2つの国でありながら、非武装に対する国の指導者の理念は大きく異なる。「軍隊を廃止し、平和教育を徹底し、清潔な選挙制度を確立して民主制度を改革し、積極的な平和外交を展開すれば、外国から侵略されることはない」と日頃から主張するカレン・オルセン氏の、この日の講演を抄録する。

通訳:星野弥生
まとめ:宮本有紀


コスタリカ共和国憲法第12条
◆恒久的制度としての軍隊は禁止する。
◆公共秩序の監視と維持のために必要な警察力は保持する。
◆大陸間協定により若しくは国防のためにのみ、軍隊を組織することができる。いずれの場合も文民権力にいつも従属し、単独若しくは共同して、議することも声明・宣言を出すこともできない。

 日本の親愛なる昔さま、こんにちは。まず今から読む詩を聞いてください。昔からコスタリカにある、人々の声を集めた詩集のなかに、こういうものがあります。

夜明けのときがきた
仕事が終わって
人や人類がそこに現れるとき地上の上に
人々が平和であり、そして幸せであるように
よい生活をし、そしてその存在が役に立つものであること
皆立ち上がりなさい
そしてすべての人を呼んでください
私たちのなかには一つのグループ、二つのグループ、そういうものではなくて
誰もが後ろのほうにいるということがないように
そして皆が長生きをして、とても平和であるように
 平和というのは言葉で言うことではなくて実践するものです。平和というのは私たちが教育のなかで学んでいくものであり、日常生活のなかで少しずつ実践していくものだと思います。
 私はコスタリカという非常に小さい国から来ました。戦争をやめると宣言した国です。そこに至る道は決して簡単なものではなく、とても多くの困難な問題がありました。でも、憲法によって軍隊をなくしたことを私たちは後悔したことがありませんし、後悔することもないと思います。

飢えと死の予算を文化と教育に

 軍隊を放棄したことによって私たちはたくさんのよいものを得てきました。さまざまな国の機関をつくり、社会的組織を構築しました。以前、軍隊、銃弾、武器に便われ、飢えと死をまき散らしてきた軍事予算を、文化と教育に回すことができるようになったからです。
 コスタリカの人たちは今とても健康でいます。差別はなく、社会保障が十分に行き渡っています。そしてまあまあの住宅が供給されています。国中に電気が通っていますし、電話などの通信手段もあります。どこにも道があり、橋もあります。そして特に学校が多くあるのです。教育に力を注ぐ方針は、1948年の12月1日に当時のフィゲレス大統領が「すべての兵営を学校、あるいは博物館にしよう」と宣言したそのときから始まりました。
 内戦前は、コスタリカにはニつの階層がありました。富の階層と貧困の階層です。富んだ階層の人たちは、教育や医療を受ける権利を持ち、あらゆる面で保障されていました。そして、そういう人たちがいわば軍事権力を持つ側にありました。貧しい人たちは小作人として自分の土地ではない土地を耕して、やっと生き延びていけるという状態だったのです。貧しい人たちは一生貧しく、その子どもたちも貧しいままであることが運命づけられていました。
 しかし正義と自由と民主主義を求めた人々が立ち上がって内戦が起き、変化が起こったわけです。無償の教育と無料の医療という夢に見たことがかなり早く実現しました。子どもは、国の奨学全を得で大学に行くことができます。そして社会が必要とする教師や、ほかの専門職に就くようになります。これは量的にも質的にもきわめてすばらしい変化ですし、多くの国が非常に貧しい状態である中米にあるこの小さな国で行なった事業としては非常に大きなことだったと思います。
 私たちのきょうだいである中米の国々は軍事独裁国家のもとにあって、私たちよりも幸せではない生活を強いられています。これらの国々はお互いの国の間の戦争で、あるいは自国のなかの内戦で、戦いつづけてきています。この中米の貧しい国々は、たいていアメリカが支えています。一方コスタリカは、自国の運命を自分たちで切り聞きました。
 その結果、コスタリカはラテンアメリカの国々の虐げられた人々の避難場所になってきました。
 たとえば1950年から1980年代にかけて、ドミニカ共和国とか、スペイン、プエルトリコ、グアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドル、ニカラグア、パナマ、コロンビア、ベネズエラ、ペルー、ウルグアイ、アルゼンチン、チリ、ブラジル、エクアドルなどの独裁国家、または軍事国家のもとにある人々の逃げ場所になっていました。
 それがどういう影響を及ぼしたかというと、これらの国からコスタリカに亡命したり、避難したりしてきた人々は、民主主義というものを学びます。そして自分の国に帰って、民主的な新しい国をつくろうとしたのです。
 たとえばベネズエラのペタンクール元大統領とかプエルトリコのルイスームニョス・マリン。チリの現在の大統領リカルド・ラゴス。ドミニ力共和国の現在の大統領ラファエル・イポリト・メヒア・ドミンゲス。キューバのホセ・マルティ、アントニオ・マセオ、そしてカストロ。ニカラグアのサンディニスタなど、言い出したらきりがないのですが、中南米の非常にたくさんの人たちがコスタリカから学んで帰り、自分の国でリーダーになっています。
 この人たちがコスタリカで学んでいかなかったならば、新しい歴史は生まれなかったでしょう。

一人ひとりが紡ぎだす平和の道

 戦争とは何でしょうかという質問があります。それは恐怖の問いだと思います。その質問にあるのは恐れだけです。平和というのは生まれるものではなく、つくるものです。
 操り返しますが、平和というのは言葉ではなくて行ないです。そして平和であるためには私たちは飽くことなく日々の行動に表していかなければなりません。
 問題解決の側にいくのか、それとも引き続き問題のなかにいるのかということです。そして私は、問題解決の側に立ちたいと思います。
 私たちはすぐに社会を変えることはできないかもしれませんが、日々の行動様式を変えることはできます。どんな教育を受けたとか、どんな仕事をしているとか、そういうことには関係なく、どんな人も、平和の文化をつくっていくために日々責任のある行動をしていくことを義務づけられていると思います。
 平和の道というのはいったい何でしょうか。それは想像できないくらいの再生産性を持っているものです。一人ひとりが自分のなかから紡ぎだして、そしてそれをほかの人に与えていくもの。そういう潜在力のことだと思います。そして平和や戦争は、何も先進国だけの問題ではなくて、自分たちの未来をつくっていく人たちすべての問題だと思います。
 そしてそれは経済的に弱かったり、依存していたりするコスタリカのような小さな国でも構想できるものです。コスタリカは自分たちがどのような方向にいくのかという戦略を持っています。それは世界の人々や自然と共存して平和に生きていくということです。それが私たちの平和をつくり出すやり方なのです。ですから自分たちの毎日の生活において私たちは独自の、そして非常に勢いのある行動をすること、それも今すぐにすることが必要です。
 そのために、私たちは次の二つの質問を日々自問する必要があります。どんな社会をつくりたいと望んでいるのか。どんな人類をつくり出そうと思っているのか。
 最後に、沖縄にはこういう賢い言葉があるのをご紹介したいと思います。「イチャリバチョーデー」。これは、出会えぱみなきょうだいですという言葉。それから「チムグルサン」。他人の苦しみに対して肝苦しい(胸が痛む)こと、つまりほかの人の痛みは私の痛みであるということ。そして「ヌチドウ宝」。命こそが大切ということです。そうです。本当に命というのは大切なことだと思います。
 皆さん、今日はコスタリカの話を聞きに来ていただいたことを感謝いたします。どうぞこのような会話を続けていっていただきたいと思います。それから、この会を成立させてくださったたくさんの方々に、心からお礼を申し上げます。特に子どもたちには一番のお礼を言いたいと思います。何よりも先に、私は一人のおばあちゃんですから。


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