新・「でんまるく国のはなし」−カレンさんの「故国」と日本

 軍事にたよることを完全にやめてしまったのは、20世紀に入ってから後では、コスタリカが世界最初と言っても差し支え無いでしょう。そのような完全脱軍事システムを作り上げてきた、コスタリカのトップレディ、カレンさんのルーツはデンマークです。

 カレンさんは、家族とともにデンマークから米国に移住されました。1950年代後半の大学院生時代に、コスタリカ大統領ホセ・フィゲーレス氏と運命的な出会いののち結婚されて、コスタリカの人になり、国会議員、国連代表や駐イスラエル大使などの要職を歴任され、中米和平実現にも尽力されました。現在は、ホセ・フィゲーレス財団理事長として、さまざまな国際会議に出席され、環境、貧困、子どもたちの教育など、世界にとって重要な問題に取り組んでおられます。
 お二人の間に生まれたご子息も大統領(1994―98年)を務められたことをはじめ、他のご家族もそろって、コスタリカで重要な役割を担われています。

 カレンさんの故国デンマークについて、日本では、平和主義者として有名な内村鑑三が、1910年代にすでに『デンマルク国の話』というパンフレットを書きました。その後、このパンフレットは、大ロングセラーとなり、昭和のはじめには国語の教科書にも載りました。内村鑑三はその中で、北ヨーロッパの覇権戦争に敗れた後、侵略をやめ国内開発に力を注いで、国民を豊かにしたデンマークを、近代日本の進むべきモデルとして紹介しています。
 残念ながら、当時の帝国日本の軍部や政府は、内村鑑三の提言とは反対の道を選び、 1945年の敗戦に至りました。しかし、内村鑑三の『デンマルク国の話』は最近ワイド版岩波文庫で復刻されるなど、今でも日本で広く読みつがれているのです。

 コスタリカは、1948年の内戦の後、軍隊をすてて、教育や社会保障、人権・平和外交に力を注ぎ、内村鑑三が示したモデルを、さらに進めてきた、と申せましょう。モデルであるデンマークも、現在「持続可能な発展」をめざし、オランダ・イギリスに次ぐ援助で、コスタリカを支えています。

 そのデンマークにルーツをお持ちのカレンさんを、コスタリカから日本に、今お迎えできることは、一種の運命なのかも知れません。今このときも世界平和のために活躍されている、カレンさんのお話に耳をかたむけようではありませんか?

2001.10 原案作成:竹村卓


インデックスページに戻る