[コスタリカ国旗]
2002.7.1
[原案作成:竹村卓]
<概 要>
面 積 : | 約5万平方キロメートル強(九州+四国程度) |
位 置 : | 中米。北緯8−11度。隣接国は、北:ニカラグア、南:パナマ。 |
人 口 : | 約382万(2002年5月現在) |
公用語 : | スペイン語 |
国 教 : | ローマカトリック |
大統領 : | 任期4年。再選1回のみ。連続再選禁止。 |
国 会 : | 一院制。任期4年。連続再選禁止。全国7つの大選挙区比例代表制。大統領と同時選挙。定数57名。(2002年5月現在:女性議員12名) |
1502年 | コロンブスにより「発見」される。 |
1821年 | スペイン植民地だったグアテマラ総督府(中米地域)が独立。 |
1823年 | 中米連邦(諸州連合)結成される。 |
1838年 | コスタリカが中米連邦からの離脱を宣言。 |
1848年 | コスタリカが中米連邦から中米連邦から正式に分離独立。(国旗・国章制定) |
1856年 | 米国人:ウイリアム・ウォーカーの侵略。 |
1857年 | 米国人:ウイリアム・ウォーカーの侵略を撃退。 |
1869年 | 憲法で男女義務教育の無償化を定める。 |
1871年 | 新憲法が制定される。 |
1882年 | 憲法が修正され、死刑廃止を定める。 |
1907年 | 個人の国際裁判出訴権を認めた中米司法裁判所をカルタゴに設置(のちサンホセに移転)。 |
1913年 | はじめての直接選挙で、大統領を選出。 |
1917年 | ティノコ将軍による軍事クーデターがおこり、独裁政権が成立。 |
1919年 | ティノコ独裁政権が崩壊。 |
1921年 | 米国の支援を受け、軍隊を持たない隣国パナマのコト地方に侵攻し、領土を奪う(1941年まで国境紛争)。 |
1931年 | 共産党PCCが結党する。 |
1932年 | 共産党指導の下、米国ユナイティッド・フルーツ(現ユナイティッド・ブランド)社のバナナ農場労働者による大ストライキがおこる。 |
1934年 | エルサルバドルと共に満州国を承認。 |
1940年 | 国民共和党PRNのカルデロンが大統領に当選。 |
1941年 | 真珠湾攻撃の直後、日本・ドイツ・イタリアに宣戦布告(米国より早く、南北アメリカ大陸で初)。 |
1942年 | カルデロン政権が社会立法を行い、福祉政策を導入。 |
1943年 | 共産党が人民前衛党PVPと改称し、カトリック教会と共に政権を支持。 |
1944年 | カルデロン路線のピカードが大統領に当選(不正選挙疑惑が生じる)。 |
1948年 | [2月]大統領選挙では、一般投票でウラテ候補より票数の少ないカルデロン候補の当選を与党多数の国会が議決。 [3月]フィゲーレスなどが武装蜂起し、内戦が起こる。 [5月]暫定政権政府評議会Juntaが成立(議長フィゲーレス)。 [7月]人民前衛党を非合法化する。 [12月1日]フィゲーレスが軍備放棄を宣言。 [12月3日]集団的自衛権を定めた米州相互援助条約批准し、条約は発効。コスタリカは海外派兵拒否を宣言。 [12月10日]武装したカルデロン派が、隣国ニカラグアの独裁者:ソモサの支援を受け、コスタリカに侵攻。 |
1949年 | [2月]米州機構OASにより、ニカラグアとの紛争解決。 [11月]軍備放棄を定めた現行憲法施行。ウラテが大統領に就任 |
1953年 | 初の女性投票。国民解放党PLNのフィゲーレスが大統領就任し、福祉政策を推進。 |
1954年 | グアテマラで米国CIAの支援を受けた軍事クーデター発生し、改革派アルベンス政権が崩壊。 |
1955年 | [1月]隣国ニカラグアのソモサに支援された、カルデロン派がコスタリカに軍事侵攻。 |
1956年 | [1月]OASによりニカラグアとの紛争解決。 |
1965年 | 治安警察隊員21名が、米州平和維持軍として、米軍介入後のドミニカ共和国へ警察活動を行う。 [9月]コスタリカ代表が、国連総会で人権問題担当国高等弁務官設置を提案し、国際法律家委員会などNGOと連携。 |
1966年 | [2月]カルデロンが大統領選挙に出馬し、落選。 |
1974年 | 北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国と国交樹立。 |
1975年 | 憲法を修正し、人民前衛党PVPを合法化(系列政党は1958年から選挙に参加済)。 |
1977年 | 隣国ニカラグアで、サンディニスタ革命はじまり、コスタリカはパナマやベネズエラの支援を受けて、ニカラグアのソモサ(子)政権に対抗。 |
1979年 | 隣国ニカラグアのサンディニスタ革命成功し、三代に及ぶソモサ支配が終わる。 |
1980年 | 国連平和大学誘致に成功。 |
1981年 | 米国レーガン政権がニカラグアの反政府ゲリラ:コントラを支援し、中米紛争が深刻化する。 |
1983年 | [11月]モンへ大統領が「永世・積極的・非武装」中立を宣言。 [12月]ラングーン事件に抗議して、ビルマに続き北朝鮮と断交。 |
1986年 | [2月]中立政策堅持の国民解放党アリアス候補が親米政策のカルデロン(子)を破り大統領に当選。中米和平プランを推進。 |
1987年 | [8月]グアテマラで中米和平を合意。 [12月]アリアス大統領がノーベル平和賞を受賞。 |
1997年 | [10月]国連第1委員会で、コスタリカ代表がモデル核兵器禁止条約MNWCへの支持を表明。 [11月]コスタリカ代表が国連事務総長に書簡を送り、MNWCが国連公式文書となる(国際反核法律家協会などNGOと連携) |
1998年 | [6月]印パ両国核爆発実験非難決議を日本・スウェーデン・スロベニアと国連安保理に共同提案、決議成立に尽力 |
1999年 | [5月]憲法を修正し、法の下の平等を定める条文の「人」を意味する言葉を、男性も意味するhombreから性差の無いpersonaに変更。 |
2002年 | [2月]総選挙。投票率ワースト3位。三つ巴の大統領選挙は初の決選投票へ。 [4月]初の大統領選挙決選投票。投票率が低下し、白票や無効票が増加。 [5月]首都サンホセ開催の中南米リオグループサミットで、べネズエラ軍事クーデターを非難して国際世論をリードし、クーデターを失敗に追い込む。 [6月]憲法を修正し、住民投票(レファレンダム)を導入。パチェーコ大統領は、米国主導の国際警察学校開設協定に署名。 [7月]国会は、麻薬取締りのため、米国沿岸警備隊・海軍艦艇38隻の領水使用を承認。 |