ボーヴォワールが通っていたパリの都心の小学校が廃校になった。その後大手不動産屋が高級ショッピングセンター建設目的で買収したが、バブル経済がはじけて空き家のままとなっていた。そこにホームレス60家族120人が住まうこととなった。「必要に迫られての占拠は刑法に違反しない」という裁判所の判決を根拠に、<権利に向かって直進、Dd!!>というNPOは、果敢にもそのことをやってのけた。
シャンゼリゼ通りに面するあるバーは「男性同伴以外の女性お断り」とかかれたプレートが貼られていた。この時代錯誤的で差別的なことに驚いた2人の女性は、同店を告訴し、「シェンヌ・ド・ギャルド」という「女性差別を厳しく監視する女たち」というNPOに支援を求めた。バーの前でのデモや粘り強い交渉によって勝利をかちとる。その結果「女性お断り」のプレートの下に「歴史的記念物」というプレートを貼ることとなった。
フランスのNPOは、何と才気煥発、エスプリやユーモアに富んだ活動をしているのだろうか。これらのNPOのイキのいい実例とその背景・歴史・制度の文脈を描いたまことに魅力的な本に最近出会った。
コリン・コバヤシ編著の『市民のアソシエーション』(太田出版、2003年)は、NPO・市民活動にかかわる人々の魂を深く鼓舞してくれる類いまれな本だ。副題に「フランスNPO法100年」と銘うっているように、かの国のアソシエーション法1901年法の歴史的淵源をたずねるとともに、現代的な多様な展開を、わが国のNPO法との関連において述べている。
彼我の比較において、私たちが示唆されることはすこぶる多いが、ここでは、とりわけ大切だと思う5つの論点をすくいあげ、私たちの足もとでのこれからのNPO・市民活動のあり方を明らかにしたい。
第1に、思想としての「市民の協働空間」創造の視点である。フランス革命以来、「人間は自由に生きるために創られた」という倫理と政治理論に根ざしつつ、その実現のために市民が協働する権利を人間のもつ<自然権>として認めれられるとともに、市民としての「自立性と責任」を学ばなければならないとする一連のデモクラシーの思想には首尾一貫したものがある。わが国のNPO法はそのスタートにおいて、「規制緩和」や政府のダウンサイジングによる公的サービスの補完的代行的担い手という位置づけからきており、市民活動の自由や市民の自由な協働する根源的な権利を実はまだ十分に認められているとはいいがたい。
第2に、そのことを裏書するように、税制面における優遇措置の根本的欠如を指摘することができる。市場の失敗や政府の失敗を補いこえるためには、市民の中にはモノやサービスや価値観において国家が提供する財よりもNPOによる財を求め購入したいと願う市民もいる。この場合は、税金により国が提供する財を購入しなかったわけであるから、税金を還付する制度を適応すべきである。かの国及びヨーロッパ全体にはそうなっているが、わが国のその条件は非常にきびしいものがある。
第3に、NPOが提供する財とは、モノに限らず、価値観あるいは政策提言といったアドボカシーがあるというキリクチである。日本の場合、アドボカシーを専門とするNPOが発達しているとはいえないが、フランスの場合は、避難民の救済や、公共空間を<占拠>して家なき人々への住居の権利を確保するなど、多彩な「未来を予言する人々」としての性格へのふみこみが著しいものがある。わが国でもまちづくりの計画提案や政策提言を市民の代弁者としてなしうるアドボカシー機能の育みが待たれている。
第4に、市民性を研磨することへの自覚的とりくみである。市民性とは、文化・伝統・慣習・宗教等が違う人々の間で異種混交的な社会となりつつあるフランスでは、そうした千差万別の感性や価値観がぶつかりあうことによる拮抗と緊張を経験しながら、「異論や少数の考えを批判せずに解決策や協調できる案を見出していくこと」をいう。そうした本当のデモクラシーの実現と、「市民の協働空間」づくりにおいて、異論をさしはさむ余地を常に開き、トラブルをエネルギーにするしなやかな発想をコトをすすめながら育んでいく視点は、同時代のNPOの課題として非常に重要である。
第5に、国際的に、善悪二分法の古い発想から、武力による「正義」を世界に強要している状況が広がる中で、21世紀は、二分法的世界観をこえて「力によらない異種混交的、複合的世界」をひらき、<まちの縁側>のような世界の多様性と融合性を実現する地球市民的な意識の育みの強調である。
「来るべき社会の新たな見取り図を発想する作業場は、市民の側にあること」を世界史的に明白にしている本書は、わが国のNPO・市民活動の行き悩みを解きほぐし、励ましと勇気をひとりひとりにとどけてくれる。必読をおすすめしたい。
延藤安弘 |