生命としての言語のあらわれの研究
ノーム・チョムスキーは「生成文法」で世界的に著名な言語学者であり、1977年からマサチューセッツ工科大学の教授である。彼の言語学は、哲学的・方法的である。言語学には研究対象を外在的な言語(Externalized
language,E-言語)と、内在的な言語(Internalized language,I-言語)におく2つがある、と彼はいう。前者が、言語サンプルの類似性のパターンに対応する記述的文法を示すやり方であるのに対し、後者はひとりひとりの頭・脳の中で表現される生命としての言語のシステムを記述することを目指す方法である。
人間・幼児は生得的に普遍文法の知識を賦与されており、暗黙のうちに言語を使用できる能力をもつ。そのような主体的な人間の精神(mind)の力に価値をおくものの見方が彼の方法的特徴である。従来の文法は客観的な規則のシステムであるというとらえ方がされているのに対し、チョムスキーは、言語学とは人間のまわりとのかかわりによって生成される心的現象としての言語を扱う人間研究であるとする。
ひとりひとりのつぶやきを大切にする、個別言語の正確な記述から出発しながら、人間の言語知識に関する科学的理論を研究するチョムスキーは、おのずから既成の学問分野の境界を全て解き放つ姿勢をもっている。
生命としての意識の動きを表現する言語の生成の過程を追求するチョムスキーは、不当に生命を圧殺する戦争に対しては、たゆまず毅然と世界にアッピールする言動・活動をおこしてきた。1960年代チョムスキーは、ニューレフト運動に参加し、ベトナム戦争だけでなく第3世界でのアメリカの帝国主義的な内政干渉に猛烈に反対した。彼の主張は、
「 "American activities"(アメリカの活動)の本当の性質は、世間を欺くために考案された科学的レトリックによって社会一般の道徳問題・考察が効果的に回避されてきたという信念にもとづいている」(*)
生命殺戮のテロと戦争批判
チョムスキーは2001年9月11日の同時多発テロ事件に対しても、その直後機敏に、この課題の多面的意味を読み解き批判的に分析する講演・執筆を行った。それを束ねたのが本書である。ボーンセンターで地域通貨などのブックレットをまとめていただいた塚田幸三さんは力をこめて本書を訳された。本書は多様な人々の発言を根拠にしつつ、驚くほどに、事態の本質と歴史的意味が説かれている。
第1に、9月11日の出来事は歴史を画する大事件であり、そのことは、銃口が向けられる方向の変化を意味している。1814年に英国がワシントンを焼き払って以来、本国が襲撃されたのである。パールハーバーがよく引きあいに出されるが、日本は米国の植民地であった軍事基地を爆撃したのであり、本土ではない。
1814年から約200年たった間に、米国は原住民を追放あるいはほとんど根絶させてきた。その数は何百万人にもなり、メキシコの半分を占領し、カリブ海諸国、中央アメリカ、さらに時にはそれを越えて中南米全域の略奪を行った。ハワイとフィリピンを占領し、その過程で10万人のフィリピン人を殺害した。戦闘はどこかよそで行われ、殺されるのはよその人であった。米国は数多くの他の国の人々を殺してきた。その大きな世界史的反動としての今回の事件。
第2に、イスラム原理主義者たちのテロ部隊をつくったのは元々アメリカであること。1979年12月に旧ソ連がアフガニスタンに侵攻する半年前に、アフガニスタン政府と闘っていたモジャヒディンへの支援を米国が始め、旧ソ連をアフガンの罠へ引きずりこんだ。この時以来、CIAは10万人規模の最高の殺し屋の狂信的急進派イスラム原理主義者たちの傭兵部隊を育てた。1989年、旧ソ連がアフガンから撤退すると彼らはすぐに方向を変え、チェチェン、中国西部、ボスニア、カシミールなどで闘った。1990年、米国はサウジアラビア(世界で最も極端な原理主義国家)に恒久的な軍事基地を築いた。イスラム教徒の聖地があるサウジアラビアの方がアフガンよりも重要とみる彼らは、その時点で彼らの活動が米国に向けられるようになった。1993年の世界貿易センターの爆破事件などにひきつづいて今回の想像を絶する大事件をひきおこしたのは米国自らの行動の結果でもある。
第3に、「ならず者国家」としての米国の位置づけを明確にしていること。「ならず者国家」とは普通2つの意味で使われる。ひとつは、宣伝効果をねらって特定の敵をさす場合。いまひとつは自分が国際規範に制約されないと考える国をさす場合である。ブッシュは前者の意味で潜在的反抗分子の他国を「ならず者国家」というが、実は米国自身が後者の意味での正真正銘の「ならず者国家」である。事実、第2次大戦後は、国連憲章、国際司法裁判所判例、そして、様々な協定や条例として、規範が一部成文化されているが、米国は自分はこうした制約を受けないと考えており、その傾向は冷戦終結後強まっている。米国はひとりがってな「威信」を標榜し、国家の暴力を正当化し、現代世界における最強の強靱な殺し屋なのである。
テロの脅威をなくすためには、それらに加わることを止めることだとチョムスキーは単純明快に論じる。そうすれば自動的に、テロの脅威を大幅に減らすことができる。しかし、米国は強者の武器としてのテロを世界各地で展開したがために、9月11日の劇的な未曾有のテロを発生させた。さらに「対テロ戦争」を引き起こすことによって、悪のディレンマはいっそう深刻さを増していく。
第4に、今起きていることは、静かな大虐殺であること。アフガニスタンでは、700万人から800万人が飢餓寸前の状態である。暴力の連鎖をエスカレートさせることによって、貧しい国の人々への残虐な、恐ろしい光景をおしひろげている。
第5に、分別ある提案の考慮と呼びかけ。旧ソ連と米国は少なくとも過去20年間、アフガニスタンを実質的に壊滅させてきた代わりに、多額の賠償金を払うべきであり、国連やNGОが廃虚から何かを築きあげるためにアフガニスタン内の諸々の関係者を結集させる試みを行うべきとしている。
絶望を希望のはじまりとする
チョムスキーは、悲惨と残酷きわまりない事の真相を、このように多角的に解明している。しかもその語り口は、シニカルさとユーモアにひたされているために読者(聴き手)をとらえてはなさない。例えば、本書冒頭の講演記録では「前回は人類は絶滅危惧種である」という「軽く愉快な話題を取りあげた」が、「今回は少し息を抜いて、楽しい話題を取り上げよう」といいつつ9月11日事件とテロに対する新たな戦争を語るという具合である。
世界がどのように滅びの方向に赴く危機にあろうとも、なおかつ絶望を希望のはじまりとみなす能動的なワールドメイキング(世界制作)にかかわる市民への信頼をチョムスキーはかくさない。そのことを意味する彼の言葉。
世界でいろいろなことが起こるのは、その名前を誰も聞いたことがなく、
歴史から消えるひたむきで勇気のある人々の努力が実るときなのである。
生活者・市民ひとりひとりの幸せをもたらす状況づくりに向けての言葉のコミュニケーションの自由自在さをもたらす文法の柔らかい組織体(polity)に関するチョムスキーの理論と、正義と幸福と友愛の政治(politics)の文法の実践的創造へのよびかけの統合が、本書の背景に潜んでいる。これはチョムスキーならではの魅力あふれる書物である。是非多くの方々に読んでいただきたい。
<注>(*)スチュアート・アーム編:現代文学・文化理論家事典、松柏社、1999年、pp.236-239
延藤安弘
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