映画「眠る男」は群馬県が同県出身の映画監督、小栗康平に依頼して生まれた。4,5年前にそれを見た時、冒頭のシーンから始まって、数々の地域の風景が息をのむほどに美しかったことと、人間の純朴な生き方を映す心の風景に深い感銘をうけた。
新年早々、その群馬県主催の「地域づくり実践講座」に赴いた。ぼくはいつもながらの「げんとーく」(幻燈+トーク)。赤岡、ゆりの木商店街、四街道南部福祉センター、ユーコートなどをとりあげて、まち育ての視点を語った。休憩時に、昨年末の千葉・女性まち育てフォーラムで、望月南穂さんが発案した「○○が変わればまちが変わる」「その処方箋は?」の問いかけシートを参加者に自由に記入してもらった。後半、それにもとづく応答。
中味は、群馬県人らしい、人間の資質の豊かさに着眼したものが目立った。
「人」が変わればまちが変わるをうけて「人が本来持っているやさしい気持。それを素直に出せる世の中にする。その道具として地域通貨の活用。」これは「ピーナッツ」活動が意表をつく人と人との関係を育んでいることに、人々は印象づけられたことを伝えている。「こころ・思い・気」が変わればまちが変わると言う反応が相当多かったことも大きな特徴であった。その処方箋としての「ひとりでやらずに2人でやろう。2人が3人、5人とふえる、その先には必ず何かが見える、毎日たのしくそこに進もう」の発話にも、「ゆりの木」の経緯への共感がにじんでいる。
また「楽しいこと・心がうきうきすることをみつける、夢の中で形にしてみる、動く、できるまで続ける」は創造的まち育て活動の共通原則である。そのためには、「行政が住民の目線まで下がる」「公務員の意識改革と、そのための市民からの発動(きっかけづくり)」が是非必要との指摘がつづく。
行政も住民もいづれも視点を変えるためには、「地域(地元)を愛する心を掘りおこす」「感動の共有」「自分がどんなふうに人とかかわりながら住みたいか、いっぱい夢を語りあう仲間をふやす。ちいちゃなことでもいいから面白そうなこと、できそうなことを、いっぱい失敗しながらはじめてみる」「他力をすてて自力に立って考える」等の開かれた方向感を分かちあうことの大切さが強調された。
ユニークな意見として「人の顔つき」が変われば、まちが変わる。そのココロは「テレビを捨てて、毎日、自分たちで寸劇をやること」とあったが、これは四街道ワークショップの経験が鮮烈に印象づけられたのであろう。対話、体験、表現をわかちあう共感にひたされた活動、そのことによって、常識や前例主義の固い枠組みを逸脱させる、状況を変えうる新しい発想の翼がひろがっていく。
「まち育ては人育て、人育ては心の意識改革、人のつながり・絆はまちを育てる」の意見は全体を束ねている。ともあれ、人がまわりとゆるやかに多様にかかわるところに、内面的にも外面的にも豊かな風景に彩られたまちが育くまれ、そのことにより人も育くまれていく。このことは「眠る男」の要点でもある。
ところで、ぼくの「げんとーく」プログラムに登場する人もまちも同様の中味を映しこんでいた。いづれのプロジェクトにも登場する人々は、状況に応じてしなやかに動き、演じ、交歓することに喜びを見いだす「笑う人」たちであった。
「眠る男」と「笑う人」――対比的ではあるが、両方に相通じるものがある。
それは豊かな心の風景づくりとしてのまち育て。映画を語りながら、創造的市民活動のイメージをひろげるひとときがもてればいいな、そのうちに。
延藤安弘
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