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●評者:川本 幸立(事務局長)
「生命、自由、幸福追求の権利は、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする」(憲法13条)とされながら、2003年の 交通事故死者7702人(但し事故発生後24時間以内の死者)、負傷者数約110万人である。毎年ほぼ同数の死傷者の発生が許容され、憲法が求める死者ゼロ・負傷者ゼロに向けた取り組みはなされてはいない。私には3人の子供がいるが、彼らが外出する時は今でも、「クルマに気をつけて」と言い、無事な帰宅を確認すると安堵するのが常である。身近な生活の場で最も危険な存在は、犯罪者やSARS、鳥インフルエンザ、BSEなどではなく、クルマであることを誰しも認めるであろう。
これだけの「殺傷行為」がまかりとおる問題の第一は、歩行者と同一平面を数百キロ〜数トンの重さの装置が時速40〜60キロでミスや不注意の常習者である人の操作によって変則的に走り回ることである。第二は、そうした事故の責任が「クルマという装置」及び「欠陥道路」以外のものに転嫁されていることである。その一方で車の生産台数の増加が推奨され、大規模道路の建設には地域開発の要(千葉新三角構想など)として、莫大な税金が浪費されている。
この人命無視の自動車・道路行政がまかり通る根底に、省益(天下りなど)という私益と業界保護を最優先し、やるべきことを実行しない「官僚の不作為」「政策立案のなさ」があることを本書は鋭く告発している。著者の杉田聡氏は「運動の中の思想」(唯物論研究協会編・イクォリティ92年)、「クルマを捨てて歩く!」(講談社α新書01年)などで「道路・自動車問題こそ、現代社会にあって、弱い者に過酷な被害をもたらす最大要因の一つ」(まえがき)であると説いてこられたが、本書は「政府の使命・官僚の任務という観点」に焦点を当てたものである。
全体の構成は、第1章「『官僚不作為』とは何か」、第2章「道路建設行政と財政の破綻」、第3章「道路・環境行政と生存さえ脅かす沿道汚染」、第4章「道路・都市行政と住めない街の出現」、第5章「道路・交通安全行政と途方もない殺傷構造」、第6章「官僚の任務と道路行政」である。
第4章では、郊外に住む高齢者がモータリゼーションの推進と大店立地法の「相乗作用」により身近にある零細商店が閉店し「生命維持の基盤」を奪われ窮地に陥る生活実態も触れられている。
第6章では、「街づくりは、だれよりも社会的な弱者、特に高齢者、子どもを第一に考えて進められなければならない。」(200頁)とする立場から、商店街区と歩いて暮らせる街(道を遊び場へ、小規模商店街区の形成、コンビニを高齢者の生活を支える拠点へ)、公共交通網の整備、往診(医療)の復活、少子化の観点からの街づくり、「危険フリー」の道を、歩道の設置(幹線道路の歩道設置は未だ5割)、クルマ遮断機、運転者教育の全面的な見直しと厳しい自動車免許制度、時速30キロ規制区画、運転集中を促す自動車構造の変更、CMの禁止、財源として固有の目的税・課徴金などが提案されている。その意味で本書は、モータリゼーションを排し、歩いて暮らせるまちづくりへの構造改革指南書とも言えよう。
千葉県の03年の交通事故死者数は358人で前年より減ったとはいうものの全国ワースト4である。役所による市民参加の「道路交通安全点検」も盛んになり、県交通安全計画では2012年までに死者数220人以下を目指す(今後9年間に2千人の死者は許容範囲?!)としている。しかしモータリゼーション優先を前提としたのでは「道路公団改革」と同様、上っ面だけのポーズで終わることが危惧される。死者ゼロを見据えた安全安心の歩行・遊び空間の真の実現のためにも本書を薦めたい。
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